足 跡 3                             04/10/15
 「あ号破損痕」
1999年7月7日、東京高裁・高木裁判長は第2次再審を棄却した。この中で、足跡に関しては、事実上、寺尾判決に修正を加えた。
「しかし、現場石膏足跡三個 (1号足跡ないし3号足跡) を子細に観察すると、現場足跡は、いずれも地下足袋に付着した泥土 (足跡の底面、輪郭とも全般的に印象状態が鮮明でないことから、単に足袋底のみならず、地下足袋の周囲にも相当に付着していたことが察せられる。)、
踏み込みによる移行ずれ等の影響を受けて、地下足袋の本来の底面よりも全体的にやや大きく印象されたと認めて誤りないというべきであって、このようにして印象された足跡から採取された石膏足跡の計測値が、泥土が付着していない状態の押収地下足袋から採取した、
輪郭鮮明な対照用足跡の計測値よりやや大 (井野第一鑑定書によれば、縦の最大長平均値の差は8ミリであるという。) であるからといって、そのことから直ちに、現場足跡を印象した地下足袋の方が、押収地下足袋 (9文7分) よりも文数 (サイズ) が大であると結論することは相当ではない。」
寺尾判決では、「(セルロイドかプラスチック製の) 定規の目盛りが正確に刻まれていないことは往々にしてあること」 であり、大きさの違いを主張する弁護団の定規の方が間違っているのだといっていた。
これに対し、「踏み込みによる移行ずれ等の影響を受けて、地下足袋の本来の底面よりも全体的にやや大きく印象されたと認めて誤りない」 と、高木決定ではついに大きさの違いを認めたのである。
その上で、 「あ号破損痕」 をもちだしている。
「3号足跡 (現場足跡) について、破損痕跡であると指摘する竹の葉型模様後部外側縁の部分は、これを押収地下足袋の右足用に存在する 『あ号破損』 及びその対照用足跡の 『あ号破損痕』 と対比照合しつつ検討すると、
3号足跡の印象状態が粗いにもかかわらず、その形状、大きさ、足跡内の印象部位 (3号足跡に顕出している三本の横線模様との相対位置から、押収地下足袋の 『あ号破損』、対照用足跡の 『あ号破損痕』 との対比が可能である。) 等の諸点で、まことによく合致しているのであり、
これが偶然の暗合とは考え難く、3号足跡により保存された右足の現場足跡が、押収地下足袋の右足用によって印象された蓋然性は、すこぶる高いということができる。」
そして、足跡について書かれたところの 「検討の総括」 として、
「以上検討したところから、3号足跡の竹の葉型模様後部外側縁に存存する弓状にゆるく膨らんだ屈曲部分は、関根・岸田鑑定書が指摘するとおり、押収地下足袋の 『あ号破損』 が印象されたものである蓋然性がすこぶる高いと認められるのである。
この意味において、関根・岸田鑑定書の鑑定結果に依拠して、押収地下足袋と現場石膏足跡の証拠価値を認め、『自白を離れて被告人と犯人とを結び付ける客観的証拠の一つであるということができ(る)』 と判示した確定判決の判断に誤りは認め難い。」 と結ぶ。
「検討の総括」 がこれなのだから、もはや足跡の大きさの違いについては争えないと自認したようなものである。「あ号破損痕」 が最後のよりどころだと言うに等しい。
 3次元
1999年7月12日、弁護団は東京高裁に異議申し立て。そして、2000年9月26日、山口・鈴木東京大学教授による新たな足跡鑑定書を提出した。
山口・鈴木鑑定人は、3次元スキャナを用いて、東京高裁に保管されている足跡石膏や地下タビを計測・撮影し鑑定を行った。つまり、本来は立体の形状のものである足跡石膏や地下タビを、文字通り立体分析したわけだ。
⊿abc は写真上の三角形   ⊿a’b’c’は実際 (3次元) の三角形
