音声・KU証言                            05/2/22
 音 声
音声なんていうと犯人の声が録音でもされていたのかと思ってしまうのだが、5月2日の深夜、佐野屋でのやりとりのことである。
ここでは、YNさんの姉TNと、地元のPTA会長HM、警官数人が犯人の声を聞いている。HMは、TNが2日の夜に佐野屋の前に再び立つことを嫌がったので、狭山署の署長が説得を頼み、そのまま付き添って行くことになった。
TNは、1審で 「細かい特徴というのは佐野屋さんの時、つかもうと努力していたんですけど、ピンとくるものがなかったんですけど、声全体から受ける感じがぴったりだったんです」 と証言した。
TNは、事件当日には新聞記者に 「土地なまりのあるある中年男の声だった」 と語っている。
また、5月3日の調書では、「中位の普通の声で、年頃は25・6・7才から33才どまり、この辺の人の言葉でなまりがなく早口でなく、遠くの方の者ではないと思う」 と言ったことになっている。
年齢の断定にはおそれいるが、おそらく捜査官の誘導がはいっている。それはさておき、石川さんは当時かなり早口であったという。今もそうだ。5月3日の調書の印象とはだいぶ違う。
さらに、6月12日には取調室の石川さんの声を廊下で聞かされ、「犯人の声と比較できなかった」 と言っている。また、HMも 「判断の資料にはならなかった」 と述べている。
それが、1審での証言になぜ変化していったのか。
石川さんが、犯人として逮捕され、「自白」 どおりに証拠も発見されていく・・・というストーリー展開を見せられていき、声は似ているかどうかと石川さんの声を聞かされていく中で、妹を殺したにっくき犯人の特徴を求めていくことは自然ななりゆきというべきである。
・・・「自然ななりゆき」 とは思えるが、TNは、1審死刑判決以降、不審な 「自殺」 をとげている。上の話は・・・別の解釈も成り立ちそうな気がする。
それはともかく・・・しかし、身代金を取りにきた犯人が、普段話すような声をだすものだろうか。たいていは声をつくるはずだ。それに、やりとりは深夜とはいえ25〜30mほども離れているのである。印象としてはボソボソやりとりがあったような感じだが、実際はかなり大きな声になっているはずである。
ちなみに、石川さんの 「自白」 では、「おばさんのような人」 が来たので、「おばさん」 と小さな普通の声で呼びかけると、「おばさん」 が 「おーい」 と返事をしたことになっている。TNの証言では、犯人が 「おい、おい」 と呼びかけているのであって、「おばさん」 の方からではない。
これは、石川さんがTNの証言にもとづいて取調べをされるうちに、「おい」 ないしは 「おーい」 は女性の方から言った言葉だと勘違いをしてしまった結果と考えられる。「自白」 は、TNの証言をもとに作り出されたのである。
「妹はすでに殺されているかもしれない」 と怯える23才のTNに、犯人の声の特徴を覚えていろということに無理があるのだ。実際、一度しか聞いたことのない人の声を覚えられる人がどれだけいるだろうか。しかも、 緊張の極みにある時にである (逆に、覚えられるという反対意見も予想されるが)。
緊張するとはいえ矢面に立っていなかった元憲兵のHMさえ、公判で弁護人の 「声の特徴の識別」 についての質問に、次のように述べている。
「当時・・・当時は誰しもあそこに立った人は経験するかと思いますが、緊張とその静寂さでもってそういうことを判断する余裕がないんです。実際いいますと。」
こんなものを証拠として採用すること自体が大間違いなのである。
1審では、「5月3日午前零時過ぎ佐野屋附近で、TNが聞いた犯人の音声は、被告人のそれに極めてよく似ていること、」 とだけされていたのだが、寺尾判決では、HMまでよく似ていると証言したことにされてしまった。曰く・・・
「HMも、原審 (第2回) において証人として、『犯人の声は、土地の方言が入っていたので土地の人だと直感した。被告人が逮捕された後その声を聞いたが、似ていると感じた。』 と供述している。
これらの証言によれば、右証人らの身分関係、その他所論指摘の諸事情を考慮に入れても、原判決のいうように、『5月3日午前零時過ぎころ、佐野屋附近でTNが聞いた犯人の音声は被告人のそれに極めてよく似ている。』 と認めるのが相当である。
もとより、これによって犯人の声が被告人の声と同一であると断定することができないことは、所論のいうとおりであるが、原判決もこれを被告人と犯人とを結びつける有力な情況証拠の一つとみているのであって、この判断に誤りは存しない。」 (寺尾判決)
正確にはHM証言は次のようになっている。検察側の問いに答えて、
「 (警察で) 2時間ばっかし聞きましたですが、その声にあまりその、問答もございませんでよくわかりませんでしたですが、まぁ声が 『おらあ』 というようなところは似てたと思います。」 
「まあ似ているんじゃなかろうかと、決定的なものじゃなくて、なかろうかというぐらいの感じでした。」 
