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絵本を乳幼児と楽しむ(1)
「乳幼児が絵本を楽しむようになる道筋は一人ひとり異なる」

佐々木宏子(鳴門教育大学名誉教授)
2017年1月12日(火)

 絵本と子どもの関わりを研究し始めてから50年の歳月が流れた。とくに、赤ちゃんと絵本について集中的に読み合いの経験を重ね始めたのは、2001年に日本でNPOブックスタートが開始された頃からである。当時、そして現在も投げかけられる質問の多くは、「赤ちゃんから絵本を読み始めるとどのような発達的効果があるのですか?」というものである。私はそのたびに、その質問の立て方は「間違っている」、ないしは「とても偏っている」と答えてきた。そのように言う私も50年前は、「絵本と乳幼児の言語発達との関わり」が研究テーマであったことを考えると他人事ではない。
 当時も現在も、まじめに子どもの読書の発達段階が語られている。例えば、絵本期→童話期→児童文学期など。または、昔話期→寓話期→物語期→伝記期などである。この発達段階の流れは超大まかには理解できるが、個々の子どもたちの実際的・具体的な読書のプロセスについては、何も語っていないのに等しい。絵本ひとつとっても1970年代から「絵本は0歳から100歳までが読者対象」であることが定着し、事実その通りである。最近は老人と絵本についての研究も始まっていて、絵本は乳幼児向けのメディアであるという限定はなくなっている。児童文学にしても、千差万別で、それがどのような「文学」を指し示しているかが問われないままに、ひと括りにされることはほとんど意味がない。
 また、絵本と子どもの発達についての心理学的研究も多いが、多くはいくつかの単純な要因を抽出し、統計的に処理した相関関係(因果関係ではない)を指標とするものである。それは、データ数が多ければ多いほど限りなく個々の子どもたちの実態から離れて行く。文学の鑑賞は個別性・多様性が強く、何に興味を惹かれ、どのように味わい、どこに精神的な豊かさ、面白さを感じているかが抜け落ちたような座標軸からは、何のイメージもわかない。
 ここしばらく「幼児教育の経済学」という理論が流行ったが、それは幼児期に「非認知的能力」を育てると、成人してから「高学歴」「高所得」「高持ち家率」などの指標で、その「発達的な効果」が示されていた。これは明治期の「立身出世主義」とどう違うのだろうか? 思わず「仰げば尊し」の「身を立て名をあげ、やよ励めよ」という歌詞とメロディが聞こえてくるような気がした。幻聴なのだろうか?
何がおかしいのだろうか。それは、これから育ち行く子どもたちを前にして、「あなたのゴールはここですよ」と決めつけかねないからである。多くの経済学者が、これからは今までのような経済成長は望めないと語っているにも関わらず、21世紀を生きようとする子どもたちに、19世紀終わりから20世紀前半までの価値観で「やよ励めよ」と促しているのである。
 なぜ、このような例を挙げたのかと言えば、「絵本にはどのような発達的効果があるのですか?」という問いも、同じ「発達像」についての旧いパターンの中に埋没しているからである。だから、私はその問いかけの姿勢は「間違っている」、ないしは「とても偏っている」と答えるのだ。絵本の読み方や、読書の発達段階に、全体的・統一的・典型的なものを求めるのは、あまり創造的ではない。そうではなくて、個々の子どものそれぞれの個性から絵本を読むことや読書というものを考えて行くことがとても大切であることを、もっと多くの大人は知るべきである。発達像に血液型のようなタイプを求め、明瞭に言い切ることを求めることは、科学というより迷信に近い。
 「良いと考えられる本のリスト」に子どもを従わせるのではなく、子どもが読みたい本、選ぶ本を通して子どもの心の中に、どのようなことが引き起こされて行くのかをじっくりと観察すべきであろう。世の中には子ども一般があるのではなく、個々の子どもが魅力的な姿を見せていること、自分らしさを育んでいることを喜ぶべきではないか。そして、一人ひとりの子どもたちが新しい社会を作って行く上で、どのような理想像を育み、何に希望を託しているのかを伴走しながら楽しむべきではないのか。
 私が今までに出会った子どもと読書についての記録でもっとも優れていると思った事例は、心理学者・波多野勤子(1905〜1978)のものである。この記録と考察に出会ったのは彼女の夫である心理学者・波多野完治についての論文(1)を執筆している時(今も継続しているが)である。いきさつは、すでにその論文に収めたので、ここでは詳しくは述べない。彼女は自分自身の4人の子ども(息子)達の読書歴を、丹念に辿っている。(2)
 以下に要約をしてみる。

