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鳴門教育大学附属幼稚園の保育カンファレンスより(1)
「異キャリアによる互恵的同僚性」

佐々木宏子(鳴門教育大学名誉教授)
2017年1月10日(火)

 2016年度の鳴門教育大学附属幼稚園(以下、附属幼稚園)の研究テーマは、「遊誘財から豊かな遊びを創り出すためにⅡ−ともに創り出すという視点から協働・同僚性について考える−」であった。(1)

 さて、「同僚性」(collegiality)であるが、この学術用語は教育制度や学校文化などが異なるアメリカ等の学校教育現場から生まれたものである。同じカリキュラムで同じ年齢の子どもたちが一斉に授業を受けるというシステムが普遍的ではない教師たちが、ともすれば一人で責任を負って教師としての職業生活を送らねばならない状況下で、同僚と協力することでどうすれば専門性を高めることが出来るのかという悩みから始まったものであると思う。それ故、同年齢、同一カリキュラム、一斉授業が普遍的である日本の教員とは、そもそも「同僚」という概念が歴史的にも文化的にも異なっていると思う。さらに、その異文化発の学校教育のシステムの中で生まれた学術用語を就学前の保育に持ち込み、使いこなそうとすると幾重にも事前の精査が必要ではなかろうか。

 文科省・厚労省のガイドラインに基づけば、就学前の保育は「環境を通して行う」ものであり、子どもたちの自発的な遊びを通して行うものである。細かなカリキュラムに従って「一斉保育」を行うことが原則ではない保育の現場においては、保育は同僚との連携なくしては成立しない。附属幼稚園ではクラス単位ではなく、3・4・5歳児が群れ合うようにお互いの遊びを参照しつつ遊び込んで行く。クラスの担任は自分のクラスの子どもたちの様子をすべて詳細に掌握出来るわけではない。同僚が連携し協働しなければ、クラスはおろか園全体の子どもたちの成長や保護者の願いも保証することは出来ない。それ故、同じ幼稚園や保育所であってもクラス単位の遊びや活動が大きな割合を占めている保育(者)に要求される「同僚性」と、附属幼稚園のそれとはかなり質が異なっていることを認識しなければならないだろう。同じ幼稚園であっても、それぞれがどのような理念の保育を行っているかにより、「同僚性」が意味することは異なってくるからである。

 附属幼稚園では、この数年、保育研究をキャリア別(フレッシュ保育者・ミドル保育者・ミドルリーダー保育者・リーダー保育者)に分けて研究し、その成果を公開発表してきた。さらに、そのような保育者としての経験の差だけではなく、異質な教育キャリア(小学校教員との人事交流、公立幼稚園教諭との人事交流、公立学校や病院勤務経験のある養護教諭など)同士との連携や同僚性も絶えず要求されてきている。もちろん、保護者の意見も忘れてはならない。
 これら多様で異質なキャリアを持つ保育者が協働することは、「子どもと創る保育」(2)を理念としてきた附属幼稚園の保育に「異質なキャリアをもつ保育者と創る」という新しい理念が混じり合い、保育と子どもの成長への複合的な視点が切り開かれて行く。これらの異質性と多様性が上手く協働できるシステムが構築できると、保育は限りなく社会的にも教育的にも深い意味を持ち始める。したがって、附属幼稚園の「同僚性」とは、「異キャリアによる互恵的同僚性」ということになるのではないかと考えている。異キャリアとは保育者の年齢別・経験別連携を基礎に異校種教員との連携、教員とその他職員との連携、常勤と非常勤との連携など、附属幼稚園にそれぞれの役割を担って集う専門職全てを含んでいる。

 附属幼稚園では、保育環境としての「遊誘財」の研究を続けてきた。同僚性の研究も諸外国(異文化)の「同僚性」の概念や理念をそのまま貼り付けるのではなく、当然、附属幼稚園の歴史の中で財として積み上がってきている同僚性に照準を合わせなくてはならないだろう。子どもも保護者も社会も変化し移り変わる中で、保育者はどう変わるべきかを考え続けることの重要さ、経験も年齢も異なる保育者がうまく連携して行くための「同僚性」について分かったことを整理して公開する時期に来ていると考えられる。
 木村直子准教授は、前述(1)の紀要論文の中で「全職員が集まるカンファレンスの場で不安な気持ちや言葉で上手く表現できないことを、素直に表現できること自体が、大きな財であると感じる」と述べている。フレッシュ保育者は、分からないこと感じたことを遠慮なく述べること。そのためには、自らの考えを言語化する訓練が必要であるし、リーダー保育者はそれらの発言内容を、もう経験したこと、過ぎ去ったことと位置づけないで絶えず心身に循環させることが必要である。フレッシュ保育者の発言から、自らが辿ってきた保育を再認し、追体験し、再度、「腹の底から」(波多野完治の言葉)自らが積み上げてきた保育の経験知(値)が崩れないように、鮮度よく心身に循環させ続けることが必要である。そして、「同僚性」の新しい概念を財として整理し残し続けることは必要であろう。
 リーダー保育者たちは、自分の言葉で積み上げてきたことを語り、若い世代が新しく経験してきたこと、感じたことに真摯に耳を傾ける訓練をすること。フレッシュ保育者が表明する意見の未熟さと新しさを柔軟に受け入れること。しかも、それらは抽象的ではなく、現実に「いま・ここ」で起こっていることを対象にすることが一番大切ではないだろうか。単なる抽象論や理想を語ることだけでは、現実に生じている問題を解決することは出来ない。

 保育者の同僚性とは、お互いの優れたところを引き出すために附属幼稚園で積み上げてきたさまざまな経験知や方法論の体系(財)であると考えられる。したがって、先輩が後輩を己の枠に囲い込んだり、ゴールに向けて鋳型にはめることでもない。リーダーは、フレッシュの問題点を追認したり再生したりしながら、自らの記憶を呼び起こし、フレッシュがイメージする完成像への道筋と選択肢を提案する。創業者が旧いままの理念で居座る企業はつぶれるが、それと同じで、現在のリーダーたちの完成像を固持すると、その保育は二代目や三代目でつぶれてしまうだろう。リーダー、ミドルとフレッシュ保育者との対話は、そのときたまたま出合った保育者が個人的な思いつきで行うのではなく、やはり今まで積み上げてきた附属幼稚園の同僚性についての「財」を参照しながら行うべきであると思う。これからのリーダー(管理職)は、保育の明確な理念と子どもの個性に応じた豊かな子ども理解や保育技術などについて語ることが出来るとともに、保育の場を構成する全てのキャリアが集団の中で生かされ成熟するための道筋を明確に示すことが出来るリーダーシップが要求されるであろう。その指導性は、政治や経済など全ての職業集団で要求されるものと大きな枠組みでは、変わらないと思う。近年、附属幼稚園では、そのような努力が行われているように思う。


(1)「遊誘財から豊かな遊びを創り出すためにⅡ−ともに創り出すという視点から協同・同僚性について考える−」(研究紀要 第49号)2016 鳴門教育大学附属幼稚園
(2)『子どもと創る保育』1987 鳴門教育大学附属幼稚園 明治図書出版


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