「書字条件」 05/4/16・5/21 |
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島田決定 |
島田決定は、<脅迫状と石川さんの筆跡は違う、また、事件当時の石川さんに脅迫状を書くだけの筆記能力・国語能力はなかった> という弁護団提出の鑑定書・意見書を全て退けた。中には、無視したものもある。 |
そして、事件当時の石川さんには脅迫状を書ける力があり、「本件当時の申立人の国語能力が小学校低学年程度の低位の水準にあったなどとは到底認められない」 と断じた。 |
その根拠として、随所に散見されるのが 「書字条件の違い」 である。 |
「本件筆跡鑑定書等に共通する問題点」 (島田決定) から要約すると・・・ |
・・・石川さんの上申書は、「警察官2名、兄及び父親らが見守る中、約10分ないし20分をかけて作成した文書」 。 |
また、「脅迫状写しは、申立人が、昭和38年7月2日、勾留中に取調べの検察官から求められて脅迫状の内容を思い出して、万年筆を用いて再現したもの」・・・要するに書くところを人に見られていた。 |
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7月2日付・脅迫状を見て練習させられた後、書かされた 「脅迫状写し」 |
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「これら文書と他に人のいないところで自発的に作成されたことの明らかな脅迫状との間の書字条件には心理面等でかなりの相違があり、それに伴い、表現力、文字の正誤、筆勢の渋滞、巧拙につき差異が生じたとしても、何ら不自然とはいえない。 |
現に、申立人が起訴後精神状態が安定した時期に自発的に作成した、内田裁判長あて上申書、関源三あて手紙等では、自己の意思内容を的確に伝達するとともに、脅迫状程度の書字・表記を十分になし得る能力を示しているのである。」 |
また、上申書はその場で 「参照すべき資料もなく、即座に作成することが求められたことも影響」 しているが、脅迫状は、 「自白」 では 「りぼん」 を参考に、「3回の書き損じを経て4回目に書き上げた」 ものだから、「文章作成の条件」 はかなり違う。 |
「また、本件筆跡鑑定書等のうち、文書内容等に基づいて推測される作成者の国語能力から、筆者の異同を判別し得るとの立場については、同一人が作成する場合であっても、参考書物の利用、練習あるいは清書の有無又は文書作成時の心理状態等により、書字・表記・表現の正誤・巧拙の程度も異なり得るのであり、 |
また、ある文書では漢字で表記したことを他の文書では平仮名で表記したりすることも一般にあり得ることであるから、そもそも、限られた文書の記載のみから、その作成者の書字・表記・表現能力の程度・水準を厳密に確定することはできないと考えられる。」 |
そして、「原決定が指摘するような社会的体験、生活上の必要と知的興味、関心等から、不十分ながらも漢字の読み書きなどを独習し、ある程度の国語的知識を集積していたことがうかがわれる」 と続ける。 |
その上で、「当時の申立人の知的関心と文章体験をうかがわせるものといえる」 として、いきなり ID養豚場の経営者KI の 「昭和38年6月8日付け検察官に対する供述調書」 を持ち出すのである。 |
<石川さんが養豚場にいた時、歌の本とか週刊明星を読んでいた。報知新聞の競輪予想欄をみて印をつけていた。読売新聞も読んでいた。交通法規と自動車構造の本を貸したら、少し読んでいた> (KI 供述調書・要約) |
さらに、・・・「また、申立人は、起訴からほどない時期において、関あて手紙を始めとして自らの意思、感情を的確に表現する文書を作成し得ているのである。したがって、所論がいうように、本件当時の申立人の国語能力が小学校低学年程度の低位の水準にあったなどとは到底認められない。 |
本件筆跡鑑定書等は、以上の各文書間の書字条件の相違を考慮せず、あるいは、申立人の国語能力等が小学校低学年の水準にあるとの見解の下に、脅迫状は申立人により作成されたものではないと断ずるものであって、その内容には、上記の点に照らして基本的な疑問があるといわざるを得ない。」 |
要するに、石川さんには当時、脅迫状を書く力があったというのだ。 |
・・・・・しかし、この脅迫状の写しを見ていると、切なくなる。どうしてこんなものが存在しているのか・・・。 |
