★2008年11月23日掲載 読み間違いは命取り 未曽有(みぞうゆう)の不況対策として、十二年前の地域振興券を踏襲(ふしゅう)するが、頻繁(ひんざつ)には発行しない…。 各所での挨拶で麻生首相がカッコ内みたいな誤読を連発したそうだ。 もちろん、「みぞう・とうしゅう・ひんぱん」が正しい読み方。 側近が書いた原稿とはいえ一国の総理としては恥ずかしい限りだ。 漫画ばかり読んでるから、なんていうと漫画に失礼か。 文字の読み違えは本人が恥をかくだけだが、政局や人心を読み違えれば解散総選挙より退陣が早まりますよ、と言ってあげたい。 先の例にあげた「定額給付金」の評判がすこぶる悪い。当然だろう。 公明党の要求をのんで実施するものの、どの世論調査でも「選挙目当て・消費税の目くらまし・税金ばらまき」だと多数が反対している。国民の目は確かで「給付一瞬・増税一生」と見抜き冷笑している気がする。 徳島新聞のデスクにも「迷走を続け…指導力に大きな疑問符が付いたことだけは間違いなさそう」と指摘されていた。 祖父みたいに「臣・太郎」とか、昭和天皇みたいに「あ、そう」なんて言ってる場合じゃない。
★2008年10月26日掲載 一気に読める本 一気飲みは身体に良くないが、好著の一気読みは心身を浄化し、元気をもたらす。 だから、読書の秋にお薦めしたいのが、先ほど発刊し話題を呼んでいる「那賀川〜仁宇谷の百姓一揆物語」だ。 著者は、那賀町出身の元「赤旗」記者、中川晴弘さん。 この本の読者は、きっと、圧政に抗う農民三千人が集結した現場に立っているような感覚に包まれる。 200年の時を超えて、彼らの怒り、怨嗟の声が聞こえてくる。 私などは、心揺さぶられる感動と共に、伊予で直訴し暗殺された御先祖様・○○仁佐衛門のことを思い浮かべた。 時と場所は違えど、民百姓の苦難は全国に広がっていたようだ。 困ったことだが、そんな悪政は、現代でも形を変えてはびこっているのだ。まさに苛斂誅求、苛政は虎よりも猛し。 若者用語で、無理のある無邪気ぶりを「ムリムジャ」と言うそうだが、その「68歳で漫画好きのムリムジャ首相」にも読ませたい。 いやいや、それよりも若者たちよ、「蟹工船」の次は絶対に「百姓一揆」だよ。(三)
★2008年09月14日掲載 「新ホール」シンポジウム 中学生のころ、ナイターは和製英語で正式にはナイトゲームだと教わった。 また、公開討論会での準備された発言者はパネリストで、パネラーは外国ではパネル職人、ということもずいぶん前に聞いた。 しかし、誤用でも使う人が多ければ定着するもので、今では、どちらでもいいみたい。 ところで、ある辞書に「パネリストは意見の違いは別として仲が悪い人を並べない方がいい」なんてあり、笑ってしまった。 ご親切なこと。 もちろん、9/15(祭)午後二時から郷土文化会館で開かれる「どうなる音芸ホール! 新町西再開発を考えるシンポジウム」では、 決して仲が悪くはない方々がさまざまな観点から、 「中途半端なホールの建設は強行すべきじゃない」という道理ある意見を述べられるだろう。 もともと、「考える会」は、 市民のための使いやすい演じやすい新ホール建設を十数年前から要望してきた鑑賞団体が主要メンバーなので、 新ホール建設自体は歓迎なのだが、市の無謀な現計画を知るほどに、「税金無駄遣い」が俎上にのぼってきた。 読者のみなさんもぜひご参加を。 (三)
★2008年07月27日掲載 偽装ウナギ 讃岐の平賀源内さんが作ったという 「土用の丑の日、ウナギを食べたら夏バテしらず!」といった宣伝コピーに惑わされたことはないが、 蒲焼きはビールにも冷酒にも合うし大好物だ。 土用も日曜も関係なく、もはや通年の国民食といえる。 大半が養殖で、その中でも輸入モノが幅を利かせているのは他の食料と同様だが。 ただ、国産の値段が二〜三倍する。そこへ目をつけたのが、悪徳業者。 安い中国産に偽ブランドを付けて大量に売りさばいた。その利益が数億円というから腹が立つ。 繰り返されるこの種の「詐欺」は、消費者をコケにし「食の安全」を脅かすもので、許し難い。 昨年の世相を表す漢字が「偽」だったのに、またまた、まだまだって感じ。 ちょっと前のミートホープや船場吉兆に続きこういう会社はつぶれて当然ではあるが、 その影響で失業者が増えるのは残念なことだ。 そして何より徳島が、映画・演劇じゃなく悪事の舞台になるなんてイヤなこと。 狡猾にボロ儲けする輩のせいで、「濡れ手に阿波」なんて流行語が生まれませんように。
(三)
★2008年06月15日掲載 サトウハチロー 終戦直後に大ヒットした「リンゴの唄」は、TVドラマなどでもよく流れるので、かなり若い人でも口づさめる。 実はあの歌は、戦時中にすでに作られていた。明るく元気に、戦意を高揚させるために。 しかし、軍部からの圧力でお蔵入りしていたらしい。 「♪赤いりんごに唇よせて〜」が欲情をそそるとか、 「♪黙って見ている青い空〜」はB29が空襲に来るのにけしからんとか、今では笑えるような理由だった。 作詞したのはサトウハチローで、彼の「長崎の鐘」は広島で原爆死した弟を思って書いた、という話も聞いた。 これらのエピソードはNHKで放映していたのだが、 またまた自民党議員からイチャモンがつかないかなと、ふと思ったしだい。 胸にしみる数千もの詩を残したハチローなのに、その放蕩無頼の生涯はあまり知られていない。 母への深い慕情を持ち続けた彼だけに、 今の世にいたら、冷たい「うば捨て」政治への怒りで、「悲しくてやりきれない」の歌詞も大きく変わったかも…。 ピアノとヴァイオリンの生演奏、見事な歌唱により、「小さい秋見つけた」など幾多の名曲が舞台からあふれ出る音楽劇『母さん』は、県内3市民劇場の七月例会。
(三) ★2008年05月18日掲載 高貴?高齢者 ありえないことだが、絶世の美女から「高貴なお年寄り」と呼びかけられても、ふざけるなと答えるだろう。 それが、「末期」を連想させる「後期」高齢者などと勝手に区分けされたら、誰でも怒り心頭に発するのは当然だ。 見切り発車をした新しい医療保険制度が、 「前期」や「初期」はもちろん「将来の」高齢者を含む国民大多数から大変な憤激を買っている。 それは、山口県衆院補選での自民候補惨敗や、福田内閣支持率10%台への急低落をもたらした。 そんな中、当の厚労省大臣が主宰する「人生85年ビジョン懇談会」が、身内への皮肉みたいな、「提言」をまとめた。 医療制度と所管が違うのだろうが、そこでは、年齢で輪切りにする既成概念を見直すべきとか、 一定年齢以上の者を一律に「高齢者」として扱うことを考え直そう、みたいなことを提起しているのだから、アレレと思う。 面白い情勢だ。ただ油断は禁物。 アワレと思うほどだった森内閣の次に登場したのが、弱者いじめの元祖・小泉内閣で、 公明と組んだ各種強行採決が全ての元凶だったことを忘れてはならない。 想起し周知したい。
★2008年04月20日掲載 暫定的 苛烈な資本主義社会はあと数百年も続かないという予測がある。 もしそうなったら、人類史600万年の中に占めるその期間はとっても短くて、後世の人類から「暫定的」だったと言われるかも。 しかし、現実の社会生活では、数十年を暫定期間とは言わない。 だから暫定税率と称して長年にわたりガソリン税を1リットル25円も上乗せし続けてきたこと自体が詐欺みたいなものなのだ。 日本共産党は、30数年前から『日本経済への提言』で 道路税を一般財源化して社会保障や福祉、教育に使えるようにすべきだと主張してきた。 真の国民政党らしい先見的慧眼だった。 今月一日からその方向へ大きく切り替わったのは喜ばしい。 ガソリンが安くなったという個人的な喜びだけでなく、 潤沢な財源を道路関連だけに使うというイビツな構造、税金の浪費・流用、天下りにブレーキをかけたことに大きな意義があるのだ。 「救急患者を遠くまで運ぶための高速道路」よりも、大事な生活道路を充実させ近くに病院を増やす方がいいのは当然だ。 せっかくの国民的成果を「暫定」的なものにしてはならない。(三)
★2008年03月16日掲載 沖縄 東京へは毎月のように芝居や映画を見に行くのだが、半分は仕事みたいなもの。 他県へも物見遊山ではほとんど行ったことがない。 いつだって会議だけのとんぼ帰りで、飛行場と会議場と飲み屋しか印象にない。 だから沖縄は、来年退職したら真っ先に訪ねるつもりの、私には文字通り「取っておき」の場所なのだ。 もちろんそこは、観光よりも、苦難の歴史に思いを馳せるべき特別な地でもある。 摩文仁の丘で自決した一級の戦犯である牛島満・軍司令官に満州では息子のように大事にされたと、亡父がよく懐古していたが、 晩年まで日本共産党を応援していただけに複雑な思いが去来していたはずだ。 沖縄戦終焉まぎわの軍強制による集団自決のことや、占領時代の酷い差別、そして現代の基地犯罪も、 父は関心を持ち知悉していたので、元気でいれば、幾たびも観光じゃなく抗議集会に駆けつけていたことだろう。 唾棄すべき米兵犯罪を無くすためには、基地の縮小と撤去しかないのだ。 悪しき隣人はいらない。観光コースに「基地跡」が入る日よ早く来たれ、と願うばかり。 (三)
★2008年02月17日掲載 食中毒 団塊世代が子どもの頃は食品衛生面も鷹揚で、軽い食中りは誰もが何度か体験したことだろう。 私の記憶で最悪のものは、小学二年のジャムパン中毒。 意識不明の重体に陥り、何と心臓停止までいったのだ。 医者の懸命の救命措置で一命を取り留めた後、高熱の副作用か、虚弱体質が一変し健康体に生まれ変わったのだが…。 それからは余計に鷹揚になったようで、 おかしいものは口に入れた瞬間に微妙な違和感を覚えるはずだ、というのが信念みたいになっている。 しかし、それは勝手な思い込みで、 現代人は古来からの五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)が、かなり衰えていることだろう。 かといって、食の安全を「第六感」にまかせるわけにもいくまい。 やはり、健康や生活の問題は、個人努力を越えて富に政治的なものといえよう。 輸入食品の一割に満たない検査態勢を強めるのも大事だが、 国産奨励、地産地消、そして自給率アップに進むべきは本質的で間違いない。 間違っても、こんな私製早口言葉は流行らせてはならないのだ。 中国メタミドホス中毒、中国メタミドホス中毒…。 (三)
