長年、絵本と子どもの発達の関りについて研究をしてきました。最初は、言葉の発達との関りで始めましたが単純すぎてつまらなく、やがて欧米の優れた絵本が翻訳されて読む機会が増えるとともに、その子ども観の違いに目を見張りました。
そこで、「子どもの心を理解するための絵本データベース」(「子どもの心を理解するための絵本データベース」の検索画面へ)をつくり、現在でも鳴門教育大学附属図書館より発信をしています。
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データベースを構築する中で、特に気づいたことはわが国の絵本の主題には子どもの「自我・自己形成」を描いたものがとても少ないことでした。自我の芽生えとともに自己主張を促す文化が描く子ども像の面白さに魅了されました。
ひるがえって、わが国では、「絵本・読書」と言えば言葉の発達が注目され、明治以降あまり変化はありません。絵本が言葉の発達を促すことは、わが国ではとても重要視され(執着され)国の幼児教育のガイドラインをはじめ数多くの乳幼児教育の教科書や文献にもかなりのページが費やされています。確かに、絵本は言葉と絵で表現されるメディアですから、当然子どもの言葉の発達には少なからず影響を与えることは理解できます。しかし、時代が進むにつれてテレビやアニメーション、最近ではスマートフォンの普及により言葉はありとあらゆるところから子どもに浸透し始めました。言葉は、大人から引き継がれるものというよりは、子ども自らが多様なメディアから引きずりおろしてくるものになりつつあります。それらの言葉は、日常の暮らしから立ち上げられるものというより、すでに完成された他者の物語であり、使われる言葉も子ども自身の生活から立ち上げられたものではありません。二重の意味で、絵本(読書)が言葉の発達に結びつけられる関係は、再検討の時期に来ています。
二重の意味とは、読書(絵本)が他者の物語や社会科学・自然科学等の成果を取り込み、新しい知識や技術・情報等をわがものにすることのみが強調されてきたことの問題。もう一つは、それらの成果や情報などを取り込むとき、その意味はその国の文化や歴史、一人ひとりが所属する人間関係(家族・地域・学校・職場など)により決まるというリテラシーの欠落です。多様なメディアにより獲得される知識や情報は、絶えず自己点検・自己表現され他者と共有・交換されてこそ、確かなものとなることの確認です。
「読む(あるいは観察する)→書く→議論する→第三者に伝える」という「読書アクション」2)の回路の重要さを実践・検証したくなりました。本シリーズでは、長年蒐集してきた家庭保育の中の絵本データと「あかし保育絵本士」養成講座(明石市政策局)の受講生との対話から得られたデータをクロスさせながら考えてみたいと思います。
1)佐々木宏子 2000 『絵本の心理学-子どもの心を理解するために』新曜社
2)辻 由美 2008 『読書教育-フランスの活気ある現場から-』 みすず書房
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