警察も、検察も、当時の石川さんに脅迫状が書けないという事実に頭を抱えたことであろう。せっかく自白をとったのに、脅迫状が書けないのではでっち上げが一目瞭然になってしまう。だから、本物を参考に、何度も何度も練習し書かされたものなのだ。・・・だが、脅迫状との差は歴然としている。 |
もちろん、島田裁判長は認めないだろうが、それこそ手本があり、何度も練習したものなのだ・・・これなら、「書字条件」 はどうなるというのだろうか。 |
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関宛手紙 |
「自己の意思内容を的確に伝達するとともに、脅迫状程度の書字・表記を十分になし得る能力を示している」 とされる関巡査部長宛の手紙である。 |
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1963年9月6日付・関巡査部長宛の手紙 |
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しかし、これにも手本がある。起訴後、浦和拘置所で、看守に手本を書いもらい、それを見て書いた手紙である。それは、看守も公判で証言している。 |
石川さんは、起訴された後はすることがなく、余った時間に手紙を書くようになった。書くようになったといっても・・・書きたい内容を石川さんが看守に言い看守が文章化する、それを手本にして書き写すということであった。 |
その1通である。だが、手本があったにもかかわらず、誤字が多いのに気づくだろう。特に、脅迫状の 「札」 と同じような 「礼」 の右側が違っている。 |
実は、同日に長谷部警視にも手紙を書いている。その内容は、関宛の手紙の最初の8行と全く同じなのである。つまり、手本を頼りに、「関長」 を 「課長」 にかえて書いているのだ。そして、その手紙でも、「礼」 は同じように間違っている。 |
つまり、手本を見てもなお、「札」 の右側と同じ 「礼」 の右側を間違うという状態だったということなのである。脅迫状の 「札」 はもちろん正しく書かれている。石川さんではないのだ。 |
長谷部宛には、関宛の手紙の後半部分、<「それから」 内の人につたエてください> からあとの宛先・署名を除く4行がない。ということは、この4行には手本がなく、そのまま石川さんの当時の筆記能力を表していることになる。 |
さっと見ても違いが分かるだろう。8行の方では、漢字としては間違っているが、「伝へて」 になっている。4行の方では、「つたエ」 「ツたエ」 となっている。また、文章の区切りを横線で表している。これが、当時の石川さんの筆記能力であったのだ。 |
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高木・高橋決定 |
脅迫状は犯人の残した唯一の物証ともいうべきものだけに、これまでも最大の争点であったと言っていいかもしれない。それだけに、弁護団は数多くの鑑定書などを提出し争ってきた。 |
第2次再審で、「りぼん」 をみて書いたという寺尾判決や上告棄却決定では持ちこたえられなくなった東京高裁・高木裁判長は、遂に脅迫状と上申書の違いを認めざるをえなかった。 |
そこで、苦し紛れに持ち出してきたのが 「書字の条件の違い」 である。 |
その上で、寺尾判決や上告棄却決定の認定をかなぐりすて、驚くべきことに、<事件当時の石川さんには脅迫状をかける力があった> と断定し弁護団の主張を退けた。 |
その根拠として挙げたのが関宛の手紙である。高木決定、曰く・・・ |
「関宛の手紙は、右警察署長宛上申書及びN宛手紙に比して、個々の配字、筆勢、運筆などの点で暢達であり、また全体的印象でも、明らかに書字として優っていると認められる。 |
請求人が前2者を書いてから右関宛の手紙を書くまで、僅か2、3か月程の時日を経たに過ぎないのであるから・・・この間の練習により書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛手紙の域に到達し得たものとは考え難い。」 |
脅迫状と上申書の違いは、「主として、書き手である請求人の置かれた四囲の状況、精神状態、心理的緊張の度合い、当該文書を書こうとする意欲の度合い、文書の内容・性格など、書字の条件の違いに由来するとみて誤りない」 とした。 |
さらに、「捜査官の目を強く意識しながら、心理的緊張のもとで、嫌疑事実に関して記した文書に見られる、書字形態の稚拙さ、交えた漢字の少なさ、配字のおぼつかなさ、筆勢と運筆の力み、渋滞などを以て、当時の請求人の書手・表記能力の常態をそのまま如実に反映したものとみるのは早計に過ぎ、相当でない」 と結論づけた。 |