★2008年01月20日掲載 立ち止まって考えよう 「みんなで音楽芸術ホールを考える会」に再開発対象地の西新町住民の方から手紙が届いた。 「突然でございますが、私は地権者の一人で…ずっと反対の立場を貫いており…、でも前に出て行動しにくい立場…」と、 固定資産税倍加などの危惧、やりきれない思いが訥々と綴られている。 先の会の趣旨は、正面きって「再開発ハンタ〜イ!」というのではなくて、 新ホール建設を熱望しつつも今回の中途半端な計画には「ちょっと待ってよ。もう少しいい案を考えようよ」というものだ。 しかし、徳島市案を知るほどに「?」マークが増える一方なのは事実。 新ホールを無理やり再開発ビルに押し込むことに反対、という声が広がっているようだ。 地元紙「読者の手紙」投稿の大半も、マスコミ一般も、「立ち止まって見直そう」というのが論調だ。 子年に変わって、「猪」突猛進のごり押しは、もう「過去」のもの。 もっと周知し、衆知を集めねばならない。 「市民の手で安心と夢のある徳島市をつくる会」のアピールどおり、市長選の大きな争点になりそうだ。
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2007年12月15日掲載 シンポジウム 先の見えない暗い海で懸命に泳いでいるような中小業者を「溺れる者」に例えるのは心苦しいが、「ワラをもつかむ」心境なのだろう。 徳島市長が固執する西新町再開発計画は、多くの市民の気持ちをかき乱している。 先月の「みんなで音楽芸術ホールを考える会」フォーラムや、市当局の「説明会」では、 欠陥だらけの新ホール計画に危惧と不安が続出する一方で、地元業者からは「活性化」を期待し熱望する声も出された。 晴れた日曜日でさえ閑散としている同地区地権者の抱く「願望」は、痛いほどわかる。 しかしどう考えても、私には新ホールで街が活性化するとは思えないのだ。 文化センターや郷土文化会館の周辺で店舗や買い物客が増えただろうか。 幻想で拙速に事を運べば、膨大な赤字と市民負担増大という禍根を残すだろう。 寡聞にして知らないが、徳島市と同規模の街で再開発の成功例はあるのか? さらに市民討議を深めたいものだ。 市当局や新聞記者、建築士らがパネリストになるシンポジウム(12月21日夜、郷文)に注目したい。 (三)
★2007年11月16日掲載 小沢がせ 「小沢ガセしました」というのが今年の流行語大賞に、はならないだろうなぁ。 それほど、先般の民主党代表の辞任、選挙目当ての慰留、「恥をさらし」ての翻意、という迷走ぶりは、安っぽい茶番劇そのものだった。 ことの起こりは、権力への近道=「大連立」密談だ。 「自民・公明政権はノー」という民意を取り込み参院選に勝利した勢いで、 次は総選挙で政権交代をめざすとしていたものの、態勢づくりが思うように進まないので焦ったのだろうか。 元・自民党の亀井さんが、的を射たような発言をしていた。「アメリカが怖くなったんだよ」って。 戦争支援のガソリンスタンド役を降り、「盟主」の不興を買ったので、 今度は「汚名返上」とばかりに、一日も早く恒久的な海外派兵法を作りたいのだろう。 そんな彼の「名誉挽回」は、国民にとって有害きわまる。 それでしくじってまた「天の岩戸」ホテルに閉じこもるのもいいだろう。 だが、それで彼の党はともかく、世の中は「闇」になるどころか、新しい太陽が昇り始めるに違いない。 (三)
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2007年10月20日掲載 偽装請負を無くせ 年収200万円以下が1000万人を超えたという。 年収がそれ以下の非正規労働者を含めば、ワーキングプアと呼ばれる層は、恐ろしいほどの数に膨れ上がっているだろう。 「虎よりも猛し」苛政が生み出した貧窮困苦が、年間自殺者3万人超とか、少子化進行、家庭崩壊などの背景にあるのは間違いない。 そして、根底には大企業の飽くなき欲望が横たわっているのだ。 それは労働現場では、安い労働力の使い捨てとして表れる。 彼らの専横は止むことがないのか。 だから県内でも、正義も道理もある「止むなき闘い」が続く。 藍住町の光洋シーリングテクノで「請負」から「直接雇用」と変えさせたのは記憶に新しい。 さらに、阿南市の日亜化学で、「偽装請負」の是正と直接雇用が、県の仲介で合意に至った。 が、安堵したのもつかの間、会社側はそれを反故にしたのだ。 特に、労組(JMIU)メンバーへの酷い仕打ちは報復としか思えない。 当然の「長期・直接雇用」にさせるために、市民県民の理解と支援を広げよう。 LEDより光り輝け、青年労働者。 (三)
★2007年9月15日掲載 新ホールは欲しいが…(音楽・芸術ホール問題) もう十五年以上になるかなぁ。 市や県の文化協会はじめ諸文化団体の役員有志で、「新ホール建設を促進する会」をつくって活動してきた。 その帰結としての「市民検討会議」の好ましい提言があった。 動物園跡地での五タイプ案だ。 歴代複数の市長が公約したこともあり、いよいよと期待していたら、いいよいいよとは言えない案を市が発表した。 「西新町の再開発ビルに新ホールを入れる」というもの。 それも悪くないか、徳島駅から近いし、 うまくいけば、市内中心部の「シャッター通り」化を防ぐ効用があるかとも思ったが、一方で、何か釈然としない気持ちが残った。 なぜ動物園跡地ではいけないのか、 市の財政負担が百億円規模のものも先の提言にあるのになぜあっさり反故にするのか、 全国各地で閑古鳥が鳴いている「再開発」事業が徳島市で成功するのか、 二十二階建てマンションは美しい眉山を隠してしまわないか、 駐車場の確保は? 疑問と危惧が次々と湧いてくる。 「せっかく」の到達点を大事にして、拙速だけは避けてほしい。 (三)
★2007年8月19日掲載 畏敬の人・宮本顕治 宮本顕治という人を知ったのは高校生くらいだった気がする。私は、子供の頃から歌手やスポーツ選手や俳優のファンになったことがないのだが、宮本さんには少なからぬ「ファン意識」を持ち、それがずっと続いてきたように思う。 だから、訃報を聞いた時には、頭のどこかに空洞ができたような不思議な感覚にとらわれた。10年ほど前に名誉議長を退いた頃から、いずれ「その時」が来るであろう覚悟みたいなものができていたからか、「歴史が巨大な頁を音もなく」閉じた「その時」を目撃しえたことに、悲しみを超える深い感慨を覚えたのだった。まさに「巨星堕つ」である。中曽根元首相だけでなく「敵ながらあっぱれ」と思う「敵」も数多かったことだろう。 直接お会いしたことは、残念ながら私にはない。ただ、数多い著作や「赤旗」新聞紙上での含蓄ある言葉に示唆を受け鼓舞されることが多かったので、いつも身近な指導者と感じてきた。かつての過酷な12年もの獄中生活や、党主流派から疎んじられ不遇をかこった時期にも決して節を曲げず、断じて党や大衆を裏切らず闘い続けてきたことなど、そのとてつもない凄さに畏敬の念を持つのだ。 その98年の生涯は、類い稀な光輝を放っている。それを可能にしたのは、頑健な肉体、強靭な意志・正義感、天賦の才を生かす並外れた努力だったろう。もし、宮本さんが生きたのが、戦国時代であれ幕末であれ外国であったとしても、必ずや未来を切り開くリーダーになっていたはずだ。 この大先輩の晩年を日本共産党が尊敬をこめた手厚いお世話をしてきたことに、この党ならではの口先だけでない人間的な温かみを感じて、嬉しい。そして、誰であれ神格化・偶像化しないところに、科学的社会主義の真髄をも見る思いがするのだ。宮本さんの遺志を継いで唱和しよう。「日本共産党万歳」と。
★2007年7月22日掲載 安倍内閣のやったこと 選挙戦真っ只中だが以前のようには自民党のポスターが目立たないように感じる。支持率急降下の安倍首相に足を引っ張られては困る、一蓮托生は御免とばかりに、多くの候補者が敬遠しているのかも。 私は選挙権のできた頃、先輩から投票先を決める基準を聞いたことがある。聞こえの良い公約に惑わされず、「何をするか」も大事だが「何をしてきたか」をしっかり見るようにというアドバイスだった。これは今も生きているのではなかろうか。 安倍内閣の足跡は功なく罪ばかりで、この欄のスペースでは挙げ切れないほどだ。憲法九条を目の敵にし三年後の改憲を狙う「国民投票法」の強行成立。百害あって一利なしの「教育基本法」改悪。靖国派で固めたために暴言や愚行の絶えない、まるで「賞味期限偽装」社長みたいな大臣たち。 外には、諸外国との軋轢で国家の品格を貶め、内では公明党と共犯の大増税による格差と貧困の拡大。もちろん生活を破壊する年金問題も重要だ。そんな彼らのやったことを微細忘れず、怒りの一票を! (三)
★2007年6月16日掲載 移譲(異常)増税 家計にはノータッチで、どれだけのローンや預金があるのかは全く知らずにきた。まして住民税などは、私には些事であった。そんな「極楽トンボ」に、妻が今月初め「住民税が10万も増えた!」と話した。よほど腹がたったのだろう。 私だって、「単なる税源委譲です」という政府のPRを信じるほど能天気じゃない。異常増税だということは誰でも分かる。今回の差し引き1兆7千億円の増税(住民税の大幅アップ)は、公明党が提唱した「定率減税廃止」によるもので、一般紙に「増税戦犯」と名指しされたのも当然だ。 片や大銀行は、ここ5〜6年、法人税ゼロ。空前のボロもうけを続ける大企業・大金持ち優遇の自公政治は目に余る。 どこかで目にした「絞るほどシャンと立ってる古雑巾」という川柳に喝采を送ったものだが、そう、国民が怒りでシャンと立つほど、現職大臣自殺や「消された」年金問題でアタフタしている安部内閣は、予想以上に早く倒れるかも…。使い捨てにされるまいという気概で、天下分け目の参院選を迎えよう。(三)
