一貫性
1999年7月7日、東京高裁第4刑事部 ・高木裁判長は第2次再審請求を棄却した。第2次再審を請求してから13年。要求しつづけてきた事実調べ、証拠開示も全くないままであった。
ONさんの新たな証言があり、7人の元刑事の証言もあり、そして齋藤鑑定も提出されるという状況の中で、なんと齋藤鑑定提出 (6月10日) から1ヶ月もたたないうちに! である。
これまで紹介してきた 「証拠」 との関係で、高木決定についてみる。
 齋藤鑑定
斎藤鑑定に対する理由にもならない棄却理由は、<齋藤鑑定> のところで既に述べたとおりであるが、簡単に再述する
「一般に、手指で紙などに触れた事実があり、その分泌物の付着も十分であったはずでも、その触れた個所から、異同の対照が可能な程に鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らないことは、確定判決が判示するとおりであり、裁判所に顕著な事実である。・・・
・・・請求人のものと同定できる指紋がこれらの対象物から検出されなかったことが、即、請求人が本件脅迫状、封筒並びにYN (被害者) の身分証明書などに手を触れた事実がないことを意味するとは言えず、この点に関する確定判決の事実認定を動揺させるものとは言い難い。」
斎藤さんは、専門家として、「自白どおりなら必ず検出される」 と言っているのである。「確定判決 (寺尾判決) 」 が間違っていると言っているのだ。寺尾判決が正しいということを証明できなければ、この文脈は成り立たない。
寺尾判決は、かなりある 「物的証拠」 (ほとんど捏造) から、素手で行ったはずの 「犯行」 にもかかわらず、石川さんの指紋が1つもでてこないから 「必ず検出されるとは限らない」 という怪しげな一般論に逃げ込んだのだ。
「裁判所に顕著な事実」 とは何のことだろう? 「裁判所の常識」 ? みたいなことが言いたいのだろうか。・・・だから、一般論を言ってるんじゃなくって、狭山事件において、石川さんの 「自白」 どおりだったらって、言ってるだろう!って言いたくなる。
また、 脅迫状の封筒の宛名・「少時」 が万年筆で書かれていたということについては、<「少時様」 はいずれもボールペンによって書かれているが、指紋検出の際の 「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合」 によって状態が違う> というのである。
さらに、手袋の痕については、「斎藤鑑定書指摘の写真には、縞模様らしいものがその指摘の個所に薄ぼんやりと印象されているかに見えるが (所論にかんがみ現物を検しても、現在では判然としない。)、これを犯人の用いた軍手様の手袋の汚れが付着したものであるとする右鑑定書の指摘は、一つの推測に過ぎないというほかない。」 と退けた。
斎藤さんは、以降、第2~第5鑑定・第5鑑定補遺を提出することになる。
 日付訂正
日付訂正については、「しかしながら、所論は、第1次再審請求で主張された身代金持参指定日の日付訂正に関する主張と同旨であり、所論を裏付ける新証拠として提出された資料も、訂正前の日付についての地元警察の認識を報じた事件発生直後の新聞記事の写が加わっただけで、
第1次再審請求で新証拠として提出され、その請求棄却決定の理由中で判断を経た証拠と実質的に同じであると認められるから、所論は、実質上、同一の証拠に基づく同一主張の繰り返しというほかなく、刑訴法447条2項に照らし不適法である。
そして、念のため、所論援用の前掲証拠を確定判決審の関係証拠に併せ検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑問を抱かせるには至らない。」 という。
刑訴法447条は、「請求棄却の決定」 で 「①再審の請求が理由のないときは、決定でこれを棄却しなければならない。②前項の決定があったときは、何人も、同一の理由によっては、更に再審の請求をすることはできない。」
つまり、「第1次再審で決着済みの話だから、取り合わないんだ」 というわけだ。しかしこれは、第1次再審で裁判所の側が一方的に 「石川さんの記憶違い」 ということで片付けてしまっただけの話であり、決着も何もついてはいないのである。
 7人の元刑事の証言
実際に家宅捜査に参加した元刑事たちの証言は、その意味するところを十分承知した上での証言であり、極めて重大な証言である。
高木決定は、「第1次再審請求手続における特別抗告審の決定も指摘するとおり、第3回目の捜索は、万年筆の隠匿場所について自供を得た捜査官が、右自供に基づいて隠匿場所を捜索したものである点で、捜査官に何ら予備知識のなかった第1回、第2回の捜索の場合とは、捜索の事情や条件を異にするのである。」 という珍論を展開した。
なお、第1次再審の特別抗告審決定 (大橋裁判長) とは、「鴨居が人目につきにくい場所ではない」 という内田報告書におされ、苦し紛れに言っていることである。曰く・・・「内田報告書は・・・鴨居上に万年筆が存在することを意識している人物による可能性を判定するものであって、
右鴨居の上が 『人目につきにくく、見落としやすい箇所』 であり、右鴨居上に本件万年筆が存在していたにもかかわらず、これを知らなかった捜査官が、右押収日に先立つ2回の捜索時にこれを看過し、その後、申立人の自白によって初めてこれを発見、押収した」 というものである。
これに対して、7人の証言は強烈なパンチとなった。普通なら、逆転サヨナラHRだ。しかし、高木裁判長は、「予備知識」 という理屈にならない屁理屈をこねる。
さらにまた、第2次再審棄却決定 (高木裁判長) は、「総じて、各人の記憶が相当あいまいで、いずれも、所論を裏付ける証拠としての内容に乏しい」 「右供述は、捜索から約28年も経って行われたものであるばかりでなく・・・確かな記憶に基づくものか、甚だ心許ないといわざるを得ない」 とこれらの証言を退けた。
「確かな記憶に基づくものか、甚だ心許ないといわざるを得ない」 のだったら、本人たちに聞けばいいだろうってのが普通の感覚だろう。聞きもしないで勝手にほざくなと言いたくなる。
当時の埼玉県警にとっては大事件である。しかもその上に、あとから万年筆が発見されたのだ。細部はともかく、鴨居を捜したかどうかの記憶があいまいになるわけがない。
確かに、これは・・・裁判所はさすがに首尾一貫していると認めざるをえない。都合の悪いこと (石川さんの無実を示すこと) は、「何年も前のことで記憶が疑わしい、ウソをついてる」 といい、<でっちあげた 「自白」 や証拠> に関しては、「警察・検察官はウソをつかない」 と擁護する姿勢!
