2008年                             09/2/23
2008年で最も大きな動きは・・・何と言っても、石川さんが念願のパスポートをとりスイス・ジュネーブに行き、国連自由権規約委員会の委員に、直接、無実であること、そして証拠開示を求めることを訴えたことだろう。
10月12日~18日のことだが、とにかく念願の一つがかなったことと思う。石川さんは、15日に発言し、訴えの最後を “I am innocent.”(私は無実です) と英語で結んだという。
これをうけ、10月30日、人権規約委員会から日本政府に対して、狭山事件に関連するものとしては 「代用監獄の問題点や、被疑者の権利として警察がもっているすべての記録にアクセスできるように保障されるべき」 と証拠開示の勧告がなされた。
前々から、石川さんはパスポートをとって国連に行って訴えたいと言っていた。以前は難しかったことのようだが、決してあきらめない石川さんの闘いがついにパスポート発行を実現させたのだ。
この 「国連訪問記」 は、早智子さんのHP 「冤罪 狭山事件」 に載っている。ぜひ、ご覧になってください。
第3次再審を巡っての動きとしては・・・
2008年、狭山弁護団は5月23日に4通、8月13日に3通の鑑定書・新証拠を提出した。遅ればせながらこれらを紹介する。
なお、2007年3月30日提出の新証拠については今まで触れていないのでこちらを先に紹介しておく。
 2007年3月30日
 上山実験鑑定書 (06年11月4日)
上山滋太郎独協医科大学名誉教授作成の死体の逆さづりについての鑑定書。人間の体に似た豚の逆さづり実験を行なった。ダミー人形逆さづり実験、生体逆さづり実験の結果も考慮して分析。
足首を木綿ロープで縛って逆さづりした場合、3日後でも痕跡が残る。YNさんの死体にはそんな痕跡はなかった。つまり、逆さづりはなかった。自白は事実ではない。
 安岡第2鑑定書 (07年3月27日)
音響工学の専門家・安岡正人東京大学名誉教授作成の 「『犯行現場』 における悲鳴の伝搬・認知に関する報告書」 である。
石川さんの自白どおりにYNさんが悲鳴をあげれば、想定される影響 (風、地形、降雨、暗騒音など) をすべて考慮してもそばの畑で作業をしていたONさんに十分な音量で到達し、認知できる。
音響学的に見ても 「悲鳴」 に気づかなかったり、「誰かが呼ぶような声」 に聞き違えることはない。従って、石川さんの自白は事実ではない。
 ONさんの供述調書 (07年3月6日)
事件当日、「誰かが呼んだような声」 を聞いたがそれは悲鳴ではない。悲鳴を聞いたのであれば妻と話しているはずだがそんなことはなかった。
・・・ON証言については、既に第2次再審の時の新たな証言も含めて紹介してある。いかに、裁判所の側がON証言をねじまげ、あまつさえ石川さんの自白を裏づけるものとさえ言ってきたか・・・。
確かにONさんは 「誰かが呼んだような声」 を聞いたとは言っている。しかし、その時に見た方向は 「親戚の方向」 であり、まさに犯行現場とされた雑木林の反対の方向なのである。
人が音源を識別するのは、2つの耳が受ける音の微妙な時間差と大きさの差を認識するからで、音源と知覚が90度以上ずれることはない (安岡第2鑑定)。
つまり、ONさんの畑のそばの雑木林は殺害現場ではない。
 5月23日 殺害方法・死体処理・犯行現場
 ONさんの弁護人への供述調書 (08年4月30日)
「誰かが呼んだような声」 がした時、親戚の家がある方向を見たが、それは雑木林の反対方向であることを図面上でも明らかにした。
「女の悲鳴のように聞こえたかもしれない」「妻が変な奴に襲われたのではないかと感じ」 といったONさんの供述が誘導されたものであることを明らかにした。
 弁護人作成 木綿細引紐発見場所報告書 (08年5月16日)
5月5日に発見された木綿細引紐は、「犯行現場」 のYNさんを縛った松の木と殺害場所の杉の木の中間地点にあった。
捜査当局は、この紐の発見からここが殺害場所と推定し、ONさんに対し 「誰かが呼んだような声」 が <妻が襲われたような感じ> がしたとか <悲鳴らしき声> を聞いたとかいうような供述を誘導しようとした。
 関根鑑定書 (08年5月7日)
赤根敦 関西医科大学法医学教室教授作成の <殺害方法・死体処理・後頭部の傷> に関する鑑定書。 
