足 跡 2                             04/10/8
 無 視
しかし、1977年8月9日、最高裁は上告を棄却。足跡に関しては井野鑑定を完全に無視した。おそらく、まともに反駁できなかったからである。
「(押収) 地下足袋は、甲布の裏にゴム底を縫い付けて製作された、いわゆる職人足袋といわれるものであつて、右の地下足袋を履いた場合、甲布の外辺がゴム底よりも外に広がることもあり得ることを考慮に入れて、
(現場足跡) の石膏足跡を観察すると、同足跡の踵後端部は、甲布部分が印象されているとも、移行によるずれとも思われる形跡が残つているとみられるのであるから、これらの点を明確にしないで、
単に (現場足跡) の石膏足跡の足跡成型部分の全長を測定し、これと (押収) の地下足袋の足長とを比較して有意的な差異があるとすることは、正当でない。
また、関根・岸田鑑定によれば、同鑑定における着装実験では、被告人に (押収) の地下足袋を履かせたところ、やや窮屈な様子であつたが、被告人は、こはぜを最上部まではめて歩行したというのであるから、文数の違いは、被告人が (押収) の地下足袋を履いて佐野屋附近に現われたとの推認の妨げとなるものではない。
それ故、右の地下足袋と石膏足跡とは、自白を離れ、被告人と犯人とを結びつける証拠として重要な価値をもつものといえる。」
要するに、弁護側は、「かかとのところで甲布がゴム底より広がる可能性」 と 「移行によるずれ」 を考慮に入れていないというのだ。
井野鑑定では、このようなケチ付けも予想し検討している。最高裁決定のいうようなことはほとんどない (特に、EGの長さには影響がない) という結論なのだ。だから、最高裁は、井野鑑定を無視することにしたのである。
当然ながら、弁護団は、再審請求にあたって井野鑑定を新証拠として東京高裁に提出した。
 単純な真理
だが、東京高裁・四ツ谷裁判長は、上告審で提出された証拠は、決定に書かれていなくても検討されたはずだから井野鑑定には 「新規性」 がないと退ける。その上で、「なお、事案に鑑みてこれら各個の内容についても以下に検討を加えてみる」 とのたまう。
「しかしながら、上告審の決定にも説示されているように、実際に人が地下足袋をはいて不規則な移動をした場合においては、一般的な数値にあらわしえない甲布部分の広がりや移行によるずれのあることを考慮すると、右の見解は本件について十分の具体性をもつものとはいいがたいうえに、
右の検定は、対象資料における各部位の長さの計測値のみを基準として、専ら外縁の大きさ比較に終始し、各資料にみられる損傷の部位や破損の様相等に関する比較対照を度外視している点において一面的に過ぎるきらいのあることを否定できない。」
しかし、「実際に人が地下足袋をはいて不規則な移動をした場合においては」  ということこそ、一般的・抽象的なことで、それこそ 「本件について十分の具体性をもつものとはいいがたい」 のではないか。
また、いくら 「損傷の部位や破損の様相」 が似ていようと、大きさが違えば二つの地下タビは別物だという、この単純な真理を井野鑑定は指摘しているのである。このことが分からないはずはない。四ツ谷裁判長は分からないふりをして、井野鑑定を退けたのである。
 厚 顔
弁護団は異議審において、1980年9月20日、井野第2次鑑定を提出した。この鑑定では、歩行の際に生じる足の並進 (前後と横の動き)・回転 (前後と横) の様々な動きについて考察した。
その結果、AB、CD、EF、EG、EHのすべての長さが同時に、現場足跡のように長くなるような足跡は、9文7分の押収地下タビではできないことが明らかになった。
しかしながら、東京高裁・新関裁判長は、再び 「かかと部の甲布のひろがり」 「移行によるずれ」 をもちだし、井野鑑定を退けた。
「大きな足に小さな地下足袋を無理に履かせると、ゴム底の部分だけには足の裏は収まらないので、勢い足の裏がゴム底に近い甲布の部分にまで及ぶことになって、甲布のゴム底に近い部分が外に広がる可能性が大きいものといわなければならない。」
としたうえで、やたらと 「かかとの後端部に甲布部分が印象されているとも、移行によるずれとも思われる形跡」 「甲布部分の印象とも、移行によるずれとも思われる部分」 、これに似た表現を連発し、四ツ谷決定 (再審棄却決定) を擁護したのである。
つまり、「そういうことはないのだよ」 と言っているにもかかわらず、もう一度同じことをくりかえしているのである。厚顔無恥とはこのことだ。
 墓 穴
さらに、特別抗告審において最高裁・第2小法廷大橋裁判長は井野鑑定を否定するあまり、自ら墓穴を掘ったとしかいいようのない内容の足跡に関する決定理由をあげている。
「・・・右足長の統計的処理に関する部分は、かなりの量の泥土が付着した地下足袋によって印象され、かつ、移行ずれ等もある現場足跡の石膏の泥土や移行ずれ部分を含む計測値 (最大長等) と、
泥土の付着の少ない地下足袋により印象され、かつ、移行ずれ等の少ない対照足跡の石膏の計測値 (最大長等) とを比較し、その結果、
両者は同一地下足袋による足跡ではない判断しているものであって、右のように本体外の部分を大きく含む計測値と本体外の部分をほとんど含まない計測値とを比較しても、その結論が当を得ないことは明らかである。」
いつのまにか、現場足跡は大量のドロがついた地下タビによるものとされ、しかもずれがあるから、そうではない対照足跡 (押収地下タビ) と比較しても意味がないというのだ。
ということは、現場足跡と対照足跡を比較して同一とした埼玉県警、関根・岸田鑑定も意味がないということになる。拠ってたつ、根拠としている鑑定自身を否定することになっているのだ。語るに落ちるとはこういうことをいう。
その上で、非常に熱心に 「あ号破損痕」 について現場足跡と対照足跡が似ていると力説する。「破損痕」 とは、石川さん宅から押収された地下タビで、右足用のものに、底のゴムの縁がはがれたところがあり、それをいう。
そして、現場足跡の1つ  「3号足跡」 といわれるものに破損痕があり、それが押収地下タビの破損痕と一致するというのである。
押収地下タビの破損部分 上・対照足跡  下・現場足跡
上の写真は鮮明で破損痕がはっきりと分かる。しかし、下は不鮮明で、本当に破損痕があるのかどうかも分からない代物である。関根・岸田鑑定では、そこに、まことしやかに三角形を描いて、これが一致しているとしていた。
「・・・現場足跡石膏における 『あ号破損痕』 の形状、大きさ、部位等が、押収された地下足袋の 『あ号破損痕』 の形状、大きさ、部位等と極めてよく符合しており、そのようなことは実際上は極めて希なことである・・・」
あるのかないのかわからない破損痕。仮にあったにしても、どこからそうかも分からないような写真の上に、それをいいことに、ほぼ合同の三角形を描いたものである。形状、大きさが 「極めてよく符号して」 いるのも当然なのだ。
こうして、このようないい加減な論理をもって、第1次再審は棄却されてしまった。無念にも、舞台は第2次再審へと移らざるをえなかった。