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「絵本を読むことの効果について」

佐々木宏子(鳴門教育大学名誉教授)
2019年12月16日

 効果(評価)とは何か? とくに教育科学における場合はとても難しい。読書の効果を一つの尺度で計ることは、無意識のうちに時代の利害に引きずられた価値観に寄り添うことになる。事実は統計操作でいくらでも作れる。いかなる評価であれ、一人一人の子どもの個性や違いを最大限尊重することが大切だろう。
 子どもの本が少なかった敗戦後の間もない頃は、復興する過程で軍国主義の払拭と欧米からの優れた本を子どもたちに読んで欲しいと願う人々が、数多く文庫(private library)  を立ち上げた。そのことは、敗戦後のわが国の読書環境の整備に、卓越した成果を上げてきた。母親のボランティアを中心に地域ごとにきめ細やかな文庫を組織して、子どもたちに優れた本との出合いの場を保障し続けたことは、世界的にも誇って良いことだ。
 その頃の子どもと本の出合いについての関係は、「子どもに良い本を!」がスローガンで、その読み聞かせ方も「お行儀よく、選んで貰った絵本を静かに聞きましょう」というものであったと思う。私は、読み手がある種の経験から選書をし、「良き本」と思われるものを集団に読み聞かせる方法は、成熟社会では徐々に少なくなって行くと思う。なぜならば、成熟社会とは、多様性と一人一人の異質性が尊重される社会だからである。
 絵本が、なぜ幼い子に必要かを突き詰めて行くと、やはり最上の部分は想像力から生まれる楽しさ・ワクワク感にたどり着くだろう。絵本は確かに言葉の発達にも大きな影響力をもたらすかも知れないが、その言葉が触発する想像性にこそ最も重要な意味があると思う。語彙数が増えることや、物語の記憶に基づく再生などに絵本の「効果」が集中すると、子どものハラハラ・ドキドキ感の持つ意味は掬い上げられないまま消え失せてしまう。
 さらに、読書効果の伝統的なイメージを後押ししたのが、「本を読む子と読まない子」「自宅に蔵書数の多い子と少ない子」などを変数とした心理学的な研究結果であったかも知れない。この心理学的な研究手法は行動主義心理学から由来し、目に見える何かの要因と結果を統計的な相関関係から導き出す方法で、子どもたちの発達への「標準」なるものの幻想を生み出すとになった。これらの多くの研究は、「誰が」「どのような絵本」を使って、「どのような養育歴のある子ども」に読みきかせたのかがほとんど触れられないままに、表層的な統計操作から生まれている。読書という自我の個別性に深く関わる研究が、不特定多数の匿名集団によるアンケートから導き出されること自体が、目的と方法の間に乖離があると思う。なかには、読書をする子どもは「社会性がある」「自己肯定感が高い」などの評価もあると聞くが、その場合の「社会性」「自己肯定感」とはどのような項目により検証されるのかも気になる。
 2歳頃までの想像力が育まれる時期に、原体験を抜きに絵本ばかり読ませることは、かえって害があるだろう。読むということの形だけが日常生活で習慣化すると、子どもはとにかく最後までじっと聞いているが、心の中にしみこんでいるという感じがまるでないと思われるケースがある。一方的に「読まれている」感じで、心の中に響いていないのである。そのような場合、親からは「読み手も一緒に楽しむのですか?」とか、「どんな本が良いか分からないので手当たり次第読んで行こうと思います」等の発言が出て驚く。
 2歳頃までの絵本の楽しみは、絵本をツールにして親子でのやりとりが生み出す面白さではなかろうか。読み手と子どもの間でわき上がる不思議な音や身体のリズムで遊ぶこと、絵と言葉による経験したことのない想像世界の面白さに気付くこと。
 絵本を間において交流すると、子どもがどのような音・リズム・動きに敏感に反応するかがよく分かり、たとえ赤ちゃんであってもその個性がよく伝わってくる。その面白さや意外性の発見こそが絵本を読み合うことの醍醐味であるはずだ。ほんものの知識は、すべてやりとりから始まる。生活の中で両親や兄姉との間で「やったりとったり」の確認をしつつ身につけて行く。そこには笑いがあったり、相互確認があったり、問いかけや反発があったり発見や納得があり、コミュニケーションを通して信頼関係は築かれて行く。そのような点では、絵本の読み合いで子どものみにどのような効果があったかを問う姿勢は、間違っている。両者の関係性が、どのように豊かになったかが大切な視点だろう。親子が絵本を読み合うことについては、長い歴史の中で、様々な意味付けが行われてきた。一つには、戦前の教訓主義、戦中の皇国民教育に抗して絵本は「読みっぱなし」が原則であるという主張が長く支持されてきた。また、かなり根強く浸透しているのは、早くから活字に親しませておくと「読書の好きな子に育つ」という信念である。幼児期に絵本が好きな子が、そのまま読書好きへと成長する場合もある。また、幼児期に親から読んで貰うことが大好きだった子が、その後、新しいメディアへと興味を移して行くことも多い。私の長年の研究を通して言えることは、すべての子ども達に普遍的に当てはまるような「効果」は存在しないということである。その時に選択された絵本は何か?子どもの今までの絵本歴と興味・関心の傾向は? 親子の日頃の関係性など、重要な要因をすべて総合的に考慮してはじめて、その子固有の絵本の意味が姿を現わすからである。あえて言うならば、その効果は当事者が決めることであり、他者が決めることではないだろう。
 近年、国際的な学力テストで「日本の子どもの読解力」が低下しているとの評価が下されている。読書と言えば「読解力が育つ」と呪文のように言われてきたが、そうではなく多様な経験と異質なものへの理解が出来ているかどうかが問われているのだ。問題は国語の読解力ではなく、異なった人々の文化や暮らしを読み解く力の不足ではないだろうか。


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