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新連載 「乳幼児と絵本」シリーズ(12)
絵本を読みあうことを「環境を通して行う教育・保育」の中に位置づけるということ(1)
佐々木宏子
平成元年(1989)の「幼稚園教育要領」では、「幼稚園教育は、幼児期の特性を踏まえ環境を通して行うものであることを基本とする。このため、教師は幼児との信頼関係を十分に築き、幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする」と告示されてから、はや35年が過ぎようとしています。この原則は、現在、すべての就学前教育・保育に適用されていますが、実態としては残念ながら順調に普及しているとは思えません。
なぜでしょうか? それは「環境を通して」の具体が何を意味しているのかが保育者・設置者にもわかりにくいからではないでしょうか。受講生ではありませんが、「それじゃ、保育者は必要ないのですか?」と困惑顔で尋ねる保育者がいて、私も驚いたことがあります。
保育環境を整備し、子どもの主体性を発揮できるようにするには、保育者が主導し子どもを「教える」という伝統的役割から脱することが必要です。保育者が子どもとともに
環境を創出・デザインすることで
子どもが主体的に動き、能力を発揮できるよう促さねばなりません。保育者の専門性はより高度になります。直接に子どもを動かすことよりも、
環境を整え、それに触発されて子どもが主体的に活動をはじめ、子ども×子ども、子ども×保育者、保育者×保育者同士が対話し共有することで育まれる生活力、想像・創造力を記録し可視化しなければなりません
。
なぜ、保育環境はなかなか豊かに創出されないのでしょうか? 特に都市部に顕著なことですが、園舎の増築や園庭を広げ木を30本植えたいと言っても、すぐに実現できるものではありません。予算の裏付けもなく保育者の数を増やしたくても、なかなか実現されません。結果として、「環境を通して行う教育・保育」は理念倒れになってはいないかと危惧します。もちろん、環境を整えることに一生懸命な園も少なからず存在することは事実です。
この問題を、絵本との関りで考えてみたいと思いました。私の経験では、鳴門教育大学附属幼稚園の事例が、その一つのモデルとして浮かび上がります。私は鳴門教育大学へ赴任以来、その間、4年間の園長経験をも含めて定年までの22年間、密接にお付き合いをしてきました。その間、私は保育者から絵本について話をして欲しいと言われたことは一度もありません。また、話す必要も全く感じませんでした。保護者に対しては確かに一度くらいあったように思います。
なぜならば、絵本以外の子ども達の遊び活動の面白さ、これはまさに遊誘財(環境)の蓄積を基盤に遊び続けることであり、子ども達の創造的な遊びの広がりと深まりの面白さにくぎ付けになったからです。
鳴門教育大学附属幼稚園には「えほんのへや」があり、子ども達は行事がない限りいつでも好きなときに出かけることが可能です。一人でも仲良し同士でも異年齢もまじりあい、部屋にはいつも「えほんのへや」担当の保育者がいて対応してくれます。そこでの子ども達の情報は、担当の保育者から各担任に伝えられます。仲間同士で読みあう子、一人で読む子、絵を描く子、自分で絵本を作る子、年長児が年少児に読んであげる場合など、読みあいの多様な人間関係が見られます。「えほんのへや」は、絵本と子どもとの関りでは基盤型環境であり、第一条件はクリアできていました。
もちろん、お帰り時のミーティングなどで、保育者が子ども達に一斉の読み聞かせをする場合もあります。各クラスの書棚のコーナーには、その時々の行事や季節の移ろい、「月間絵本」、子どもたちがその時に熱中している遊びや活動に関する図鑑や絵本などが、さりげなく準備されていました。そこでも、興味を引かれる子が、ひとりまたは集団で自由に読んだり話し合ったりしています。「えほんのへや」が、基盤型環境であるとするならば、このコーナーは絶えず変化する季節や行事、その時々の遊びにダイレクトにつながる臨機応変の準備環境です。保育者は、直接に指示することなく、子ども達が主体的に動く活動に応じて本を選び、その様子を記録にとどめたりします。
