トマト・りぼん 05/3/24 |
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ここからは、これまであまり触れてこなかった物証や、裁判での争点、あるいは石川さんの 「自白」 と実際の状況の違いなどについて紹介する。 |
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トマト |
YNさんの死体を解剖したのは、埼玉県警の五十嵐警察医である。その鑑定によると、胃に約250ccの軟粥様半流動性内容があり、「消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別」 した、となっている。 |
そして、「最後の摂取時より死亡時期までの間には (ごく特殊なる場合を除き) 最短3時間を経過せるものと推定せられる」 としている (五十嵐鑑定)。 |
5月1日。この日、YNさんのクラスは2~4時間目が調理実習で、カレーライスを作り、午前11時50分から12時5分の間に食べている。 |
???とはならないだろうか。1審内田判決では、石川さんとYNさんの出会いは午後3時50分ころとなっている。最後の食事が実習のカレーであるならば、そして五十嵐鑑定が正しいとするならば、3時50分にはYNさんは既に死亡していることになりそうだ。 |
2審においてはこの点についても争った。弁護団は、上田・京大教授の 「死斑について」 の鑑定 (死体の逆さ吊りの所見はない、「自白」 のような手で締めたという所見はない、など) を提出した。 |
上田鑑定によると、「胃の内容物からして食後2時間位で死亡」 という。また、「胃内容の色調が鑑定資料 (五十嵐鑑定) には記述されていないが・・・これくらいの消化程度ではカレー粉の黄色色調が胃内容に残っているべきである」 とも述べている。つまり、カレーの色が残ってなかったのだ。 |
トマトは当日の材料に含まれていなかった。・・・ということは、実習のカレーが最後の食事ではなく、下校後にトマトを含む食事をし、その2時間後に殺害されたと考えられるのだ。 |
しかし、2審寺尾裁判長は、何と言おうか・・・自分の想像を混ぜ込んだ屁理屈 (?) によってこれらの疑問を封殺した。 |
まず、五十嵐鑑定との時間差については、「一般に胃内容物の消化状況から死亡時刻を推定するのは、文字通り推定であって・・・五十嵐鑑定によると、死亡時刻は食後最短3時間というのであるから、原判示から推認できる午後4時ないし4時半ころとなんら矛盾するところはない」 という。 |
一方、「上田鑑定によると、・・・明らかに右時刻と矛盾することになる。しかし、上田鑑定は五十嵐鑑定を資料とした再鑑定であることを考慮しなければならない」 とする。どう考慮なのかは書かれていないが、<直接見た鑑定=警察側鑑定が正しい> と言いたいのだ。一事が万事、この調子だ。 |
さらに、トマトである。調理の実習の材料には含まれていなかった・・・が、寺尾裁判長は想像力をたくましくする。「被害者自身又は学友のだれかがカレーライスの材料として玉ねぎ・にんじん・肉・じゃがいもなどを購入する際にトマトも買ってきてカレーライスの添えものとしたということも十分考えられる」。 |
裁判は、いったいいつから、裁判官の想像力で証拠が判断されるものとなったのだろうか。こんなこと言ったら、なんでも 「考えられる」 ですまされてしまう・・・事実、寺尾判決にはこうした部分があちこちにある。 |
さらに、カレーの色調がないことについては、「五十嵐鑑定に色調についての記載がないからといって、色調がなかったことにはならないから、このことを理由に黄色色調が既に消失していたと断言するのは相当でない」 と五十嵐鑑定を擁護した。 |
最高裁・上告審において、弁護団は上田第2鑑定を提出して争った。 |
この鑑定では、17の解剖例をあげ、胃の内容量と食後時間に関係があること、寺尾判決の言うような 「文字通り推定であって」 というようなものではないことを明らかにした。 |
<YNさんが食べたカレーはほぼ500ccと推定され、寺尾判決の言うように4時間もたてば、ほぼ30~50ccになる。250ccも残っているということは食後2時間である> と再度述べた。 |
しかし、最高裁・吉田裁判長は寺尾判決を追認した。曰く・・・ |
「もとより、胃内容物の消化状態から死亡時刻を推定するのは、胃内容物の消化状態を観察し、自らの経験に基づいて判断するのであって、それぞれの鑑定人によって若干の差異が生ずるとともに、それはあくまでも推定であるから、厳密な時間を断定するものではない。」 |
