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同志社大学「赤ちゃん学 概論」(2019年度)
〜 児童図書室と赤ちゃん〜

佐々木宏子(鳴門教育大学名誉教授):2019年5月27日(月)

本日の授業概要
全世代型「赤ちゃん学」の必要性−私にとって「赤ちゃん学」とは−
 人間は、自らが生み出した命を守り育て、その子独自の新しい人格の出現をともに楽しみ・喜び、やがて別れて行く。そのプロセスの充実にこそ人生の意味があると考える。赤ちゃんは、赤ちゃん時代に好奇心を躍動させながら快適に過ごすことが保障されなければならない。赤ちゃんの持つ意味は、大人(両親・保育者・祖父母など)との関係性からのみならず、全ての世代が赤ちゃんと関わりを持ち、それがいかに楽しく創造的な行為なのかを経験してほしい。

 どのような環境が赤ちゃんを人へと導くのか−今日は明日のためにあるのではなく今日のためにある−
①赤ちゃんの生命を維持するためには、基本的に必要な衣・食・住等の条件が存在する。しかし、人として成熟するためには、さらに重要な条件が必要となる。
②赤ちゃんが生まれた社会において人(成人)となる為には、その社会固有の社会的・文化的・心理的成熟、発達が要求される。それらを育むものは環境として準備されており人間以外の動物には存在しない高度な精神的産物である。赤ちゃんのためにも、数多くの子ども文化財が環境として準備されてきた。それら財(有形・無形)には人間が築き上げてきた目には見えない抽象的な意味(知覚・表象・感情・理念等)が埋め込まれている。
 赤ちゃんは、周囲の人々とともに財の中に「凍結」されてきた抽象的意味の「解凍」を始める。 そのプロセスは、現代社会の平均値的な成長・発達像へと囲い込み誘導するのではなく、赤ちゃんの「いま」を充実させることで、赤ちゃん自身に主導権をもたせてほしい。

なぜ児童図書室なのか−本のある遊び場−
 私は1987年に鳴門教育大学附属図書館児童図書室の開設を目指した時、その目的をたずねられ、「そこに山や海があるように静かに児童図書室があればいい」と書いた。最終的な目的は、大人が決めるのではなく一人一人の子どもが自らの選択と責任で決めることである。
 幼い子どもたちを迎え入れる社会的インフラが近年整備されつつあるが、児童図書室は赤ちゃんも当たり前のように利用できる、子ども文化財の一つの施設(場)である。赤ちゃんを児童図書室に連れてくる親は、赤ちゃんに早くから絵本を見せたいとの思いからだけで来るわけではない。兄姉と一緒に「おまけ」で来る。スーパーマーケットや児童館の子育て支援の場に遊び行く場合と同じような選択肢の一つに過ぎない。児童図書にやや比重を置いた遊び場というニュアンスだろう。親は、自宅にはない環境条件(本や玩具が沢山ある)の中で、学生ボランティアや他幼児とともに、赤ちゃんがどのように振る舞う(コミュニケーション)か眺める。
 私は、それらの文化財を利用する子どもや大人達が、赤ちゃんとどのような関係を取り結ぶのかを、定点観測的に観察できる環境の一つとして「児童図書室」を選択したに過ぎない。(注:教育大学附属図書館の中に「児童図書室」を設置することは、教育・研究に資するためであることが設立の趣旨である)。

 児童図書室の観察から分かってきたこと−データを日常性から立ち上げる−
 児童図書室では、当日の状況に応じて随時「読み聞かせ」(読み合い)が個人的・集団的に行われている。「わらべ唄遊び」、学生の「人形劇」それに「七夕まつり」など様々な季節の行事が定期的に行われる。そのような催しから、赤ちゃんが何を面白い・快いと感じるかはまったく多様であり、いくつかの要因に絞ることは難しい。
・幼児が様々な行事に参加する様子を、傍観的に眺める赤ちゃん、動きを懸命に追う赤ちゃん。
・様々な玩具(本も含む)を使って一人で遊ぶ、学生・年長幼児と遊ぶ。幼児達の遊びに勝手に割り込むが、その断られ方・受容のされ方も様々。
・玩具を舐めたりかじったり、本棚から本を引きずり出す。
・様々に工夫して積極的に赤ちゃんを絵本に出合わせようとする親。全く、自由にさせている親。誘われると愛想良く聞いている赤ちゃん。拒否して逃げ出す赤ちゃん。他人の親に絵本をもって行き「読め」と要求する赤ちゃん。
・親や学生、幼児が赤ちゃんに絵本を見せようとする。もってきた絵本の種類、見せ方読み方により赤ちゃんの反応も様々。
・ある日、突然に絵本を開きなにやら喃語を喋り、絵本のページをめくることに熱中する赤ちゃんなど、さまざまな行動が見られる。つまり、児童図書室なる環境が赤ちゃんに何を呼び起こすかはまったく多様である。
 講義では、そのような多面的な赤ちゃんをビデオで見せたい。

幼児・小学生・大学生から見た「赤ちゃん学」への提言
 赤ちゃんは、生まれた場所の文化・歴史・習慣などの影響をうけつつ成長・発達する。そのとき、それら社会的なるものを日常的に細かく体現しつつ介在するのが、周辺に存在する子どもや大人である。児童図書室での「赤ちゃん」は、両親(大人)と赤ちゃんの関係ばかりではなく、赤ちゃんから見た赤ちゃん、幼児から見た赤ちゃん、小学生から見た赤ちゃん、大学生から見た赤ちゃん等々が、複合的・多面的に映し出される興味深い場となっている。自らも人生の途上にある子どもや学生達が、人生をスタートしたばかりの人(赤ちゃん)と向き合う時、どのような経験が積み重なるのだろうか。それぞれの年代の「赤ちゃん経験」を通して、多くの人々がそれぞれの言葉で表現してほしい。
 私は、大学生が赤ちゃんをどのような存在として経験・認知しているのかを、もっと知りたい。赤ちゃん学とは,子どもを持ってから突然、必要とされる学問ではなく、人生において継続的・年次的に積み上げられる全世代型学問であってほしい。

参考文献
「危うさが赤の他人の赤ちゃんをあやす刹那に現れるきみ」(日経歌壇/吉成美幸作/穂村弘選/2019/年5月11日掲載)
「赤ちゃん学で怖い面は、優性思想と結びつくことですね。」(佐藤優)(『いま大学で勉強するということ−「良く生きる」ための学びとは−』/佐藤優・松岡敬/岩波書店/2018)


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