 ON証言
高木決定は、ON証言について、警察官・検察官への供述と弁護士への供述の違いを認めながら、新たな証言 (1985年10月18日) を次のようにまとめる。
「昭和38年5月末ころ、警察官が聞き込みに来て、作業中に人の声を聞かなかったかと尋ねるので、誰かが何か言ったかなぁという気がしたということを話したが、それは悲鳴ではなく、人が襲われたようなものでもなかったから、周囲を見回したり、付近を探したりはしなかったし、
警察が聞き込みに来るまで、まったく気に留めていなかった、自分が農作業をしていた桑畑とその東側の、犯行があったとされる雑木林相互の見通しは悪くなく、両者の境界付近から雑木林の真ん中辺りまでは見通せる状況であった、右雑木林で事件が起こったような状況は全くなかった」
しかし、石川さんが 「自白」 を始めてからの河本検事に対する供述と 「自白」 前の警官に対する供述には、「実質的な違いは認められない」 から、「本件桑畑で除草剤撒布作業をしてから1、2か月しか経っていない、記憶の新鮮な時期になされたONの捜査官に対する前掲の供述内容、就中、員面 (警官への供述調書) の内容は、十分信用に価するということができる。
これに対して、弁面 (弁護士への供述調書) 2通は、殊更に虚偽を述べたとは考えられないけれども、事件からそれぞれ18年、22年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であるとは認め難いものといわなければならない。」 と切ってすてる。
そしてまたぞろ、例の、「襲われたような感じがした」 という5月30日付けの警官の報告書をもちだし、「・・・『誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった』 旨の経験事実の供述は、強姦とそれに引き続く殺害に関する請求人の自白に沿うものと見ることができるのであって、これと相容れないものではない」 と結論づける。
世間を揺るがした大事件である。図らずも 「関係者」 になり、何度も聞き込みを受けたのである。18年経とうと22年経とうと、その時 (当時34才) の自分の受けた印象を忘れるはずがないではないか。 
裁判所の 「首尾一貫した記憶の取り扱い」 がここにも現れている。そして、やはり時間帯の問題には触れていない。
さらに、見通し鑑定と悲鳴鑑定についても、ばっさりと切り捨てる。やはり20年間の時の経過によって条件が違うと言い張るのである。
「ONは、このようなうっとうしい天候の下で約二時間半にわたり、作業を早く済ますことを心がけながら俯き加減に桑畑の中で往復を繰り返し、独り除草剤撒布に専念していたのであって、桑畑のすぐ東側の雑木林で兇悪な犯罪が行われて悲鳴があがることなど、夢想だにしなかったのであるから、
除草剤撒布の作業の間に、雑木林の中の犯人と被害者の姿に気付かず、また突然に被害者の悲鳴(その音程、音量、長さ、回数などは、証拠上判然としない。)があがっても、・・・危難に遭っている者が直ぐ近くにいるという切迫感を持たなかったことは、必ずしも不自然なことではないと考えられる。
他方、犯人と被害者の側についても、右に見たような現場の地理的状況、当時の気象条件の下では、桑畑が見通せる客観的状況にあったからといって桑畑で作業中のONの姿に当然気付いて、犯人はその場所での犯行を断念し、被害者は救いを求めたはずであるとは、必ずしも言い難いといわなければならない。・・・
このように見てくると、ONが除草剤撒布作業中に人の声を聞いたという右の経験は、請求人の自白供述に沿うものと見ることができる。
所論が援用する鑑定書、報告書等は、・・・事件当時から20年近くを経て、現場とその周辺が大きく変容したことは察するに難くなく、事件当時のままに地形、気象、地上物等の条件を設定し、
あるいは推測により近似の条件を設定して、近くで悲鳴がおこることなどまったく予期せずに、除草剤撒布の作業に集中していたONの心理状態を含め、当時の状況を再現することは、非常に困難なことであるといわなければならない。」
1986年7月20日付けの内田 (東洋大学) 第2次識別鑑定は、こうしたケチ付けを想定し、事件当日と同様の天候条件、事件当時の具体的な条件のもとで鑑定したものである。決定はこれらに具体的には触れず、一般論に逃げ込んだ。
「怪しげな一般論への逃げ込み」・・・裁判所のもう1つの一貫性と言える。
7月12日、東京高裁第5刑事部に異議申し立てを行い、異議審に入った。