特別抗告 04/9/13 |
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2002年1月23日、東京高裁第5刑事部・高橋裁判長は異議審棄却決定を行った。1月29日、石川さんと弁護団は最高裁に特別抗告した。 |
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高橋決定 |
この高橋決定は、一言で言うなら第2次再審請求を棄却した高木決定の引き写しの作文である。以下、これまで述べてきた 「証拠」 について見る。 |
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たとえば、脅迫状の日付訂正の問題について・・・ |
「しかし、原決定が判示するように、所論は、第1次再審請求で主張された身代金持参指定日の日付訂正に関する主張と同旨であり、所論を裏付ける新証拠として提出された資料も、訂正前の日付についての地元警察の認識を報じた事件発生直後の新聞記事の写しが加わっただけで、 |
第1次再審請求で新証拠として提出され、その請求棄却決定の理由中で判断を経た証拠と実質的に同じであると認められるから、所論は、実質上、同一の証拠に基づく同一主張の繰り返しというほかなく、刑訴法447条2項に照らし不適法である。所論はその余の点につき判断するまでもなく、採用し難い。」 |
「所論は・・・不適法である。」 までは、高木決定と全く同文、一字一句の違いもない。したがって結論も同様に門前払いである。 |
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ON証言についても |
高木決定 |
「本件桑畑で除草剤撒布作業をしてから1、2か月しか経っていない、記憶の新鮮な時期になされたONの捜査官に対する前掲の供述内容、就中、員面の内容は、十分信用に価するということができる。 |
これに対して、弁面 2通は、殊更に虚偽を述べたとは考えられないけれども、事件からそれぞれ18年、22年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であるとは認め難いものといわなければならない。」 |
・・・員面 (警官への供述調書)、弁面 (弁護士への供述調書) |
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高橋決定 |
「本件桑畑で除草剤散布作業をしてから1、2箇月しか経っていない、記憶の新鮮な時期になされたONの捜査官に対する前記の供述内容は、十分に信用できるというべきである。 |
これに対して、弁面調書2通は、事件からそれぞれ18年、22年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であるとは認め難いといわなければならない。」 |
一事が万事、この調子であり、「見通し鑑定」 「悲鳴鑑定」 に対する、ケチ付けの仕方も 「以下同文」 である。 |
「・・・事件当時から20年近くを経て、現場とその周辺が大きく変容したことは察するに難くなく、事件当時のままに地形、気象、地上物等の条件を設定し、あるいは推測により近似の条件を設定して、近くで悲鳴が起こることなど全く予期せずに、除草剤撒布の作業に集中していたONの心理状態を含め、当時の状況を再現することは、非常に困難なことであるといわなければならない。」 |
したがって、結論は高木決定と全く同一である。 |
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7人の元刑事の証言について・・・ |
「第3回の捜索は、万年筆の隠匿場所について請求人の自供を得た捜査官が、その自供に基づいて隠匿場所を捜索したのである点で、捜査官に何ら予備知識のなかった第1回、第2回の捜索の場合とは、捜索の事情や条件を異にするのであって、このような前提の違いを抜きにして・・・」 |
これは、どちらの決定だと思われるだろうか。高橋決定なのだが、高木決定を紹介したところにほぼ同じ文章がある。「このような前提の違いを抜きにして・・・」 がわずかに違うことは違うけれど・・・。 |
「総じて、各人の記憶が相当あいまいで、いずれも、所論を裏付ける証拠としての内容に乏しい」 「右供述は、捜索から約28年も経って行われたものであるばかりでなく・・・確かな記憶に基づくものか、甚だ心許ないといわざるを得ない」・・・高木決定。 |
高橋決定は・・・「総じて、各人の記憶が相当あいまいで、いずれも、所論を裏付ける証拠としての内容に乏しい。」
「同供述は、捜索から約28年も経って行われたものであるばかりでなく・・・確かな記憶に基づくものか疑問があるといわざるを得ない。」・・・確かに、「右」 と 「同」 が違う。 |
したがって、やはり結論は高木決定と同じである。 |
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しかし、高木決定にしか見られないこともある。 |
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半沢鑑定について・・・ |
高木決定は、半沢鑑定について次のように要約する。 |
「(1)対照資料の筆跡と照合資料の筆跡が同一であると判定し得るためには、対照2資料間に 『希少性のある安定した類似性』 が認められ、かつ 『安定した相異性』 が認められないことを要件とする。 |
これに反し異筆と判定し得るためには、たとえ部分的であっても 『安定した相異性』 が認められれば必要十分であることを前提とする。 |
その上で、安定性如何を判定するためには、文字ないしは文字群について、筆致が魯鈍であるか否かといった主観の入る余地のある定性的分析ではなく、該当文字の出現頻度といった定量的分析を行い、統計的に処理する」。 |
その上で・・・ |
「そこで、検討するのに、半沢鑑定書は筆跡鑑定の一方法論にとどまり、その結論には直ちに賛同することはできない。まず、『希少性のある安定した類似性』 『安定した相異性』 の判断根拠が十分でないように思われる。 |
