第3次再審請求 06/7/15 |
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2006年5月23日、石川さんと弁護団は東京高裁 (第4刑事部・仙波厚裁判長) に対して第3次再審請求を行った。いよいよ新たな闘いの幕が切って落とされた。 |
第3次再審請求にあたって、数点の新証拠が提出された。遅ればせながら、資料と第3次再審請求書 (以下、「3次請求書」) に基づいて紹介する。 |
第2次再審請求の段階で提出されているものも含まれている。が、それらは第2次再審請求の段階で検討されなかった (無視された) ものや、不当な扱いを受けた (ただ言及されただけ) ものである。 |
したがって、新証拠としての価値を有するものとして今回提出されることになった (このサイトでは既に紹介してある)。 |
なお、実はきちんと理解できない部分もある。次の半沢鑑定ででてくる 「ベイズの定理」 なのだが・・・後日の加筆ということでご容赦願いたい。 |
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半沢第2鑑定・第1鑑定 |
半沢さんは金沢大学大学院助教授の数学者。第2次再審の異議審段階で2000年3月31日付けの 「半沢鑑定」 を提出されている。 |
今回 「第2鑑定」 が出されたので、2000年の鑑定を以後 「第1鑑定」 とするが、これは実に分かりやすいものだった。<異議審/半沢鑑定> を参照していただきたい。 |
第2鑑定は、「類似点と相違点が並立する脅迫状と石川一雄氏筆跡を、同筆とした狭山事件の筆跡鑑定は妥当か」 (3次請求書) を問うものである。 |
警察・検察側の鑑定には、1963年6月1日付けの 「関根・吉田鑑定」、同年6月10日付け 「長野鑑定」、2審段階での1966年8月19日付けの 「高村鑑定」、第2次再審請求中の1988年1月18日付け 「高澤鑑定」 ・・・まとめて4鑑定・・・がある。 |
これら4鑑定は、脅迫状と石川さんの筆跡の似たようなところだけ取り出してきて、違いについては無視したうえで同筆としている。 |
断っておくが、いくら似たところがあっても・・・似たような字を書く人はいるもんだ・・・必ずと言っていいくらい違うところがあれば別人だということになる。 |
もっとも、石川さんの上申書と脅迫状は見た目も感じも全く違う。これを似ているという人は、よっぽど先入観のある人・・・つまり、石川さんを犯人に仕立て上げようと思う人・・・だろう。 |
第1鑑定では 「な・け・す」 の右肩環状連筆などの相違点に注目して鑑定を行った。第2鑑定では、4鑑定の指摘する類似点を認めた上で、4鑑定が類似とする 「か・な・わ・ら」、第1鑑定で相違を明らかにした 「な・け・す」 ・・・計6字を検討の対象とした。 |
なお、「な」 は両方にはいっているが、検察側鑑定では右肩環状連筆を無視し、「な」 の3画以降が 「子」 のようになっていることが類似と主張している。 |
これを、「ベイズの公式」 の変形の 「類似点と相違点が並立しているときの同筆性確率公式」 に数値をあてはめた。すると・・・石川さんが脅迫状を書いた確率は 0.047 (同筆の場合は 1) となり、4鑑定の誤りが確認された。 |
・・・・・ただし、ベイズの公式がきちんと理解できない。「高校ないし大学初級クラスの初等確率論のレベル」 というから、うん十年前には勉強したことがあっても不思議じゃない。だけど、あったとしても完全に忘却の彼方にある。 |
だから、ここは半沢さんを信頼するしかない。「3次請求書」 の説明だけではよく分からないのだ。もっとも、鑑定書が手に入り、ちゃんと検討すればきっとはっきりと分かるだろうが・・・(かな?) |
「・・・裁判所は4鑑定の証拠価値が揺るがぬものとして・・・(半沢第1鑑定) の証拠価値を認めなかった。しかしながら、半沢第2鑑定によって検察側4筆跡鑑定の誤りが客観的に明らかにされた以上、半沢第1鑑定が復権されるべきである。」 (3次請求書) |
「半沢第2鑑定は、科学的客観的方法によって脅迫状と請求人作成文書を同筆とした4鑑定の誤りを明らかにするとともに、両文書が異筆であることを厳格に証明した新規明白な証拠である。 |
半沢第1鑑定、その他控訴審以降の数多の弁護人提出済み筆跡鑑定を、今回提出の半沢第2鑑定に加えて総合評価されるならば、請求人が本件脅迫状を書いたものではないことは、さらに鮮明である。 |
本件について直ちに再審が開始されるべきである。」 (3次請求書) |
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内山・熊谷意見書 |