確定判決である寺尾判決では、五十嵐鑑定に基づき (石川さんの 「自白」 もこれに基づいて 「右手で首を締めた」 となっている) 殺害方法について 「扼殺」 とされた。
弁護団は2審で五十嵐鑑定に対して上田鑑定を提出し 「絞殺」 を主張した。寺尾判決はこれに押され <窒息死には違いがないから、手でやろうがなんでやろうが、関係ない> という内容になっている。
弁護団は、第1次再審で上田第2鑑定、青木意見書、木村意見書、上山第1鑑定を提出。いずれも軟性索条物による 「絞殺」 を主張した。
最高裁は、第1次再審特別抗告棄却決定で、「犯人が被害者の頸部に加えた暴行は絞扼の併用である可能性もある」 と初めて絞殺の可能性を認めた。が、それは石川さんの 「記憶の混乱」 のせいだと開き直った。
だが、確定判決が揺らいだことには変わりない。あせった検察側は、第2次再審で石山鑑定を提出。扼圧 (手などで圧迫) と絞圧 (紐などで圧迫) の併用を主張した。
つまり、扼圧の上にYNさんのブレザーの襟をつかんで締めた絞圧も加わったという、自白にも全く出てこない話をもちだしてきたというか、ひねりだしてきた。ここまでくれば、もうなんでもありという感じだ。しかし、第2次再審特別抗告棄却決定はこの石山鑑定の 「見解は首肯でき」 とした。
赤根鑑定は石山鑑定の誤りを指摘している。
C1は6.2cmの生前の傷だが、石山鑑定はこれをブレザーの襟で締められた時に首をふってできた傷とした。
しかし、ブレザーの襟をつかみながら前から手のひらなどで首を圧迫するという石山鑑定の殺害方法はそもそも成り立たない。襟をつかんで前から押すと首の後に緩みができ締められない。襟をつかんで前に引っ張ればやはり締められない。襟で傷がつくことなどないのだ。
YNさんの首にあった痕跡 (上山鑑定による)
石山鑑定は赤色線条痕を首にまかれた細引紐によるものとし、死体がうつ伏せで首が少し前屈していたから皮膚同士の圧迫で蒼白帯ができたと主張した。
赤根鑑定は、皮膚同士の圧迫ではこれほど広範囲の蒼白帯はできないこと、また、細引紐の線条痕が蒼白帯の中にあることから石山鑑定の矛盾を指摘した。
つまり、石山鑑定のいう皮膚同士による圧迫ならば・・・実は、細引紐によって皮膚同士の圧迫が妨げられるので蒼白部はできないはずなのだ。
赤根鑑定の結論は、両手で布や帯のような軟性索条物の両端を握り、首の前に押し当てて圧迫し窒息死させた絞殺であり、C1はその索条物の上縁でできた傷としている。
また、死斑の状況から寺尾判決の認定の誤りを指摘した。
死斑は死後30分ぐらいから出現し始め、2~3時間で明瞭になる。が、死後4~5時間までは死体の向きを変えるとそれまでの死斑は消え新たな場所に出現する。死後8~10時間過ぎると、一度できた死斑はそのまま残り、死体の向きを変えるとまた新たに死斑ができる。これを 「両側性死斑」 という。
YNさんの体には、うつ伏せ状態で埋められていたので体の前面に死斑があった。が、背中側にも死斑があり、仰向けにされていた時間帯があったことが分かっており、これまでも争点になってきた。
 「死斑の状態からして逆さ吊りはなかった」 という弁護団の主張に対して、寺尾判決は、<死体は芋穴の中で、死体全体が仰向けに底についていたか、頭から腰までが仰向けに底についていて足だけが持ち上げられた状態にあった> 可能性を言ったりもした。
赤根鑑定は、仮に両側性死斑ができる時間を早めて6時間としても、寺尾判決の認定どおり <午後4時半殺害~9時死体埋没> ならば、背中側の死斑は消えているはずで、確定判決には誤りがあることを明らかにした。
さらに、血痕の問題がある。YNさんの後頭部の傷から石山鑑定は20ml の血液が出たとしている。 (第1次再審の時の上山鑑定では50~200cc)。だが、頭毛の中に留まったとする。
しかし、赤根鑑定は石山鑑定には根拠がないとしながらも、仮に20mlであったにしても、外に流れ出た・飛び散った可能性が高いことを明らかにした。つまり、次のルミノール反応実験とあわせれば、雑木林は殺害現場ではない、芋穴に逆さづりしたこともないことが分かる。
 N実験結果報告書 (08年3月14日)
N元科学捜査研究所法医係主任研究員作成のルミノール反応に関する実験結果報告書。 
寺尾判決では、ルミノール反応検査もしていない捜査上の不備を言われた警察だったが、実はちゃんと検査していた。
1984年、埼玉県警のM元鑑識課員が弁護団に 「犯行現場の血痕検査をしたが陰性だった」 と証言。1985年2月、国会で法務刑事局長が 「ルミノール反応検査報告書はある」 と答弁。
