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鳴門教育大学附属幼稚園の保育カンファレンスより(4)
「遊誘財と教育課程」(1)

佐々木宏子(鳴門教育大学名誉教授)
2019年12月23日

1.「遊誘財」ことはじめ 
 「幼稚園教育は、幼児の特性を踏まえ環境を通して行うものである」
 遊誘財という新しい保育用語は、鳴門教育大学附属幼稚園の「保育の質を問う」をテーマにした平成16年度(2004)の合同研究会において文字通り創出されたものである。その後、その遊誘財の財が具体的には、どのようなものを表しているかにについて、全4部の冊子として公表している。具体的なジャンルは、「遊誘財」(〜砂・土・泥・水など〜)(No.1、2010年)、「遊誘財」(動物・植物)(No.2、 2011)、「遊誘財」(造形遊具・玩具・教材・記念物など)(No.3、2012)、「遊誘財」(表現文化・生活文化)(No.4、2013)である。しかし、この概念はなかなか理解が得られずその後も様々な論文として鳴門教育大学附属幼稚園の「研究紀要」から発信されてきた。
 ことの起こりは言うまでもなく、平成元年(1989)の「幼稚園教育要領」の「幼稚園教育の基本」で提起された「幼稚園教育は、幼児の特性を踏まえ環境を通して行うものであることを基本とする」が出発点となっている。なかでも「幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心として第2章に示すねらいが総合的に達成されるようにすること」では、幼稚園での教育は遊びであることを明確に宣言している。
 そうであるならば、「環境を通して」の「環境」を明確にしなければ、幼稚園教育は一歩も前進しないはずである。附属幼稚園では、果敢にも幼稚園教育における環境なるものの実態を、明確にすべく研究を開始したのである。
 私たちは、これら保育における「環境」の意味する具体的な内容を、もう少し詳細に目に見えるモノ・コトとして抽出し、「遊誘財」と命名したのである。つまり、幼児にとって学ぶこととは、遊びを通して行われることであり、教科書のない幼稚園では、保育者は何を手掛かりにして子どもたちを遊びへと誘導するのか。また、子どもたちは何を手掛かりに遊びを立ち上げてゆくのかを分析してゆくと、そこには長年にわたり遊びこまれた数々の財(モノ・コト)が存在することが分かり、それらを「遊誘財」と命名したのである。

遊誘財とは、遊びのための生きた教科書
 遊誘財とは、子ども達が住んでいる地域の自然・生活習慣・文化に根を張り、子どもたちが自律へ向かうために必要な様々な生活技能を習得するために、意図的・計画的に配置された財なのである。子どもたちが、それらの財と出合うことは、生きた教科書(カリキュラム)となる。小学校の場合、各学年に応じて学ぶべき事柄は全国一律で統一され、学ぶべき内容は文章や図表、絵画などの抽象化されたメディアを中心に「教科書」として構成されている。
 しかし、人生を始めたばかりの子どもたちにとって大切なことは、@身体をくぐらせる具体的体験(感覚・知覚・認知の覚醒)、2「なぜだろう」と考える機会の多さ(身近な環境の多様性)、B「やり遂げ感」と自信(変化する環境の規則性を知る面白さ)、C他者と協同することで生まれる信頼感(言葉)などが考えられる。それら@〜Cの要因を遊びの中で保障するための財が遊誘財であり、それらが幼稚園の中に計画的に配置されるならば、幼い子どもにとっては文字通り生きた教科書となるだろう。

