証拠リスト開示                          16/2/25
 2015年、ついに証拠リストを開示させた。
これまで証拠リストの開示を頑なに拒んできた東京高検が、1月22日付で、東京高検にある全ての証拠物279点の領置票を開示した。この間の闘いが、東京高検をして開示せざるをえないところに追い詰めたのである。
2014年8月の第19回3者協議で高裁は、証拠リストについて開示の方向で検討してほしいという姿勢を示していた。しかし、検察は10月27日付で、リストの開示はなされるべきではないという意見書を提出した。
弁護団は、10月29日付で反論の意見書を提出した。この流れの中で、10月30日、第20回3者協議が行われた。弁護団は再びリストの開示を迫り、高裁は検察に再考を求めるという展開になった。
 1月23日 第21回3者協議
1月23日、第21回の3者協議を前に、ついに、1月22日付で東京高検は高検にある証拠物領置票を開示せざるをえなくなったのである。これによって、未開示の証拠が44点あることも分かった。
大きな一歩だ。しかし、これはまだ高検にあるリストの開示に過ぎない。埼玉県警や狭山署、浦和地検にもまだ眠っている証拠がある可能性がある。全証拠リストの開示が必要だ。
更に言うなら、これらはまだ証拠の開示ではない。本当に必要なのは全証拠の開示である。リストの開示をバネとして全証拠の開示を実現しなくてはならない。しかし、1月22日のリストの開示を勝ち取ったことは大きな一歩には違いないと思う。
2月13日、弁護団は手拭についての新証拠と補充書提出した。新証拠は、開示された捜査報告書や弁護団調査に基づく報告書。新証拠は155点になった。
この手拭の疑惑についてはこのサイトでは何回か取り上げている。この前前ページ <50年> のところにも掲載した。
2月23日 弁護団、東京高検以外の証拠リスト開示勧告申立書、航空写真と筆跡資料の開示勧告申立書を提出。3月18日、航空写真112枚開示。
 3月24日 第22回3者協議。
写真ネガ1点の開示により開示証拠は165点になった。弁護団はこれを接写し精査することにした。しかし、開示を求めてきた4点の証拠物に関して、検察は石川さんの筆跡が存在するものはないと開示を拒否した。
第20回3者協議で、プライバシーにかかわると検察が開示を拒否した筆跡資料について、裁判所に提出し、裁判所が検討し開示されてきたことをふまえ、この方法と同様に裁判所で判断し開示するように求めた。
4月24日 1月に開示されたリストから石川さん宅の家宅捜査の時に家族から提出されたものがあることが分かった証拠物が13点還付された。これで開示された証拠は178点になった。
5月21日 弁護団は「車の追い越し」に関する新証拠17点と万年筆に関する新証拠2点を提出した。
「車の追い越し」 とは、これも前々ページに記載してあるが、「犯人」 しか知りえない 「秘密の暴露」 とはちゃんちゃらおかしい証言である。弁護団は、車と自転車による走行実験や関係者の聞き取り、当時の航空写真の分析などを行い、新証拠として提出した。
万年筆に関する補充書だが・・・6月26日の家宅捜索で勝手口の鴨居から万年筆は発見された。しかし、24日、25日の自白調書及び録音テープでは、石川さんは風呂場の入り口の敷居の上と言っている。取り調べの警察官も念を押して確認している。
24日の取り調べで書いたと警察が言う 「略図」 には、石川さんが鉛筆で書いた家の間取りはあるが、万年筆の隠し場所など示したものはない。あるのは、ペンで勝手口に書かれている万年筆らしきものである。同時に、「風呂場」「小島警部」 とペンで書かれた漢字があるので、これは警察官によって書かれたものと分かる。
つまり、石川さんの書いた略図に、勝手に 「勝手口」 に万年筆を書き加えた、証拠の改ざんである。開示された録音テープの内容などからして、万年筆の発見に関する疑惑 (このサイトの <万年筆> 参照) を改めて補充書として提出した。
5月25日 手拭に関する初期の捜査報告書2点開示。開示証拠は180点になった。
5月23日 徳島駅前
 5月28日 第23回3者協議
弁護団は、東京高検以外の証拠物一覧表の開示の必要性を指摘。殺害現場とされる雑木林を撮影した8ミリフィルムが存在するはず (実況見分調書に明記) なのに、検察は 「不見当」 という。なぜないのか合理的理由を説明すべきである。高検以外のリストの開示がその説明となるので、まず裁判所に提出することを求め、裁判所は検討するとした。
 6月29日 高裁第4刑事部 河合健司裁判長が交代 植村稔裁判長に。