その結果、関根・岸田鑑定で写真の上に描かれた三角形は、立体形状に移すと実際には異なる三角形であることが分かった。これは、考えてみると、当たり前と言えば当たり前のことである。
前のページで現場足跡と押収地下タビを比較した写真があるが、足跡石膏はゆるやかに湾曲している。関根・岸田鑑定では、それを写真にとり平面にして、その上に三角形を書いている。だから、立体に戻せばずれるのだ。
山口・鈴木鑑定では、対照足跡についても同様に鑑定し、関根・岸田鑑定の最後の砦ともいうべき二つの三角形が、全く異なるものであることを明らかにした。三角形は、完全に無意味であった。
さらに、山口・鈴木鑑定では、現場足跡と対照足跡の立体形状を重ね合わせ、断面をとって鑑定をした。
張り出し形状 現場足跡 (灰色) と対照足跡 (紫色)
その結果、写真右のように、破損痕と言われる部分の高さが違うことが分かった。また、現場足跡には、写真左のように、破損痕と言われる箇所に不自然な 「張り出し形状」 があることも分かった。
要するに、現場足跡と対照足跡は違うということであり、また、現場足跡には、破損痕などと言えるものはないのだ。そもそも、現場足跡石膏は相当に不鮮明で、きちんとした鑑定に耐えられるような代物とは言えないのである。
9月29日、弁護団は東京高裁第5刑事部の高橋裁判長に面会し、鑑定人尋問を行うよう申し入れていた。これに対し、高橋裁判長は、多数の鑑定人の中から山口・鈴木鑑定人からだけ直接説明を聞きたいと連絡してきた。
11月8日、山口・鈴木鑑定人は東京高裁に行き、1時間半にわたって鑑定内容の説明を行った。
だがしかし、2002年1月23日、第5刑事部・高橋裁判長は異議申し立てを棄却してきた。足跡については、もはや大きさの違いをとりつくろうこともできず、ひたすら 破損痕の一致を言うのみである。
高橋決定が高木決定のオウム返しであることは既に述べているが、ここでもそうだ。
「3号足跡について破損痕跡であると指摘する竹の葉型模様後部外側縁の部分は・・・誠によく合致しているのであり、これが偶然の符合とは考え難く・・・蓋然性はすこぶる高いということができる。」 の部分は一言一句変わりなく、「誠によく合致」 している。
その上で、山口・鈴木鑑定に対しては、
「本件の現場足跡は、その地下足袋の底面自体の捩れや撓み、履く者の歩行上の習癖、地面の状態など、様々な要素が複雑に絡み合い、影響し会って印象されると認められるのであるから、
対照用足跡との間に誤差が生じることは避けられず、したがって、3号足跡と対照用足跡の同一性の判断において、3次元空間での形状の厳密な意味での同一性を決め手にするのが合理的かつ実際的か疑問なしとしない。」
と退ける。誤差があるから、「3次元空間での形状の厳密な意味での同一性を決め手にするのが合理的かつ実際的か疑問」 だとは、とんだいいぐさだ。こんなことを言ったら、警察側鑑定を含め全ての鑑定は無意味になる。
さすがにこれだけではまずいと思ったのか、関根・岸田鑑定の 「信頼性」 をやたらともちあげる。曰く・・・
「その鑑定方法は、客観的妥当性のある信頼度の高いものといえるのである。そして、関根・岸田鑑定書は、右足の現場足跡と対照用足跡の符号に関して、比較測定数値に若干の差異はあるが、
上記のとおり、立体足跡の場合、印象箇所、土質の柔軟度、歩行速度、歩幅、姿勢等による重心の移行、地面に及ぼす重圧等がその都度変化するので、印象された形状も同一ではなく誤差が生じるのであるが、
各数値を見ると、同一の履き物で足跡を印象した場合の許容範囲内の誤差であり、また顕出面に同一性を否定すべき特徴要素が全く存在しないので、単なる類似性または偶然性の一致等のものではないと判定しているのである。このような岸田・関根鑑定書の鑑定方法に照らすと、その鑑定の有効性及び判断の妥当性を否定するわけにはいかない。」