1986年9月、検察庁は 「反応はなかったという」 芋穴のルミノール反応検査報告書を開示。しかし、雑木林の検査報告書はないとつっぱねた。だが、M元鑑識課員は2007年3月にも、殺害現場とされた松の木も調べたと証言した。陰性だったから開示しないと思われる。
開示された検査回答書は1963年7月5日付けで、狭山署長名の依頼は7月4日付けになっている。5月1日からするとおよそ2ヶ月後である。
実験は、2007年5月8日、狭山市内で行われた。2ccの血液と凝血片、また1万倍と2万倍に薄めたものをそれぞれプランターや地面にまいた。
7月19日、ルミノール検査をしたところ、いずれも陽性反応が出た。この間の雨量は379mm、事件当時の5月1日~7月2日までは344mm。
要するに、雨ざらしの微量の血痕で2ヶ月後でもルミノール反応は検出される。ルミノール反応のなかった芋穴に死体を隠したことはありえないことが証明された。
 8月13日 筆跡・目撃証言・犯人の音声の識別
 魚住筆跡鑑定書
魚住和晃神戸大教授作成筆跡鑑定書。これまでにもさんざん筆跡に関する鑑定書を紹介してきたので要点に留める。
魚住鑑定は、スキャナーで取り込んだ高精度の画像データをもとに、脅迫状の固有の書き癖 (固有筆癖) を確認し、石川さんの文書と比較対照した。
結果、8項目の固有筆癖の異筆性を確認・・・脅迫状は石川さんが書いたものではないことを明らかにした。
小さい円転半径・・・脅迫状は著しく小さい (す お よ・・・の○部)
縦画の横画に対する長短・・・脅迫状は、円・門など第1画が上下に長い
「も」 の連勢と 「し」 部の流動性・・石川さんには 「し」 の流動性はない
横画の右上がり度と放射性の有無・・・脅迫状は40度前後右上がり(子)
「さんずい」 の運筆・・・脅迫状は続け書き、石川さんは違う
「時」 の 「寺」 部について・・・脅迫状は 「寺」 の2番目の横画が短い
「れ」 「わ」 の第3筆の短さ・・・脅迫状は第3筆が異常に短く、著しく縦長
「ら」 の収筆のはね出し・・・脅迫状は 「ら」 の長い方がはね出していない
 原鑑定書 (目撃証言に関する心理学鑑定書)
原聰駿河台学教授作成鑑定書  「U供述の信用性に関する心理学的鑑定書-同一性識別に関して」。
寺尾判決は 「自白を離れて客観的に存在する証拠」 として <脅迫状および封筒の筆跡、地下タビ・足跡、血液型、手拭い・タオル、スコップ、KU証言、犯人の音声> を挙げている。
原鑑定は、このうち <KU証言> について検討した。このサイトでは、寺尾判決に関する検討の中で、<無実の証> の一つとして <音声・KU証言> のところで既に検討しているものである。
ボクはKU証言は偽証の可能性が高いと思うが、もし事実とするとということで原鑑定は行なわれている。
KUが石川さんを初めて見たのが6月5日、取調べ中である。さんざん、石川さんが犯人と騒がれている中で、5月1日に犯人らしき人物を目撃したと6月4日に届けた後のことである。
こういう状況に中で行なわれた単独面通しが、強い誘導や暗示をもたらすことは素人にだってわかる。原鑑定は、KU証言はこうした単独面通しという、同一性識別手続きを用いた結果であり、証拠価値はないか極めて低いとしている。
 厳島鑑定書 (耳撃証言に関する心理学鑑定書)
厳島行雄日本大学文理学部心理学研究室教授作成鑑定書  「狭山事件における同一性識別に関する鑑定書」・・・犯人の音声の識別に関する心理学鑑定書。
「耳撃証言」 という聞きなれない言葉が出てきたが、目撃に対して耳で聞くから 「耳撃」 というらしい。
佐野屋で犯人の声を聞いたYNさんの姉とPTA会長HMの証言のことである。これも、このサイトでは <音声・KU証言> で検討してある。
厳島鑑定では、アメリカの論文から耳撃証言の問題点を指摘。
声より顔の方が同一性識別は優れている。
事後の誤った情報により記憶内容が歪められる現象が生じやすい。
よく知っている人物かとりわけ特徴的な声以外は困難。
ささやき声、低い声などは偽装効果をもつ。
音声による年令識別はむずかしい。
日時の経過で記憶は薄れ、3週間たつと同一性識別は著しく低下する。
音声の単独識別は暗示効果を与え、識別を誤る危険が大きい。
これらを2人の証言にあてはめると、既に検討してあるとおりである。鑑定結果は、この耳撃証言は何の証拠価値もないということである。