スコップ・2                            04/11/3
 「証明力の限度」
1977年8月30日、東京高裁に再審を請求。再び生越鑑定も提出した。しかし、1980年2月5日、東京高裁第4刑事部・四ツ谷裁判長は再審を棄却した。スコップについては次のようにいう。
「右指摘にかかる星野鑑定において、資料の分量や状態からする制約のため、十分な検査が行われたといえない点については、すでに上告審の決定も承認しているところであるが、」 と星野鑑定の不備を認める。
続けて、「同決定にも説示されているとおり、右鑑定は、本来各土壌の成分の分析自体が目的でなく、本件スコップに付着していた土壌と死体埋没場所付近の土壌との類似性の有無に関する資料を求めるために行われたのであって、」 という。
普通に考えると、「成分の分析自体が目的」 でなくとも、「成分の分析」 をやらなければ、「類似性の有無に関する資料」 も得られないはずだ。そして、生越鑑定は、星野鑑定の分析が間違っていると指摘しているのだ。
棄却決定では、上記の文に続けて、「期待された証明力に限度があったものであり、」 ともったいぶった言い方で、やんわりと星野鑑定の 「証明力の限度」 を認めた。
その上で続ける。「また、確定判決も、この鑑定だけを唯一の資料として本件スコップを死体埋没の供用物件としているわけではなく、これを他の関係証拠と総合したうえで右の認定をするとともに、本件スコップを請求人が犯人であることを指向する証拠のひとつとみなしているにすぎない。
したがって、所論生越忠の鑑定は、かような総合認定の一資料である星野正彦の鑑定書について、一部その不備を指摘する意味はもちうるとしても、科学的に肯認された検査方法により比較対照の限度で右各土壌の間の類似性を判定した同鑑定書の結論を左右するに足りるものではなく、まして右総合認定にまで影響を与えるべき反証とみなすことはできない。」
星野鑑定の占める位置を低くしておいて、しかし、その結論を全面的に否定した生越鑑定を、「一部その不備を指摘する意味はもちうる」 と矮小化し、再び 「総合認定」 (犬が吠えるかどうか) をもちだし、開き直ったのである。
  「数種の土壌」
1981年3月23日、東京高裁第5刑事部・新関裁判長は再審棄却に対する異議申し立てを棄却した。
a・b はスコップの裏側についていた土 星野鑑定人が掘った穴の断面図
土壌分類の最も基本的な基準は、土壌単粒子の重量構成比という。土壌単粒子とは、大きさによって礫 (れき) ・砂・シルト・粘土に4大別される土壌を構成する粒子である。この重量構成比が違えば、見た目がいくら似ていても、違う土壌ということになる。
生越鑑定は、星野鑑定のここを問題とした。スコップ付着土壌Pでは、砂分7.7%・粘土分7.8%でほぼ同一。しかし、上図右のAでは砂分が粘土分の1.5~2.1倍。E、F、G、Hでは0.2~0.5倍。
「したがって砂分および粘土分の重量構成比という、土壌分類の第1の基準となるべき重要な性質において、鑑定資料Pは他のいかなる部位の土壌とも著しく異なる」 と、弁護団は主張した。
棄却決定では、「重量構成比が、所論指摘のとおりである」 と認めた。しかし、ここから、何と言おうか・・・何ともよく分からない理屈をこねるのである。要約すると・・・
もともと、Pは、同じ赤茶色粘土様のa (5g)、b (13g)、d (10g) を混ぜたもの (12.45g) で、Pという土壌がスコップについていたわけではない。数種の土壌を混合させると重量構成比も変わる。たとえば、AとFを2:1で混ぜると、砂分8.9%、粘土分9.0%の重量構成比の土壌ができる。・・・
「以上のようなわけであるから、本件スコップに、死体埋没穴付近のいかなる土壌とも異なる土壌が付着しているという所論は、根拠がないものという外はない。」
・・・何が、「以上のようなわけ」 なのか、さっぱり分からない。星野鑑定人は、同種のものと判断したからこそ、a・b・dを混ぜたのである。「数種の土壌を混合」 ではないのだ。とんでもない、話のもって行き方をしているのだ。