どれだけが 「許容範囲内の誤差」 かの説明はない。また、「顕出面に同一性を否定すべき特徴要素が全く存在しない」 ことを根拠に、「単なる類似性または偶然性の一致等のものではないと判定」 を正当化する。
どれだけ似ていようと、大きさが違えば、また高さが違えば、これは別物だというこの単純な真理を忘れたふりを続ける、これには一貫した裁判官の姿がここにある。
極めつけは、この足跡に関する最後の方の一文である。曰く・・・
「・・・山口・鈴木鑑定書は、3号足跡に見られる 『あ号破損』 が生じた原因、機序については何ら記述するものではなく、また、本件地下足袋の 『あ号破損』 との類似性に関しては、
足裏面に平行な面に投影して得られる (言い換えるならば、写真上で観察される) 外縁の膨らみ方は、一見するとかなり類似しているものの、その高さには大きな違いがあると指摘するのみであって、具体的な検討、分析は行われていないのであり、不十分のそしりを免れない。」
あるのかないのかはっきりしない現場足跡の破損痕を 「ある」 とした上で、「生じた原因」 を記述していないと難くせをつけるのである。「生じた原因」 を明らかにするために鑑定しているわけではなく、鑑定結果として、「ない」 に等しいと判断しているのだ。
さらに、「その高さには大きな違いがある」 ということが、どうして 「具体的な検討、分析」 にならないのだろう。具体的な検討・分析の結果、高さが違うことがわかった・・・したがって、これは別物である・・・簡明な論理である。
2002年1月29日、弁護団は、最高裁に対して特別抗告を行った。有力な証拠とされた足跡も客観的に言えば、(と、主観的に言うが) 関根・岸田鑑定のでたらめさが明白になってきた。しかし、相手は最高裁だ。予断は許されないと言うべきである。
 そもそも
足跡について時系列を追って述べてきたが、そもそもがおかしいのだ。押収された地下タビは全部石川さんの兄のものであり、石川さんにとってみればきついのだ。石川さんは、このころゴム長靴を常用していた。しかも当時、足にウオノメがあったという。
身代金を取りに行くのである。何があるか分からない。走って逃げなければいけないかもしれないのだ。そんなところへ、きつくて歩けないような地下タビを履いて行こうと思うだろうか。
おそらく、警察は、石川さんが当時、地下タビを持っていないことまでは知らなかったにちがいない。勇んで石川さん宅から地下タビを押収したものの、後でつじつま合わせに困り、関根鑑定の変更までやったのである。
また、2審の時点で明らかになったことだが、1963年5月11日、スコップ発見現場で足跡が採取されていた。この足跡石膏は、石川さんが起訴された翌日 (7月10日) に破壊されている。
寺尾判決では、「なにぶんにも右石膏型成足跡は、足跡が既に風雨等によって変形した後のものと判断され、到底同一性判定の資料にならないので、証拠価値のないものとして廃棄処分されたものと考えられる。」 とされるが、警察の作為が感じられる。
また、6月15日に死体発見現場の近くの畑から1足の地下タビが発見されていた。1974年5月に、11年目にしてようやく法廷に提出された。このように、警察・検察はひたすら証拠を隠し、捏造しつづけてきた。
当時のマスコミ報道や捜査資料からは、少なくとも8ヶ所で足跡やタイヤの痕が発見され、写真や石膏がとられ鑑定にまわされている。これらのうち、開示されているのは佐野屋の近くの3個の足跡石膏だけなのだ。
積み上げれば2~3mになるという狭山事件関係の未開示の証拠。かたくなに開示を拒否する検察。卑怯なヤツラだ。正々堂々と闘えないのか。証拠開示・・・狭山事件に限らず、冤罪事件すべてに関わる問題である。