暴挙・暴論 05/4/16・5/21 |
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特別抗告棄却の暴挙 |
2005年3月16日、最高裁第1小法廷 (島田裁判長) は、突如として特別抗告を棄却した。暴挙である。 |
2004年10月29日に弁護団は最高裁に対して補充書を提出した。その時、2005年3月末までに新証拠を提出することを明らかにしていた。そして、その日程は3月24日と決まっていた。調査官もそれを確認していた。 |
また、翌3月25日には、「狭山事件の再審を求める市民の会」 が再審を求める署名を提出し、要請行動を行うことも決まっており、最高裁もこれを了承していた。 |
にもかかわらず、これらの確認を全てホゴにして、突如として棄却決定がうちだされてきたのである。これを暴挙と言わずして何と言おう。 |
齋藤一連鑑定は、真犯人の残した唯一の物証ともいうべき脅迫状と封筒に関するものだけに、石川さんの無実を示す決定的な新証拠であった。これを背景に狭山に新たな風が吹き始めていた。 |
2004年6月には、ルポライター鎌田さんの 「狭山事件・41年目の真実」 が刊行された。マスコミにも全国的にとりあげられ、狭山事件に関してこれまでになく好意的な記事が掲載されるようになった。 |
テレビ朝日は、2005年2月13日に 「スクープ」 で特番をくみ、石川さんに対する冤罪を明らかにし、これまでの裁判所の姿勢を明確に批判した。 |
そして、「市民の会」 が呼びかけた再審を求める100万人署名も展開され、再び、<狭山> は大きなうねりになろうとしていた。 |
新証拠の数々に追い詰められた最高裁・島田裁判長が、このうねりを今のうちに押しつぶそうとして、言わば先制的に打ち出してきたのが今回の棄却決定である。なりふりかまわぬ、くどいようだが、暴挙である。 |
3月17日には石川さんと弁護団などの緊急記者会見が行われた。3月22日には、緊急抗議集会が300人の参加で参議院議員会館で開かれた。 |
さらに3月25日には 「市民の会」 が35万人余りの署名を携え、最高裁に対する抗議行動を行った。また、これを前後して全国各地で抗議行動・集会が展開された。徳島でも、23日に約200人が参加し抗議行動が行われた。 |
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3月23日、徳島での抗議行動 |
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こうした中で、石川さんと弁護団は、第3次再審請求へ向けた歩みを開始した。2005年秋にも請求が行われる予定である。・・・いかんともしがたくくやしいが・・・それをバネに転じ、進んでいかなければならない。 |
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事実調べ・証拠開示 |
島田決定に至る過程で、まず大きな問題は、事実調べを全くしなかったことである。寺尾確定判決以降、実に30年以上も事実調べが行われていない。 |
この間、石川さんの無実を示す数多くの新証拠が提出された。しかし、東京高裁・最高裁は、専門家である鑑定人に対する尋問もせず 「判然としない」 、証人尋問もしないで 「記憶があいまい」 などと勝手に決めつけ、ことごとく退けてきた。 |
ただ、例外的に、第2次再審の異議審で高橋裁判長が、足跡の3次元スキャナ解析を行った山口・鈴木鑑定人の話を聞きたいと言い、両鑑定人が1時間半にわたり鑑定内容の説明を行ったことがある。 |
しかし、これは批判をかわすためのポーズに過ぎなかった。高橋決定の内容がそれを示している。 |
事実調べを行い、証人・鑑定人尋問を行い、新証拠の数々を公正に見るならば、再審開始決定以外の結論はでなかったはずである。 |
第2の問題は、証拠開示が全く行われなかったことである。 |
1988年に 「芋穴のルミノール反応検査報告書」 が開示されて以降、17年にもわたって全く開示されていない。積み上げれば、2~3mといわれる未開示の証拠が眠っているのだ。 |
弁護団は、くりかえし証拠開示を迫ってきた。1985年2月には証拠リストも存在することがわかり、これも開示を迫ってきた。 |
しかし、検察側は頑なに開示を拒みつづけてきた。あくまでも、石川さんが犯人というなら、全ての証拠を開示し、それこそ正々堂々と闘えばいいではないか。卑怯なヤツラとしかいいようがない。 |
裁判所も裁判所で、一切、開示勧告をしていない。まさに、狭山事件に関しては、検察・裁判所は一体である。どちらも、冤罪を作り上げた責任を問われることになるから、同僚と我が身の保身に汲々としているのである。 |