★2007年5月19日掲載 9条断食 映画・演劇・音楽愛好者「9条の会」のメンバーでもある福永さんに刺激を受けて、毎月9日の断食を始めようかと思っている。いろんな人が様々な形で「憲法を守りたい」という意思を示すのは素晴らしいことだ。 草の根「9条の会」が全国で6000を越え、着実に「護憲派」が増加しているのは確かで、改憲が社是である読売新聞やサンケイの世論調査にさえも、その傾向が表れている。 環境悪化を憂いモラル低下を案じるゆえに、「新しい時代に新しい憲法を」といった宣伝の影響を受けて「改正」を支持してきた人々も、酷い国民投票法案が強行採決されたりするのを目の当たりにして、靖国派で固めた安倍内閣への警戒心が広がっているようだ。世論の反映でもあるが、朝日も先の憲法記念日には21本もの社説を掲げ「憲法は変えない。これが結論だ」と報じた。 決して楽観は許されないが、楽観的雰囲気は大切だ。毎月9日の断食も私は夜9時から朝9時までと言ったら笑われたので、せめて朝9時から夜9時にしようか。ダイエットにもなるし。(三)
★2007年4月22日掲載 「従軍慰安婦」 選挙の続く今年は、いのちと暮らしを守るための闘いが殊に激しくなっており、平和憲法をめぐるせめぎあいも、国会内だけでなく、県や市町村にも広がってきた。唯一の「確かな政党」への期待は大きい。 徳島でも、鉄道高架化や解同系企業への莫大で不公正な税金無駄遣いに異議を唱える声が広がり、それは、憲法9条と基本的人権を守りたいという切実な思いとも必ずや重なるはずだ。 なのに安倍内閣は、無反省・無責任の開き直りで、一気呵成に戦前回帰をめざしているかに見える。そして彼らは、確信犯的に、「従軍慰安婦」も沖縄住民の集団自決も旧日本軍の強制ではなかった、などという妄言を繰り返す。 これは被害者や被侵略国に対する酷い侮辱であり、人道的にも許されない歴史のわい曲だから、世界から指弾されるのは当然だ。 諸外国では本質をつく「拉致された性奴隷」と表現されている「従軍慰安婦」を、日本では、「しんぶん赤旗」だけがカッコつきで報道しているのは一つの見識だろう。ますます、鋭い現代の問題になってきた。
★2007年3月18日掲載 起立より規律 豪華な椅子にどっかと座り上機嫌で談笑する閣議前の大臣たち。そんな光景を時々テレビで目にするが、その部屋へ「総理が入ってきた時に起立せず、私語を続ける人がいる」とか。そんな低次元な側近幹部の発言が報道されたことがある。 安倍内閣の支持率の低さと、求心力の弱さへの苛立ちが見て取れるのだが、国民にとっては、総理入室の際の起立なんか、どうでもいいこと。 ただ、卒業式や近々の入学式での「君が代」斉唱と起立強制なんかは、直ちにやめるべきだ。 この歌の出所は、平安時代の『古今和歌集』で当時の民衆が、祖父母らの長寿を祝うものだったそうだ。昔のポピュラーな祝儀歌が、明治政府の新解釈で「天皇の治世が千年も万年も続きますように」とされたもの。 だから、そんな「国歌」斉唱や起立の押し付けに抵抗を感じるのは、自然な民主主義的感情だろう。思想信条を侵す起立強制ではなく、労基法遵守などの規律強化が政治の役割と思う。 (三) ★2007年2月18日掲載 厚労相の暴言 私事で恐縮ながら、娘が一人いる。それを、厚労相から「子どもを二人以上望むのが健全だ」と言われても、「大きなお世話だ」と返すだけだ。私の場合は、仕事に夢やロマンがあった反面、収入が不安定で将来の見通しも確固としていなかったからなのだが、それは、現代の「少子化」の原因にも通じるものがある。 ワーキング・プアという言葉が定着するほどの貧困と格差の広がりが、最大の問題なのだ。それは全体の一割、四百万世帯にものぼるという。有能な若者が結婚できない低賃金や、育児と両立できない長時間労働などの劣悪な生活環境では、夢のある幸せな家庭づくりなんてできるはずがない。 そこを打開し、国民生活の改善を図るべき内閣なのに、大多数が望みもしない「改憲」ばかり繰り返しているのだから、かなり感覚がずれている。弱者への思いやりや優しさ、人権尊重の意識が欠如しているのだ。 「女性は産む機械」とかの暴言大臣は、「有無を言わさず」罷免しなきゃ、安倍さんのモラルも同レベルで、近い将来首相をやめても国民から「功労賞」はもらえまい。 (三)
★2007年1月21日掲載 言葉のウソ 古今東西、時の権力が国民に真相や実態を知られたくない場合は、いつも別の言葉や難解な外国語に置き換える。 古くは、戦闘での敗退を「転進」と言ったし、軍事費を防衛費、軍隊は自衛隊と呼称してきた。これは、親分格のアメリカでも同じで、国防総省も元々は、ズバリ「戦争省」だったそうな。 ターゲットである9条改悪の意図をぼかすために、彼らは「憲法改正」「自主憲法制定」と口にするし、障害者の負担を増やす悪法は「自立支援法」となる。 開いた口が塞がらない厚顔無恥ぶりは財界・大企業にも度々見られ、私だって紅顔で無知の美少年?だった頃から耳にしたことのない「ホワイトカラー・エグゼンプション」にも悪巧みを感じるのだ。 頭の部分は、白襟Yシャツを着た労働者とわかるとしても、下段の英単語は知らなかった。何でも「適用除外」という意味だそうで、労働基準法の一日8時間・週40時間労働という規制を適用しなくすることらしい。何時間働かされても「超過勤務=残業」代ゼロになる、まるで過労死促進法。 これからも、たっぷりと眉に唾をつけて誤魔化されないようにしなきゃ。そして真の意味での「美しい国」をめざさなきゃ、と新年早々に思う。 ★2006年12月24日掲載 品格なき人 「ハンカチ王子」が今年の流行語大賞になった。「品格」という言葉が、同時に選ばれたのも納得できる。国政が酷政になり、大半の政治家から「品格や爽やかさ」が失われてる時代だからこその、願望の表れなんだろう。 そういうものを無くして、というより最初から持ってなかったのだろう、全国各地で談合汚職に関わった知事の逮捕が相次いでいる。徳島では圓藤元知事の事件以降、調査団から「談合の海」と指摘されたものの、ウミをてっけつした様子は残念ながら見られない。 だから現知事に、流行語大賞のような品性を、私には感じられないのだが、「オール与党体制」だけは着々と築きつつあるようだ。翼賛県政を憂うる良識人は多く、ますます共産党県議団の重要な役割が鮮明になってきた。 ケーブルTVでも彼らの活躍ぶりを見えるのが嬉しい一方、あまりに知事のパフォーマンス的出演が多いのでイヤになる。部課長クラスで事足りる所にまで顔を出すのを、品格あるY先生も批判していた。同感だ。 (三)
★2006年11月18日掲載 教育基本法 「できるだけ趣旨をふまえて自分の言葉で」「棒読みはさけてください」。 これは、大臣の国会答弁や大根役者の台詞への注文ではない。国民の率直な声を聞くべきタウンミーティングで、「教育基本法を変えるのに賛成の立場で質問してください」なんて、事前に参加者へ依頼した文書だ。 教育の憲法」の骨抜き・改悪を後押しするための「やらせ」そのもの。それを暴いた日本共産党のクリーンヒットにより、野党は成立阻止でいっそうまとまった。 受験競争が生んだ弊害である未履修や、いじめ自殺などは誰もが憂えている問題だ。それらをすべて教育基本法のせいにするのは短絡的で、世論も「議論を続けるべき」というのが大勢なのだ。なのに、安倍首相が早期改悪にここまで執着しているのはなぜか。これを突破口に、狙いは本丸「改憲=九条破棄」だろう。 連日の学校荒廃報道を政治的謀略とする一部の論調はさておき、彼の人気や任期が切れるまで座視してるわけにはいかない。必ず廃案に。(三)
★2006年10月15日掲載 安普請内閣 「僕の美しい靴はどこ?」。これは、友人宅などで飲んで帰る時の口癖だ。数十年前から使ってるので、安倍首相の「美しい国」を耳にするたび、パクられた気分がする。ま、僕の軽口は罪が無いが、彼のは戴けない。 急騰する医療費のせいで医者にかかれなかったり、快癒せぬまま入院先から追い出されたり、という人が目立つ。国のすみずみに、不安を抱える年金生活者、定職につけない若者もあふれている。一方で、国民から吸い上げた消費税額に匹敵する減税の恩恵を受け肥え太る大企業。どこから見ても「美しい国」なんて言えないじゃないか。 彼は、抽象的で空疎な美辞麗句を繰り返しながら、小泉政治を補強し、「第三次岸信介内閣」(田中康夫)をめざしているかのようだ。類はタカをよぶ危うい内閣には違いないのだが、質的な脆弱さも感じる。 安倍晋三という字を何度も見てたら、ふと安普請という言葉が浮かんだ。「やすぶしん内閣」だ。辞書には、「粗末な材料で建てた家屋」とある。 (三)
★2006年9月16日掲載 ビラまき逮捕!? ガイシャ(被害者)やホシ(犯人)などの警察?用語は知ってても、「ガラ(身柄)を押さえた。PC(パトカー)をよこせ」なんて言葉は、普通の人はまず使わない。東京・葛飾区の「ビラ配布弾圧事件」で、警察への通報の際に珍しい隠語を使ったマンション住民は、その筋の者か特異なマニアか? しかし、裏の関係はさておき、休日の午後に一人のお坊さんが、誰でも自由に立ち入れる場所の郵便受けに、静穏にビラを入れただけ。それが、「家宅侵入罪」とは!? 逮捕翌日に家宅捜索、そして正月を挟んで28日間も拘留、とは酷すぎる。 更に、一年半の裁判で先月、当然の「無罪」判決が出たものの、非道にも検察は高裁へ控訴した。(>_<) ビラの内容は議会報告や政策の訴えだったらしいが、それがピザや不動産の宣伝であろうとも「表現の自由」は、大切にされるべきと思う。 この種の理不尽には、「恐れずひるまず」旺盛なビラ配布を展開することこそ、最も効果的な反撃になるだろう。 (三) ★2006年7月15日掲載 大津波 地震が発生したら、必ず「津波の心配はありません」というコメントが付く。ところが悪法は、あまり周知しないまま施行される。つい最近も、唐突に大増税の津波が襲いかかり、全国で五百万人もが「寝耳に水」の被害を受けている。 今回の激震は、二年前に自民・公明コンビによって発生させられたもので、特に高齢者の被害が甚大。今月各市町村から送付された住民税の通知書では、昨年の三倍・五倍はザラで、中には十倍を越えるケースもあって、日本列島に呻吟と怨嗟の声が渦巻いている。 年金が物価スライドとかで減額される一方、所得税と住民税が増え、連動して国保料も介護保険料も増えるしくみだ。しかもなお、「低率減税の廃止」など冷酷で果てしない増税路線が続く。命と暮らしの「防波堤」として日本共産党は、逸早く増税の中止と凍結を申し入れた。 党とともに、次の選挙で目に物見せよう。先の東大阪市長選のように「潮目」を変えるのは十分可能だ。 ★