2 .遊誘財と遊びの関係を料理づくりのプロセスにたとえてみる
遊び(料理)と遊誘財(食材)の関係
 私たちが料理を作るときヒントとなるのは、日頃、自分が食べている料理とその食材である。
 また、日々、家庭で料理が作られている現場を見ることも大いに参考になるだろう。しかし、それでは飽き足らずもっと新しい料理作りに挑戦したいときは、どのような手法が考えられるだろうか。一つは、レシピが掲載されたクッキングブック(教科書)が便利だろう。食べたいと思うものを選び、食材を買い出し、レシピに則り手続き通りに運べば出来不出来はあるが、一応料理は完成する。今は、あらゆるレシピをインターネットで見つけることが可能になっていて、とても便利だ。
 もう一つは、様々な種類の食材を冷蔵庫にも食品棚にも豊富に集めて置き、調味料類も滞りなく揃える。そして、「さあ、ここにある食材や調味料を好きなだけ使って、好きな料理を好きなだけ作ってください」と言われたら、あなたはどうするだろうか。おそらくは、経験知(値)以上の範囲を超えた料理を作ることは難しいだろう。食べたことのない料理は、作れないのである。どんなに高価な食材や珍しい調味料が並んでいても、宝の持ち腐れで、日頃食べているもののイメージを超えた料理を作ることは難しい。
 ある時期から、附属幼稚園が4部の冊子で並べた遊誘財の種類は、多くの園で存在しない食材(財)であり、それを使いこなした料理(遊び)もイメージの外にあったのかもしれないと考えるようになった。もしくは、それらが園の内外に明らかに存在していたとしても、それが食材(遊誘財)として、かなりおいしい料理(遊び)になることが経験されてこなかったのかも知れない。一つには、遊びを知らないで育った保育者の増加、もう一つは保育がそれぞれの園の遊びの歴史とともに語り伝えられてこなかったこともあるだろう。
 基本的には豊かな遊誘財(食材)がなければ遊びが生まれる土壌がなく、遊びの種類(料理の種類)も貧弱になる。また、豊かで健康的な食べ物(遊び)とは何かが、日常的に問われなければ、健康(遊びの教育的価値)に良い食材(遊誘財)は分からないし、甘いもの(ジャンクフード)のとりすぎで肥満(ただの大騒ぎだけで終わる遊び)になることもあろう。食材が知育に偏ったり、レシピ(教育課程)に考え抜かれた体系がなければ、その時々の思い付きの食べもの(場当たり的遊び)で食いつなぐことになる。
 幼稚園での遊びの重要性が認識されないと、遊びは単なるアソビ(惣菜−副食物)として扱われ、主食とはみなされない。子どもたちが遊ぶことは幼稚園教育では主食なのである。祝日や祭日(行事)が予定されていると、あらかじめの教材(伝統食材)が準備され、行事に則った遊び方(祝い膳)が保育者によって伝えられる。
 また、最近では、テレビやインターネットで新しい食材(キャラクター)が流行ると、突発的に新しい料理(ヒーローごっこなど)が生まれることもあるが、それは生活には根付かず消えてゆく場合が多い。

3.遊誘財が発掘され豊かな遊びが生み出されるための条件とは何か
 私は、その条件について「遊誘財−創造的な遊びを生み出す歴史的・文化的環境−」というタイトルですでに述べたことがある。(鳴門教育大学附属幼稚園「研究紀要第38集」2004)。
 その内容について、再び、本稿で触れてみたい。それら財(食材)がどのようにしたら創造的遊び(豊かな料理)を生み出す遊誘財として成立するのかの調理法(レシピ)である。当時の論文では、以下のような順番で、それらの条件を記述している。
1)実践を通して思索し続ける保育者
2)異年齢の子ども同士が遊びを通して育んだ人間関係の成熟
3)110年の歴史の中で積み上げられた建築空間(保育室や砂場、大型遊具の「夢ランド」、屋上広場など)と自然空間(数百種類にも及ぶ四季に配慮した樹木や草花など)そして記念物(「大地の子」など)の存在
4)異年齢の子ども達が有形・無形の遊誘財を背景に伝承し時には新しく創造し続けた様々な遊び、である。
 まず、前述したようにいくら贅沢な財(食材)を準備しても、それらにより生み出される遊び(料理)がイメージできなければ(また、ともにイメージが共有できる仲間がいなければ)、ただの石ころ・泥水・道端の花・紙切れ・段ボール紙・ドングリ・サクラの木などに過ぎない。

