荒縄・細引紐・風呂敷 05/4/4 |
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農道に埋められていたYNさんの死体の上には荒縄がおかれていた。 |
「死体と荒縄」 と言えば、死体を棒にでもくくりつけ、複数の人間が運んだのではないかということを連想してしまう。しかし、どうもそうではなさそうだ。 |
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荒 縄 |
死体の 「実況見分調書」 の所に書いてある様に、死体の両足首は木綿細引紐で 「ひこつくし様」 に締められていた。この細引紐に荒縄が結びつけられていた。また、紐の端にはビニール風呂敷の切れ端が結ばれていた。 |
荒縄は1本ではなく2本あった。荒縄の途中でくくってあるので、結び目からは4本の縄が延びていることなる。 |
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実況見分調書からたどると上の図のようになる。 |
しかし、この2本の荒縄は、実は9本の荒縄をつなぎ合せたものであった。直径1.5cmのものが8本と1.3cmのものが1本である。それが下図である。上図とは、起点のとりかたで若干数値が異なる。 |
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捜査本部もこれには困ったに違いない。何のために荒縄があるのか、しかも、このような複雑な状態で存在するのか分からなかったに違いない。 |
そしておそらく、荒縄が足首の細引紐につながっていることとビニール風呂敷が芋穴にあったことから、芋穴への死体の逆さ吊りという離れ業を思いついたのであろう。このストーリーに従い石川さんの 「自白」 が作られていく。 |
だが、荒縄やビニール風呂敷の状態は、真犯人の捜査を撹乱するための偽装工作であった可能性もある。荒縄などは殺害にも死体の運搬にも全く使っていない可能性だってあるのだ。もしそうであるなら、警察はまんまと乗せられたことになる。 |
石川さんの 「自白」 は、捜査状況に応じて二転三転させられるが、最終的には、荒縄は芋穴から200mほど離れた民家とその南隣の新築中の家から盗んだとなる。 |
復元によってそれぞれ19.87m、11.30m、合計31.17mとされた。しかし、死体の所にあったのは約24m。あとの7mはどこに消えたというのであろうか。 |
荒縄については、5月8日に、ある民家から、<5月2日の朝、花を踏まれないように杭を立て、その間に張っていた縄が全部なくなっていたことに気づいた> という情報があった。この家は犬を飼っていたが吠えなかったという。 |
石川さんを 「自白」 に追い込む中で、この情報が浮上してくる。そして、6月22日に被害届を提出させ、いよいよこれが死体の所にあった荒縄とされる。 |
しかし、東京高裁での第2審第17回公判で、この民家の住人は、「・・・はっきりこれであるかどうかは何とも申し上げられません」 と言った。また、隣の家の新築にあたっていた大工も同様であった。 |
ちなみに、細引紐であるが、石川さんは 「自白」 で一貫して 「麻縄」 と言っており、荒縄と同じ場所から盗んだと言っている。だが、紐は 「木綿」 であった。そして、上の二人は、「全然知らないもの」 と公判で証言している。 |
2審・東京高裁における 「死斑の状態からして逆さ吊りはなかった」 という弁護団の主張に対して、寺尾裁判長は、<死体は芋穴の中で、死体全体が仰向けに底についていたか、頭から腰までが仰向けに底についていて足だけが持ち上げられた状態にあった> 可能性を得意げに述べる。 |
そして、盗んだとされる荒縄と実際に発見された荒縄の長さの違いには、 |
「・・・芋穴まで持ってくる途中なり、あるいはつなぎ合わせる間に、1・2本を落とすなり、若しくはつながなかったと考えてもそれほど不自然ではない。そして、田舎の田畑や農道にこのような縄切れが落ちていたとしても、人々の関心を引く事柄でもない」 と想像。さらに・・・ |
「・・・太い方の荒縄の長さは前記のように合計約23・40mであるからこれを4重にして、これと、木綿細引紐の一方を輪にして被害者の足首を通したものの他の端とを結び合わせて被害者の死体を芋穴に吊り下ろして、 |
少なくとも頭の先から腰の辺まではその背部が穴底に着くようなかっこうで一時隠し置き、荒縄の他の端を桑の木に結び付けておいて引き上げに備えることは、芋穴の深さや桑の木までの距離等を考慮しても十分可能で、あえて宙吊りにしながら桑の木に結び付けるという困難な作業をする必要は更にない」 と結論づける。23.40÷4+細引紐・・・で、OKというわけだ。 |
しかし、4重というが、実際には上図のように長さが違うのである。上図で体全体が底についていたとしたら2本は長さが足りない。足の部分だけ吊り上げられている状態では1本が足りない。逆に長いもので1m78cm余る。 |
