『春秋左氏伝の暦日研究』
春秋左氏伝の暦日の研究をしています。左伝の干支で表された暦日を太陽暦に直したり、左伝のすべての日蝕記事
を検証する研究です。杜預の春秋長暦や新城新蔵の研究が、夏暦・周暦・儀鳳暦などと比較研究されます。杜預の
暦は最大60日ずれていると結論しています。
はじめに
春秋左氏伝には西晋の杜預(とよ、222年−284年)の注が付されており、年月日の干支にも杜預のいわゆる
春秋長暦による年月日が付されている書物、たとえば、鎌田正の新釈漢文大系『春秋左氏伝』が知られている。
ただし、すべての干支に年月日が付されているわけではなく、また誤植も少なくない。
私は新城新蔵博士の『東洋天文学史研究』の所説にもとづいて、いわゆる新城暦を作成し、杜預の暦との比較
研究をするうち、どうしても杜預暦を再現したい欲求にかられるようになり、なんとかして杜預の春秋長暦を入
手すべく、古本を渉猟してきたが、このほど幸運にも、楊家駱主編『左伝注疏及補正』(世界書局)三巻を入手す
ることができた。このうちの下巻に杜預の『春秋釈例』が掲載されていたのである。この書物は元代に散逸され
て原本は入手不能であるが、明代初期の『永楽大典』を経て、清にいたって輯佚本として『四庫全書』に所収され
たものと言われる。しかし、その間に多くの増補・校正・校注を受けていることは斟酌すべきであろう。ただ、こ
の書には各年の朔日を月ごとに、しかも月の大小、閏月にいたるまで、書いているので、これをプログラム化する
ことは容易であった。ただしわずかではあるが誤植が発見された。
この過程で重要な事実が判明した。杜預暦と新城暦は干支の日付に、多くの場合1日から3日の差違があるにすぎ
ないのであるが、現行の太陽暦に換算した場合、宣公期以降で60日程度の差違を生じるということである。
春秋左氏伝自体にも、「史官の過失により、閏を置くのを失念した」というたぐいの記述が散見されるが、
杜預は春秋左氏伝の経伝に忠実に暦を再現したのあろうか、とくに宣公期の数年のうちに1ヶ月、2ヶ月の狂い
が目立つようになり、成公元年( B.C.590年)には、太陽暦の九月に正月朔日がくるに至るのである。あるいは
それが当時の魯暦の真実の姿なのかもしれないが、太陽暦に換算することなく、単に干支だけを見るぶんには
なんの異常も感じないに違いない。しかし、日食記事など、太陽暦に関連するものについては、違いが露見す
るはずである。二つの暦が、たとえ干支で一致はしても、実際は60日ずれているかも知れないのである。
本書では、問題の杜預暦に、宣公期の短期間に、あいついで2回の置閏をおこなうことによって、日食記事が
矛盾無く説明できることを示す。また晋で用いられたという夏暦との比較も随所で試みた。当時は国によって異
なった暦が用いられたというのが定説になっている。当然、いわゆる周暦も時期と国によっては用いられたであ
ろうと筆者は考えるが、一般には否定されているようである。
本書においては、まず干支を新城暦の月日で示し、「一説」として杜預暦の月日を示した。宣公期までは
杜預の原暦と杜預の改正暦は一致し、宣公期をすぎれば60日の補正になるので干支は原暦と変らない。宣公
四年(B.C.605年)と七年(B.C.602年)に置閏したから、その間の3〜4年に干支の相違が生じるであろう。ただし
宣公五年・六年・七年に左伝の暦記事は存在しないから、影響は最小限にとどまるはずである。
本書において、「夏暦」というのは、平㔟隆郎「『春秋』と『左伝』」(中央公論新社)記載の「夏正II」
をプログラムしたもので、冬至月の翌々月を正月とし、閏は12月におくものである。また「簡易周暦」は筆者が
便宜的に作った暦で、上記「夏暦」で得られた朔日表をそのまま使用して、冬至月の翌月を正月とし、閏はつねに
12月におくものである。「仮想周暦」とは、魯の都、曲阜における朔日を理論的に計算したもので、月の大小が
自動的にきまる仮想的な周暦であり、周暦たるゆえんは閏を12月に置いたことと、冬至月の翌月を正月としたこ
とである。この暦によれば、日食は必ず朔日(ついたち)におこるはずである。
春秋左氏伝では、日食は必ず朔日におこるものと信じているふしがあるが、新城新蔵は、平朔法である以上は、
日食は晦日(みそか)や二日にも起こりうるという考えで、伝文よりも経文の記事を重視し、日食記事を活用して長
暦を計算している。杜預はできるだけ春秋左氏伝の記事に忠実な長暦をつくろうとしたようである。なお、本書で
は、ごくまれに(ほとんど参考程度に)「日本書紀暦」というものがでてくるが、これは小川清彦氏の「日本書紀
の暦日について」を参考にして、儀鳳暦をプログラムしたものである。置閏を12月に固定しない点を除けば、夏暦
に近い暦法である。これについては、内田正男『日本書紀暦日原典』(雄山閣)に詳細な記述がある。
日食の計算は、斉藤国治『古天文学』(恒星社)などを参考にしてプログラム化した。いずれの暦法についても、
細部にわたっては誤植や不分明なところなきにしもあらず、暦法の解釈や計算に誤りある場合の責任はいっさい筆
者にある。とくに、新城博士の暦法は、多くの疑義を含み、月の大小の配列に連大の月を指定する方法を用いてい
るが、年をまたぐ連大に遺漏が多いなど、必ずしも明確ではなく、また閏月の位置を指定してはいるが、そのまま
では左伝の記事と矛盾することが多い。しかしながら、幸いにも、置閏の位置については許容範囲を示しておられ
るので、その範囲内で、できうる限り左伝の記事に合うように、筆者の判断で調整した。新城暦は哀公十六年をも
って終わるが、十七年以降は筆者の推定で計算し、置閏は杜預暦に準じた。
日食の検証はすべて曲阜の地方時でおこない、できるかぎり蝕分を示した。時刻は最大蝕分の時刻をもって示
した。日の出または日没近くの日食については、曲阜の日出時刻・日没時刻を示したので、太陽が欠けたままの
日の出や日没という荘厳な情景を再現できたのは幸いであった。また当然のことながら、「現行暦」とは、現行
のグレゴリオ太陽暦を当時に適用した場合をいう。本書では、すべての暦記事について現行暦への変換を試みた。
本文記事の引用は小倉芳彦訳「春秋左氏伝」によった。この場をかりて謝意を表する。
なお、巻末に筆者が作成した新城暦・杜預原暦・改正杜預暦・仮想周暦・簡易周暦・夏暦の詳細を掲げて、大方
のご批判を仰ぐこととした。
2011年4月10日 愛媛大学名誉教授・工学博士 長谷川 高陽
このたび、上記の研究書を印刷・製本いたしました。A4版で202ページです。
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振込み口座等をお知らせいたします。
tomoro-chan@md.pikara.ne.jp
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