「筆記能力に関する意見書・・・脅迫状・石川一雄作成文書・識字学級生による脅迫状書き取り実験文書に見られる用字・用語の 『誤り』 の分析」 という副題のついた意見書。 |
内山さんと熊谷さんは、大阪の部落解放・人権研究所識字部会で識字学級にかかわってきた方たち。 |
この意見書は、2003年9月30日、第2次再審特別抗告審で補充書とともに提出されていたものである。弁護団は、最高裁が、「石川さんには脅迫状を書く力があった」 とする東京高裁高木・高橋決定に追随することも想定し、そんなことをさせないために提出していた。 |
しかし、<「書字条件」/無視> のところで書いたように、最高裁島田裁判長はこの意見書を全く無視した。したがって、第3次再審請求にあたって新証拠として提出することになった。 |
この意見書は、まとめると、<識字学級生と石川さんには共通する用字・用語の間違いがあり (脅迫状にはない) 、事件当時、石川さんは非識字の状態にあり脅迫状は書けなかった> というものである。 |
たとえば (例は、もちろんこれだけではない)・・・以下 「3次請求書」 から・・・ |
① 助詞 「を」 の表記の誤り。「ひもをすてた→ひもおすてた」 |
② 撥音 (ん) の脱落。「にいさん→にさ」 「よんりんしゃ→よりしや」 |
③ その他語の脱落。「なおしに→なしに」 「ぎゅうにゅう→ぎうゆう」 |
④ 不用な送り仮名。「夜る」 「五月ツ」 「訳け」 |
⑤ 語尾につけられた余計な語。「ばしょ→ばしょう」 「いりそ→いりそを」 |
⑥ 長音の誤り。「ものおき→ものき」 「えきどおり→エきどんり」 |
⑦ 濁音・半濁音の誤り。「へりこぷたー→へりこふたー」 |
⑧ 拗音の誤り。
「ばしょ→ばしん」 「きんじょ→きんじ」 「じどうしゃ→じどんし」 |
⑨ 「う」 を 「ん」 と書く誤り。「うち→んち」 「ふうとう→ふんとを」 |
⑩ その他のひらがな表記の誤り。「しょうじさん→しよじんさん」 |
⑪ ひらがな字形の誤り。「ま」 (下の○部分が変) 「ぐ」 ( ゛が反対側) ・・・・・ |
ボクも長年識字学級にかかわってきたから、このような誤りは非識字者の誤る特徴であることは非常によく分かる。 |
このような誤りは脅迫状にはない。脅迫状は、当て字があるため拙劣に見えるが、実はきちんとした文章なのだ。非識字者の書いたものではない。 |
非識字者の場合、「用字・用語の誤り」 は、高木・高橋決定のいうように 「精神状態、心理的緊張の度合い、当該文書を書こうとする意欲の度合い、文書の内容・性格など、書字の条件の違いに由来」 するものではないのだ。 |
また、この意見者は、時間が経つに従い、石川さんの石川さんの筆記能力が発達していることも明らかにした。 |
調書につける地図を何枚も何枚も書かされたり、脅迫状を何度も何度も写させられたりしたことが、皮肉なことに 「役に立った」 。そして、起訴後、浦和拘置所で刑務官に文字を教えてもらいながら手紙を書くようになり、「向上」 することになったのだ。 |
具体的には・・・・・以下 「3次請求書」 から・・・ |
① |
助詞 「を」 を脱落するか 「の」 と表記していたが、1963年8月20日以降は、ほぼ正しく 「お」 と表記している。 |
② |
1963年8月20日以降の文書では、当初から見られた 「名詞」 につけられた不要な送りがな以外に、漢字の使用率が高くなったことにより、「動詞」 や 「副詞」 につけられた不要な送りがなが出現している。 |
③ |
名詞や動詞の語尾につけられた余計な語は、1963年8月20日以降見られなくなる。 |
④ |
1963年5月31日まで拗音が脱落するか 「ん」 で表記されていたが、同年6月18日以降、脱落しているものの数より、大きく表記するものの数が多くなり、同年7月以降、脱落は1例も見られなくなる。 |
⑤ |
「う」 を 「ん」 と表記する誤りは、同年6月25日以降の文書では見られなくなる。 |
⑥ |
同年6月22日までの文書では、平仮名に字形の誤りや極端にバランスの悪い文字が頻出しているが、同年6月23日以降は字形の極端な誤りが減り、徐々に字画線がなめらかになっている。 |
⑦ |
同年7月7日までの文書では使用漢字が極めて少なく、「画数の少ない漢字」 に字形の誤りが見られたが、同年8月20日以降、漢字の使用率が高くなり、「画数の多い漢字」 が出現するとともに字形の誤りが多数表れている。・・・・・ |
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つまり、事件当時、石川さんには脅迫状が書けなかったというわけだ。 |