石川さんの 「自白」 によると、桑の木にくくりつけたら20cmほど余っていたというから、「自白」 とは矛盾することになる。単純な算数の世界ではないのだ。寺尾判決は、馬脚を表したとしか言いようがない。 |
石川さんは、「私は縄を探すためには、人の住んでいる家の方がよいと思って」 と 「自白」 させられている。だが、縄が必要なら、縄はあったのである。 |
芋穴から民家とは反対側の100mほど離れた茶畑に、縄が大量にしきこまれている所があり、石川さんは以前からそれを知っていた。わざわざ、倍も距離のある、しかも犬のいる民家の方へ行く必要など全くなかったのだ。 |
以上のように、発見された荒縄は、民家から盗まれたものではない可能性がある。また仮に、盗まれたものとしても、真犯人による偽装工作の可能性が高いと言わなければならない。石川さんの 「自白」 は、警察の思い描いた離れ業に合わせて誘導されたものである。 |
しかし、1977年8月9日の最高裁・上告棄却決定では・・・ |
「死体を芋穴に逆さ吊りしたとき用いた木綿細引紐及び荒縄は、その用いられたままの状態で死体埋没現場に遺留されていたと認めるのが自然であり、原判決の木綿細引紐及び荒縄の使用方法についての仮定は説明の不充分な点があるが、」 |
としながらも、結局、寺尾判決を追認した。また、第1次再審における各棄却決定もこれに続いた。 |
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木綿細引紐 |
木綿細引紐は2本あり、太さは0.8cmで、首にまいたものは145cm、足首につけたものは260cmあった。 |
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1審内田判決は、「附近の家屋新築現場にあった荒縄、木綿細引紐を使用し、死体の足首を右細引き紐で縛り」 と、細引紐の出どころを認定した。 |
しかし、2審では、荒縄が盗まれたとされた民家の住人と隣の家を建てていた大工によって、そこには木綿細引紐などなかったという証言が行われた。しかも、石川さんは、「自白」 では、「麻縄」 と言っている。 |
ここで、寺尾裁判長は、またもや石川さんを嘘つきにする。 |
「結局のところ、木綿細引紐の出所については確たる証拠はないといわざるを得ない」 と、これは認めた。だが、続けて曰く・・・ |
「思うに、脅迫文にみられるように、幼児誘拐の機会を窺っている犯人としてみれば、幼児を適当な場所に縛り付けておき、その間にかねて用意した脅迫状を届けようと考えて、あらかじめ木綿細引紐を持ち歩いていたことも考えられないわけではない。 |
殊に、脅迫状、足跡その他これまで述べてきた信憑性に富む客観的証拠によって、被告人と 『本件』 との結びつきが極めて濃厚となり、被告人が 『本件』 の犯行を自供するに至った後においても、木綿細引紐をあらかじめ持ち歩いていたというようなことは、 |
そのこと自体明らかに被告人に不利益な情状であり、ひいてそれが死を確実にするためこの木綿細引紐で首を絞めた紛れもない事実に結びつかざるを得ない以上、被告人としてその出所を明らかにしないのはそれなりの理由があるのである。 |
当裁判所としては、この疑念を否定し去るわけにはいかないのであるが、そうかといってそうと断定する確かな証拠は存在しないし、また、被告人が偶然どこかに落ちていたものを拾って使ったと考えても、物の性質上格別不自然ともいえない。 |
被告人の捜査段階における供述の内容には他にも不明な点があり、記録によって窺われるその供述態度を考え合わせると、木綿細引紐の出所が明確でないから被告人は 『本件』 の犯人ではないと一概にいうことはできない。」 |
一貫して 「麻縄」 という石川さんは、実際の状態を知らなかったのである。にもかかわらず、寺尾裁判長は、石川さんが、細引紐の出所を明らかにしないのには、「それなりの理由がある」 という。 |
殺人を 「自白」 しているのである。もし、「細引紐が首を締めた兇器」 となったとしても、その出所を隠す必要などいまさらないのだ。なにが、「それなりの理由」 であろうか。 |
また、仮に石川さんが細引紐を持ち歩いていたとしたら・・・ポケットが膨らんで歩きにくかったに違いない・・・YNさんを縛るときに、なにも手拭いを使う必要はない。寺尾裁判長だって、「幼児を適当な場所に縛り付け」 るために、細引紐を持ち歩いていたかもしれないと言ってるぐらいだから・・・。 |
しかし、ここではこのようにいいながら、一方では 「手拭いで縛り、タオルで目隠し」 を認める・・・一貫性のなさに自ら気づかないのか。 |
そして、細引紐の出所が明確でないからといって、「犯人ではないと一概にいうことはできない」 と、例の如く、否定の否定を用いて、石川さんを犯人と決め付けるのである。 |
最高裁は、上告棄却決定で寺尾判決を上回る驚くべき理屈を展開した。 |
「荒縄については被告人の右供述を裏付ける証言をしているが、木綿細引紐については両証人とも覚えがないと述べていて、結局、木綿細引紐についての被告人の供述を裏付ける証拠がない。 |