2006年6月17日掲載 うっとうしいこと 雲ひとつない日本晴れ、というのが最近はほとんど無くなった。やはり日照時間がかなり少なくなっているそうだ。「曇り一時雨」が続いても、「二時、虹」はめったに見られず、「三時、惨事」が多い。 小学生殺しの続発などは気象異常のせいでもなかろうが、気性異常の犯罪が目立つ。そんな深刻な「社会病理」を危惧し、嫌悪し、重い気分にさせられがちなのは私ばかりじゃないだろう。 ライブドア堀江やファンド村上のような、「労働者」でもなく従来の「資本家」でもない連中も、うっとうしい存在だ。 それにしても、誤解を恐れずに言えば、揃いもそろって、どんぐり眼のおばさん顔というのがおもしろい。ホンマのオバサンなら愛敬もあり好感が持てるのだが、オッサンのオバサン顔は気色が悪い。私は嫌いだ。 規制緩和「時代の寵児」ともてはやされた連中の逮捕は、やはりスカッとしても、秘密裏での株買占めや敵対的買収を「時代の弔辞」と直感した、「ある層」の逆襲のように、私には見える。 更には、小泉圧政で積もり積もった庶民のフラストレーションを和らげる「ガス抜き」のようにさえも思えるのだ。おっと、これは、私の直感というより、ほろ酔い気分での勘ぐりかも。 (三)
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2006年5月21日掲載 三づくし 苗字に付いているからでもないが、三という数字が好きだ。古来より日本では、一は孤立、二は対立を、そして三は調和を意味したと、何かの本で読んだ。独り言や対話じゃなく三人集まっての話し合いで、始めて多数決が成立する。ゆえに民主主義の最小単位だとも言われるのだ。市民劇場などのサークルが「三名以上」としてるのも、そこからきている。 「調和」ということでは、例えば、赤・青・緑の光三原色。気体・液体・固体の物体。大きさ・向き・作用点が、力の三要素。これらは、あまり好きではなかった「理科」で習った。 かように、三は、さまざまなことの基本であり好感度が高いのだが、「3という数字気になります」という投稿を、先日「しんぶん赤旗」で見た。在日米軍再編での日本負担三兆円、今後三年間での増税による国民負担も三兆円。老人医療費も三割負担に…。 目下の国会では、国民投票法・共謀罪・教育基本法の三悪法も企まれている。せめぎいに負けるな、という投書子の思いを多数派にしなければならない。 「女三人寄れば姦しい」というのは時代錯誤だが、「三人寄れば文殊の智恵」とも言う。今こそ良識ある叡智を結集しなければ、国民はまたサンザンな目にあうのだ。(三) ★2006年4月16日掲載 フランス・デモ 僕は交通ストには反対だ。例えば、ハハキトクの電報を受け取った人の足まで奪うじゃないですかなんて、労働者の権利を主張する先輩に対して未熟な反論をしていた頃を思い出す。
そんな視野の狭い理屈からではなくても、闘わない労働組合が増えたのは事実だ。「春闘」は死語になり、消費税が上がろうが、年金や医療の連続的な改悪が押し付けられようが、大規模なストやデモは見られなくなった。だから、以前のプロ野球労組のストはとっても新鮮に映ったものだ。
かたや仏国では、ブツブツ不満を言うだけでなく、政府の悪政に対する大きな抗議行動が巻き起こった。事の起こりは、与党が唐突に提案した若者向け雇用制度だ。それは、26歳以下の青年を新規雇用したら、二年間の試用期間中は理由無く解雇できる、というもの。企業の雇用意欲促進という名目での「使い捨て」政策といえる。
四人に一人が失業中の若者たちは、これには怒った。将来の労働者である大学生や高校生、そして多くの労組が共同して、300万人もの抗議デモを繰り広げた。世論調査でも、若かりし私と違って、ストへの支持や共感が七割。余波で休演になったオペラ座にまだ「怪人」がいれば、彼も拍手してるかもね。(三)
★2006年3月19日掲載 医療改悪
ガセとは「人騒がせ」が原語らしいが、そんなメールで大騒ぎしてる間に、ひどい法律や予算が成立していくのにはまったく気がメイル。「2兆7千億円の負担増」と聞いてもピンと来ない人にも、キリで刺すような痛みは近々確実に襲ってくるのだ。これはガセネタではない。
その一つ、最新版の医療改悪も冷酷だ。ただでさえ、三割負担になって半健康や軽症程度では病院へ行かない「受診控え」が広がってるのに、追い討ちをかけるような動きがある。「保険免責」の導入とか「混合診療」の規制緩和がそれ。
理解しにくい言葉だが、要は、カゼなどの「軽い」病気には保険がきかなくしよう、重病や難病で膨大な自己負担が必要な保険外医療を広げようということらしい。保険証一枚で誰でも平等な医療が受けられる時代でなければ、病弱だった私などは成長できなかったし、いま元気でも長生きが覚束なくなるかも。
公的保険が引っ込むほど民間保険会社の出番が増える。手ぐすね引いているのは、米国系のアリコやアフラックだけじゃない。所得格差=命の格差、にはするまいぞ。そんな決意で、とりあえず私も健生病院で外来ドックを受けておこうか。最近、案内ハガキが来なくなってるが。 (三)
★2006年2月26日掲載予定 トリノ五輪
飛行機に長時間乗るのが嫌だからというだけでもないが、海外旅行なんて、観劇ツアーでロシアと韓国に一度行っただけ。 まして、イタリアなんて、スパゲッティとムッソリーニくらいしか咄嗟には浮かばない。
しかし、戦前ファシズムの総括をきちんとした彼の国は、平和の祭典・オリンピックで盛り上がった。物々しいテロ警備の下ではあるが、ロゲ会長は開会挨拶で五輪精神や平和と兄弟愛を強調し、来賓のオノ・ヨーコさんも「平和な世界を想像し、いまこそ行動しよう」と語った。それは、全世界に向けたメッセージではあるが、とりわけ平和憲法をないがしろにする、どこかの国の政治家たちに聞かせたい。
もちろん、未だに憲法9条を守るキャンペーンを張ることができないマスコミも、少しは耳の痛みを感じて欲しい。メダルの数をうんぬんし、「取らぬ狸の皮算用」ばかりでは興ざめだ。さらに、某TV局が傍若無人的取材でひんしゅくを買い、報道関係者パスを取り上げられたなどと聞くと、いっそう鼻白む。
そういうことが目立つトリノ五輪が、「メダル取りの五輪」にならなかったのはよしとしても、平和運動やスポーツ強化の面で、わが国が新たな課題を背負ったのは間違いない。 (三)
★2006年1月22日掲載 夢みたいな公約
正月のお笑い番組で、「私が総理になったら!」というのがあった。 漫才コンビ「爆笑問題」の一人がスカッとする発言を繰り返した。 その公約が愉快で、いわく「小泉チルドレンのテレビ出演を禁止する」。 そしていわく「全国の自衛隊と米軍基地を田んぼにする」。
英会話や世辞・追従(ついしょう)、金儲けには長けてはいるが、弱者の痛みが分からない、政治的には素人に近い連中が国会議員としてはびこっている。 そんな寒々とした光景をいつも苦々しく思っていただけに、気持ちよく笑えた。
突飛に見える「軍備縮小案」も、税金の無駄遣いを大幅に減らせることになるし、食糧自給率アップや自然保護につながるのだから、心ある人には歓迎されるだろう。
しかし、これは正月の初夢みたいな話。 この仮想国会には、タレント然の自民や民主の代議士複数も出演していたので当然ながら否決されたが、意外と接戦だった。
いずれにしろ、軽薄非情な「小泉劇場」は早く閉幕してほしい。 代わりに?「市民劇場」の二月の音楽劇『兄おとうと』を楽しみたい。大正デモクラシーの旗手・吉野作造の台詞が小気味よい。 「憲法とは、人々から国家に向かって発せられた命令である」。 井上ひさしの真骨頂といえよう。 (三)
★2005年12月25日掲載 ♪翼がほしい〜♪
一時代前までは、飛行機なんて文字どおり「雲の上の存在」だった。全国労演の会議などで上京する時は、経費を考えればフェリーとJR乗り継ぎが当たり前。だから、劇団からいくら公演案内が届いても、ほとんど応えることができなかった。
しかし、時代が変わり、今や飛行機は庶民の足になり、誰でも気軽に乗れるようになった。もともと煙と同じで高い所へ上りたがる私は、上空から見る風景が大好きで、いつも心が広くなるような気分を味わっている。
今年もほぼ毎月上京できたし、市民劇場役員会全体では、研究観劇が57本にもなる。人減らし合理化の余波で検査体制が弱くなったのか、小さな事故はよくあるのだが、「早割り」だと高速バス料金並なのでつい乗ってしまう。やっぱり貴重な存在なのだ。
その一翼であるスカイマークが3月いっぱいで撤退するとか。JALだけになれば、便数は半減するし、搭乗率が100%超になり、徳島の経済や観光に大きな痛手になるのは明らかだ。県議4人と春名元衆院議員も、便数確保のために尽力してくれており、国と県の姿勢を県民は注視している。
いつか観た芝居『翼をください』の主題歌が浮かんできて仕方ない。♪翼がほしい〜♪(三)
★2005年11月27日掲載 交代してんか
