下山鑑定                             17/1/25
 2016年8月22日、弁護団が万年筆インクに関わる下山鑑定を提出。
これは、3回目の家宅捜索で発見された万年筆がYNさんのものではないことを科学的に明らかにしたという意味で決定的とも言える新証拠である。
実際問題、3回目の家宅捜索で勝手口の鴨居の上から発見されることなんてありえない。また、それを石川さんの兄さんに素手で取らせるなんて絶対にありえない。
これだけでも、万年筆が何者 (警官以外考えられない) かによって仕込まれた証拠と分かる。分からないのは狭山に関わってきた寺尾をはじめとする裁判官だけだ。
この疑惑は、このサイトでも <万年筆><2次再審/元刑事7人の証言><斎藤鑑定><家宅捜索> などでさんざん検討してきた。下山鑑定を待つまでもなくでっち上げられた証拠であるのは明白だ。
下山鑑定はインクからそれを証明した。(後述)
 2016年の動きをまとめると・・・
2月26日、弁護団は車両の目撃に関する三宅洋一千葉大学名誉教授による鑑定書 (三宅鑑定)、実験報告書などの新証拠を提出した。
これは、脅迫状を届けた時にYNさんの家の東隣に車が止めてあったという石川さんの 「自白」 が 「犯人しか知りえない秘密の暴露」 なのかどうかという問題である。
事件後、YNさん宅を中心に聞き込みなどの捜査が行われたはずであり、この車の駐車という事実を警察が石川さんの 「自白」 まで知らなかったはずがない。絶対に 「犯人しか知りえない秘密の暴露」 などというものではない。
2013年1月に開示された調書や捜査報告書から、この車を運転していた人や目撃者が明らかになった。<50年/秘密の暴露> を参照。
石川さんの 「自白」 ではYNさん宅に行ったのは午後7時半ころということで、車を駐車していたのは午後5時半~6時ごろという捜査段階での TO の話が、第1審での 「午後7時過ぎから40分くらいYNさんの家の2軒東隣の家に車を止めていた」 という証言に変更された。
そこで、街灯のない場所で64メートル離れたところから目撃者が TO の車と視認したということが可能なのかどうか、2015年5月1日に狭山現地で再現実験を行った。
結果は、午後7時ころから、車は確認できるがその向きや文字は識別できないというものだった。従って、車の駐車はもっと早い時間帯のはずであり、捜査段階での TO の話が正しかったのだ。
車の駐車という事実を、石川さんが脅迫状を届けたという 「自白」 があたかも真実かのように、7時半という時間帯に時間をずらして 「自白」 の中にすべり込ませた警察の作文であったことが確認されたのだ。
これで新証拠は182点になった。
 3月34日 第27回三者協議
前回の三者協議で・・・
・・・車の追い越し、駐車にかかわる証拠について、検察は不見当と繰りし、弁護団は、存在しないのならその理由や経過を説明すべきと追及、裁判所は検察に書面で回答するように検討を求めた・・・
これに対し、検察は、不見当であり、当初から存在しないかどうかは不明とする意見書を提出してきた。弁護団は、どのような調査で不見当としたのかを明らかにすべきであり、証拠の種類に応じたリストを開示すべきと要求した。
また、検察は、埼玉県警など東京高検以外で作成された証拠物一覧表の開示も必要ないと拒否してきた。一方、弁護団が2月12日付で開示勧告申立書を提出した万年筆、財布、手帳関係の証拠開示については検討するとした。
 5月25日 第28回三者協議
検察は、この間弁護団が求めてきた証拠開示について、見当たらないとか関連性・必要性がないと応じなかった。
弁護団は、4月22日に、証拠物のうち警察保管のものを高検は取り寄せているのかどうか、証拠物の保管をどのように行っているのか釈明を求める書面を提出していた。
これをうけて、高裁植村裁判長は、証拠物の保管と一覧表の作成などの取り扱いについて検察に説明するように求めた。
 8月22日 下山鑑定提出
下山進 前吉備国際大学副学長は文化財の非破壊分析の専門家。傷をつけられない文化財を破壊しない方法で、使われた素材や色材を解明する。
1963年8月17日付の科学警察研究所荏原秀介技官の鑑定 (荏原第1鑑定) によれば、発見万年筆のインク (ブルーブラック) とYNさんのインクびんのインク (ライトブルー)、日記、手帳の文字とはインクが違うとなっていた。
おそらくこれで慌てた警察・検察は、級友と狭山郵便局のインクを鑑定 (8月31日付 荏原第2鑑定) し、発見万年筆のインクと類似という結論を得た。これが、後の級友のインクびんや狭山郵便局のインクびんからの補充説の根拠とされてきた。
2013年7月に、YNさんのインクびんが開示された。これによって、YNさんのものは 「ジェットブルー」 という商品名のインクであることが分かった。(このサイトも、これまで <ライトブルー> としてきたが、以降は <ジェットブルー> と表記する。)