つまり、見られていないとこでなら、石川さんは脅迫状を書く力があったと主張しているのである。 |
異議審では、高木決定とほぼ同じ文章で追随した高橋決定、曰く・・・ |
「関宛の手紙は、警察署長宛上申書及びN宛手紙に比して、個々の配字、筆勢、運筆等の点で暢達であり、また全体的印象でも、明らかに書字として優っていると認められるところ、 |
請求人が前2者を書いてから関宛の手紙を書くまで僅か2、3ヶ月程の時日を経たに過ぎないのであるから、この間の練習により書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛の手紙の域に到達し得たものとは考え難い」 |
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無 視 |
弁護団は、最高裁がこうした高木・高橋決定に追随することも想定し、2003年9月30日、最高裁に 「弁護人調査報告書」 (村本報告書) 、「筆記能力に関する意見書」 を提出した。 |
村本報告書では、関宛の手紙に関する分析を行っている。上記のように、関宛手紙には手本があること、そして高木・高橋決定のいうように、「明らかに書字として優っていると認められる」 という状態ではないことを指摘した。 |
また、「筆記能力に関する報告書」 では、大阪の識字学級で学級生を対象に脅迫状の書き取り実験を行い、非識字者の使用する用字・用語の誤りから、事件当時の石川さんは非識字の状態にあり、脅迫状は書けなかったということを明らかにした。 |
非識字者の場合、「用字・用語の誤り」 は、高木・高橋決定のいうように 「精神状態、心理的緊張の度合い、当該文書を書こうとする意欲の度合い、文書の内容・性格など、書字の条件の違いに由来」 するものではないことを明確にしたのだ。 |
さらに、5月21日の上申書から供述調書の図面の文字や関宛の手紙などの文書の表記の誤りを分析して、時間の経過とともに、石川さんの筆記能力が発達していることも明らかにした。 |
「僅か2、3ヶ月程の時日を経たに過ぎないのであるから、この間の練習により書字・表記能力が飛躍的に向上」 したとは考えられない高木・高橋ご両人だが、確かに石川さんは、「飛躍的」 とは言えないまでも、「向上」 したのだ。 |
「飛躍的」 という言葉の裏には、脅迫状と上申書、上申書と関宛手紙には大きな差があることを認め、短期間では埋められないほどの差だから、もともとそれだけの力があったのだとする悪辣な意図が透けてみえる。 |
しかし、調書につける地図を何枚も何枚も書かされたり、脅迫状を何度も何度も写させられたりしたことが、皮肉なことに 「役に立った」 。そして、起訴後、浦和拘置所で刑務官に文字を教えてもらいながら手紙を書くようになり、「向上」 することになったのだ。 |
にもかかわらず、島田裁判長は、以上の報告書・意見書を全く無視した上で高木・高橋決定を追認した。都合の悪いことにはほうかむり・・・これが 「最高」 裁とは、聞いてあきれる。 |
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KI 供述調書について |
この調書については、「関係証拠」 としてしか明らかにされていなかったが、既に第2次再審棄却決定 (高木決定) にとりあげられていた。 |
石川さんには小学校1年ほどの筆記能力しかなかったという弁護側の主張に対して、「仕事上あるいは社会生活上の必要からある程度の漢字の習得、書字が行われたことが、確定判決審の証拠から認められるのであって・・・」 と、反論した部分がある。 |
「・・・昭和37年秋から翌38年2月ころにかけて、ID養豚場に住み込みで働いていた当時には、歌の本、週刊誌、新聞の競輪予想欄等に目を通していたことも、関係証拠上明らかである」 とあり、KI の調書に間違いない。 |
この調書は、石川さんが犯人としてでっち上げられていった捜査の流れを明らかにするために、1998年8月4日付けで弁護団から再審請求補充書の付録として提出されていたものである。 |
もともと、第1審で検察側が 「被告人の性格、血液型等」 として証拠調べを請求したが、弁護側が不同意としたため撤回された証拠であった。したがって、過去の公判で事実調べは行われていない。 |
それを、弁護側の立証趣旨とは全く無関係に・・・というより逆の方向で、しかも、一部だけ取り出し、新たな事実認定を行うというのだ。曰く・・・ |