天皇家の長女が結婚したニュースの中で、折々の「里帰り」を望む父親と、「大丈夫よ」と励ましたという母親の心情が、庶民のそれと相通じるものがあり印象に残った。 時を前後して、ある講演会で聞いた駄洒落も気に入った。 トイレに入ったままの「皇太子殿下」に妻がかけた言葉は、「交代してんか」。 一昔前なら「不敬罪」ものの爆笑シーンだった。
こういう光景に出くわすたびに、戦前と比べて歴史の確かな進歩を感じるのだが、その一方で、新たな戦前が始まりつつある恐さを強く感じるのもまた事実だ。 「不経済」の極みである軍事費増大は止まらず、それと表裏一体の大増税や憲法改悪策動とのせめぎあいが、ますます激しくなっている。
逆流に抗して、徳島でも全県版「9条の会」が発足したばかりで、奮い立たずにはいられない。
折りも折り、開戦記念日の翌日(12月9日)市民劇場特別例会として、知覧特攻基地を舞台にした前進座の感動作『今日われ生きてあり』が上演される。 醜悪な戦争の実相を描き、命と平和の尊さを謳う名作を家族や友人と共に鑑賞したい。 そして、みんなで声をかけようではないか。 国会で多数を占める改憲派よ、早く護憲勢力と「交代してんか」と。(三)
2005年10月23日掲載 政党通信簿
「くの一」が「女」忍者の隠語だったように、ヒイキのことを私の小学校では「花」と呼んでいた。どこの悪童が言い出しっぺかは忘れたが、花という字を分解するとカタカナの「ヒ・イ・キ」になるからだ。特定の生徒を格別に優遇する教師が、時たまいたものだ。そういう連中は当然嫌われ、「花じゃ、花じゃ」と陰口を叩かれていた。
そんな昔のことを唐突に思い出したのは、日本経団連が先日「政党通信簿」なるものを発表したからだ。特定の生徒、じゃなく政党をヒイキして点数をつけ、企業献金の指針にするという。そこには財界の「おごり」が見えて、私なんぞはやはり深い不快感を覚える。
今年の「通信簿」では、自民党が財界の望む政策に「ほぼ合致している」と褒められて「A」が多い。そりゃ、そうだ。郵政民営化に固執したり、どんどん法人税を引き下げたり、サラリーマン増税・消費税アップ・軍備拡大・改憲まで主張しているのだから、トヨタ自動車会長ならずとも「愛い奴じゃ、近う寄れ」って気分になるだろう。
懸命に「花の優等生」をめざしている民主党の点数を含めて、今後も政党通信簿に御注目だ。それは必ず、国民がつける通信簿とは正反対になるはずだから。(三)
★2005年9月25日掲載 自共対決時代の再来
選挙当日に拙宅にまで知己の県議から投票確認電話があって苦笑させられたが、それほどの奮闘の結果、日本共産党は現有議席を守り抜いた。ウソで塗りたくった「郵政」しか語らない詐欺的手法により自民党は大勝したものの、早晩、国民生活や外交面での鋭い矛盾が噴出してくるだろう。
協力を依頼していた知人友人から憤懣やるかたない嘆声が届いたが、結果を冷静に分析すれば悲観するには及ばないと思う。「4割台の得票で8割近い議席」という小選挙区制による「勝利」は砂上の楼閣に見えるし、どっちもどっちの民主党が惨敗したことで「二大政党化」が色あせて、対立の構図が解りやすくなったのではないか。
私はいま、以前長く続いた「自共対決」時代を思い起こしている。当時も少数野党だったが、他政党の十倍にも勝る共産党議員の、価値ある闘いの記憶も鮮明なのだ。国会外での国民運動と手を携え「いのちと暮らし」を守るために国会論戦をリードし続けた姿が浮かぶ。
大増税と憲法改悪の動きが加速するであろうこれからこそ、唯一の「たしかな野党」としての値打ちがいや増す。有権者を煙に巻いた小泉与党と大企業にとって、いよいよ煙たい存在として輝いていくはずだ。(三)
★2005年8月28日掲載 目くらましの術
女という字を分解したら平仮名の「く」、片仮名の「ノ」、漢字の「一」。そこから女忍者のことを「くの一」と呼んだが、現代では、郵政民営化に反対した議員への女性対立候補を指す。彼女らは、目が三角でも顔が丸くても、「刺客」というらしい。テレビは、そういう時代劇用語を日夜連発することで視聴率を稼いでいる。だが、それはそのまま「小泉劇団の陳腐な芝居」を大宣伝しているようなもの。
たかが、自民党内の権力争いを描いた駄作・凡作にすぎないのだから、どちらが「優勢」か、などの報道に目を奪われてはいけない。多くの観客は、徐々に「目くらましの術」から覚めてきたようにも思えるが、やはり今回の総選挙の争点は郵政だけじゃないのだ。
今の悪政が続くようだと、ほとんどの国民が激痛どころか瀕死状態に陥る恐れがある。年金負担増と支給減の本格化や、所得控除廃止という名の大増税が待ち受けており、さらに二年後には消費税アップが企まれているのだから、怖い怖い。ただでさえキナ臭いのに、火に油を注ごうとする改憲の動きにも警戒警報。
今こそ「たしかな野党=日本共産党」の出番だ。時代劇風にいえば、天下分け目の関が原合戦。堂々と勝ち抜こう。(三)
★2005年7月24日掲載 文化版『九条の会」発足
半世紀の歴史を持つ鑑賞団体・市民コンサート徳島や市民劇場の会員有志が、いま「映画・演劇・音楽愛好者九条の会」の発足を準備中だ。
昨年6月に三木睦子さんや大江健三郎さんら日本の知性と良識を代表する方々がつくった「全国版」に賛同・呼応するもの。「九条の会」を戴く市民の会は、すでに全国の地域・分野別に2000以上結成されており、今回の会は、その徳島文化版といえよう。
憲法9条が骨抜きにされて「戦争ができる国」になったりすれば、それこそ映画や演劇を見たり音楽を楽しむどころではなくなる。そんな時代だった60年前に、過酷な「日本一若い兵士」体験をした市民劇場会長・湯浅良幸さんをはじめ、マスコミの世界から日本の動向を長年見つめてきた現「朗読の会」代表の岸積さん、県出身の劇団前進座俳優・山崎辰三郎さんら、多士済々。意気軒昂だ。
世界に誇りうる憲法9条を守り、さらに輝かせたいという彼らの思いに、多くの市民県民が賛同の意を寄せるだろう。映画愛好者の尽力で、結成総会では注目の映画『日本国憲法』も上映される。参加費は999円。急を要するが窮屈ではないこの総会は、来月7日にシビックセンターで。(三)
★2005年6月26日掲載 郵政民営化ハンターイ
先日急に小口支払いで1000円札が数10枚必要になったので、いつもの銀行へ駆けつけた。両替機は休止中だったが、4000円ずつおろせばいいやと安堵したのもつかの間、手数料=1回105円と知って手が止まった。土曜日だったのだ。郵便局へ走って「無料」で調達でき、両者の違いを痛感した。
今回はささやかな私体験だったが、いま小泉首相が執着している「郵政民営化」がなされたら、105円の問題どころではなくなるのだ。「税金投入ゼロ」でいて、国民にとって利便性が計り知れない全国24,700局の郵貯・簡保のサービス網がズタズタにされてしまう。まさに、百害あって一利なし。
そもそも!国民には現行の郵政公社で何の不都合も無いのに、なぜこれほど拘るのか? 多くの疑問や不安に答えられないのは、「本音」が言えないからだけだろう。
そりゃあ、生命保険会社や大銀行にとっては、「商売敵」の郵政公社は目の上のたんこぶだろうし、350兆円もの資金は垂涎ものだろう。繰り返し日米の金融業界から民営化要望が出されるわけは、私にもわかる。
松任谷「ユーミン」に『ついてゆくわ』という歌があるが、まっとうでない「郵民」にはとてもついていけない。
◎関連エッセイ⇒ユーチョーでない話
★2005年5月22日掲載 武田の進言
国民に痛みを強いる冷酷な政治が続いている。それが元凶だろうが、最近は「人間を大事にする」という当たり前のことが二の次にされているように思う。多くの企業にもそんな体質が見え隠れして腹立たしい。
違いがわかる?ネッスル日本だけじゃないが、介護が必要な妻や両親を抱えて懸命に働いている社員に遠隔地への転勤か早期退職かを迫ったり、JRだけじゃないが、無理な過密ダイヤを1分守れなければイヤがらせ的な厳罰を科したりなど、イヤになるほどだ。
若くて甘かった僕なんか、まじめに働いてさえいれば将来の老後は蓄えなんか無くたって、年金やいざとなれば生活保護でやっていけるさ、と高をくくっていたものだ。ところが、福祉の貧困が改善されるどころか、ますます悪化しているのだから困ったもの。保守派が圧倒的多数の全国市長会ですら、生活保護費の国庫負担削減に「憲法25条」を掲げて異議を申し立てるほどだ。
長い目で見れば、社員や人を大切にする会社や社会ほど栄え、冷たく粗末に扱って人心が離れたら国だって滅びるに違いない。「人は石垣、人は城、人は堀、情は味方、仇は敵」という武田の名言は、戦国時代からの進言かも。(三)
★2005年4月24日掲載 インターネットの功罪
インターネットの楽しさを知ったのは4年前だ。その1年後には、塀本徳島市議の教えを受け個人ホームページまで作ってしまった。私はいま、毎日のように「科学進歩」の恩恵を享受している。
出張時の航空券購入やホテル予約、情報収集や発信が狭い寝室の一角で手軽にやれるのだから愉快だし、実利もある。娘が自家製ケーキのオークション販売で500円も!稼いだと聞いた時には思わず吹き出した。こういう話はほほえましいのだが、「功」の反面、「罪」の部分も多い。
得体の知れないメールが頻繁に届くし、人権侵害や新手の詐欺も横行している。さらに、マスコミを凌駕するほどの世論操作の道具にさえなりうるのだから、現代人のモラルや眼力がますます必要で大切になってきた。
最近の中国での反日デモや日本製品不買運動にもインターネットの影響が見られる。そこには一部の者の思惑が見え隠れするものの、日本側の「一部の者」の時代錯誤的な言動が寝た子を起こしたり、火に油を注いだりしているのも確かだ。
いつの時代も「科学の申し子」には罪はない。要は使い方しだいだ。最近ネット製作したTシャツには、憲法9条が印刷されている。これが私の目下の「お気に入り」。
★2005年3月27日掲載 国歌生消?