これまで、わずかに開示された証拠の中に、ON証言をはじめ石川さんの無実を示す証拠があった。膨大な未開示の証拠の中には、もっともっとあるはずなのだ。証拠開示が行われれば、再審開始以外の決定はありえない。 |
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島田決定の特徴 |
以上の問題のふまえた上で、島田決定の第1の特徴は、何と言っても、新たな事実認定を持ち出してきたことにある。詳しくは後述するが、なんと、「石川さんが万年筆をもっていた可能性が高い」 というのである。 |
根拠として、ID養豚場のKI の供述調書と石川さんの調書をもちだしてきた。しかし、これは事実調べも行われていないことである。しかも、弁護側の反論の機会もないまま、一方的に認定した。 |
検察側が主張するというなら、正否は別として、理屈としては分からなくもない。しかし、裁判官が、何ら事実調べも行わないまま、一方的に認定するなど断じて許されることではない。 |
こんなことが許されるなら、それこそ裁判所が、恣意的な判断に基づいて勝手に事実認定を行い・・・さすがに、1審・2審ではそうもできないだろうが、事実調べをやらなくてもいいことになっている審理では・・・どんな決定でも出せるということになる。 |
「裁判」 もへったくれもないと言おうか・・・「裁判」 の名にも値しないことになる・・・確かに、<狭山> を巡る裁判は、今までもそうではあったが・・・。 |
第2の特徴は、第1とも関連するが、再審の理念を踏みにじる数々のこれまでの決定の中でも、悪質さにおいて突出した決定だということである。 |
1975年5月20日、最高裁第1小法廷で、再審開始には、証拠の新規性・明白性が必要と言われてきたことに対して、次のような決定が出された。いわゆる、「白鳥決定」 である。 |
<明らかな証拠かどうかは、新しく提出された証拠だけでなく他の全証拠と総合して判断し、確定判決の事実認定に合理的な疑いを生じさせるものならOKということで、再審開始にも 「疑わしいときは被告人の利益に」 という刑事裁判の鉄則が適用される> というものであった。 |
しかるに、島田決定は、証拠をバラバラに評価し、かつ、一部を全く無視し、その上で、「判然としない」 を連発し退けるという手口を使っている。 |
さらに、「確定判決の事実認定に合理的な疑いを生じさせるもの」 があり、「疑わしいときは被告人の利益に」 とするべきところを、全くの逆をいった。 |
例えば、石川さんの指紋が一切検出されないことに対し、「申立人の自白には出ていないからといって、申立人が指紋付着を防ぐ処置を講じていなかったとも決めつけるわけにはいかない」 などと、あくまでも石川さんを犯人と決めつける理屈を展開するのである。 |
再審の理念をドロ靴で踏みにじるが如き決定ということでは、これまでの第1次・第2次再審請求における全ての決定がそうであった。しかし、島田決定は、その悪質さにおいて、突出していると言っても過言ではない。 |
第3の特徴は、そうは言いつつも、弁護側の鑑定に追い詰められ随所で論理に破綻をきたしていることを、問わず語りに 「告白」 していることである。 |
が、その上で開き直り、場合によっては寺尾判決の認定をもひっくり返している。そして、あくまでも石川さんが犯人だと言い張るのである。この点でも悪質極まりない。 |
例えば、ことごとく齋藤鑑定を退けながらも、「仮に、齋藤鑑定が指摘するように 『少時様』 の 『少時』 がペン等で記載されており、また、その周辺に2条線痕を含む筆圧痕が存在するとしても」 と、完全には否定できなかった。 |
また、寺尾判決が 「本件脅迫状及び封筒の文字は被告人の筆跡であることには疑いがないと判断される」 とした警察・検察側3鑑定について、「一つの有力な情況証拠」 と証拠価値を低めていることにも表れている。曰く・・・ |
「もとより、筆跡鑑定は同筆であることの決め手となるまでのものではないが、3鑑定の結論はいずれも脅迫状の作成者が申立人であることの高度の蓋然性を示しており、これを申立人が犯人であることの一つの有力な情況証拠であるとした原決定の判断は正当である。」 (島田決定) |
くり返すが、島田決定は暴挙である。そして、悔しいことに、その暴挙を許してしまったという冷厳な事実がある。しかし、一方では、なりふりかまわぬ暴挙に出ざるをえないところまで追い詰めている、とも言えるだろう。第3次再審でこそ、とことん最後まで追い詰めなければ、と思う。 |
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島田決定が暴挙なら、その内容は一言でいえば暴論である。・・・言いたいことはいろいろあるが、とりあえず、<筆跡鑑定、斎藤鑑定に対する対応> について検討する。 |
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