基盤型環境とその時々の子ども達の興味ある活動を支援する、「目標支援型環境」という二重の環境が常に準備されています。そこでの絵本と子どもの関係は、とても自然かつ柔軟で私が何か口をはさむ余地はありませんでした。読みたい子は自発的に関わり、もっと他に興味を引かれる活動がある子は、そちらに集中します。しかし、何かの機会に絵本や図鑑などを手に取りたいと思うと、いつでも環境は準備されていたからでした。私の専門は「絵本と子ども」でしたが、そこで何もする必要がなかったことは、私の自慢の一つです。
このような環境を背景に、絵本と子どもの成長記録(文章や映像)は数多くありますが、ここでは勝浦千晶教諭(現・園長)の記録(「
絵本の主人公が砂場に現われ10か月間クラスの一員として住み続ける」
)の事例を紹介いたします。この記録は当時4歳児(3年保育)の担任であった勝浦教諭が、平成18年6月から平成19年4月までの間に取った記録です。詳しくは『遊誘財・子ども・保育者』
1)
に収められていますので参照ください。
絵本『キャベツくん』(長新太・さく/文研出版)と『どろにんげん』(長新太・さく/福音館書店)を読んだことがきっかけとなり、4歳児の砂場に“どろにんげん”が出現します。空想上の生き物ではありますが、幼児にとって身近な存在となり、様々な場面で登場し、やがてその存在はクラスの一員となります。幼児の心や保育活動にユーモアを与え、イメージすることの楽しさを投げかけてくれる過程が、克明に記録されます。
今までは普通の砂の山だったものが、絵本で“どろにんげん”と出会ったことから、砂山に“どろにんげん”を創出してしまう、そのイメージのダイナミックさやユニークさに感心します。そこではクラス全員に“どろにんげん”という架空の仲間が日常生活で共有され、最後には一人の子どもの4歳時代を象徴する一番の思い出となります。幼稚園で恒例となっている誕生日の記念撮影に、その一冊は彼により選ばれともに収まります。
勝浦千晶教諭(当時)は、保育の中で子どもたちのユニークな発想や行動が現れた時には、必ずクラス全員に投げかけて共有する機会を設けていまます。普段から子どもの自発性に任せる指導をすると、子どもたちは保育者の予想を超える発想や協同性を発揮します。直接指導の教育で、保育者の目標で形を整えようとすると、子どもたちは自分らしさや多様な能力を発揮することができません。本物の協同性は、保育者が指示して一斉に与えられた目的に向かって走るような、一律のものではないのです。多様な発想が多様な言葉遣いを促し、そのはじけるような表現が相互に影響を与え、その循環がさらに豊かな発想と言語表現を促していくのではないでしょうか。
勝浦教諭はその時の状況を次のように語ってくれました。
「この絵本はクラスで1、2回読みました。読んだ後はクラスの本棚に置きました。本棚においてある『どろにんげん』は子ども達がそれぞれに手に取って見たり、友達と一緒に「ブッキャー」と共感したりと、『どろにんげん』の絵本がひっぱりだこだったのを思い出します。…子ども達はとことん楽しく生きようとする天才です」。
私は、この『どろにんげん』の記録と『わたしのワンピース』(にしまきかやこ/こぐま社)からファッションショーへと実践をする子ども達の記録動画を、何度か「あかし保育絵本士」講座の受講生に見てもらったことがあります。
注1
いずれの実践記録も長時間かけての子ども達の魅力的な活動記録であり、とくに後者はいわゆる絵本から「発表会」への在り方に、多くの示唆を与えるものです。この『わたしのワンピース』については、また、別の機会(シリーズの「表現」もしくは「発表会」)で触れたいと思います。
この記録を視聴した受講生は、
・「『どろにんげん』で砂場に“どろにんげん”を作った園の事例が興味深かった。子どもたち主体の保育で、ここまで何か月も遊びを発展させられることに驚いた」。(保育歴10年/担当2歳児)
・「“絵本が絵本を離れて遊びを動かしていく”例として、『わたしのワンピース』『どろにんげん』の取り組みを視聴し、その活動の豊かさに大変おどろきました」。(2年/4歳児)
では、受講生たちは「環境を通して行う」をどのようにして理解していったのかを、次の「シリーズ13」でお伝えしたいと思います。
1)
佐々木宏子・佐々木 晃 2022 『遊誘財・子ども・保育者 -鳴門教育大学附属幼稚園の環境をめぐる保育実践の軌跡-』 郁洋社
注1)
日野の森子ども園の実践記録動画 2018 松本崇史園長指導(現・おおとりの森こども園長)
(20251027)
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