卒業式や入学式のシーズン。この時期にいつも問題になるのが、「日の丸」と「君が代」の押し付けだ。以前観た舞台『しみじみ日本乃木大将』では、ただの布切れだった日の丸がどう天皇代理のように神格化されていったのかを描いていた。奇想と鋭い風刺が爆笑を呼んだものだ。
それに比べてお粗末な喜劇として思い出すのが、昨年秋の園遊会。東京都教委のある棋士が義士ぶってか、「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございます」なんてことを言った。何てことを言うやつだと思ったら、天皇は「やはり強制にならないことが望ましいですね」と応えた。先代なら「あっ、そう」で終わっただろうが、時代の反映か、将棋指しが釘を刺されたようで愉快だった。
だが教育現場では、笑ってはいられない状況が続いている。昨年も全国で、数百名の教職員が「不起立は規律違反」のごとく懲戒処分を受けた。勇気ある「40秒の無言の意思表示」に、私は感銘を受けた。不利益を覚悟で「内心の自由」の大切さを身をもって示したところに、人間の尊厳と教育者魂を見る思いだ。改憲派の「次の一手」を絶えず警戒しつつ、押し付けという「禁じ手」を許さない風潮を広げねば。
★2005年2月27日掲載 揺れるNHK
昔の少年雑誌に幼稚なクイズが載っていた。「ラジオは犬と猫のどっちが好きか?」というもの。ラジオというのが時代を感じさせるが、答は猫。「犬・あっち・行け〜」(NHK)といつも言ってるから、だって。
久しぶりにこんなしょうもないクイズを思い出したのは、NHKが視聴者からそっぽを向かれるような不祥事を繰り返しているからだ。一連の経理不正、うさんくさい幹部人事、時の権力への媚びを感じる制作姿勢。そんな時代錯誤体質への批判が、かつてないほど広がっている。
「従軍慰安婦」などの戦時性犯罪を裁き昭和天皇と軍に有罪を宣告した「女性国際法廷」については、赤旗新聞で報道され共感していたが、その特集番組が自民党政治家の「まるで検閲」を受け、大幅な改ざん後に放送されたとは知らなかった。
放送前にお伺いを立てる自体が間違っているのに、まだなお「通常の業務」で「圧力は感じなかった」などと逃げる幹部の卑屈さ。視聴者がそこを見透かし、不信と怒りを増幅させているのが分からないのだろうか。
受信料不払いが50万件に迫るというから、すさまじい。でも、誰もNHK崩壊を望んではいない。視聴者と良識ある職員の声を受け入れて、公共放送としての使命と誇りを取り戻してほしいのだ。(三)
月月火水木金金とか、七つボタンは桜にイカリ〜といった軍歌で知られる大日本帝国海軍に年端のいかない少年兵が存在したのを、郷土史家の湯浅良幸さんの随筆で知った。氏は、わずか14歳で「日本一若い兵隊」になった。海軍特別年少兵という。特年兵一期生3千余名のうち、何と2千名もが戦死したそうだ。 また、「罰直」という名の制裁が横行し自殺者まで出したということなども、戦後密かに持ち帰った手帳に記していた。野球バットのような樫の棒での尻たたきを一度に18回も「もらった」という。非人間的な体罰には、ウグイスの谷渡りとかB29の急降下、牛殺しなど「遊び」のような名がついていた。鬼のような上官の薄ら笑いや少年兵の血涙が浮かぶ。吐き気を催しそうだ。「友情を破壊する」対向ビンタも茶飯事だったようだ。 そんなことが半世紀前まで行われ、しかもそれはいつ復活するかもしれないのだ。憲法9条をめぐるせめぎあいが、今年も激しくなりそうだが、絶対に改憲を許してはならないと思う。 そんな折に、「もし国民投票になっても、状況によっては逆に憲法改悪派の方が致命的な打撃を受け、粉砕されてしまう可能性すらある」との、林伸豪弁護士の指摘に感銘を受けた。闘いは正念場。(三)
★2004年12月19日掲載 改憲草稿 「拳銃や刀その他の武器は、これを保持しない。組の交戦権は、これを認めない」。平和であるべき社会において、これに近い法律があるのは当然で、時々「銃刀法」違反で暴力団組員が逮捕されるが、規制を受ける側がいかに窮屈であろうと、その当事者を法律改悪に関与させるなんて、ありえないことだろう。 その「ありうべからざること」が表面化した。あの日の朝刊には驚かされた。防衛庁の元長官がこともあろうに、「親しい友人」である陸上自衛隊幹部に改憲草案を作らせていたという。「私的な勉強」と強弁しているが、その自衛隊制服組員の「案」は、先月発表された自民党憲法調査会の「改憲大綱」と見事に重なりあう。さもありなん、だ。この元長官は改憲案「競う」委員長なのだから。「勉強」もさぞや捗ったことだろう。 そのやり方は、むろん「政治的中立」を求める自衛隊法にも触れるし、彼らを含むすべての公務員に課せられた「憲法尊重擁護義務」をも踏みにじる明白な憲法違反だといえる。 しかも、その内容も慄然たるもの。双方の案は、いずれもが国軍設置と海外参戦を推進するものになっているのだ。 今回の法秩序無視は、酔っ払いに飲酒検査の可否を委ねるような生易しいものではない。
★2004年11月21日掲載 揺れだす 情けないけど「他にいないから」というのが一番多い「支持」理由だ。 それでも小泉自信?は揺らぎそうもなく見える。 その彼自身が国民にとっては災いなのだが、追い討ちをかけるような天災も怖い。 最近富みに多い地震・雷・火事・台風。被災地の早期復興が望まれる。 このたびの中越地震で印象に残った一つが、安全神話が揺らいだ新幹線脱線。 事故現場をTVで見てゾッとした。 よくぞ転覆や高架からの転落に至らなかったものだ。 脱線した先頭車両が豪雪地帯特有の側溝を滑走したおかげで、後続車両の追突を免れた。 東海道線ほど過密だったら対抗車両との正面衝突さえありえただろう。 惨事と紙一重。ひとえに神のおかげと賛辞は送らないけど。 天災ゆえ「事故責任」はさておき、「僥倖」を当てにしない今後の安全対策が急がれる。 大きく揺れだす前に列車を自動停止させる「ユレダス」というシステムがあるにはある。 先に到達する弱い地震波を感知し、次の強い揺れの前に急ブレーキをかけるのだとか。 「ユレダス」という駄洒落めいたニックネームは私は好きだが、今回は二種の地震波の到達時間に差がなくて機能しなかったというから、頼りない。 台所用品の「ぬめりトール」や背骨牽引器「伸び伸びくん」に笑われるよ、ユレダス君。(三)
★2004年10月17日掲載 イチローまい進 小泉失政で、「大学は出たけれど」の時代が続いている。本人の責任ではほとんどない就職浪人が無数にいるが、若者よ一浪や二浪にめげないで。 イチローのように大きな夢を持ち続け実現するのは並大抵ではないのだが、それでも彼の挑戦する姿勢には、野球ファンならずとも清新なワクワク感や励ましを与えられたはず。イチローまい進だ。 40数年前の小学生時代から、私も並みの野球少年だった。試験勉強だって試合開始から終了までの「ながら族」。その時代は長嶋や巨人ファンだったが、大人になってすっかり野球離れした。爽やかである筈の球界に黒幕の暗躍や金ずくの闇取引が見えてきたからだった。 でも今年は一味も二味も違った感じ。プロ野球選手会労組の奮闘が強烈なインパクトを与えた。連合参加の多くの労組が右傾化、歌も闘いも忘れたカナリヤに成り下がった昨今ゆえに、厳しい団体交渉に臨む古田選手らの凛々しさが際立った。巨人オーナーの暴言が火に油を注ぎ、国民多数が選手会のストライキを支持した。私利私欲を超えたスポーツマン魂がみんなの胸を打ったのだ。 「たかが国民」と言われ続けているような私たちも、共産党とともに果敢に突き進もう。ひたすら「真実イチロ」の精神で。(三)
★2004年9月19日掲載 9条の会 市民劇場の事務所には所狭しと多くの演劇チラシが掲示されている。その中で派手ではないが凛とした趣のポスターが目につく。「憲法9条、今こそ旬!」というタイトル文字。それを取り囲んでいる顔は、まさに現代日本の知性と良識を代表する方々だ。 テーマ性と娯楽性あふれる小説や戯曲を連発する井上ひさしさん、徳島にはなじみ深い三木睦子さん、「超」著名な大江健三郎さんらが「九条の会」を発足させ、国の内外に呼びかけている。 日本国憲法を守るという一点で手をつなごう、改憲の企てを阻むためにあらゆる努力をしよう、と。このまなじりを決したアピール、いたたまれない思いが一人でも多くの人の良心に届いて欲しい。 少し前までは、憲法軽視発言だけで内閣がつぶれるほどだったのに、今や国会議員の多くが「戦争を知らない大人たち」で、八割もが憲法「改正」を口にする危うい時代になった。時代遅れだ、占領軍の押し付けだと悪罵を浴びせられながらもたくましく生き抜いてきた憲法は、世界の至宝だ。 私たちは、九条に代表される崇高な理念を守り抜かねばならない。未だ十分に実現されていない条項を今こそ光り輝かせねばならない。窮状を打破すべく「九条の会」を広げよう。孫子が「徴兵法」に縛られる前に。(三) こちらも読んで→視点「死なせるな憲法」
