| 2019 20/1/8 |
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| 再審への逆流 |
| 2019年には3回の三者協議が行われた。が、検察側の無益な反証、反証予定ということでなかなか前に進んでいるという実感がない。 |
| 第3次再審請求においては224点もの新証拠が提出されている。これだけでも、再審開始決定を行うに十分なものである。 |
| 一方、2018年6月の袴田事件における東京高裁再審開始取り消し・棄却決定に続き、大崎事件における前代未聞の最高裁による再審決定の取り消し、狭山事件担当裁判長による三鷹事件の再審請求棄却など、再審への逆流とさえいえるような状況も生まれている。 |
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| 2019年の動き |
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| 4月1日 原・厳島鑑定提出 |
| 弁護団は4月1日、万年筆に関わる新証拠として、原・厳島鑑定を提出した。原聡・駿河台大学教授と厳島行雄・日本大学教授による 「狭山事件における捜索・差押に関する心理学実験」
と題する鑑定書である。 |
| 万年筆の家宅捜索や発見過程の疑惑については、このサイトでもさんざん検討してきた。今回の実験は、狭山事件を知らない大学生(身長170cm以下)12人が参加した。 |
| 狭山現地に復元された石川さん宅の勝手場を使った探索実験を行った。勝手場にボールペン、財布、大学ノート、腕時計、鴨居の上に置いた万年筆の5点を警察の捜査マニュアルに基づいて探すという心理学実験である。 |
| 捜索の素人の大学生全員が30分以内に鴨居の上の万年筆を発見した。この結果をふまえ、捜索のプロの警官による家宅捜索(1回目12人・2時間17分、2回目14人・2時間8分)で万年筆が発見されなかったことは合理的に説明できないと鑑定書は結論づけている。 |
| 2回目の捜索時には捜索対象として万年筆があげられていた。3m離れたならば150cmの人にだって見える。発見されないはずがない。 |
| つまり、万年筆は、2回の家宅捜索の後、何者かによって鴨居の上に置かれたのである。原・厳島鑑定は、これを明白にした。これで、新証拠は221点になった。 |
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| 4月22日 第39回三者協議 |
| 弁護団からは原・厳島鑑定について説明。また、足跡に関する新証拠を提出予定であることを伝えた。検察側は、スコップに関する弁護側の平岡鑑定に対して反証を提出するとしていたが、提出しないと述べた。また、下山第2鑑定に対する反証は8~9月頃に提出するとした。 |
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| 6月25日 大崎事件、最高裁が再審開始決定を取り消す |
| 最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は大崎事件の第3次再審請求において、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部の再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却するという暴挙を行った。しかも、5人全員での決定である。 |
| 大崎事件とは、1979年10月15日、鹿児島県大崎町で農業を営む男性Nさん(42才)が死体で発見されたことから始まった。 |
| これが殺人事件とされ、兄弟が逮捕された。彼らには知的障害があり、容易に自白を誘導することができた。そして、主犯として長兄の妻・原口アヤ子さん(当時52才)が逮捕された。 |
| 死因は絞殺とされ、死体遺棄には次兄の息子も加えられ、4人の犯行とされた。原口さんは一貫して無実を主張したが、他の人たちは争わず、有罪となり服役した。 |
| 原口さんも同じ裁判官のもとで、1980年3月31日、懲役10年の判決を受け服役。出所後、1995年に再審請求を行った。 |
| 2002年、鹿児島地裁が再審開始を決定するが、04年、福岡高裁宮崎支部がこれを取り消した。10年には第2次再審請求を行うが、13年に鹿児島地裁が棄却。最高裁まで争うが15年2月、最高裁が特別抗告を棄却。 |
| 2015年7月、第3次再審請求を行う。ここで、死因に関する新鑑定が威力を発揮した。そもそもが、殺人事件でもなんでもなく、死体発見3日前にNさんが酒によって側溝に落ちた転倒事故による出血性ショック死だった可能性が相当に高いものだった。 |
| 2017年6月、鹿児島地裁は再審開始を決定、2018年3月、福岡高裁宮崎支部が検察側の即時抗告を棄却した。しかし、福岡高検が最高裁に特別抗告した。 |
| そして、なんとなんと、最高裁第1小法廷は検察側特別抗告は意味がないと棄却しながら、職権で調査したとして鹿児島地裁及び宮崎支部の決定を取り消すというとんでもない暴挙に出たのだ。 |
