| 齋藤鑑定・5 04/6/20 | |
| 2本の万年筆があった! | |
| 異議審棄却 (2002年1月23日) | |
| 2002年1月23日、東京高裁第5刑事部・高橋裁判長は異議申し立てを棄却する決定を行った。 | |
| 齋藤鑑定については、次のように全て退けた。 | |
| まず、「少時」 が万年筆で書かれていたということについては、「齋藤鑑定書の見解を援用する所論は、採用することができない」。理由は次の通り。 | |
| 「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合によって、『少時』 の文字については、溶解が進み色素が流れてしまい (ボールペンのインク様の青い色素が、極薄く、不定形に広がり、用紙の繊維に付着しているのが見てとれる。)、ほとんど完全に消滅して読みとり不可能となり、他方、『様』 の文字も溶解したが、色素が流れて拡散してしまうには至らなかった」 。 | |
| 再審棄却と全く同じ文章である。「かかり具合」 ということはありえないとした斎藤鑑定に対して、この点での反論はなかった。 | |
| 次に、軍手痕について、「本件封筒の表面には、荒目の安い軍手により印象されたものと認められる布目痕4箇所、滑り止め手袋により印象されたものと認められるツブツブ痕1箇所がある、というのであるが、そこまで判定可能かすこぶる疑問である」。 | |
| 「粗目の安い軍手により印象されたものと認められる布目痕5箇所が認められるとしているが、同写真を具に見てもそのように判定されるか判然としない」。 | |
| 「疑問」 があり、「判然としない」 ならば、なぜ尋ねてみよう (証人尋問) としないのであろうか。自分には分からないといっているだけなのだ。 | |
| さらに、「封筒の表側と裏側に書かれていた『N江さく』は、犯行前に既に書いてあったということである、と鑑定しているが、その結論のみならず、そこに至る事実認識においても、独断に過ぎ、十分な論証に欠ける嫌いがあるといわざるを得ない。 要するに、齋藤第2鑑定書の指摘は、一つの推測の域を出ない」。 | |
| 抹消文字については、「本件脅迫状及び封筒の実物や同鑑定書添付の写真を具に見ても、上記の鑑定結果を導き出せるか多大の疑問がある上、本件封筒上の 『少時』 の文字が、『N江さく』 の文字と同様に、万年筆様のもので書かれ、他方、『様』 の文字は、ボールペンで書かれているとの齋藤第2鑑定書の核心的判定部分が採用できないことは既に述べたとおりであるから、齋藤第3・柳田鑑定書の判断は、独断に過ぎるというべきであり、にわかに賛同することはできない」。 | |
| 指紋については、「原決定が指摘するように、一般に、手指で紙などに触れた事実があり、その分泌物の付着も十分であったはずでも、その触れた個所から、異同の対照が可能な程に鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らない」。 | |
| 指紋実験鑑定書についても、「同鑑定書は、新規明白性を備えた証拠であると主張するが、実験の条件設定が本件封筒・脅迫状の作成、保管状況等を正確に再現できたものか明確ではないから、同鑑定書も前記結論を左右するものではない」。 | |
| 要するに、再審棄却決定のオウム返しと、高裁第5刑事部としては判断できない (判然としない・嫌いがある・にわかに賛同できない) という理由で棄却決定を行ったのである。 | |
| 特別抗告 (2002年1月29日) | |
| 石川さんと弁護団は、1月29日最高裁に特別抗告を行った。さらに2002年10月31日、特別抗告申立補充書提出。齋藤さんは抹消文字の問題について実験と分析を続けた。 | |
| 齋藤第5鑑定 (2003年9月30日、最高裁に提出) | |
| 齋藤さんは、封筒の表の 「時」 の背景に9本の 「二条線痕」 を再確認した。また、表側の 「N江さく」 部分に4本、「様」 の訂正線に5本、裏の 「N江さく」 「N江」 部分に5本、計23本の 「二条線痕」 を確認した。 | |
| そのいずれもが左上から右下にかけて書かれた線であった。 | |
| 齋藤さんは1962年の消印のある封筒を使って、インク消しで消し、指紋検査を行い実験し、左上から右下の方向に書かれたところに二条線痕ができることを確認した。これは、先のわれる万年筆またはペンでしかできない。 | |
| これまでの鑑定では、二条線痕があることは分かっていたが、その方向までは確認できていなかった。 | |
| 以上から、齋藤第5鑑定は 「封筒の 『少時』 の背後に多数の抹消文字があり、9本の二条線痕がある。これは、犯行以前に万年筆で書き、消した文字の痕跡である」 と結論づけた。 | |
| なお、9月30日には、「封筒文字のインクX線分析を求める事実調べ請求書」 も提出された。ボールペンなのか万年筆なのか、白黒はっきりつけることをつきつけたのである。 | |
| 第5鑑定補遺 (2003年11月12日提出) | |
| 齋藤さんは、事件当初に脅迫状・封筒を見たら、鑑識はまず、何で書かれたものなのかを判定しなければおかしいと考えた。そして、当時の筆跡鑑定書を調べた。すると、当時の埼玉県警鑑識の関根・吉田鑑定 (6月1日付) の中に次の一文があった。 | |
| 「封筒表面の抹消文字についての検査・・・封筒表面の 『少時様』 状に記載された文字の部位について、赤外線、紫外線等の特殊光線およびグリーン、ヒルター等を使用し、撮影のうえ、潜在文字の画線を検査したが不明瞭のため、文字の判読は困難である」。 | |
| つまり、当初から抹消文字の存在は指摘されていたのである。東京高裁・高木、高橋裁判長による棄却決定では、「齋藤鑑定は推測・独断」 と退けたのであるが、1963年当時、他ならぬ埼玉県警鑑識の鑑定自身が認めていたことだった。 | |
| また、事件当時の科学警察研究所の長野鑑定では、「封筒表面の中央部には抹消箇所が認められて、その下方部と裏面には 『N江さく』 『N江』 等の文字が3箇所縦書きでペン書きされている」 (6月10日付) という記載があることも分かった。 | |
| 前述のように、東京高裁での2審で秋谷鑑定が行われ、この部分がペン書きと認められたが、事件当初から分かっていたことだったのだ。石川さんの 「自白」 ではボールペン書きとなっていて、この矛盾に寺尾判決は、石川さんの 「自白」 をねじまげてつじつま合わせをしようとした。 | |
| 齋藤さんは、「N江さく」 の文字のにじみから、「N江さく」 は犯行以前に書かれたものであることを明らかにしてきた (第2鑑定)。 | |
| この、二つの警察側鑑定は、齋藤さんの一連の鑑定の結果の正しさを図らずも認めていることになる。つまり、犯行以前に万年筆があり、インク消しで消せる人物・「N江さく」 を知っていた人物こそが真犯人であり、いずれでもない石川さんは犯人ではないということである。 | |
| 斎藤さんは次のように指摘する。 | |
| <整理すると、「2本の万年筆」 があった。①鴨居から発見された 「犯行時」 の万年筆、②齋藤一連鑑定、関根・吉田鑑定が指摘する犯行前の万年筆。狭山事件では、この2本の万年筆が登場した。最高裁は、この2本を石川さんが使用できたことを証明しない限り、有罪は問えないはずである。> | |