しかし、木綿細引紐と同時に入手したとする荒縄については確たる裏付けがあり、木綿細引紐の存在についても両証人とも積極的に否定しているわけでもないのであるから、木綿細引紐について裏付を欠くからといつて、直ちに被告人の自白が虚偽架空なものと断ずることは、相当でない。 |
いわんや、この点をとらえて、被告人が自己の体験しない事実を供述したが故に生じた齟齬であるとすることには合理的な根拠がない。」 |
なんと、細引紐の部分だけは石川さんの 「自白」 を信用し、そんなものはなかったという民家の住人や大工の証言を否定するという・・・離れ業をみせたのである。それこそ、なにをかいわんやである。 |
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ビニール風呂敷 |
これは、芋穴の中に放り込まれていた。また、その一部が細引紐にくくりつけられていてた。 |
この風呂敷が発見された直後、YNさんの兄KNは、この風呂敷はYNさんのものではないと言っていた。しかし、1審では、「ええ、そうです。色も間違いないように記憶しています」 と証言した。そして、自転車の前かごにいつも入れてあったというのだ。この変化はどういうことなのだろうか。 |
石川さんの 「自白」 では、「最初はビニールの風呂敷を引きしぼって縄のように丸め、それでYちゃんの足首を縛りビニールの端を麻縄に結びましたが、ちょっと引っぱったらビニールが切れたのでやりなおしたものです」 と、最終的にはなっている。 |
しかし、仮に引っぱって切れたというのなら、切れたところにその痕跡がなくてはならない。ビニールがひきちぎられれば、かならず引っぱられた方向に 「のび」 ができるはずなのだ。 |
しかし、このビニール風呂敷にはそんな痕跡はなかった。むしろ、刃物か何かで切ったと推測される状態であった。 |
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にもかかわらず、寺尾判決は・・・ |
「この点に関する被告人の捜査段階における供述に微細な点で多くの食い違いがあることは所論が克明に指摘するところであるが、」 と 「自白」 のおかしさを認めた。が、それは、「被告人の知覚し、表象し、表現する能力が低いうえ、」 と石川さんのせいにする。 |
さらに、「取調官があるがままにこれを受け止め正確に記述する能力に乏しく大雑把で無頓着な録取方法をとる場合」 と捜査側の不備を言いながら、それは、「本件の被告人のように、意識的、無意識的に虚実を取り混ぜて供述する傾向が特に顕著であるような場合には、往々あり得ること」 と、これまた石川さんのせいにする。 |
破れていることについては・・・ |
「被害者の足首をビニール風呂敷で縛りこれを木綿細引紐の固定した蛇口に前記のとおり結び付けて、自分の片足、膝等を被害者の足首に掛けるなど固定させたうえで木綿細引紐を引っ張れば、力は効率よくかかるから、ちょっと引っ張った感じでも切れることは十分考えられよう。」 |
「木綿細引紐の一端に固定した蛇口を作り、その蛇口にビニール風呂敷を紐のようにねじってその両端を蛇口に差し込み、細引紐を抱くようにして米結びにすれば、引っ張り力は比較的均等にかかると考えられる。 |
そして、力の入り具合いはしかく単純なものとはいえないけれども、両技がほぼ均等に切れる可能性が大きいばかりでなく、たとえ、最初に片方が切れ他方がちぎれかかったとすると、次の作業の邪魔になるので、被告人においてちぎれかかった他方の技を手でちぎり捨ててからビニール風呂敷をポケットに入れたのかもしれないのである。」 |
と、想像したあげく、「被害者の死体を芋穴に隠す際に、これを使って被害者の足首を縛ったうえ、両端を木綿細引紐の蛇口に通して結び、その強度を試すため引っ張ったときちぎれてしまったものであり、」 と強引に断定した。 |
しかし、この時点では、石川さんは既に荒縄と細引紐を手に入れていたことになっている。何も、ビニール風呂敷を使うことはないのだ。こんな常識的なことも分からないのだろうか。 |
「自白」 が、ビニール風呂敷の発見された状態に応じて誘導されたものであることは明白である。もし、ビニール風呂敷が何かの役にたったとすれば、それは石川さんの 「自白」 で言っていることとは別のことでであろう。 |
くりかえしになるが、荒縄・木綿細引紐・ビニール風呂敷は、犯人が何らかの意図・・・芋穴への逆さ吊りの暗示 (?)・・・をもって行った偽装工作の可能性がある。警察・検察・裁判所も、まんまとそれにのせられたと言わなければならない。 |
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<無実の証> はまだまだあるが、とりあえず時系列にかえる。 06/7/1 |
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