一方、弁護側の質問に答えて、「犯人の声が平凡ですから大体誰と特定のものとはいえません」 と証言している。寺尾判決は、これらの証言を完全にねじまげている。
最高裁は、不当にも寺尾判決を追認したが、まことしやかに、「自白を離れて客観的に存在する証拠」 の1つとされた 「犯人の音声」 とはこのようなものであった。当然のことながら、再審請求以降には争点にすらならなかった。
 KU証言
6月4日、YNさんの家の近くに住むKU (60才) が警察に届け出た話 (6月5日の警察調書) と、公判での証言である。「犯人とおぼしき人物」 の唯一とも言える目撃証言である。
1審第5回公判で、KUは次のように証言した。
<5月1日、午後7時半ころ、22・3才で5尺1・2寸くらいの男が、自転車でやってきて、ハンドルをもったまま、「N栄作さんのうちはどこです」 と尋ね、「裏から4軒目のうちがN栄作さんのうちだ」 と答えた>
そして、検事が 「石川を見てください」 というと、「そうです、そうです、この人です」 と断言した。
しかし、弁護側から、どうして届けたのが事件から1ヶ月以上経ってからなのか尋ねられ、しどろもどろになる。
「それがなんです。このやたら話していいかなんか、なにしろ百姓のことで何もわからないので、やたら・・・」
「でどうも、このなんつっていいかな・・・なんつっていいかな・・・なんとも考えておらんので、ちょいと・・・」
なぜ、1月もたってから届け出たのか・・・KU証言の核心である。
捜査本部は5月4日、狭山市役所堀兼支所におかれた。そして、KUの妻CUは毎日のように捜査本部に炊事の手伝いに出かけていた。そこで、捜査の進捗状況がおぼろげながら分かった。
「そのうちに誰れいうとなく、犯人は○○○4丁目方面の者ではないかという風評が強くなりましたので、これは余計他人には話せないと思うようになりました」 と、CUは6月5日に警察で話している。つまり、犯人が部落民らしいので黙っておこうというわけだ。
6月5日、KUの警察調書にはこうある。曰く・・・
「そのうちに○○○4丁目の石川という青年が、犯人として捕まった事を知り、ますますおそろしくなって誰にも話せない決心を前より強くしました。
と申しますのは、4丁目の人たちは団結して大勢で押しかけることがありますので万事をしゃべったためにおどかされるようなことがあってはと心配したからです。
さいごに、『4丁目の人たちに押しかけられる心配がありますので、かさねてお願いします。』 『このことは絶対外部にもれないように、くれぐれもお願い致します。』」。・・・なんとまぁ、差別意識丸出しの調書であることか。
実はCUも同じようなことを言っている。しかし、警察の苦労を見かねて、証言することにしたというのだ。
ところが、KUの公判での証言は、男の服装もよく覚えていなくて (1審では黒ではないと言い、2審では黒っぽかったと言った)、おまけに新品のYNさんの自転車に対し、男の自転車は中古だったと言うようなしろものだった。
そして、この証言は2審において破綻していく。
2審で、弁護人から石川さんを指し示され、「前にあったことがあるか」 と聞かれたことに対し、なんと 「ありません」 と答えた。<5月1日に尋ねてきた人はその人ではないのか> という問いに対し、「古いことではっきりしたことはわかりません」 と言った。
1審証言を事実上撤回した証言になっているのである。そして、届け出が1月も経ってからという理由は、ただ 「警察に届け出るのはおそろしかった」 を繰り返すのみであった。
だが、寺尾裁判長は、2審での証言は 「記憶の薄れによりはっきりしなくなったものと判断され」、1審での証言の信用性の否定にはならないとし、このようなKU証言を 「自白を離れて客観的に存在する証拠」 の1つにまつりあげた。そして、上告審で最高裁はこれを追認した。
しかし、脅迫状を届けようというのである。近所でそのうちのことを尋ねるものだろうか。犯人からすると危険極まりないことだ・・・証言自体が、マユツバものであると言わねばならない。
若い男が訪ねたということ自体フィクションだろう。おそらくは、石川さんが逮捕されたことにより、その差別意識にもとづき、「石川=部落民」 を犯人と確定させることに一役買って出たというのが、KU証言の核心・・・1月後の届け出ということであろう。偽証である。
先に、5月1日に石川さんと友人のATを見たという植木屋がいたと書いたが、彼もKUと同じく <4丁目の人たちが押しかけてくるから内密に> というようなことを言っている。こちらは、石川さんが 「単独自白」 をさせられていくことによって、警察にとっては価値がなくなる。
しかし、これも偽証である。石川さんを犯人におとしいれようとする動きは、警察ばかりではなく、近辺の住民たちの中にもあったのだ。<差別が牙をむいた> というのは、具体的にはこういうことであった。
寺尾判決は、これを積極的に追認した。差別判決であるという以外ない。