60歳になるのが楽しみだ。好きな映画が何曜日でも千円で見られるから。あと数年で退職するつもりだが、まだまだ「若くて元気」のはずだから、仕事ではなく趣味としての観劇も数を増やすぞ〜。 楽しい社会的活動を続けながら、毎週のように映画館や図書館がよいをやるぞ〜。3年前に始めたインターネット・サーフィン、自分のホームページ更新にも時間が取れるぞ〜。豪華客船での長期旅行は無理でも、年に何度かは妻への感謝と慰労の思いで小旅行も計画するぞ〜と、夢が広がる。そういえば、結婚30周年祝いに「バーっと使って」とフリーターの娘がくれた「感動の10万円」も手つかずだ。 だが、ちょっと待てよ、ちょっと甘いんじゃないか、という内なる声も聞こえてくる。ここはヨーロッパじゃないんだよ、年金額が定年前半年の平均給与の7割もあるフランスとは雲泥の差だよ、って。どうせ君は、勤続40年の大半が国民年金なのだから、せいぜい月に7〜8万円だよ、という厳しい現実が「老前」の私のささやかな夢を押しつぶしにかかる…。 「映画千円」がつい先日から、50歳の夫婦にも適用されることになったのにホッとはするが、憲法擁護と生活防衛のための「せめぎあい」は、これからが本番だ。(三) ★2004年6月18日掲載 『巨匠』 『マクベス』開演前の楽屋。主役を演じているスター俳優が、独白シーンの演技に迷いを感じ悩んでいる。彼の脳裏には、数十年前に偶然目撃した、ある「名優」の姿が焼きついているのだ。演劇青年だった彼は、当時、ナチス支配下のポーランドでレジスタンス運動に身を投じていた。そして傷を負い逃げ込ん田舎のの学校で、その「巨匠」と出会った。 「身命を賭したドラマ」は、ゲシュタポの突然の襲来で始まる。軍用列車が爆破された報復に、4名の知識人を処刑するとの宣告。身分証明書からピアニストや医師らを割り出し連行しようとしたその時、しょぼくれた老人がおずおずと申し出る。あの〜実は私は俳優なんです、と。 大滝秀治さんの例のかすれ声と動き、目に浮かぶようだ。しつこく食い下がる彼に、ナチスの将校も半信半疑だったが一興とばかりに、『マクベス』のサワリを演じさせる。周囲からヤユ的に「巨匠」と呼ばれていた老役者の一世一代の演技。それが成功し、俳優と認められた時には、銃殺が待っているのに…。 誇りのために命をかけた彼は、現代を生きる私たちに鮮烈に問いかけ続ける。君は、自分らしくそして人間らしく生きているか、と。『巨匠』は、徳島市民劇場の七月例会。
★2004年5月16日掲載 市民コンサート50周年 映画・演劇はよく観るが、クラシック音楽にはふだん触れる機会がほとんどない。そんな私にとって、とてもありがたいのが、「市民コンサート徳島」。旧称・労音の時代から会員歴37年を数え、二ヶ月に一度、良質の音楽に浸っているのだ。「通」にはなれないし、それでいいと思っている。多様な音楽・文化に接することで「勤続疲労」が癒され、心身ともにリフレッシュされるのがいいのだ。 今でこそ会員減の影響でポピュラー例会が無くなっているが、一昔前には、ダークダックスやボニージャックス、沢田研二やジャズコンサートもあった。鳴門の「第九」に引けを取らない大合唱も実現したし、『カルメン』のような大型オペラもやってきた。 一畳サイズの大型ポスターをもらった吉永小百合リサイタルも思い出深い。先鞭をつけた落語会では、米朝・枝雀・仁鶴らの至芸が堪能できた。落語は今また、特別鑑賞会のような形で復活しているのがうれしい。 市民コンサート半世紀の歴史には、誇っていい価値ある「熱い心」がぎっしりつまっている。私は、その歴史や先輩に心から敬意を払う。そして、その思いを共有する人たちに呼びかけたい。「50周年の集い」をきっかけにぜひ再入会を。(三)
昨年のSARS同様、生まれて初めて知った「鳥インフルエンザ」とやらが波紋を広げている。大分や山口では早期対処での「封じ込め」が奏効したが、そうこうする間に京都から新たな火の手が上がった。そこで生産された鶏肉や卵が、徳島も含む23府県に流出したという。 ただ、私は今でも毎日のように口にしているし、必要以上に恐れることはないと思う。熱を通せば大丈夫というから、おいしいものはおいしく食べたい。恐いのは、天災同様に「発生」そのものでなく、対処のまずさからの二次被害なのだ。三次、四次となるとゴジラより恐い。 京都での発症も天災のようなものだ。それなのに、営利重視の糊塗策が引き金になり想像以上の被害拡大となった。養鶏の大量死など異常が表われていたにもかかわらず、早期通報を怠った結果がこれだ。当の企業会長夫婦の自殺は痛ましくて、何とも後味が悪い。 彼を責めるのは簡単だし、人災にした行為は許されないことだが、背景には、不可抗力による損害に対するわが国の公的補償の貧しさと、法的不備があるだろう。ダジャレ好きの私でも、BSEや鳥インフルエンザ問題では、どこかの大臣のように「モー、ケッコー」なんて口にする気は、さすがにしない。
★2004年2月15日掲載 日亜とキュリー 阿南にある日亜化学がこれほどの特許を持ち、それを応用した製品の売上高が2010年までに1兆2千億円にもなる(東京地裁判決)なんてことは想像もできなかった。 青色発光ダイオードとやらは、同社に勤めていた一研究者によるノーベル賞級の世界的発明で、その技術が信号機や携帯電話や大型スクリーンなどに欠かせないというのだから、すごいことだ。 なのに、発明者にいくら給料を払っていたとはいえ、二万円の「ご褒美」だけで済ませたのは、非常識さを感じる。今回の判決は、発明の功績を高く評価しており、それは技術者や研究者を鼓舞し、大局的に見て会社にもプラスになることと思う。 話はそれるが、ノーベル賞を二度も受賞したキュリー夫人が、自分の発見したラジウムを応用したものすべてに特許を取らなかったことは、よく知られている。もし彼女が特許を取っていたら、莫大な財を手にしただろうし、放射線治療などは資産家しか受けられないようになっていただろう。 ということを、黒柳徹子さんの一文に見たとき、キュリー夫人を演じる彼女の喜びがストレートに伝わってきて心地よかった。研究者魂を軸に夫婦愛を描く爽やかな舞台『キュリー夫人』は、市民劇場3月例会。(三)
インターネットで「寿命予測テスト」というHPがある。趣味嗜好・生活環境・性格・病歴などに関してのありとあらゆる設問が延々と続く。だからじっくり考えながら、ゆっくり答えていけば30分以上かかるだろうが、生活習慣の点検と改善のきっかけになれば、時間の無駄にはなるまい。遊び心にも浸りながら、ご夫婦で仲良く挑戦したらいかが? テストは六つのステップに分かれている。@あなたと親族=性別・年齢・病歴 A生活環境 B健康状態 C天災や事故などの危機管理 D心理的社会的要因などだ。つまりは、いま、どういう環境・条件・精神状態で暮らしているかが問われる。 ちなみに私は、なんと87歳と出た。30年以上も楽ではないはずの仕事をしてきたのに、「柳に雪折れなし」で、けっこうストレスにも強い体質なのかもしれない。だからもし、酒を控え、タバコをやめ、軽い運動でも続ければ、軽く百歳になってしまいそう。 ただ生活習慣は、誰でも本気になれば変えられるかもしれないが、自衛隊員などはそうもいくまい。戦地への出兵などは設問に無いのだから…。 だから、この新年にまた、一休禅師の歌を思い出した。「門松や冥土の旅の一里塚」ってやつ。めでたくもなし、めでたくもなし、なのだ。(三) 表紙へ戻る
12月で最も記憶されるべき日は8日。 真珠湾攻撃で太平洋戦争を始めた日だ。 そして、二年前に逝った父の命日でもある。 戦争を知らない子どもたち」だった私に、酒を飲みながら、「満州」での生活やシベリヤ抑留体験を微細に繰り返し話してくれたものだ。 誰にも優しかった母は、中国の子供たちに慕われ、近所の子がたびたび泊りに来ていたことや、私の姉が三歳で病死したこと。 捕虜収容所では所長夫人に気に入られ、幼い娘の子守役として優遇されたこと、 所長は元馬賊で夫人に頭が上がらず、おかげで早く日本へ返してくれたことも聞いた。 戦死でもしていたら私はこの世に生をみることがなかったのだから、不思議な気持ちがする。 他にも、中国の当時の子ども「フー・チュンメイ」さんが、どうやって調べたのか、10年ほど前に香川の家まで訪ねてきたという感動的な後日談まである。 戦争中のことを話したがらない人が多い中で、何のためらいもなく語ってくれた父は、ダメな部分もいっぱいあったが、その点は尊敬できるのだ。 来年早々にも、小泉式「開戦記念日」ができそうだが、自衛隊の兵士たちは無事に帰国したとしても、将来の息子にどんな「戦争体験」を話すのだろうか。 大義なきゆえに恥ずべき体験となる彼らが哀れだ。(三)
★2003年11月16日掲載 アメリカ追っかけ? 以前からズ〜っと感じていた。日本はどんどんアメリカの後を追っているのではないか、って。もちろん米国追随という点で小泉内閣は際立っているが、ここで言う「後追い」は、忠僕としてのそれではなく、政治・経済・文化の動きのこと。人心の荒廃、モラル退廃化も含めて数年遅れでついていってる感じだ。 「二大政党制」もそうだ。米国では、ベ戦争を始めた民主党とイ戦争を始めた共和党、このどっちもどっちの二つの政党が、行き詰まるたびに政権交代を繰り返してきた。どちらになっても、バックにいる財界・巨大資本にとっては痛くもかゆくもない。だから、日本財界もそういう「システム」にズ〜っと憧れてきたのだ。先の衆院選では、「自民対民主の争い」と単純化したマスコミが危険な方向へ有権者を誘い惑わせた。棄権も四割。 結果は、小選挙区制のひずみをまざまざと見せつけた。最悪の選挙制度による大政党の勝利で、改憲派議員が増えた。アメリカを追って「戦争を自由にする国」になるのか、そのせめぎあいが更に厳しくなるだろう。 さまざまな思惑と誘惑は迷惑だが、困惑せず、引き続きしっかりと憲法を守り、きっぱりと消費税に反対していかねばならない。そう主張する日本共産党の姿勢には惑いはない。
