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新連載 「乳幼児と絵本」シリーズ(5)
「読み聞かせ」と「読みあう」ことの違いについて

佐々木宏子

 「あかし保育絵本士」の講座では講師は、原則、「読み聞かせ」という言葉をつかわず「読みあい」という言葉をつかいます。この言葉は、講師のおひとりの村中李依先生がつかい始められました。保育者と子ども、同年齢同士、異年齢など、どのような関係であれ絵本を真ん中において対話が始まる場合、それは「読む → 読まれる」の一方的関係ではなく双方向的にひびき合い、読みあうという意味でつかい始められたのだと思います。

 この養成講座では、初年度(2018年)のプログラムのタイトルにも、「ひびきあう保育のために」というサブタイトルが付けられています。絵本を読むことは、保育者が主導的に引っ張るものではないことをうたっていました。

 私は、2018年度の最初の講義で、以下のように書いています。(引用斜体)

「ひびきあう選書」とは何か
(1)読み手(保育者・保護者など)と子どものひびきあい
さまざまな絵本は、保育者や子どもたちとの間でさまざまに読みあわれる。一冊の絵本を子どもと読みあうということは、単に「子どもに絵本を与える」ことではなく、読み手は絵本というフィールドを借りて読み手(保育者)自身をも全身で表現していることになる。絵本という文化財が、他のアニメやゲームなどの映像媒体と大きく違うところは、ここにあるのではないだろうか。
読みあい(読み聞かせ)の事例を数多く眺めているうちに、一冊の絵本は子どもたちの経験や保育者の思いなどが交錯することで、随分と異なった解釈で読まれるものであることが分かる。
(2)絵本と遊びのひびきあい
 保育所や幼稚園の中での集団の読みあいは、子どもたちの人間関係へ様々な影響を与える。日常の保育を観察していると、絵本の物語、イメージ、絵などの解釈は、子ども達の遊びの中で再構成され表現されていることが随所で発見できる。つまり、絵本を読みあうことが、子どもの生活や遊び、言葉遣いやちょっとしたしぐさ等にもひびきあって広がる。子どもたちは様々な遊び活動を通して「読むこと」を深めているのである。

 この「読みあう」という概念は、まだ生成・発展途上で正確な定式化は完成していないように思います。しかし、講座の初めに多くの受講生から出てくる疑問や質問を整理するとき、とても役に立ちます。

 例えば、
・1歳児担当です。絵本の読み聞かせの時は、(略)必ず数名、途中で立ち上がり、絵本のページに触りにくる子がいます。一人ひとりに対応すると、次のページにすすめなかったり中断してしまうこともあります。こういう場面の適切なかかわり方があれば参考にさせていただきたいです。
・絵本を読んでいると途中からあきたのか、集中がきれてしまう子どもがたくさん出てしまい、私も読むことを途中でやめてしまうことがあります。こういう時は、読み続けるべきでしょうか(1歳児)。
・1、2歳児は前に来てさわりたくなります。さわらせてあげるものもありますが、毎回どの絵本でもすることが多く、座れず落ち着かない子は、よりガサガサしています。

 毎年毎年、前述のような‘悩み’は保育者から数多く必ず出てきます。これは、家庭保育の場合にはあまり存在しない悩みです。なぜならば、一対一の場合は、その双方的なコミュニケーションが楽しくて読みあうわけですから、読み手は「黙って聞きなさい」とは言わないでしょう。親子で読みあううち、つぶやきや行為は日常生活の様々なモノやコトと網の目のように連鎖しつつ広がります。読み手である親は、「今日、スーパー・マーケットに行った時のあれだな!」「今朝食べたリンゴと結びつけているな」「先日、お出かけの時のタクシーのことを話しているな」というように、幼い子どもの話そうとしていることが推測でき、ひびきあっていくことが可能だからです。しかし、数多くの子どもが一斉に自分の経験を語り始めると保育者には、その理由が理解できないことになります。

