異議審                              04/9/10
1999年7月12日、東京高裁第5刑事部に異議申し立てを行い、異議審という局面に入った。
弁護団は、佐野屋脇の畑で採取された現場足跡と石川さん宅から押収された地下タビの対照足跡の3次元スキャナによる新鑑定 (後述) や、齋藤第2~4鑑定 (既述) などを提出し事実調べを迫った。
 半沢鑑定
狭山事件では、2004年3月までに、21通の弁護側の筆跡鑑定書・意見書・報告書が提出されている。この第2次再審・異議審では鑑定書と意見書が各1通提出されている。
2000年3月31日に提出された金沢大学工学部助教授・半沢英一さんの筆跡鑑定を紹介する。
半沢さんは、まず、筆跡鑑定の原理として、<①「希少性」 ある 「安定した類似性」 が認められ、かつ 「安定した相異性」 が認められなければ、二つの筆跡は同筆と判断する。②「安定した相異性」 が認められれば、二つの筆跡は異筆と判断する。> とした。
つまり、<常に現れるよく似たところがあろうが、また、それが希に見るものであったとしても、常に現れる違ったところがあれば、それは筆跡が違うということになる> という意味だと思う。
確かに、似た字を書く人はいるのだから、全体としては似た感じでも、必ずと言っていいくらい違う文字が出てくれば、それは書いた人が違うということになる。もっとも、狭山事件の場合、脅迫状と上申書では見た目も感じを全く別人だが・・・。
半沢さんは、「え・つ・や」 のカタカナ当て字と、「け・す・な」 の 「右肩環状連筆」 (右上の横と縦がつながって丸くなっている) に注目した。
脅迫状 石川さん
脅迫状では、「え」 と書くべき5文字のうち、3文字が 「江」、2文字が 「え」 となり、「や」 と書くべき2文字が 「ヤ」 となっている。
「け」 1文字、「す」 3文字、「な」 5文字が右肩環状連筆になっている。
石川さんの文章で、1963年9月6日の手紙まで、「え」 と書くべき77文字のうち、「エ」 が66文字、「江」 が10字、「え」 が1字。なお、「江」 があるが、これは逮捕後、脅迫状を見せられ、写させられたりしているからである。
1965年まで、「や」 と書くべき148文字すべてを 「や」 と書いている。
また、1965年まで、「け」 86文字中81文字、「す」 225文字中220文字、「な」 154文字中145文字を右肩環状連筆でなく普通に書いている。なお、はっきりしないものは、「普通」 から除外され、石川さんにとって不利な数値になっている。
以上のことから、当時の石川さんが 「え」 を 「え」 と書く確率は1/77で、5文字の中で2文字以上が 「え」 と書かれる確率は約0.00164324。
「や」 と書かれるべき2文字が 「ヤ」 になる確率は約0 。
「け」 1文字が右肩環状連筆で書かれる確率は、約0.0581395。
「す」 3文字が右肩環状連筆で書かれる確率は、約0.0000109739。
「な」 5文字が右肩環状連筆で書かれる確率は、約0.000000681725。
脅迫状ではこれらの全てが起こっているので、その確率は、以上の各確率を掛けあわせたものなり、限りなく0に近くなる。つまり、石川さんは脅迫状を書いていないということになる。
なお、石川さんは1963年6月23日付け供述調書まで 「つ」 と書くべき37文字全てを 「ツ」 と書いている。確かに脅迫状にも 「ツ」 の当て字がある。
しかし、このような類似性があろうとも、<常に現れるよく似たところがあろうが、また、それが希に見るものであったとしても、常に現れる違ったところがあれば、それは筆跡が違うということになる> ということである。
また、石川さんが小学校に入学した当時は、カタカナから勉強している。したがって、当て字といっても、あまり学校へは行けず、非識字の状態であった石川さんにとって、カタカナを使うことは、当て字と言うより自然な文字の使用方法であったのだろう。
識字学級で学ぶ石川さんとほぼ同年代のおばちゃんの中で、ひらがなは結構難しいがカタカナならなんとか書けるという人がいる。やはりほとんど学校には行けなかった人なのだが、カタカナから勉強したのだ。
同じ 「ツ」 でも作意に満ちた脅迫状の 「ツ」 と、石川さんの 「ツ」 は意味が違うのだ。
いずれにせよ、「ツ」 の存在は半沢鑑定の結論に何の影響もない。
2002年1月23日、しかしながら、東京高裁・高橋裁判長は、数々の無実の証拠に目をふさぎ、異議申し立てを棄却してきた。