長男:昭和5年生
小学1.2年頃
 母は、アルスの「日本児童文庫」と東京社の「小学科学絵本」を定期購入(毎月2冊)し勧めるが、彼はその頃大流行の「のらくろ」もの、講談社の絵本などを友達から借りて読み尽くす。その後、これらの定期購読本に手を出す。
小学4.5年頃
 「日本児童文庫」を読むようになる。
小学5.6年頃
 多少、科学的な本を自分から買ってくるようになるが、今度はやたらに少年講談にこりだす。
 空襲のため、信州の中学へ疎開転校する。
中学の頃
 中学の指導で、教科書以外はあまり喜ばず。学校では教科書を繰り返し読むことが推奨されていた。青年期をあまり読書せずに過ごす。
大学生の頃
 自分の過去のブランクを埋めるように大わらわで読書を始めた。
 中学から英語が好きだったせいか、一足飛びに英語で小説も評論も読み始める。

次男:昭和10年生
 長男が、5歳にはもう上手に本が読めたのに反して、小学校に上がる頃になっても本に興味がなかった。
小学校入学の頃
 仮名の一字一字は読めても、そこから意味はくみとれない。
小学2年生の終わり頃
 急に本を読むのがうまくなり、早くなる。読書欲が猛然と起こる。
小学3.4年の頃
 兄のものを片端から読破。
 兄と同じ本の中に育ちながら、童話より歴史ものを喜ぶ。
小学5.6年の頃
 考古学に興味を持ちだし、しきりに読む。
 中学に入って文芸もの、世界名作ものを喜び、それが一応身についたら、日本の古典ものを読むようになった。
中学・高校の頃
 毎月のお小遣いをほとんど書籍代にあてる。
 この子だけが眼鏡をかけるようになった。

三男:昭和16年生
 長男・次男の本に囲まれ、二人の兄にくらべて、ずっと童話を愛した。
小学3年の頃
 話はすべてその作家と結びついていた。
 辞典ものも好き。児童百科と児童年鑑も好きで、暇さえあればめくっていたので物知りだった。
中学の頃
 ガモフの全集を読む。
大学生の頃
 専門書中心になり専門以外は読まなかった。

四男:昭和18年生
 動物の本が好きで繰り返し読む。
 地図が好きで暇さえあれば地図とにらめっこ。物産別のもので、その地方の産物や動物が一目で分かるもの。
 科学ものも好き。
中学の頃
 落語や講談をよく読む。
高校の頃
 文芸ものを急に読み出し、今ではうち一番の文学愛好家であり、物知りである。

 勤子は息子達が「ひとつの家庭に育っても、こんなふうにそれぞれちがう興味をもつようになり、成人するまでにはかなりの変化をみせました」「中学三年以上になって私は、子どもの読書に関し、まったくなんの意見もさしはさみませんでした」と述べている。

 ただし、この記録の問題点は現代のようにテレビ、アニメ、ゲーム、スマホなどがまったく普及していなかった時代のものである。現代の子どもたちの絵本や読書について触れるとき、これらPCゲームを代表とする映像メディアなどの影響について触れずにいることは、空論に近い。乳幼児の絵本体験や読書について研究するとき、これら新しく登場し変化し続ける媒体の影響は、限りなく多様で複雑な様相を見せる。それらが、子どもの本(活字媒体)とどのように入り組んでいるのかを分析することはとても難しいが、それをぬきには何も語れない時代であることも疑いない。
 それでも、私がこの優れた記録の事例を引用したのは、当時ですら子どもたちの読書傾向はこれほどまでに個人差が存在したのだから、現代に生きる子どもたちの読書像はその数倍の広がりをもつ個別性と多様性に満ちたものだと考えるからである。
 人文・社会科学分野の研究の難しさを象徴するような研究テーマである。

(1)佐々木宏子 2016「波多野完治と『児童読物改善ニ関スル指示要綱』(内務省警保局図書課)/昭和13年10月−引き継ぐべき課題とは何か」 絵本学(絵本学会研究紀要)No.18 1−12
(2)波多野勤子 昭和57年『少年期 母と子の手紙』(復刻版/昭和25年初版)小学館   250−255


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