7月21日 手拭の配布先についての5月7日付捜査報告書1通開示。これを新証拠として7月24日、補充書とともに提出、この関係の捜査書類の開示を求めた。
この開示された報告書には、石川さんの自転車を追い越したとされる自動三輪車に乗っていた一人が、手拭の配布先になっており、5月1日のアリバイ確認をされている。
つまり、寺尾判決で、石川さんの 「自白」(6月21日の日付) の後で 「車の追い越し」 という事実が分かり (乗っていた3人の調書の日付が6月27日) 「秘密の暴露」 だとされたものが、5月7日の時点で警察の把握するところになっていたということである。
これまで、予想通されていたことが事実となった。つかんでいた情報で、石川さんの 「自白」 を引き出し、傍証として利用したのである。「秘密の暴露」 でもなんでもない。
7月24日 万年筆 「略図」 に関する新証拠と補充書提出。
5月21日に開示された万年筆 「略図」 であるが、弁護団は赤外線写真撮影によって、ペンで書かれた線 (万年筆らしきもの) の下には、石川さんが鉛筆で書いた家の輪郭線しかなかったことを明らかにした。
つまり、石川さんはこの場所を特定したわけでもなんでもなく、警察が勝手にペンで書き加えたことが一層はっきりした。
そもそもこの略図は、重要な証拠である万年筆の発見にかかわるものだから調書に添付されていなければおかしい。しかし、これは2審になって小島警部らの証人尋問になって初めて登場してくる。証拠の改ざんを隠すために隠し持っていたのである。
弁護団は、略図作成、捜索、発見にいたる捜査報告書などの証拠開示勧告申立書を高裁に提出した。
 7月27日 第24回3者協議
植村裁判長は、証拠開示に関して、これまでの裁判所の姿勢を踏襲すると表明。車の追い越し関係の捜査書類の開示を検察側に検討するように要請した。また、検察は万年筆関係の捜査書類の開示については検討するとした。
これで、開示された証拠は181点、新証拠は176点になった。
8月8日 さやま夏の交流会
10月5日 万年筆関係証拠2点が開示された。石川さん宅の家宅捜査に従事した小島警部から1987年に検察官が聴取した供述調書とその時の検察官のメモである。
小島警部といえば、1986年に弁護団に対し、<捜査は徹底的に行われ鴨居も調べた。捜査責任者の自分が鴨居の穴のボロ布を引っ張り出し、「こんなとこも調べないとだめだ」 と部下をしかった> と証言した人物である。
その時に、「いやね、もう死ぬ前だから全部話すけど・・・ばちあたっちゃった」 と、相当に万年筆でっち上げを意識した話をしているのだ。検察の聴取はこれに慌てて行われたものだと思われる。
10月5日 検察は同時に意見書を提出、車の追い越し関係の捜査書類は 「不見当」 とした。弁護団は、10月7日、事件当時警察が何度も来たという人 (7月21日開示の手拭配布先の人) の聞き取り報告書を新証拠として提出。捜査書類はあるはずだと改めて開示勧告申し立てを行った。
10月9日 第25回3者協議
1月のリスト開示により明らかになったポリグラフ検査のチャート (記録紙原紙) について、検察は10月5日付意見書でチャート2本を裁判所に提出するとし、3者協議で弁護団に開示された。
また、開示を要求してきた4点の証拠について、裁判長から検察に、従来の方法での開示の検討を求めた。更に、高検以外のリスト開示について、裁判長は引き続き検討するとした。そして、車の追い越し関係の証拠開示についても検察に検討を要請した。
開示された証拠は185点、新証拠は177点になった。
10月28日 狭山県内集会
12月7日 車の追い越し、YNさん宅の東隣りの家の前の道での車の駐車についての証拠開示申立書提出。
12月21日 第26回3者協議
開示を求めてきた4点の証拠に関して、検察は再審請求と必要性・関連性がないという意見書を12月11日に提出していた。弁護団は開示を主張、改めて意見書を提出することを検討するとした。
車の追い越し、駐車にかかわる証拠について、検察は不見当と繰り返した。弁護団は、存在しないのならその理由や経過を説明すべきと追及、裁判所は検察に書面で回答するように検討を求めた。
植村裁判長は、秘密の暴露に関わる証拠開示が重要という裁判所の基本的立場は変わらないという旨を表明した。
第27回3者協議は2016年3月上旬と決まった。
一歩一歩は前進してきているようには思える。が、裁判長の交代は、結論の先送りになってしまうような気もする。
2016年2月5日 徳島狭山の会総会
第3次再審も、この5月で請求以来10年を迎える。今年こそ今年こそと毎年思うが、石川さんにすればその思いいかばかりであろうことか。本当に、今年こそとなるようにがんばらなくてはならないと思う。