書字・表記、その筆圧、筆勢、文字の巧拙などは、その書く環境、書き手の立場、心理状態などにより多分に影響され得るのであり、また、運筆技術は時日の経過とともに変化 (洗練) するのが普通であるにもかかわらず、 |
これらを捨象し、該当文字の出現頻度といった定量的分析をし、統計的処理を行って、『希少性のある安定した類似性』 『安定した相異性』の判断根拠とするのは疑問である。」 とする。 |
しかし、「・・・心理状態などにより多分に影響され得る・・・変化する・・・」 ことを考慮に入れるからこそ、客観的に判断できるように 「・・・出現頻度といった定量的分析をし、統計的処理」 を行っているのである。これが理解できないのだろうか? |
上の文章に続く次の一文は、訳がわからない。 |
「同鑑定書の指摘する 『え』 『け』 『す』 『な』 について、同鑑定書指摘の確率を
もって 『希少性ある安定した類似性』 といえるかも問題である。」 |
半沢鑑定を紹介したところをお読みになった方は???になるのではなかろうか。半沢鑑定は、脅迫状と石川さんが書いたものとの 「安定した相異性」 は言っているが、「希少性ある安定した類似性」 なんてことは全く言ってないのだから・・・。 |
意味不明な部分 (半沢鑑定が 「希少性ある安定した類似性」 を主張しているかのような部分) は、本当は半沢鑑定をよく検討していない・・・よく言えば 「誤解」 、悪く言えば 「曲解」 している (意図的?) ことを示している。 |
そして、その上で半沢鑑定に対するケチ付けを行う。曰く・・・ |
「 『え』 については、同鑑定書添付の資料によっても、昭和38年10月26日付け以降の関源三宛書簡及び内田裁判長宛上申書に見られるのに、これを考慮せずに、昭和38年9月6日付け関源三宛書簡までは、『エ』 の平仮名代用が希少性のある安定した類似性というのは、説得的でないように思われる。」 |
しかし、石川さんはこのころ、「え」 を 「エ」 と書く状態からぬけだしたのである。問題は、事件当時なのだから、63年の9月6日までも、本当は下らなくてもいいように思うが、十分に説得力のあるサンプル数とするためだろう。 |
さらに、「本件脅迫状には、右肩環状連筆の特徴が指摘されている 『け』 は1文字、『す』 は3文字、『な』 は5文字しか存在しないのであり、しかも、『や』 と書くべきころを 『ヤ』 としたのは2文字しか存在しないのであるから、これをもって、『安定した相異性』 を判断するのは相当でない。・・・ |
・・・また、そもそも運筆の連綿は、その時々の書き手の気分や、筆圧、筆勢などによっても変化しうるもので、書き癖として固定しているとも限らないのであるから、 |
半沢鑑定書が 『け』 『す』 『な』 の右肩環状運筆の特徴を強調して、『希少性ある安定した類似性』 『安定した相違性』 を指摘するのは、その相当性に疑問があるというべきである。」 というのである。 |
たしかに 「け」 は1文字だが、「す」 は3文字、「な」 は5文字で、その全てが右肩環状連筆で書かれているとなれば、この確率は100%であり、脅迫状を書いた人物は、 右肩環状連筆で書くクセを持っているということである。 |
対して、石川さんの文章からは、1965年にまでくだり、かなりの文字数を拾い出した。しかも、どっちにもとれるものは 「普通」 の方には入れていない。つまり、石川さんに不利に条件を設定している。 |
その上で、この3文字を右肩環状連筆で書く確率を導き出した。結果は、限りなく 0 に近い。普通の生活の上で使う数字では 0 である。つまり、石川さんは、この3文字を右肩環状連筆で書くクセをもっていなかったのだ。 |
「したがって、半沢鑑定書は、3鑑定の信用性を揺るがすものではないというべきである。」 と結論づける高橋決定だが、実は 「3鑑定の信用性」 は根本からゆるがされていたのである。 |
にもかかわらず、高橋裁判長は、高木決定を引き写した作文をもって、異議申し立てを棄却した。 |
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特別抗告審 |
これに対し、石川さんと弁護団は、1月29日最高裁に特別抗告を行った。さらに2002年10月31日、特別抗告申立補充書を提出。また、齋藤さんは抹消文字の問題について実験と分析を続けた。 |
2003年9月30日、 「封筒の 『少時』 の背後に多数の抹消文字があり、9本の二条線痕がある。これは、犯行以前に万年筆で書き、消した文字の痕跡である」 という齋藤第5鑑定を最高裁に提出。 |
また、「封筒文字のインクX線分析を求める事実調べ請求書」 も提出された。ボールペンなのか万年筆なのか、白黒はっきりつけることをつきつけたのである。 |
さらに、東京高裁・高木、高橋裁判長が、「齋藤鑑定は推測・独断」 と退けた抹消文字の存在について、1963年当時、他ならぬ埼玉県警鑑識の鑑定自身が認めていたことを明らかにした第5鑑定補遺を 11月12日に提出した。 |
そして、2004年3月23日特別抗告申立補充書を提出し、特別抗告審は正念場を迎えている。 |
6月にはルポライターの鎌田慧さんが7年をかけたという 「狭山事件―石川一雄、41年目の真実」 を刊行し、「字を書けない人は脅迫状を書かない」 こと、したがって石川さんが犯人ではありえないことを改めて浮きぼりにした。 |
また、「狭山事件の再審を求める文化人の会」 が新たな100万人署名を呼びかけた。現在、(2004年9月) 全国的に取り組まれている。 |
さらに、狭山弁護団は、10月29日に最高裁に補充書と新証拠を提出する。「補充書で、自白の虚偽と部落差別の問題を中心に論じるとともに、斎藤一連鑑定を補強する別の鑑識課員による鑑定や国語能力の観点からのあらたな鑑定などの新証拠を提出し、事実調べ-再審開始をさらに最高裁にせまる」 ことが明らかにされている。 |
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30年目の10月31日がやってこようとしている。今も、石川さんを見えない手錠で縛る確定判決は、1974年10月31日の寺尾判決である。 |
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