「弁護人は再審請求審でその主張する他の論点の裏付けとなる資料として上記供述調書を援用したものであるが、再審請求手続に上程した以上は、これを再審事由の存否等の判断資料として考慮することは許されると解すべきである。」 |
「判断資料として考慮する」 ことと新たな事実認定を行うことは全く別の話だ。弁護側が何の反論もできない状態で、一方的に、あたかも事実かのようにもちだしてくるなど、まったくもって 「許される」 ことではない。 |
供述調書どうりの事実があったのかどうか、まず、それを明らかにしなければならない。事実ではないかもしれないからだ。・・・また仮に、事実であったとしても、次のようなことを考慮しなければならない。 |
識字者は 「読む」 と書いてあることで、本当に 「読む」 ことを連想する。しかし、非識字者の場合、読んでいるように見えても、実はただ眺めているだけということだってあるのだ。 |
本や新聞だって、表題だけ読むとか、分からない漢字はとばして虫食い状態で読むとかということも考えられる。あるいは、写真などを見るだけとかということもありうる。もっといえば、読んでいるかのような素振りを見せることさえ考えられないわけじゃない。 |
さらに、交通法規の本は、 「少し読んでいた」 ということであれば、ほとんど読まなかったということである。おそらく手におえなかったのだろう。 |
ところで、読めることと書けることはイーコールではない。誰だってそうだろうが、読むことよりも書くことの方が難しい。 |
非識字者の場合、なおさらそうなのである。非識字の状態のレベルにもよるが、なんとか読めるけど、書けと言われると書けないという場合が多い。 |
つまり、事件当時の石川さんに脅迫状を書く力があったという主張を裏づけるために持ち出されてはいるが、この調書では何一つ確かなことは分からないのである。 |
この6月8日のKI の調書に対応するものとして、6月9日の石川さんの調書がある。KI 調書に対応する部分の石川さんの調書の要旨は・・・ |
<報知新聞は見たことはあるが、競輪の欄だけだ。前日のレースの配当の多い番号を見るだけで、選手の名前は読めない。新聞は何回か買ったが、記事は読まず、テレビ欄をみるためだ。自動車免許を取るための本を借りたことはあるが、読めないのでそのままもっていた> |
この調書も、後述するが、「石川さんが万年筆をもっていた可能性がある」 と認定した島田決定の別のところで使われている。しかし、上記の部分は無視してるのだ。島田決定に対する42年も前の反論だからだ。 |
有罪認定に都合よく調書を切り貼りする島田決定・・・ご都合主義もここに極まれりと言わねばならない。 |
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「呪文」 |
前述のように、第2次再審で東京高裁・高木裁判長は、弁護団提出の脅迫状に関する鑑定書・意見書に押されて、脅迫状と上申書の違いを認めざるをえなくなった。苦し紛れにもちだしてきたのが 「書字条件」 である。 |
高橋決定はこれに続いた。さらに、最高裁・島田裁判長もこれを追認した。 |
「書字条件」・・・まことしやかに聞こえるが、実は何も言っていないに等しい。 |
上申書を書いた時の 「条件」 が、石川さんにいかなる影響を与え、その結果がこのように表れているとかいうなら、正否はともかく理屈としては分かる。しかし、そうではないのだ。 |
「書字条件には心理面等でかなりの相違があり、それに伴い、表現力、文字の正誤、筆勢の渋滞、巧拙につき差異が生じた」・・・具体的には何も言えていない。抽象的な言葉の羅列であり、どうとでも受け取れるシロモノである。 |
こんなことを言ってたら、それこそ筆跡鑑定など何の意味もないことになる。検察側3鑑定も信用できないと言っているのに等しいことに思い当たらないのだろうか。 |
検察側鑑定の資料も、当然、島田決定いうところの 「書字条件」 の影響を受けているはずである。では、検察側鑑定は、「書字条件」 を考慮した上でなされた鑑定であろうか。そんなはずはない。 |
にもかかわらず、同筆とした検察側鑑定は採用する・・・あまりにも不公平極まる姿勢ではないか。 |
「書字条件」・・・異筆とした弁護側鑑定をただただ退けるために高木・高橋・島田裁判長とそれにつらなる裁判官たちが産みだした・・・ 「呪文」 である。 |
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