HOME】[][][][ 4 ][][
新連載 「乳幼児と絵本」シリーズ(4)
保育の中で絵本を活かすとは

佐々木宏子

 2018年度の講座が始まって3回目のころ、講師のおひとりの徳永満里先生から以下のような課題が受講生に出ました。最初は何気なくその回答レポートを読んでいたのですが、私は、再び大きな教訓を得ることになります。

「小雨の日に、雨の絵本を読んで、子どもから『外にお散歩に行きたい』と言われたら、あなたなら、どのように対応しますか」

 すでにご存じのように、「雨」にまつわる絵本はたくさんあります。「シリーズ1」で紹介したように「子どもの心を理解するための絵本データベース」( 「子どもの心を理解するための絵本データベース」の検索画面へ )には「雨と遊ぶ」という主題で、現在でも75冊が登録されています。「あめのひってすてきだな」「あかいかさ」「あめ」「あめのひのおさんぽ」「あめこんこん」などのタイトルがずらりと並んでいます。他にも「風と遊ぶ」「水と遊ぶ」「泥と遊ぶ」など、もっとたくさんの自然と遊ぶ子どもを描いた絵本の主題があります。

 このことは、子どもの成長・発達にとって、いかに自然体験が大きな役割を果たすかが歴史的にも文化的にも語り継がれてきたことを証明しています。徳永先生もこのことを意識して、出題されたのだと思います。さて、受講生の回答にはどのようなものがあったのでしょうか。

・「今日は、お外は雨が降っていてお散歩にはいけないけど、お部屋でお散歩ごっこをしましょうと言って、ピアノに合わせて表現遊びをする。傘があればさしたり、水たまりを飛び越えたり、いろいろな想像を働かせて遊ぶ」(小規模)。
・「まず、雨を見て(保育室とか濡れてないところから)園庭が濡れている様子とか、空から降ってきている様子とか見て、外では濡れてしまうので保育園では行けないことを知らせる。おうちの人と傘をさしてお散歩してみて、と言う」(保育園)。
・「4・5歳児ならば、合羽を着て園庭でのお散歩を楽しむ。雨の日の生き物観察、雨の音に耳を澄ませる」(小規模)。
・「園内であれば短時間出してあげたいと思います。出たい子どもとそうではない子どもに分かれると思うので、希望を聞きます(略)」(保育園)。
・「全員、傘か雨合羽があれば、散歩に出かけたいところですが急な散歩は保育所的に無理がある場合が多いです。ただ、保育って全く同じ状況で予想される行動などが違うので、その時々で子どもの様子を見ながら対応するので“どのように”と聞かれても回答は難しいです(略)」(保育所)。(注:下線は佐々木/以下同)。
・「季節やその時の子どもの人数、職員の人数、子どもの体調、クラスの様子、当日の環境など、様々な要因があり一概に“行こう”とは言い切れない部分がある。(略)予測されるときは、前もって泥遊び用のTシャツ、パンツをもってきてもらっておく、(略)顔を空に向けて雨が降ってくる様子を感じたり、水たまりを“バシャン”と思いっきり飛んだりして遊びたい」(略)(保育園)。

 一般的に言って、保育経験の浅い保育者ほど、様々な具体的なアイデアとイメージで答えてくれます。ある意味では「絵本の世界」かもしれません。その裏側で、経験の浅い保育者ほど複雑で根源的な問題を、シンプルでストレートに投げかけてくれます。熟練の保育者は、様々に矛盾する経験則・暗黙知を抱え込むために、そのことを総合的に言語化することが難しく、「“どのように”と聞かれても回答は難しい」となります。それぞれの答えは、正直で真剣でその保育者の「現在」を浮き彫りにします。

 その施設が都市の真ん中にあるのか、地方の豊かな園庭を持つ所なのかにより、状況は全く異なります。乳児が多い小規模園では、難しい場合もあるでしょう。最初から「森の幼稚園」のように、自然を環境として活かす発想で造られた園庭をもつ施設では、「雨の日の外遊び」は環境の一つとして当たり前のように組み込まれています。

 私が所属していた鳴門教育大学の附属幼稚園では、それほど大きな園庭を持ってはいませんが、「雨の日」は当然の保育環境として想定されていました。雨が降れば、園庭に出たい子どもは、当日着てきた合羽や園で準備されているお手製の合羽(大型のポリ袋に穴をあけて被る)を身に着けてもらい外遊びに出かけます。そのためには、園庭を見守る保育者が必ず必要になります。

 子どもたちは、その日に遊びたい環境を選び、泥遊びグループ、ブロックグループ、お絵かきグループ、水遊びグループ、砂場グループなど、多彩なグループに自発的に分かれて遊びます。絵本を読みたい子どもは、クラス・年齢を問わず「えほんのへや」に三々五々とやってきます。そこには、担当の保育者が常駐します。このような子どもの自発性を尊重する保育では、絵本的エピソードは日々あふれるほど生まれます。

 「えほんのへや」では、一人読み、好きな仲間同士の読みあい、異年齢の読みあいなどの姿が見られます。もちろん、お帰り前に保育者によるクラスの一斉読み聞かせがある場合もあります。これは、3歳児以上という条件が可能にしているかもしれません。

 このように考えてくると、雨の日を子どもが自由に環境として使えるのは、いくつかの段階があるよう思います。一つ目は、雨の日に園庭に出て遊ぶのはルーティンとして普通の保育環境になっている場合。次は、保育者が様々な準備をして可能な場合。三つ目は、原則できない、ということになるのかもしれません。つまり、「保育に絵本を活かす」とは、究極のところ選書や読み方ではなく、絵本がいかに日常の保育活動と結びついているかという事ではないでしょうか。絵本が保育の中で活きるとは、極めて保育形態・保育方法と大きな関わりがあるのです。

 家庭保育で乳幼児を育てている親であっても、雨の日に子どもを連れて外出や散歩をするのは、大変な準備と努力が必要です。ましていわんや、集団保育の場で複数の子ども達を雨の日の散歩に連れ出すことは、前述の保育者の言にあるように相当な困難をともないます。

 しかし、雨の日の園庭保育が日常的に教育環境として組み込まれているならば、2歳頃から同年齢や異年齢の子どもたちがともに遊ぶことが可能です。年少児が年長児の雨の中で遊ぶ様子を眺めたり、年長児が年少児の世話をしたり、雨の日の遊びを教えてもらったりと、家庭保育にはない豊かさが生まれる可能性があります。

 現在の保育・教育のガイドラインには、「幼児期の教育は人格形成の基礎を培うこと」「環境を通して行う」、「子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相互の関わりを大切にすること」などの文言がずらりと並んでいます。まったく、理念としては国際的にみても素晴らしいものです。だが、圧倒的に保育者の数の少なさと保育環境資源の少なさが足かせとなっていることは否めないでしょう。保育者だけの力ではどうしようもないのです。鳴門教育大学附属幼稚園では、この保育環境資源のことを「遊誘財」1)と命名し長年研究をしています。

 また、保育者が子ども一人ひとりを大切にするという理念を要求されるならば、研究者も保育研究において、保育者一人ひとりの個性を尊重して欲しいものです。現在のように量的データの統計処理で平均値や相関関係(因果関係ではない)に終始する手法では、保育者の個性は見えてこないでしょう。このことは、また、後程、触れてみたいと思います。

1)佐々木宏子・佐々木 晃 2022 『遊誘財・子ども・保育者 -鳴門教育大学附属幼稚園の環境をめぐる保育実践の軌跡-』 郁洋社


HOME】[][][][ 4 ][][

Copyright(C)2025 Sasaki Hiroko All Rights Reserved