ブルーブラック (BB)とジェットブルー (JB) は科学的成分が異なるものらしい。ブルーブラックは鉄元素を含み、書いたときは青いが、筆記後に酸化されて黒色になるのだという。
下山鑑定人は、荏原鑑定を検証し、荏原鑑定のペーパークロマトグラフィー検査において、発見万年筆にJBの痕跡がないことから、そもそも発見万年筆にはBBしかなく、YNさんのものではないことを明らかにした。
ペーパークロマトグラフィー検査
実証実験はこうだ。発見万年筆と同じ万年筆 (パイロットスーパー100S) にJBを入れ、全て排出。これにBBを注入し、ペーパークロマトグラフィー検査を行った。これとJBのみの場合とBBのみの場合を比較した。
この結果、どんなわずかにでもJBが残っていればその痕跡が現れるのであり、現れなかった荏原第1鑑定の発見万年筆は、当日までJBを使用していたYNさんのものではないという結論が得られた。
このサイトの <万年筆/インク><寺尾判決/寺尾判決の特徴><斎藤鑑定/斎藤第1鑑定> 参照をしてほしいが、荏原鑑定の存在は第2審で明らかになっていた。
これは・・・脅迫状の訂正部分は石川さんの 「自白」 によってボールペンで行われたことにされていた。しかし、1971年に弁護団は、訂正が万年筆かペンで行われていることに気づき、高裁に対して鑑定を要求した。
東京高裁が選任依頼した秋谷東大学名誉教授の鑑定書 (1972年1月) が提出され、「一部が万年筆又は、ペンで書かれたもの」 と訂正された。そして、この流れの中で荏原鑑定の存在が明らかになってきた。
というより、荏原第1鑑定は発見万年筆がYNさんのものではないことを示しているので警察・検察としては隠してきていた。そして、第2鑑定を、インクの補充という想像をたくましくしたこじつけの根拠としてきたのである。
荏原第1鑑定では・・・
荏原第1鑑定
E(1)が発見万年筆、E(2)はYNさんのインクびんのインク、(3)~(6)はYNさんの日記、(7)(8)はYNさんの手帳。E(1)だけが BB のみの結果で、あとは JB のみの結果となっている。これが真実なのだ。
下山鑑定実証実験(展開剤M)
S①とS①’は JB のみ、S②とS②’は BB+JB、S③とS③’は BB のみ。もし、インクが補充されていたとしたら、荏原第1鑑定の E1 は S② や S②’ のようにならなければならない。しかし、実際には S③③’ だったわけで、発見万年筆はYNさんのものではなかった。
別の展開剤でも次のようになった。SB①とSB①’が JB、②と②’が BB+JB、③と③’が BB。
下山鑑定(展開剤B’)
荏原第2鑑定
荏原第2鑑定は3種類の展開剤を使い、発見万年筆のインク <EA・EB・ECの(1)>、級友のインクびんのインク <それぞれの(2)>、狭山郵便局のインクびんのインク <それぞれの(3)> を検査している。
(2)(3)には ABC とも 「(同左)」 とあり、発見万年筆のインクは BB のみであったことが明らかにされている。つまり、発見万年筆は真っ赤な偽物であったということである。
この万年筆を証拠として用意し仕込んだ者どもは、見た目には似たようなものを用意したつもりかもしれないが、インクの中身までには気が回らなかったらしい。
下山鑑定は警察・検察側の荏原鑑定を検証することによって、荏原鑑定自身が、発見万年筆がYNさんのものではないことを証明していることを明らかにした画期的かつ決定的証拠である。
 8月29日 第29回三者協議
高検は、8月19日付で意見書を提出。弁護団が求めてきた埼玉県警などの証拠物一覧表は、高検が開示した領置票と同じであり、これに載っている証拠物が警察・検察が保管しているすべてだと言ってきた。
また、財布や手帳関係の証拠開示の必要性がないという高検の意見書に対して、弁護団は7月19日付で反論書を提出していたのだが、高検はまたもや必要ないと主張した。
これらの経過も含めて、さらに万年筆関係の証拠開示などを要求し、証拠開示の協議が続くことになった。
 11月2日 第30回三者協議
高検は、10月21日付で、YNさんの兄の供述調書1通を開示した。これは、発見万年筆の確認を求められた時の検察官作成の供述調書で、YNさんの財布や手帳についても述べているものということだ。
これで、開示証拠は186点になった。
また、弁護団は10月31日付で、財布や手帳関係の証拠について開示の必要はないと繰り返す検察に対して意見書を提出した。さらに、証拠物の一覧を客観的に確認できるように、埼玉県警の証拠物一覧表 (証拠金品総目録) の開示がなされるべきと主張した。
こうした中で第30回三者協議が開かれた。高検は、財布・手帳関係や筆跡・自白関係の証拠開示、証拠物一覧表の交付について検討中とした。
また、高検は、下山鑑定に反論する方向で検討しているとした。これは、下山鑑定が検察にとって無視できないものとなっていることを図らずも示していることになる。
ともかくも、2016年、下山鑑定という大きな武器を獲得した。2017年、いかにこれを有用なものとできるか問われることになる。