| 齋藤鑑定2~4 04/6/15 |
|
| 2本の万年筆があった! |
|
| 齋藤第2鑑定 (2000年3月31日提出) |
| 1999年7月11日、東京高裁・第5刑事部( 高橋裁判長) に対して異議申し立てを行い、第2次再審・異議審が開始される。弁護団は、東京高裁に対して齋藤鑑定人に脅迫状・封筒の現物を閲覧させるように要求した。 |
| 12月20日、齋藤さんは現物の写真撮影を行った。また、1963年5月2日に埼玉県警で撮影された脅迫状・封筒の写真も改めてネガから焼き付けて、鑑定を行った。 |
| ①軍手の痕跡が封筒表側に2箇所、裏に2箇所、脅迫状の表に5箇所認められる。 |
| ②封筒の手袋痕には、布目とツブツブの2種類の手袋の痕跡がある。 |
| ③棄却決定のいう アセトン溶液の 「かかり具合」 について、そもそも、検査対象を溶液にどっぷり浸して、まんべんなく検査薬をしみわたらせるので、「かかり具合」 が違うなどということはありえない。 |
| ④封筒の 「少時」 の背景にペンで書かれ抹消された文字の痕跡がある。抹消文字の筆圧痕は 「少」 の周辺に20、「時」 の周辺に48箇所ある。特に、「時」 の周辺のものは、万年筆やペンのような、先の割れる筆記用具で書いた後の 「二条線」 になっている。 |
| 当時、ボールペンインク消しはなかったので、インク消しで消された万年筆の文字のあとと考えられる。犯人は、万年筆とインク消しを持つ人物であり、文字と縁遠い生活をしていた石川さんではない。 |
| ⑤封筒の 「N江さく」 は犯行当日以前に書かれている。それは、「N江さく」 の文字のにじみと訂正線がにじんでいないこと、脅迫状がぬれてにじんでいることによって分かる。 |
| 「N江さく」 のにじみは水にぬれたからだが、水にぬれると指紋が検出されない。しかし、指紋は検出されているのだから、事件当日はぬれていなかったことになる。もし、殺害後、「N江さく」 と書いて水にぬれてにじんだなら (当日は雨)、訂正線もにじんでいなければならない。 |
| つまり、一度書いた脅迫状 (封筒) が水にぬれてしまい、それを乾かして使っているということなのである。石川さんは、「自白」 では犯行直前に 「N江さく」 の名前を聞いたことになっている。しかし、犯人は、前から 「N江さく」 を知っていた人物である。 |
| また、封筒・脅迫状に1箇所ずつ古いセロテープの跡も発見された。それほどに変色するには数ヶ月から年単位が必要という。封筒・脅迫状自体が相当古いということを示す。その他にも古さを示す事実を何点かあげている。 |
|
| 齋藤第3・柳田鑑定 (2001年4月25日提出) |
| 齋藤さんは、「筆跡及び刀剣鑑定士」 の柳田律夫さんの協力を得て、多数の筆圧痕の分析を続けた。2001年2月27日、再度、封筒・脅迫状の八方向からの写真撮影を行い、コンピューターで解析した。 |
| ①「少」 の背景に31本、「時」 の背景に62本の筆圧痕があった (第2鑑定より多かった)。しかも、その中に9本の二条線が確認された。 |
| 「少」 の背景の筆圧痕から |
| 「2」の文字が浮かび上がった。 |
|
|
 |
| 各写真にポインターをあててみてください。 |
| 「時」 の背景の筆圧痕からは、 |
| 「女」 「死」 の文字が。 |
|
|
 |
|
| つまり、 「少時」 の背景の筆圧痕は、万年筆かペンで書かれ、インク消しで消された文字の痕跡 (抹消文字) であり、そして、「少時」 はその上から書かれた文字 (改ざん文字) であった。 |
| ②脅迫状の 「少時」 の背景からは、「女」 「林」 「供」 「八」 「二」 の5つの漢字が出てきた。 |
|
|
| これらの文字も二条線が現れているから万年筆またはペンで書いている。脅迫状にも、万年筆で書かれ、消された文字があったのである。 |
| 再度になるが、犯人は、万年筆とインク消しを持つ人物であり、文字と縁遠い生活をしていた石川さんではない。 |
|
| 齋藤第4鑑定 (2001年5月31日提出) |
| 再審棄却決定では寺尾判決同様、「指紋は必ず検出されるとは限らない」 と齋藤第1鑑定を退けた。そこで、弁護団は2001年5月1日に指紋検出の公開実験を行った。 |
| 石川さん本人を含む3人が被験者となり、「自白」 と寺尾判決の認定に沿って実験が行われた。ノートを破り、ボールペンで脅迫状を書き、封筒に 「少時」 と書く。そして、脅迫状を四つ折にし、封筒に入れ、封筒を二つ折りにしズボンのポケットに入れる。 |
| そして、これを取り出し、脅迫状と封筒を万年筆で訂正する。再び脅迫状を封筒に入れ、ポケットに入れる。さらに、封筒を取り出し、上部をひきちぎり、脅迫状を取り出して確認し、もう一度封筒に入れる。 |
| 齋藤さんは、埼玉県警が実施した方法で封筒と脅迫状の指紋検出を行った。石川さんの作った脅迫状からは127個、封筒からは94個の指紋が検出され、計221個のうち18個が石川さんのものと確認された。 |
| あとの二人からは136個、170個の指紋が検出され、それぞれ14個、28個が二人のものと確認された。 |
| 実際の脅迫状と封筒からは7個しか指紋が検出されていない。しかも、一致したのはYNさんの兄の1個と警官の1個だけである。犯人が、指紋を残さないように、手袋をしていたとしか考えられないのだ。 |
| この実験結果について、齋藤さんは、「一人平均20個の指紋が検出された。『自白』 どおりであれば、最低1個以上の指紋が検出される。石川さんの指紋がないのは、石川さんが脅迫状と封筒に触れていないからである」 と結論づけた。 |
| 弁護団は、この齋藤実験鑑定を斎藤第4鑑定として東京高裁第5刑事部に提出した。2001年5月31日である。 |
|
|
|
|