「上田鑑定は、五十嵐鑑定を資料とする書面鑑定であって、鑑定人自身が胃内容物を観察して死亡推定時刻を判断したものではないから、その確度におのずから限界があり・・・また、YNが当日学校の実習で試食したカレーライスやその添え物の材料にトマトがあったとする証拠がないというにすぎない・・・」 |
しかし、こんなこと言ってたりすると、「鑑定」 とは鑑定人の経験にもとづいてバラバラな結果が出るものとなり、科学的な客観性 (誰もが認める) の全くないものになってしまう。 |
上田鑑定をあくまでも否定するための、「為にする論」 とはいえ、拠ってたつ五十嵐鑑定をも信頼できないもの (信頼できないのだが) となることに気づかないのだろうか。 |
この点については、第2次再審においても争ってきた。が、まぁ、裁判所側は、ほぼ寺尾判決を見習って、<直接見た五十嵐鑑定が正しい> という主張を、あいもかわらず行っている。 |
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りぼん |
脅迫状を見たことのある人は、一度はやったかもしれないことだが・・・ |
脅迫状には281文字書かれている (ただし、29などの数字は2字と数えた)。そのうち漢字は79字 (漢数字も漢字に数えた)。28%の漢字の使用率である。 |
一方、石川さんの上申書では、全体が178字、漢字が43字。漢字使用率は、24%である。脅迫状と大差がないように見える。しかし、住所や名前、年月日などの漢字を使うことがあたり前の部分を除いた本文だけを見てみると、全体130、漢字17、使用率は13%と半減する。 |
では、文章のレベルが違うのかといえば・・・ |
ボクが脅迫状を書いたとしたら、漢字が33字増え当て字の漢字が17字減る。また、ひらがなが少し減り、全体で266字になる。ただし、ボクの書き癖があり、「友だち」 は 「友だち」 のまま。「頃」 なんかもひらがなで書く。 |
そうすると脅迫状で、266字中漢字が95字、36%だ。上申書本文をボクが書くと、115字中漢字が41字、ぴったり36%。自分が平均的な国語力の持ち主かどうかは分らないが、少なくともボクにとっては、脅迫状も上申書も文章のレベルは違わない。 |
ところで、脅迫状では漢字の間違いは 0 である。にもかかわらず、上申書では、全体で漢字43字中10字が間違っている。4字に1字は間違っているのだ。さらに、これには含めていないが、「一雄」 が難しいので 「一夫」 で代用している。明らかにレベルが違う。 |
石川さんを逮捕し、脅迫状を書いたと 「自白」 させたものの、実際には捜査本部は困ったにちがいない。とても、脅迫状が書けるレベルではなかったからだ。そこで登場したのが、「りぼん」 である。 |
6月24日付の石川さんの供述調書では次のようになっている。 |
「私はYNさんの家へ届けた手紙は、4月28日に書きましたが・・・4月27日も家にいて・・・手紙を書く練習をしました。 |
私は本当に漢字は少ししか書くことができません。私のその手紙を書くために、『りぼんちゃん』 という漫画の本を見て字を習いました。 |
りぼんちゃんというのは女の子の雑誌で中には二宮金次郎が薪を背負って本を読んでいる絵などが書いてあって、その他にはいろいろ字が書いてあり漢字にはかながふってありました。 |
ですから私は刑事さんという様な字から刑という字を書き、お礼という様な字がでればこの刑と札とを組み合わせて刑礼というように書いたのです。・・・ |
その日 (4月28日) の午後、私は、YNさんの家へ届けた手紙を書いたのです。この時使った紙は、妹のMの鞄の中に入っていた帳面を破って使いました。・・・3枚か4枚位破って使ったと思います。 |
・・・『りぼんちゃん』 という本はMのものか、Mが友達から借りてきてあったものと思います」 |
だが、3回に及ぶ家宅捜索で、「りぼん」 は発見されなかった。また、脅迫状に使ったノート、封筒と同じものは、やはり発見されなかった。 |
これも2審 (東京高裁) では争点となった。が、寺尾判決は・・・ |
「当審において証拠として取り詞べた雑誌 『りぼん』 昭和36年11月号 (昭和41年押第20号の7) には、まさに二宮金次郎の像の写真が載っており、脅迫状に使われた漢字も 『刑』 及び 『西武』 の字を除きすべて右雑誌の中で使われており、これには振り仮名が付されているのである。 |
したがって、被告人の前記供述には裏付けがあることになり、被告人は、『りぼん』 から当時知らない漢字を振り仮名を頼りに拾い出して練習したうえ脅迫状を作成したものと認められる。 |