そして、A・Fを2:1で混ぜるということをたとえ話でもちだして、つじつまを合わせようとしている。しかし、「たとえ」 そうしたところで1.2%の違いがあることまでは説明できていない。
さらに重要なことは、実は星野鑑定の完全な否定になっていることに気づいていないことである。星野鑑定では、「すべての検査結果を総合し、鑑定資料Pと類似しているのは」 として、類似性の高い土壌が現場に存在した、となっているのである。
Pが 「数種の土壌」 を混ぜ合わせたものなら、類似性の高い土壌とされるものが単独で存在するとなると、それは逆に、類似性はないということになる。墓穴を掘るとはこういうことをいう。
 「それなりに」
1985年5月27日、最高裁第2小法廷・大橋裁判長は特別抗告を棄却した。スコップ付着土壌については・・・
「・・・a、b、dの各土壌には黒褐色の土壌が混合していた・・・このようなPの土壌の砂分・粘土分の重量構成比を死体埋没穴付近から採取された各土壌の砂分・粘土分の重量構成比と比較すること自体必ずしも当を得ない」 と生越鑑定を念頭においていっている。
しかし、気づかないのだろうか。こういえば、星野鑑定自身が 「当を得ない鑑定方法」 だったということになることを。
その上で、続けて、「少なくとも、その両者が異なるからといって、Pを構成するa、b、dの各土壌のいずれもが、死体埋没穴付近には存在しない土壌であるとまではいえない。」 という。何を根拠に? という外はない、苦しい言い逃れである。
そして、「星野鑑定は、それなりに確定判決の認定を裏付ける証明力を有するというべき」 と自らを奮い立たせ、例の 「総合評価」 とやらをもちだし、スコップを死体埋没に使ったものだと認定する。
しかし、それにしても 「それなりに」 とは、なんとも情けない評価だ。もはや、スコップ付着土壌について、裁判所としては争えないと判断したようである。
 開き直り
東京高裁は、第2次再審に入ってからは、第1次再審の時のような理屈はこねられなくなった。
1999年7月7日、再審棄却決定 (高木決定) 
「・・・星野鑑定書の検査が採取資料間の土質比較のために必ずしも十分なものでなかったことは、既に第1次再審請求の特別抗告乗却決定が指摘するとおりである。
しかし、星野鑑定書により、本件スコップ付着の土壌の一部が、死体の埋没穴付近から採取された土壌サンプルの一つと類似することが明らかにされたのであり、この事実については、所論援用の生越作成の鑑定書2通も否定するものではなく、
右スコップが畑地内に放置されていた状況など、確定判決審のその余の関係証拠から認められる具体的事情を併せ勘案すると、本件スコップが本件埋没穴の掘削に用いられた蓋然性は高いということができ、その意味で本件犯行の物的証拠の一つと認められる。」
2002年2月23日、異議申し立て棄却決定 (高橋決定)
「なお、生越鑑定書及び生越鑑定補充書は、第1審が取り調べた昭和38年7月20日付星野正彦作成の鑑定書の土質比較検査方法とその結論を批判するのであるが、第1次再審請求の特別抗告棄却決定が指摘するとおり、
星野鑑定書により、本件スコップ付着の土壌の一部が、死体の埋没付近から採取された土壌サンプルの一つと類似することが明らかにされたのであって、星野鑑定書はそれなりに確定判決の認定を裏付ける証拠力を有するというべきであり、
しかも、この事実に加えて、本件スコップが死体の埋没穴から約125mのところにある麦畑に放置されていた状況など、確定判決審のその余の関係証拠から認められる具体的事情を併せ勘案すると、
本件スコップが死体の埋没穴の掘削に用いられた蓋然性は高いということができ、その意味で本件犯行の物的証拠の一つと認められるのであって、その旨の原決定の判断は、相当である。」
つまり、生越鑑定とはまともに闘わず、すでに論破されたことを、「星野鑑定書により、本件スコップ付着の土壌の一部が、死体の埋没穴付近から採取された土壌サンプルの一つと類似することが明らかにされた」 とくりかえしているにすぎないのである。
スコップ土壌については、事実上決着がついたといえる。生越鑑定の勝利である。が、なおも開き直る東京高裁。この開き直りを、如何にせん。