解説

『春秋左氏伝』とは、孔子が編纂したと言われる『春秋』という本の注釈書の1つで、
作者は魯の左丘明といわれていますが、確かなことではなく、いろいろの説があります。
しかし一般に、『左伝』と略称されています。紀元前722年から紀元前468年までの約255
年間の歴史が、実に生き生きと描かれています。古来から多くの人々に愛読されて来ま
したが、『三国志』などで有名な関羽や杜預も左伝オタクとして有名です。とくに杜預
は、武将でありながら、左伝の研究に没頭し、先人の注釈を集めて、『春秋釈例』を著
したり、左伝の暦日を解明して『春秋長暦』を著しております。知将でありながら乗馬
が不得手であったと言われておりますので、このホームページでは、少々太めの肖像画
を載せてみました。

杜預像 左伝の原型は、「魯の君主の治世(たとえば隠公)何年の夏五月辛酉に、誰それが何々
をした」というふうに書かれているのですが、杜預は干支(たとえば辛酉)が、何日な
のかを具体的に数字で表そうとしました。もちろん当時のことですから陰暦です。ある
事件が満月の日に起こったのか、あるいは三日月の日に起こったのかは、誰でも知りた
いことですよね。だから、現代の私たちにとっても、杜預の仕事は非常にありがたいこ
とです。ところが、それはそれほど簡単なことではなかったのです。昔の記録に誤り
があったり、暦をつかさどる史官が閏月を置き忘れたり、諸国が別々の暦を用いており、
その報告を魯の史官が混同したりするわけですからね。だから、たとえば、左伝には孔
子が死んだ日が『哀公十六年四月己丑、孔丘(孔子)、卒(しゅつ)ス。』と書かれてい
るのですが、なんと杜預はあっさりと「四月に己丑なし」と書いております。『春秋』
の編纂者、孔子の命日さえ不明とは? 杜預もさぞかし残念だったことでしょう。

ちなみに、Wikipediaには、孔子の命日は紀元前479年4月11日と明記されているのです。
これって太陽暦ではないですよね。陰暦なんでしょうが、一口に陰暦といっても、いろい
ろあるのです。いったい杜預が不明とした孔子の命日がどうして4月11日に比定された
のでしょうか。問題はもうひとつあります。その暦の4月11日って、太陽暦の何月何日
かということです。

 つまり、左伝の原型で干支で表された暦日が、現行暦の何月何日にあたるかが判って
はじめて問題が解決されるのです。いろいろの暦(カレンダー)があって、あるひとつの
事件が、何月何日に起ったと勝手に主張されても、気休めにもなりません。結局、太陽
暦に換算して何月何日になるかを知りたいわけです。
 
この『春秋左氏伝の暦日研究』は、そういう目的のために書かれました。実際、この本
では、いろいろの暦に言いたい放題を言わせます。その結果が太陽暦の同じ日を指せば
よしとするわけです。そうでない場合には、太陽暦の何月何日または何月何日であろう
と推定することになります。

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