★2003年9月21日掲載 市営住宅 三十年も前になるが、結婚したてのころ、市営住宅に入りたいと思った。給料の未払い遅払いが常だった私には、家賃の安さが魅力だったのだ。が、なんと収入基準超過でダメ。夫婦の片方でも公務員だとそうなると聞いた。だから今でも、きれいな公営住宅を見ると、ふと「初恋」を思い出すような気持ちになるのだ。 ところが、若い夫婦の「憧れ」だったそんな市営住宅を食い物にする事例をよく見聞きする。最近も、眉山への大量の家電不法投棄で捕まった男たちが、市営住宅を住宅でなく倉庫として使っていた。犯罪の「温床」そのものではないか。 更には、支払い能力があるはずなのに家賃を滞納している者が多いことも、共産党の河野みどりさんが明るみに出した。なんと、丸五年も不払いという猛者もいるって。 私が腹立たしいのは、長期滞納者に何人もの元や現職の市職員がいるってこと。どこかの圧力やツテがあれば公務員でも入居できるのだ、ということなのか。 そして、その実態を把握していない、あるいは見て見ぬふりをしている市当局の弱腰や怠慢ぶりだ。不況のあおりで本当に払えない弱者は別として、市議会での担当部長答弁どおり「悪質な滞納者には年内にも法的措置を」取ってもらいたい。入居待ちの若い夫婦のためにも。 ★2003年8月24日掲載 テンサイは… 今年は台風の当たり年かな。ここ数年、四国上陸が減ったのは、地軸の変動や異常気象だろうとナマかじりで話していたら、またちょくちょく直撃されるようになった。それでも、愛媛の瀬戸内育ちの私には、台風といえばお菓子の買い置きなどウキウキした思い出しかないので、どうしても油断がある。自戒しなければ、と思う。 徳島に住み着いてからは、42年前の戦後最大といわれた「第二室戸台風」の甚大な被害についてよく聞かされた。その時には、二万五千戸もの床上浸水があったそうだ。それ以前の南海道地震では二百名もの死者。 これらを半世紀前の昔話と、聞き流してはなるまい。歴史の長いスパンからいえば、「頻発」なのだから。それに山も谷も多い徳島では、いつどこで大災害が起きても不思議ではないからだ。 改めて思う。地震も含めて、天災は防ぎようがない。ただ、被害の軽減はやればできる。環境の点検整備、的確な情報、危険予測図(ハザードマップ)などの「備え」が必要なのだ。そして、事後の水や食料支援、公的補償が重要なのだ。 「天災は忘れたころにやってくる」とは、寺田寅彦の弁。天災に負けず長生きした後、あの世で「遅かったなあ」と言われたら、ぜひこう答えよう。天才は……。 ★2003年7月13日掲載 少子化暴言 この人らしいと思った。 総理大臣の時も、失言・暴言・妄言の連発で、いいかげんヒンシュクを買ったが、今回は女性たちの怒りを買った。 森・元首相が、めっきり影が薄くなった反動か、その健在ぶりを示すかのように久しぶりに、のたまわった。 「子どもも一人もつくらない女性が、好き勝手とは言っちゃいかんけど、自由を謳歌して楽しんで、 年とって税金で面倒みなさいちゅうのは、本当はおかしいんです」などと、まさに「好き勝手」な言いたい放題。 鹿児島で開かれた「少子化・子育て」討論会での一幕だ。 集団レイプ事件の学生を「元気がある」とたたえて?ごうごうたる非難を浴びた同僚議員らも同席していた。 似た者同士が勢ぞろいし気が緩んだのか、目立ちたかったからか、口を大きく滑らせた。 が、これは、いつもながらの本音であることは間違いない。 さっそく「新婦人」などの団体から抗議され議員辞職を求められた。 当然だろう。 子どもを産まない産めないのには、苦渋の決断も言いがたい理由もあると思う。 それを個人的身勝手のようにあげつらうなんて、その人権感覚の貧しさと政治的無責任は度しがたい。 不況と福祉後退による経済困難と将来不安が少子化の根本原因なのは自明のこと。 木ではなく森を見よ、と言いたい。
★2003年4月27日 掲載 徳島市議 先の市議選では、日本共産党が徳島県で4名当選の大躍進。でも徳島市ではかなりきつい戦いだった。何はともあれ、当選したみなさん、おめでとう。そしてお疲れ様。だが、やはり「大丈夫」論が最も危険だったことがよくわかる。その上、全国的で謀略的な反共宣伝の悪影響もあった。それらは、本紙読者のみなさんには笑止千万なデマであっても、まだあなどれない。勝って兜の緒を締めよ、だ。 ドラマティックに幕を開けた統一地方選。いよいよこの日曜は第二幕。6人の市議はみんな、市民の代表としての資質は最高。必勝の思いに気ははやるが、地道な訴えが一番だ。投票箱が閉まるまで、が合言葉。一人でも多くの知人に確認とお願いをしよう。髪振り乱してではなく、共産党らしく、明るく元気に。 そこでこういうキャッチフレーズはどうだろう。いつもながらの駄じゃれまじりで、六人衆に声援を。 ★議会の「中野」第一人者 ★平和求める「塀本」だ ★必ず「加戸」うよ自公派に ★彼らはクワバラ「桑原」と退散し ★残るは市民の虹の「かけはし」 ★幸せ運ぶ「コウノ」トリ 駄文ながら、悪政への防波堤たれと願う私の気持ちだ。また蛇足ながら、この市議選での勝利は、第三幕の知事選にとって小利どころでない。
★2002年12月29日今年の漢字 あまり明るく嬉しい字は無く、昨年は極めつけの「戦」。多発する無差別テロと、それを口実にした報復爆撃など、地球上には争いが絶えなかった。 ★2002年11月21日 前知事汚職調査
★02年8月25日 公務員攻撃 一般新聞では、読売・産経は論外で、朝日・毎日に比して徳島新聞の論調が好ましいと私は思っている。 記者たちの良識と努力がよくわかるのだ。 前知事から多くの県議や首長がカネをもらっていた、という先の特ダネにも多くの県民が快哉を叫び、有志による告発につながった。評価したい。 だが、公務員賃下げに関する社説にはひっかかった。 不況にあえぐ民間と比べて「まだまだ恵まれている」かもしれないが、 だから民間準拠を徹底して賃下げをという意見は、短絡的ではないか。 まして、公共事業での税金無駄遣いや高級官僚の特権的天下りの問題を、一般公務員の待遇と結びつけて論じるべきではない。 同じ労働者が足を引っ張り合って喜ぶのは誰か? 公務員の安定した身分をうらやむ素朴な国民感情を逆手にとってのリストラ激化、賃下げ連鎖がこわい。 現に、公明党所属の厚労相は早くも 「公務員も給料が下がるといった事態ならば年金生活者のみなさんにもお願いしなければならない」と語っている。 非常事態だからみんなが我慢しようと、「賃金・年金引き下げ競争」「痛み我慢比べ」に持っていこうとする意図は明らか。 人事院勧告とは逆の、これ以上家計を冷え込ませたり需要を萎縮させたりしない政策を政府に勧告したい。 ★02年7月28日 知事おろし祈願 かすかな記憶でも、数十年前の修学旅行で自分のためにキーホルダーや机上のミニ盾を買ったくらい。 自分と縁が無かった「努力」とか「根性」とかの金ピカ二文字に憧れたからかもしれない。 もちろん?人を訪ねる時も、たいてい手ぶら。 笑顔が一番、何てうそぶきながら…。 でもその気になれば、多少はセンスある物を選ぶくらいの自信はある。 ま、間違っても知事不信任を可決した長野県議会の自民・公明・民主らの会派を激励訪問することはありえないが…。 徳島の自民県民会議のメンバーがその長野を訪れたニュースはこっけいな感じがした。 ムダな工事を忌避する県民の手で、数十年ぶりに知事与党から外された「その道の先輩」に、 「保守野党のあるべき姿」についての教えを乞いに行ったようだ。 てっきりミヤゲは、知事選の経緯からして大塚のオロナミンCかボンカレーかと思ったが、そこまで野暮ではなかったようだ。 なんと、「努力」や「根性」ならぬ「一願成就」の「お札」だったとか。 これは、オサツでなくオフダと読む。念のため。 お札発行元のお寺の一つは、「原爆の火」を点し続ける霊山寺。どうも知事おろしの「一願」とはしっくりこない。
「目が利く」のはいいことだ。いかにも値打ち物の刀剣や美術品の真贋を見抜く鑑定士がいる。その眼力にはいつも敬服する。私もよく以前は、「人を見る目がある。五分も話せばその人の性格や趣味・嗜好がわかる」と豪語していた。しかし、昨年はその目にも狂いが会ったことを痛いほど解らせられた。世の中にはさまざまな人間がいるのだ。面従腹背という言葉を久々に思い出した。 ところで、「口を利く」のはどうだろう。私などは、誰かの口利きで便宜を図ってもらうのも、自分が口利きするのも好きじゃない。面倒くさがりということもあるが、それよりも親しい人間関係に「借り」を持ち込むのがイヤなのだ。口利きが重なれば図々しいと思われるだろうし、「仏の顔も三度」というのもわかるからだ。 生活や健康を守るための善意による口利きならまだしも、最近表面化した民主党副代表や自民党元幹事長の秘書たちによる「あっせん利得事件」など、言語道断と思う。公共工事での丹入札に、政治家とその意を受けた秘書が暗躍している。百鬼夜行の様相だ。政治的な影響力により自治体から建設業者に公共工事を回して、事前事後に多額の「口利き料」をせしめるのだ。 やっぱりそんなヤカラとは口もききたくないね。(三)
年末になると清水寺では、その年を象徴する漢字一文字が発表される。
そして今年は「帰」。北朝鮮に拉致されていた人々の「帰還」が多くの耳目を集めたから当然か。片や賃金カットで給与が昔に「帰った」から、というのも痛い実感だ。今年の「帰」の字には、国民の怒りや恨みがいっぱいこもっているようだ。
これとは別に、保険会社が募った四字熟語もある。石原都知事がカジノ賭博を推奨したから東京「賭」庁。的を射ている。株の「東証」を「凍傷」ともじったのも、なかなか鋭い。この伝で今年の徳島県政を表現してみれば…「知事私欲」が県民の憤激を買い、非保守県政が誕生。「心機一転」のはずなのに、「審議一点」=知事イジメの感があった。来年こそ、ぜひ大田さんには野党による「牽制圧辛」にひるまず「県政刷新」に邁進してほしい。
当の県議たちの多くは、前知事から汚い金を受け取った疑惑濃厚で、県警捜査の行方が注目されている。 彼らは、来年の「県議選挙」を「嫌疑洗清」にしたいところだが、県民の目は厳しい。この欄(傍目八目)も一目置かれるように目いっぱい努力したい。
市バスを応援したい気持ちは山々なれど、バスに乗るのは、「飲むなら乗るな」を守った翌日くらい。でもバス乗車もいいことがある。数週間前、降りた所で「シール投票」をしていたのだ。県独自に前知事汚職調査をすべきかどうか、を問うものだった。私はもちろん、迷いなく「調査賛成」に貼った。昼前だったが、 こんな協力は朝飯前。すでに大差がついていた。
この呼びかけは、自民党など県議会野党が「調査」に反対したから起こった。一部の「出費反対」市民が考えるように必要経費1000万円は確かに個人にとっては大金だ。しかし、県全体からみれば些少といっていい。まして、それが悪臭の元を断つことに寄与できるならば、汚職や買収による公共工事水増しが防げるならば、安いもの。数億円くらいすぐ浮くはずだ。
だから、このことに難癖をつける県議の神経が解らない。いやいや、底意は解らなくはない。臭いものに蓋をしようとするわけだから、当人が悪臭に包まれてるか、その源に立っているかだろう。
虎の尾を踏むべきで、悪弊の轍を踏んではいけない。それを踏まえて、健全化の動きを妨害する勢力とは、毅然と対峙すべきだ。市民グループ提唱の「100円カンパ×10万人で調査資金捻出」に、私も大賛成。反対県議の「ひそみ」が目に浮かぶよう。
私はかなりの面倒くさがり。 だからどこへ行ってもミヤゲというものを買ったことがない。