| スコップ・1 04/10/22 |
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| スコップ発見の怪 |
| 1963年5月3日、佐野屋の近くの畑で見つかった犯人のものらしき足跡を追った警察犬が、不老川の近くで臭いの跡を失った。そして、そこから程遠くないところに ID養豚場があった。 |
| 警察は ID養豚場の関係者に目をつけたのだろう。詳しい経過はよく分からないが、5月6日に、捜査本部は ID養豚場からスコップ1挺の紛失届を手に入れた。そして、これが差別見込み捜査に拍車をかけることになった。 |
| 5月11日、スコップが、小麦畑で農作業をしていた人によって発見された。死体発見現場から西北に124mしか離れていない所であり、既に何度も山狩りがされている場所だった。 |
| しかも、後に石川さんは、「スコップを放り投げてすてた」 と言わされているが、発見された状態は、放り投げたとすれば当然ある麦の傷などがなく、うねにそってそっと置かれたような状態であった。 |
| しかし、捜査本部はこのスコップをすぐさま ID養豚場のものだと断定した。だが、紛失届を出した ID養豚場のKI に確認を求めたのは、10日もたった5月21日だった。もはや、自分のところのスコップではないと否定しようのない状況が作られていた。 |
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| 星野鑑定 |
| 発見されたスコップは、使い古した先の丸くちびたもので、長い間、土仕事に使われていたと思われるものだった。一方、ID養豚場のスコップは先のとがったものであったという。まず、ここから違う。 |
| 5月12日、スコップは鑑定に回され、6月26日、スコップ付着物鑑定書、7月20日、スコップ付着土壌鑑定書が作られた。 |
| 付着物として、「油脂、アミノ酸類、澱粉、豆類様半球物、筋肉繊維、糖類、植物片、昆虫等」 が検出された。ID養豚場では、飼料の米糠をまぜるのにスコップを使用していた。しかし、付着物から米糠は検出されなかった。 |
| また、15個の植物片、植物根がついていたが、この植物根は死体が埋められていた農道中心部には存在しない。しかし、警察はこれらを隠してしまった。死体埋没にこのスコップが使われていないことがばれないように・・・。 |
| こうしたスコップにまつわる疑惑は、東京高裁・2審で、1974年3月22日に明らかにされた捜査記録写真に、もう1本のスコップが写っていたことにより決定的となった。 |
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| もう1本のスコップ |
発見されたスコップ |
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| 弁護団は、警察側の鑑定 (星野鑑定) を詳細に検討し、スコップ土壌を、死体発見現場の土ではなく別の場所の土と対照させていることを明らかにした。鑑定では、農道の所有者立会いで、死体埋没の穴の付近の土を採取とあるが、実は所有者は立会っていない。 |
| スコップには赤土がついていた。しかし、1972年に東京高裁に提出された 「残土について」 の八幡鑑定によって、現場一帯の土壌が関東ローム層 (黒ボク土) で赤土はないことが、既に明らかにされていた。 |
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| a・b はスコップの裏側についていた土 |
星野鑑定人が掘った穴の断面図 |
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| これは、死体発掘の実況見分調書で 「現場の土質は黒色の、やわらかい土で」 となっていることでも裏付けられている。 |
| つまり、星野鑑定は、スコップに赤土がついていることのつじつまをあわせるため、どこかで赤土のあるところを掘ったか、あるいは土壌資料そのもの (したがって断面図そのものも) を捏造した疑いがあるのだ。 |
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| しかし、寺尾裁判長は、これらの疑惑の一切を黙殺した。 |
| 「5月6日ころ地元の養豚業者であるKI 経営の豚舎内から飼料撹拌用のスコップ1丁が事件発生当日の5月1日の夕方から翌2日の朝までの間に盗難にあったことが判明する一方、その後間もない5月11日にはスコップが被害者の死体埋没箇所に程近い麦畑に遺留されているのが発見されたこと、」 |
| と、発見されたスコップが ID養豚場のものと何の検討もなく即断。続いて、 |