( 『刑』 の字についてはテレビその他で覚えていた可能性も考えられることはすでに指摘したとおりであり、『西武』 についても、被告人は西武園へしばしば行っていたのであるから、同様に前から知っていたであろうことは容易に推測されるところである。)」 |
雑誌から文字を拾い出して、わざわざ当て字を書く?・・・そんなことが本当にできると思うとは・・・全く、「非識字」 (文字が十分に分らない) という状態についての無知・無理解をさらけだしている。 |
証拠としてもちだされた 「りぼん」 は1年半も前のものである。しかも、石川さん宅から押収されたものではない。「二宮金次郎」 の絵が載っていたということで鬼の首でも獲ったかのような書きぶりだが、どこかで石川さんは見たことがあったかもしれないというだけの話だ。 |
もっと言えば、石川さんが脅迫状を書くだけの力がないことに困った警察が、誘導して妹が借りるなどしてもっていたことのある 「りぼん」 を登場させ、まことしやかに、二宮金次郎の絵のある号にふれたという可能性もある。 |
それにこの号には、「刑」 と 「西武」 の文字がなかった・・・が、例によって、「テレビその他で覚えていた可能性も考えられる・・・前から知っていたであろうことは容易に推測される」 とのたまう。 |
最高裁は、「原判決が、他の補助手段を借りて下書きや練習をすれば、作成することが困難な文章ではないとしたのは、是認することができる」 と追認。 |
だが、第1次再審で弁護団は、石川さんの妹Mとその友人4人の <事件当時、石川さんの家には 「りぼん」 はなかった> という警察への供述調書を提出して争った。 |
しかし、東京高裁・四ツ谷裁判長は、「各供述調書にあらわれている限りでは・・・存在しなかったことになる」 と認めながら、妹Mが 「別の相手から借りるなどして本件のころその手もとに置いていたことがなかったという点まで裏づけるに足りるほどの確実な資料とも考えられない」 と退けた。 |
こんなことを言ったら、なんでも可能になってしまう。検察側こそ、当時、石川さん宅に 「りぼん」 があったことを立証しなければならないはずだ。それができなかった以上、「りぼん」 はなかったと考えるのが裁判所としては当然ではないか。 |
にもかかわらず、異議審で新関裁判長は、事件の前年の春から9月にかけて、妹Mが4人の友人から 「りぼん」 を借りたことのあることをあげ、「原決定が・・・推認したのはもとより当然」 と開き直った。 |
しかし、1年も前の貸し借りを理由に、事件当時、石川さん宅に 「りぼん」 があったかもしれないということほど乱暴な話はない。しかも、1年半も前の号である。なにが、「原決定が・・・推認したのはもとより当然」 か。推認とすらいえるシロモノではない。 |
特別抗告審においては、最高裁・大橋裁判長は、Mの友人たちの証言は、事件当時、石川さん宅に 「『りぼん』 が存在しなかったという確実な証拠とはいえない」 と追認。 |
また、第2次再審においては、高木・高橋決定は、いずれも <第1次再審でとりあげられ再審請求棄却決定の理由中で判断を経たこと> として新規性を否定した。 |
寺尾以降の裁判官たちは、よくよく石川さんを犯人としたいらしい。そのために、警察・検察以上に想像をたくましくした 「推認」 の連発である。いまさら、身内の裁判官たちの誤りを認めることができないのだろうが・・・。 |
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識 字 |
前にも書いたが、石川さんは逮捕されて以降、特に東京拘置所に移管されて以降、独学で文字を獲得していった。多くの人々に、自ら無実を訴えるためにだ。 |
拘置所の職員が教えてくれたり、便宜を図ってくれたという。そういう刑務官もいたのだ。 |
しかし、識字学級を長年やってきているからよく分かるが、並大抵の努力ではなかったろう。いずれ、このあたりのこともとりあげようと思う。狭山事件について書くことは、単に石川さんが無実であるという証拠をあげることではなく、石川さんの生き方に迫ることでもあると思うから・・・。 |
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このページを作っているうちに、最高裁が第2次再審・特別抗告を棄却した。暴挙である。これについては、別のページで検討することにする。 |
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