袴田事件                             15/1/12
2014年、最も注目すべきことは袴田事件の再審開始決定だ。
3月27日、静岡地裁 (村山裁判長) は、
「 最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり・・・捜査機関の違法、不当な捜査が存在し、又は疑われる。国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない。
・・・袴田に対して死刑判決が確定していることを考慮しても、袴田に対する拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである。」 
として、再審開始を決定、拘置の執行も停止しただちに釈放した。逮捕以来、実に47年7ヵ月ぶりのことである。
袴田事件については、このサイトでは <2007> で紹介している。だが、この後、2008年3月に最高裁の特別抗告棄却により第1次再審が潰えた。
弁護団は4月、静岡地裁に第2次再審を請求した。そして、2011年8月、「5点の衣類」 のDNA再鑑定の決定が行われた。2000年段階では鑑定不能とされていたものだ。
12月には、弁護側鑑定で、被害者の返り血を浴びたとされる 「5点の衣類」 から被害者のDNAはでなかった、袴田さん自身のものとされた血液と袴田さんのDNAは一致しなかったことが明らかにされた。
検察側鑑定については、再審開始決定は、かなりあいまいな検察側鑑定の結果によって弁護側鑑定の結果が否定されることはないとした。
2013年には裁判所の勧告を受け、600点の証拠が開示された。こうして、2014年3月27日再審開始決定の流れが形成された。
この再審開始決定の特徴は、何と言っても、「捜査機関によってねつ造された疑い」 として証拠のねつ造の可能性を認めたこと、また、拘置を続けるのは 「耐え難いほど正義に反する」 としてただちに釈放を決定したことだ。
何年も何十年も、狭山に関しては良心のかけらも見られない裁判官たちを見てきたので新鮮な驚きではあった。こういう裁判官もいるにはいるんだ・・・。
だが、ねつ造した捜査機関 (特に警察) に対して批判は展開しているが、裁判所の誤りについては流している。もっと丁寧に証拠をあつかっていたら・・・みたいな部分はあるが、司法の反省としてはあまりない。もっとも、様々事情を考慮してこれが限界だったのかもしれないが。
3月31日、検察は即時抗告をした。現在、東京高裁における抗告審の段階にある。
 狭山事件 2014年の攻防
2014年、弁護団は新証拠を着実につみあげてきた。また、全国各地で映画 「SAYAMA」 が上映された。石川さん自身の高裁前アピール行動も1月15日第16次~12月18日第21次まで26日間行われた。
2014年の主な動きをまとめると以下のようになる。
 1月15日 第16次高裁前アピール行動
 1月30日 弁護団、車の駐車 (秘密の暴露) について新証拠を提出
 1月31日 第16回3者協議
 3月27日 袴田事件再審開始決定 (静岡地裁)
 3月28日 第17回3者協議
 5月 7日 弁護団、浜田鑑定書、取調べテープ反訳書など新証拠提出
 5月23日 5・23市民集会 袴田さんアピール
 6月13日 第18回3者協議
 7月25日 弁護団、関巡査の捜査報告書を新証拠として提出
 8月20日 第19回3者協議
 9月11日 弁護団、脇中鑑定書 (取調べテープの分析) 提出
 9月17日 高裁、28点の筆跡資料開示
10月27日 検察、証拠リスト開示拒否の意見書提出
10月29日 弁護団、上記への反論書
        鞄自白の位置・経過等報告書を新証拠 (139点になる)
        最新補充書 提出
10月30日 第20回3者協議
10月31日 寺尾判決40ヵ年糾弾集会
12月18日 第21次高裁前アピール行動
 浜田鑑定書
5月7日、弁護団は奈良女子大・浜田寿美男名誉教授の鑑定書を提出した。
2010年5月13日に開示された36点の証拠の中に11本の取調べの録音テープがあった。1963年6月20日~25日までのものである。このテープをおこしたもの (反訳) をもとに、浜田名誉教授に鑑定をしてもらった。
だいたい、反訳の一部をみても、石川さんの供述は断片的で、警官の言うように (示唆通りにと言っていい) 供述をころっと変えたりしている。これが、供述調書になると石川さんの方からすらすらしゃべったようになっている。
浜田名誉教授は、このサイトでもとりあげてきた  「自白」 と証拠の矛盾の数々を反訳をもとに、心理学的に分析した。
「狭山事件・請求人取調べ録音テープの心理的分析」 と題した鑑定書では、つまるところ、石川さんの 「自白過程」 は 無実の人の 「虚偽自白過程」 と結論付けられた。
 関巡査報告書
弁護団は、7月25日、「被疑者石川一雄が取調の合間に本職にたいして語った言動について」 と題する関巡査の報告書を新証拠として提出した。これは、1963年6月23日の報告書で、石川さんが 「単独犯行自白」 を始めたとされる時のものである。
この時、石川さんは関にたいして、「Yちゃんはどうなっていたんべい。それを教えてくれればわかるんだ」 と尋ねたと書かれている。つまり、警官に死体の状況を聞いたということになる。
関は、2審第5回・6回公判 (1965年9月) でも同様の証言をしており、こうしたやりとりのあったことは確実なことが明確になった。もっとも、こうしたことはこれまでにも分かっていたことではある。今回は、関報告書という形で言わば敵方の文書で明白になったのだ。
これは更に警察側の偽証も暴くことになる。石川さんは関に教えられたことをもとに、その後の長谷部警視らの取調べによって 「自白」 させられていく。
第2審第5回公判をうけ不安になった原検事は長谷部、青木、遠藤の 「自白」 ねつ造3人組の事情聴取を行った。3人は、石川さんの 「単独犯行自白」 は3人に対して行われたものであり、関はいなかったと述べている。
そして、検察・警察が結託し、第7・8・9回公判で青木、長谷部は、石川さんは 「自発的に供述」「すらすら自白」「死体の状況をよく知っていた」 と証言した。明らかに偽証である。これらを信用できるとした寺尾判決、何をかいわんやである。
 証拠開示
この間の3者協議において、弁護団は検察にたいして繰り返し証拠開示を迫ってきた。しかし、検察は決定的に重要な証拠については、ないとか探したが見つからないとか、開示の必要はないとか言ってきた。
この未開示の証拠の中に筆跡資料があることが分かっていた。検察は、第3者のものでありプライバシーにかかわるから開示できないとしてきた。だが、弁護団の要求の前に、ついに6月の第18回協議で、検察から裁判所に提出し、裁判所が開示するかどうか検討することになった。
8月の第19回協議において、筆跡資料について高裁は開示の方向で検討中とした。同時に、検察に対し、証拠リストについて開示の方向で検討してほしいとした。
こうして、9月17日、検察が裁判所に提出していた筆跡資料が全て開示された。一部は開示済みのものもあり、新たなものは28点であった。
一方、証拠リストについては、10月の第20回協議の直前になって、検察は証拠リストの開示勧告はなされるべきではないという意見書を提出した。弁護団はこれに反論、第20回協議の中で高裁も検察にたいして再考を求めた。
第3次再審は確実に山場に向かいつつあると思われる。2015年、何とか再審の扉をこじ開けたいものだ。袴田事件に続き!