| 「しかも右豚舎には豚の盗難防止のため番犬がいて、この犬が吠えれば少し離れたKI 方居宅からも数匹の犬が駆けつけてくるようになっていることから、犯人はKI 方に出入りの者であると推認されたこと、 |
| 言い換えると、右豚舎内に置いてある右スコップを夜間周囲の者に察知されないで持ち出すことができるのは、I 方の家族かその使用人ないしは元使用人であった者、その他 I 方に出入りの業者らに限られると推認された・・・」 |
| と、犬に吠えられるかどうかを唯一の根拠に、犯人を ID養豚場関係者と 「推認」 したことを正当化している。犬は必ず吠える動物らしい。 |
| 仮に、発見されたスコップが ID養豚場のものとしても、実は裏の土手にドラム缶を並べ、残飯を混ぜていて、そこにスコップを置きっぱなしにすることもあり、養豚場の関係者でなくとも誰でももっていくことができたのである。 |
| また、寺尾判決は、スコップが ID養豚場のものかどうかの確認を後に回した (10日も経ってから) ことを、「まずもってスコップに付着している油の性質やこれに死体発見現場の土壌が付着しているかどうかなどについての鑑定を急いだのはむしろ当然の措置であった」 と擁護。 |
| さらに、石川さんの 「放り投げた」 とか 「捨てた」 とかいう 「自白」 と発見された状態の違いについては、次のように強弁している。 |
| 「スコップの第一発見者であるSGが、・・・スコップを発見したときスコップは麦のうねに沿って隠しかげんに置いてあったと証言しており、(警官) 作成の実況見分調書添付の写真を見ても、そのような状態であったことは所論指摘のとおりで、この点において多少の食い違いはあるけれども、だからといって被告人が犯人でないとはいえない。」 |
| 石川さんが犯人ではないから 「食い違い」 があるのだ。寺尾判決は、まさに、「石川さんが犯人という結論」 ありきの判決であった。 |
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| 生越鑑定 |
| 1976年1月28日、狭山弁護団は最高裁に上告趣意書と7通の鑑定書を提出した。その1つに、地質学者の和光大・生越教授のスコップ付着土壌に関する鑑定書があった。 |
| 生越鑑定は、スコップについていた赤土と死体埋没現場の土壌が一致しないことを明らかにした。 |
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| 砂分の重鉱物量の種類別重量比 |
粘土分、砂分、有機物量の重量比 |
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| また、1975年7月6日、死体埋没場所の近くで穴掘り実験を行った。その結果、86cmの深さまで黒土で、星野鑑定の穴の断面図のように、間に赤土の層があるなどということはありえないことを明らかにした。 |
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| 星野鑑定・土壌採取した穴の断面図 |
生越鑑定・現場近くの穴の断面図 |
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| 1977年8月9日、最高裁は上告を棄却した。その決定の中では、「死体を埋めた穴の附近から土壌を採取して鑑定資料としていることは明らかであるから、資料の適格性に疑問はない。」 と星野鑑定を擁護。 |
| その上で、生越鑑定による星野鑑定への批判を、「いずれにしても、同鑑定は、検査をした資料の範囲で、それらの資料間の相対的な類似性を求めているのであるから、その証明力には限界があり」 と半ば認める。 |
| もっとも、生越鑑定には一言も言及していない。いや、言及すると、星野鑑定を否定せざるをえなくなるから言及できなかったのである。 |
| 決定は続けて、「もとより同鑑定をもって直ちに本件スコツプが死体を埋めるために使用されたと認定することは相当でなく、原判決も右鑑定のみによって本件スコツプが死体を埋めるために使用されたとは認定しておらず、同鑑定とその他の証拠とを総合して認定したものと認められる。」 と開き直る。 |
| 土壌が一致するとして、死体を埋めるために使われたスコップだと言ってきたのはどこの誰か、全く忘れてしまったらしい。しかも、実質的に星野鑑定を否定することになっていることに気づいていないようだ。 |
| 「他の証拠と総合して認定」 とは、いかにも総合的に評価したような言い方だが、実際には ID養豚場の犬に 「騒がれることなくスコツプを持ち出すことができるのは ID養豚場の関係者だ」 という、屁理屈を唯一の 「根拠」 にしたものなのである。 |
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