素材から遊誘財へ
 幼い子どもたちは、それら日用品などの素材があると、ごく自然にそれらを弄ぶようになる。弄び(玩び)はやがて生活の中で様々な理屈を持ち始め、人形ごっこであったり「いないいないばあ」であったりする。年齢が進むと子ども同士による共同遊びが好まれるようになる。集団保育の場では、保育者は遊びが総合的な学びであることを熟知しているため、保育者は様々な自然物や日常品の素材、玩具などを組織的・体系的に準備をする。子どもたちがそれらを使いこなしながら遊ぶ中で、様々な知識・技能や人間関係を調整する力を身に付けてゆく事が分かると、それらの中からそれぞれの年齢にふさわしい材を「財」として計画的に大切に保存するようになる。その歴史的プロセスにおいて、条件の「1)は実践を通して思索し続ける保育者」と「4)異年齢の子ども達が有形・無形の遊誘財を背景に伝承し時には新しく創造し続けた様々な遊び」が相互作用の好循環を始めた結果、附属幼稚園では確固とした遊誘財が定着したのである。
 これらの遊誘財には、子どもたちが長年遊びこんできたアイデア・想像力・意志の力・人間関係を調整する力など、遊びの中で培われた創造力が織り込まれ内包されている。また、遊びを支援する保育者にとっても、子ども観・保育技術・同僚関係・発達観・保護者への対応力などが培われ、それらは教育課程へと整理され理論化される根拠となった。
 このような遊誘財と遊びの関係については、附属幼稚園の長年の「研究紀要」に満載されている。個々の保育者が思索し発見したことをお互いにカンファレンスの場で率直に出し合い、その思索の結果を次世代の保育者へと継承してゆく。下記の文献(1)(2)には、鳴門養育大学附属幼稚園・小学校に長年勤務した研究者の保育・教育歴から生まれた貴重な成果が記されている。
 「2)異年齢の子ども同士が遊びを通して育んだ人間関係の成熟」は、保育者の努力だけでは不可能な子ども同士による遊びの伝承力が大きな条件であることを示している。 同年齢はもちろんのことだが、遊びが異年齢を巻き込んで展開されると複雑な人間関係が生み出され、そこでの人間理解と関係を調整する力は確実に次世代へと伝えられてゆく。その関係が生み出すものは、遊誘財を使いこなす遊びのレシピ(遊び方)に無形の厚みを増してゆく。
 遊誘財は、単なるモノとしての財が準備されていれば良いわけではない。質の良い食材だけが準備されていても、その料理方法(レシピ)が分からなければ、おいしい料理ができないのと同じである。面白い遊びが成立するためには、レシピに当たる手続きや方法が同時に継承されなければ、遊びは学びにならない。遊びのレシピは、文章化されて次の世代の子どもたちに継承されてゆくわけではない。遊びの伝承は活動や行為を繰り返し見せられ(観察させてもらい)、手ほどきを受け(勝手に模倣をし)言葉で伝えられながら行われてゆく。その成果物は様々な形(砂場の城・ままごとのケーキ・段ボールの基地・積み木の要塞・ダンス・歌など無限)として立ち現われ目にものを見せてくれる。
 3〜4歳児は、5歳児から継承した様々なレシピに修正・改造を加え、また、次の世代へと伝えてゆく。そのプロセスを見続けている保育者は、遊びの中に現れた新しい味付けや工夫を見逃さず、機会をとらえては新しい財をつけ加え、子どもたちの遊びのイメージの後押しをしてゆく。ときによっては子どもたちの新しいイメージや工夫に「ついてゆくだけで精いっぱい」という嘆息が、カンファレンスの場で保育者によって漏らされる。
 3)110年の歴史の中で積み上げられた建築空間(保育室や砂場、大型遊具の「夢ランド」、屋上広場など)と自然空間(数百種類にも及ぶ四季に配慮した樹木や草花など)そして記念物(「大地の子」など)の存在
 この遊誘財は、子どもたちに身近で親しい日常世界から、自然環境、文化や社会などといったもう少し広い世界に対する気づきを促している。エスニック料理がその地の食材・文化・伝統などから生まれるように、その園独自の遊び(料理)もその園独自の環境により育まれる。3)の財は、歴代の附属幼稚園の保育者によって計画的に積み上げられ継承されてきた遊誘財である。歴代の思索する保育者たちは、遊びを誘発する財としての「建築空間」「自然空間」にも注意深く目を注ぎ、それらがいかに創造的な遊びを促すかを記録し続けてきた。
 創立100周年の記念事業として造られた記念モニュメントである彫刻の「大地の子」は、子どもたちの様々な遊びを誘発し続けた結果、子どもたちの想いやファンタジーを深く受け止め成長し続ける記念物である。 数百種もの季節の花々や植物は、小さな遊びから雄大な遊びまでを気持ちよく受け止め誘発する。自然空間も建築空間も記念物も、子どもや保育者により遊びこまれ意味づけられ、そのイメージは成長し発展し続けてゆくのである。
 本稿では、教育課程と遊誘財との発展的相互作用については詳しく触れることができなかった。次回のコラムに引き継いでゆきたい。
文献
(1)佐々木晃 『0〜5歳児の非認知的能力』 2018 チャイルド本社
(2)木下光二 『幼保小接続カリキュラム』 2019 チャイルド本社



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