攻 防                               12/11/15
2010年5月13日、狭山事件においては実に22年ぶりに証拠開示が行われ、再審開始に向け大きな一歩が切り開かれた。
弁護団は、これらをもとに次々と新証拠を提出してきた。そして、2012年9月までに3者協議も11回を数えた。ここでは、この3年間の攻防を見る。
「狭山差別裁判」433号、解放新聞2588号 参照
2010年  5月13日 第3回3者協議 東京高検36点の証拠開示
 8月27日 弁護団意見書 「不見当」に対する釈明要求
 9月13日 第4回3者協議
12月14日 弁護団、5月に開示された石川さん上申書と脅迫状が異筆とする遠藤第2鑑定、魚住第2鑑定提出
12月15日 第5回3者協議 高検、3項目「不見当」
2011年  2月 4日 弁護団、検察回答への反論意見書
 2月24日 スコップ指紋検査報告書等の開示勧告申立書
 3月23日 第6回3者協議。検察官意見書。ルミノール検査に関する検察官報告書など3通証拠開示。開示証拠に基づく小野瀬鑑定(筆跡)などの新証拠提出。
 5月10日 岡田雄一裁判長から小川正持裁判長に交代
 5月18日 検察官意見書に対する反論書提出。雑木林のルミノール検査の捜査書類、スコップ指紋検査報告書等の開示、ONさんの証人尋問を求める。新証拠(法医学鑑定書)提出。
 7月13日 第7回3者協議 検察官意見書(証拠開示不必要)
 8月 9日 弁護団、検察官意見書に対する反論意見書提出。あらためて、スコップ指紋検査報告書、3物証に関わる証拠開示要求。
 9月28日 第8回3者協議 検察官意見書。スコップ指紋検査報告書など「不見当」回答。裁判所は「秘密の暴露」(3物証)に関わる証拠開示の検討を検察に促す。
10月 4日 第8回3者協議をふまえ、スコップ関連の捜査書類、「犯行現場」特定のための捜査書類などの証拠開示勧告申立書を提出。
12月14日 第9回3者協議 14点の証拠開示
2012年  3月30日 検察官意見書3通(筆跡、殺害方法について、弁護側鑑定に反論)提出
 4月19日 弁護団、再審請求補充書、証拠開示勧告申立書、ONさんの証人尋問の早期実施要請書等を提出。
 4月20日 証拠開示法制化を求める署名74万筆国会に提出
 4月23日 第10回3者協議 19点の証拠開示
 5月30日 検察官意見書1通(スコップ付着土壌)
 8月14日 上に反論する大橋第2意見書、補充書提出
 8月30日 佐竹鑑定(筆跡)提出。指宿信・成城大学教授による証拠標目の開示の法的根拠意見書を提出。
 9月 7日 検察側意見書(筆跡)に対する魚住意見書提出。検察側手持証拠一覧提示を求める開示勧告申立書
 9月26日 腕時計関係新証拠、補充書提出。手ぬぐい関係書庫開示勧告申立書。
10月 3日  第11回3者協議 4点の証拠開示
東京高検は、3者協議の中で、小出しに証拠開示をしなければならなくなっている。だが、肝心のものには「不見当」と言い続け、証拠開示は不必要という態度をとり続けている。
そればかりか、2011年7月には、警察庁科学警察研究所技官作成の筆跡に関する意見書、2012年5月には同じく科研技官のスコップ付着土壌に関する意見書を提出し、反論してきた。
さらに、2011年3月と2012年3月には、あの御用学者石山昱夫・帝京大学名誉教授の意見書を死体と殺害方法に関する弁護団鑑定に対する反論として提出してきた。本当に、ええかげんにせえよってなもんだ。
筆跡鑑定は、2010年5月13日に47年ぶりに開示された、1963年5月23日に逮捕後、当日に書かされた上申書と脅迫状をめぐって行われているが・・・違いは一目瞭然だ。このサイトでもさんざん検討してきたが、本当に専門家の鑑定によるまでもない。
2010年5月13日開示された、逮捕当日書かされた上申書 ↑
脅迫状 ↓    これが、同一人物の文字か!
 腕時計に関する新証拠
9月26日、弁護団は、2人の時計修理士、専門家に実物や写真を見てもらった腕時計に関する新証拠を提出した。
腕時計のバンド穴は、使用頻度の高い方から、バンド穴の周辺の皮繊維がほぐれ、また当初の丸い形状が楕円形状になるという。
2人は、バンド穴の変形、穴の縁の破損を調べ、バンドの先端(剣先)から4番目と5番目の穴が使用されていたことを明らかにした。しかも、最も多く使用されていたのは4番目であった。
もともと、この腕時計は、発見場所、発見者、石川さんの「自白」(道の真ん中にすてた)、品ぶれが違っていたなどいわくつきの「物証」である。
また、7月2日に発見されたことになっているが、石川さんは6月26日ごろ取り調べの中で見せられて、実際にはめてみて、「ぴったりだったから、YNさんも案外腕が太いな」 といってみんなで笑ったと、二審で証言している。
そして、穴が2か所大きくなっていて、YNさんのものではないと思われた。だが、YNさんの姉が、自分も使っていたと裁判で証言した。剣先から4番目が姉で、3番目がYNさんだと言ったのだ。寺尾判決もこれによっている。
しかし、今回、4番目と5番目が使われており、しかも姉が使っていたという4番目の方が使用頻度が高いことが明らかになった。やはり、YNさんのものではなかった。
3大物証の虚構の一角がまたもや突き崩されたのだ。