| 地裁、高裁で再審開始が決定された事件で、最高裁が取り消すなんてのはこれまでに前例がない。原決定や原々決定に疑義や不備があるとするなら普通は差し戻しである。それを
「職権による調査」(狭山でもあった)で、最高裁が何の事実調べ(証人調べ)をすることもなく、勝手に決定するなんてありえない。 |
| こんなことが許されるなら、せっかくこじ開けられてきた再審の扉は、再び閉じられてしまうことになる。狭山事件もそうした流れの中にあると考えなければならない。 |
| 大崎事件は、無念にも第4次再審請求に闘いの場が移ることになった。 |
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| 7月31日 三鷹事件再審棄却 |
| 東京高裁第4刑事部(後藤眞理子裁判長)が、三鷹事件の再審請求で鑑定人尋問も行わず、請求を棄却した。後藤裁判長は狭山事件の担当裁判長でもある。 |
| 1949年7月5日、下山事件。7月15日、三鷹事件。8月17日、松川事件。戦後間もないアメリカ占領下の日本において発生した三大鉄道謀略事件である。 |
| 当時の国有鉄道は人員整理を強行しようとしており、労働組合と日本共産党に対する弾圧のために仕組まれた事件と考えられる。松川事件では逮捕された20人全員が無罪となった。三鷹事件では12人が逮捕されたが、後に竹内景助さんの単独犯行とされ、1955年12月、死刑判決が確定した。 |
| 竹内さんと言えば、石川さんが東京拘置所に移送されたとき、石川さんが自白を維持し、長谷部など警察との 「約束」 のことを話した時、「それは大変だ。早く弁護士に相談するように」 と助言をしてくれている。 |
| 竹内さんは1956年2月、東京高裁に再審請求。が、1967年1月、無念にも脳腫瘍のため東京拘置所において獄死してしまった。妻子は、治療の遅れと医療ミスを理由に国家賠償請求を行い勝訴した。 |
| 2011年11月、竹内さんの長男が東京高裁に第2次再審請求を行った。しかし、2019年7月31日、第4刑事部(後藤裁判長)は、新証拠に関わる証人尋問などの事実調べを全く行わず、「確定判決等の事実認定に影響を及ぼし、これに合理的な疑いを抱かせるものとはいえない」
と棄却した。 |
| そもそもが明らかな謀略事件である。再審請求においても、竹内さん無罪の新証拠が提出されていた。それを棄却したのである。後藤裁判長はこんなこともやってのける裁判官だった。狭山においても油断してはならない。 |
| 8月5日、弁護団は東京高裁に異議申し立てを行った。 |
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| 9月9日 第40回三者協議 |
| 7月12日、弁護団は反証の提出時期などについて検察に回答を求める求釈明を提出。7月22日、検察は平岡鑑定に対する新たな反証は提出せず、以前の科警研技官の意見書でもってかえると回答。 |
| 7月29日、弁護団は下山第2鑑定に対する反証の提出時期、内容などについて検察に回答を求める求釈明を提出。 |
| こうして迎えた三者協議。検察側は、福江意見書に対する反証は10月に提出の予定だが、下山第2鑑定については見通しがたっていないとした。 |
| 弁護団は、寺尾判決が有罪の証拠としたスコップ、血液型、足跡に関する新証拠を提出する予定であることを裁判所に伝えた。 |
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| 12月11日 第41回三者協議 |
| 11月21日、弁護団は、下山第2鑑定についての検察の反証の内容などを明らかにするように求釈明をしていた。 |
| 12月10日、弁護団は3点の新証拠を提出。①スコップは死体埋没に使われたものとはいえないと一層明らかにした平岡第2鑑定。②血液鑑定が当時の厚生省が定めた検査基準も満たさない不適切なもので、検査結果は妥当ではないとする鉄堅・医学博士の意見書(鉄意見書)。 |
| ③下山第1鑑定に対する検察反証意見書への反論、万年筆インクについての雨宮正欣・法医学研究センター所長の意見書(雨宮意見書)の3点であり、これで新証拠は224点になった。 |
| 三者協議において、検察側は、次回三者協議までにクロム入りジェットブルーインクを探したいと回答。入手してどう反証するのかという追及に対して、下山第2鑑定には何らかの反論を行う、次回協議で入手できたかどうか、その後の反証の方向を明らかにするとした。 |
| 弁護側は、12月10日に提出した3点の新証拠について説明。検察は、これらに反論するかどうか検討するとした。 |
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| 最初にも書いたが、遅々として進まないという印象がある。再審開始に対する検察の妨害ともいえるような反証など許していいのだろうか。再審開始決定に対する検察の即時抗告や特別抗告も許されるべきではない。 |
| 再審とは無辜の民がその潔白を晴らすための制度である。それを、再び三度、踏みにじろうとする検察の抗告など認めるべきではない。再審法の改正が急がれる。 |
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