・3歳児24名のクラスで、絵本を読み、振り返りや問いかけをすると、絵本のイメージを振り返る子どももいるが、友達の言葉に反応して全く違う話をする子どもがいる。大人数の中、全員がイメージを共有することが難しく話し始めると収拾がつかなくなってしまうことが多くて悩んでしまう。

 その結果、集団の一斉読みの場合はどうしても混乱を引き起こし、保育者は静かにしてほしくなります。とくに、0.1歳児の場合、このコミュニケーションが楽しくて読みあうわけですから、それを阻止すると「読みあい」の意味が失われてしまいます。ですから、私は基本的には0.1歳児はできるだけ個別か小集団で読みあってほしいと思います。つまり、せっかくのコミュニケーションの場が「静かに黙って聞く」が、強制されるとお互いにひびきあう機会とならないのです。
 その結果、次のような悩みとなります。

・子どもの呟きに注目しようと意識をしています。もちろん「おもしろいな」という発言がある時もありますが、年齢があがるにつれて、子ども達も賢くなり、絵本読みの間は静かにし聞き終わると「ありがとうございました」とお礼を言って、時間が終わってしまいます。絵本おもしろかったのかな? 何か反応して~(笑)と、ものたりなく感じるときはどうしたらよいのでしょう?? (3歳児)(注-下線は佐々木)

 なんとも、困った転倒現象が率直に語られています。幼ければ幼いほど、最初は個別で深く読みあうこと - 絵本の世界が自らの日常の生活の事柄や事物と結びついていることの気づきと確認 - が必要なのに、そこを断ち切っておいて幼児期になると何かの意見や感想を述べなさいと言っても、すでにその習慣は失われているかもしれません。

 講師のおひとりの村中李依先生は、この集団読みから離れてゆく子のことを「幸せ求めて出ていく子」と、児童文学者らしい魅力的な表現で受講生に語られました。その言葉を聞いた受講生の一人は、

・絵本を読んでいる時、保育室を出る子に対して「今日も幸せを求めて出て行った子」という表現を聞いて、楽しいと感じることは子どもそれぞれ。(略)絵本に幸せを求めていない子も絵本が楽しいと思えるようになればいいなあと感じました。

 幼ければ幼いほど - もしくは絵本に慣れていない子どもほど絵本内容を理解するというより、このやり取りを楽しむ「コミュニケ―ン型」の楽しみ方をします。『もこ もこもこ』(たにかわしゅんたろう/さく もとながさだまさ/え 文研出版)や『だるまさんが』(かがくいひろし/さく ブロンズ新社)が0歳児に好まれるのはそのためです。また、あまり絵本に興味のないように見える子の場合、描かれている内容が理解(認知)できないと「幸せ求めて」出て行きます。しかし、このような子も言葉が出始めると、急激に絵本の世界へと入り込んでいきます。また、この「認知型」は、もう少し大きくなると読み取ったことを言葉で表現する力も「コミュニケ―ン型」の子どもより優れていることもあります。この「コミュニケーション型」と「認知型」の違いは、私の経験則から来たものです。

 「認知型」の子どもの場合は、絵本を読む前に、遊びや生活を通して他者の行為を「読む」、心を「読む」、感情を「読む」などのリアルな世界への関心の方が優先していて、むしろ、発達のコースとしては手堅いかもしれないと考えるときがあります。要するに読まない子、読みたくない子には必ず理由があります。急ぐことはないのです。

 絵本に早く出あうことが、言葉や読書習慣を育むという「定説」は、確かに当てはまる子もいますが、すべての子どもに適用できるわけではありません。小さいころ、読書の習慣などなかったという作家や詩人なども少なくありません。最近では、アニメや動画などが乳児期から入り込み、そこで言葉を学ぶ子どもも少なくありません。

 ここでも、一人ひとりの子どもの特性を考えるべきでしょう。


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