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川向・加藤意見書~「文字習得能力及び文章構成能力に関する意見書」 |
川向さんは、識字問題の研究・実践に関わってきた教育学者。加藤さんは、福岡の識字学級に実際に関わってきた教師。 |
この意見書では・・・・・以下 「3次請求書」から・・・ |
① 日本の識字問題という観点から石川さんの識字能力を検討し、 |
② 漢字習得における学習のあり方や被疑者とされた当時の石川さんの識
字能力という観点から脅迫状と石川さん作成文書とを比較検討し、 |
③ 文章構成能力という観点から脅迫状と石川さん作成文書を比較検討し、 |
④ 脅迫状に不正確に使用されている漢字について検討し、 |
⑤ 脅迫状を書くために漫画雑誌 「りぼん」 からルビに依存しながら漢字の
当て字を引用・多用したことが了解可能どうかを検討した。・・・・・ |
そして、以下の諸点について結論づけた (上の番号とは一致しない) 。 |
① 逮捕当時、石川さんは非識字者であった。 |
② 石川さん作成文書に見られる誤字 (漢字) の理由 |
手本を見ながら漢字を書写したとしても、筆記能力の低い者が書写した
場合には正確に書写しきれず誤字が発生する。 |
脅迫状には明らかな誤字は存在しない。手本を書写した石川さんの文書
には多くの漢字の誤字が存在する。このことからも、石川さんが脅迫状の
作成者ではないことが明らか。 |
③ 脅迫状と石川さん作成文書には、文章構成能力という観点から、明らか
な相違がある。 |
④ 「りぼん」 からの漢字の書写は虚構である。 |
「非識字の状態にある者は、手紙を使用して脅迫行為をするよりも、むし
ろ電話で伝えるなど別の手段を考えるのが一般的である。脅迫状を書こ
うとすることは識字能力のあるものの発想なのである。・・・ |
『りぼん』 からルビを頼りに漢字を探し出したと仮定しても・・・1字の誤字
もなく訂正箇所もなく、1通の脅迫状を仕上げるということは、通常の識字
能力を持つ者にとっても簡単なことではない。まして識字能力の乏しい石
川一雄が、脅迫状を作成できたと判断するのは誤りである。」 (意見書) |
・・・・・なお、1963年7月1日付け 「脅迫文書の裏付調査について」 という捜査報告書によると、手本とされた1961年11月号の 「りぼん」 には、脅迫状に出てくる 「西武」 「刑」 の字はなかったとされていた。 |
これに基づいて、寺尾判決もテレビドラマで覚えたかもしれないとか、西武園によく行っていたから覚えたかもしれないなんて勝手なことをほざいていた。 |
しかし、一方では、石川さんが 「りぼん」 を手本に脅迫状を書いたのではない証としても主張されてきた・・・というか、ボクはそう思ってきたし、このサイトでもどこかに書いていると思う。 |
だが、今回再審請求にあたって見直したところ、「西武」 としてではないが、「西」 は 「西洋」 で2ヶ所・ 「西部劇」 で1ヶ所、「武」 は 「武士」 で1ヶ所存在することが確認されたという。 |
警官が、それこそ徹底的に調べたはずである。にもかかわらず見落とした。ルビを頼りに漢字を拾うことがいかに大変なことか分かろうというものだ。ましてや、非識字の状態にあった石川さんにできることではないのだ。・・・・・ |
⑤ その時の心理状態の変化によって 「書字・表記・表現の正誤・巧拙の程
度も異なり得る」 という裁判所見解について、以下のように指摘。 |
・心理状態の変化を言うなら、時間的にも切迫し、精神的にも興奮状態に
あるはずの脅迫状執筆時より、時間的に余裕もあり、より公的な性格を
もつ被疑者段階の文書の方が、書字・表記・表現全てに関し、正確かつ
丁寧であらねばならないはずだが、事実はその逆。 |
・「できごと」 という言葉を、「出来事」 と表記するか 「できごと」 「でき
事」 と表記するかは、その時の心理状況等によって変化するであろうが、
それは 「漢字→平仮名」 という方向での変化であり、常に平仮名で書くこ
とを基本とする助詞や助動詞を漢字で書く 「平仮名→漢字」 という方向
の変化は、故意でしか起こりえない。 |
⑥ 「読む能力」 と 「書く能力」 は異なる。 |
これは、事件当時の石川さんに脅迫状を書く力があったという主張を裏
づけるために KI供述調書をとりあげた島田決定に対する批判である。内
容的には <「書字条件」> のところで述べてあることとほぼ同じと思うの
で省略する。 |
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