| ON証言・2 04/8/29 |
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| 特別抗告棄却 |
| 1985年5月27日、最高裁第2小法廷・大橋裁判長は特別抗告を棄却した。棄却の理由は、弁護側の主張は審理不尽・事実誤認の主張で、特別抗告について規定している刑事訴訟法433条の抗告理由 (憲法違反・判例違反) に当たらないというものであった。 |
| 門前払いである。その上で、「職権をもって次のとおり判断を加える。」 として、弁護側の主張・鑑定書をすべて退けた。衝撃のON証言については、次の通りである。少し長くなるが・・・ |
| 「11 悲鳴等について」 という項目を最後にもってきて、まず弁護側の主張を、「・・・ONは当然その悲鳴を聞いたはずであるし、また、申立人 (石川さん) とONとは互いにその姿を見たはずである。 |
| したがって、ONが悲鳴を聞いておらず、犯人の姿も見かけていないことおよび申立人の自白に至近距離で農作業中の農夫について言及した部分がないことは、申立人の自白が虚偽であることを示すものである。」 とまとめる。 |
| そして、5月30日付けの警官の報告書をもちだし、、「男女の別はわからないが、誰かが呼ぶような声が聞えたので、親戚に立寄っている妻がお茶を持って来ながら、誰かに襲われたような感じがした。しかし、親戚の方向を見たが誰の姿もないので、仕事を続行した」 と話しており、 |
| これが、1981年10月18日のONさんの弁護士への調書では、 「作業中、ホーイともオーイとも、誰かなんか言ったかなと思うような気がしたのです。はっきりした悲鳴というものではありませんでした。」 と |
| 「修正されたのであるが、いずれにせよONが叫び声に類する声を聞いたことは否定しがたいところであり、 |
| しかも事件当時、この付近は一面の麦畑、桑畑、雑木林であって、人の声はこれらに吸収されて聞こえにくい上、毎秒4.1mないし6.7mの北風がONの側から犯行現場の方向に吹いていたこと、樹木・樹葉に当たる風の音、雨の音、ONの操作する噴霧器の音があったこと、 |
| ONはこのような犯罪の行われていることを夢想だにせず農作業に注意を集中していたこと、被害者の悲鳴の長さは、自白においても確定されていないが、瞬間的なものであった可能性があることなどの条件を考慮すると、 |
| ONには被害者の悲鳴が 『誰かが何か言ったかな』 という程度に聞こえたとしても、申立人の自白と必ずしも矛盾しないのであって、右ON供述はむしろ自白を補強する一面があるものとさえ認められる」 とまで言い切った。 |
| また、識別鑑定 (見通しの鑑定) は、「事件から約20年もたち、状況は大きく変化した現場で、しかも気象条件も異なる上、人の認知能力は出来事を予期している場合であるか否かにより大きく異なる等を考慮すると」 、弁護側の主張を裏付けないと断定。 |
| さらに、悲鳴鑑定は、「実験補助者の悲鳴が、犯行当時の被害者の悲鳴と同じ高さ、同じ大きさであったという保証あるいは被害者の発声方向が実験のスピーカーの方向と同じであったという保証は何もないのであり、加えて、現場や周囲の状況の変化、気象条件の相違等を考慮すると、右実験に基づく鑑定は、所論を裏付けるには足りないというべきである。」 と退けた。 |
| 「識別鑑定」 「悲鳴鑑定」 については、おそらくいろいろ難くせつけてくるだろうからということを想定し、厳しい条件のもとに行い、その旨も添えているのである。「条件の違い」 を言うなら、どこがどう違うのか明らかにしなければならない。ただただ、否定するためにのみ、言葉を並べたのである。 |
| そして・・・お気づきだろうか? この棄却決定には、時間帯の問題が一言も触れられていない。いや、触れられなかったのである。 |
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| ON証言 |
| 1981年7月に証拠開示で出されて、新証拠として提出されたものには、1963年5月30日・5月31日・6月2日・6月4日付けの警官の捜査報告書がある。また、1981年10月18日付けの弁護士への供述調書がある。 |
| なお、今日、ON証言と呼ばれるものには、1963年の検察官への供述調書、1985年の弁護士への供述調書もある。 |
| 最初の捜査報告書の日付の5月30日といえば、石川さんの逮捕後1週間である。石川さんは頑強に否認している。そんな中で、死体発見現場の近くで、5月1日当日仕事をしていたというONさんの存在をつかんだ警察は、連日事情聴取を行った。 |
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| 5月30日の報告書では、「午後3時半頃から午後4時頃の間のことであるが、方向、男女の別は判らないが、誰かが呼ぶような声が聞えたので、親戚に立寄っている妻がお茶を持って来ながら、誰かに襲われたような感じがしたので、親戚の方向を見たが誰の姿もないので、雨が少し降っていたので急いで仕事を続行し午後4時30分項除草剤が終ったので仕事をやめ」 となっている。 |
| 5月31日では、「午後2時頃より同日午後4時30分頃の間・・・除草剤散布の仕事をしていたものであるが・・・散布を始めてから終るまで約10回位畑より自動車まで薬剤補給に往復し、其の間周囲を見廻したが人影を見なかったとのことであった。 |
| ・・・誰か呼んだように聞えたので見た方向は仕事をしていた桑園側の雑木林の方である。その雑木林は冬季、妻の兄より借り受け落葉をかき集めた時、近くに住む妻の実兄方よりお茶を持って来てくれたので、その方向より妻がお茶を持ってくるのかと思い見たのだが、誰の人影もなかったと申し立てた。」 |
| 6月2日、「前回報告通り本年5月1日午後2時頃より同日午後4時30分頃の間・・・本日第4回目の聞込みをしたるところ次の通りである・・・作業状況、通行人目撃状況等は前回報告の通りである・・・その他は前報告の通りで特異な聞込みはなかった」。 |
| 4回目となっているから、6月1日にも聞き込みがされているはずである。 |
| 6月4日、「午後1時50分頃より同日午後4時30分項の間・・・その後時間は判りませんが、午後3時半頃から午後4時頃の間の出来事でした。私が畑で仕事をしていると、誰かが呼んだような声が耳に入ったのです。 |
| その時私は直感で、妻が親戚のM方より私のところへ、お茶でも持って来る途中誰かに襲われ大きな声を出したかと思い、思わず親戚の方向に通じる山道の方を見ました。而し、誰の姿もなく、又人影も見当らず、続いて何の声も致しません。そこで私はそのまま仕事を続行していたのでありました。 |
| ・・・この時耳に入った声ですが、男の声だったか、女の声だったか判りませんでした。勿論年齢の区別も判らず、又どちらの方向だったか、それも判りませんでした。ですから近い場所ではなかったと思います。 |
| ・・・薬がなくなると補給するため約10回位、畑より自動車のところに戻ったのです。ですからその時は東西の畝を往復し歩き、菅原四丁目方向と東側山林は視界に入ったのですが、近所に人影は見ませんでした。」 |
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| 1981年10月18日、弁護士への調書。「右の作業中にきこえた声のことですが、作業中ホーイともオーイとも、誰か何んか言ったかなと思うような気がしたのです。はっきりした悲鳴というものではありませんでした。 |
| 確かに人の声でしたが、オーイとか助けてとか悲鳴だとかいうふうなものではありませんでした。いつも畑にいくというと女房がお茶なんかもってきてくれるし、誰か何か言ったみたい気がしたのでいつも来る山の方を見たけれど誰も来なかったので作業を続けました。 |
| 6月27日付の検察官に対する供述調書のなかに100m位離れたところで声をきいた旨書いてあるとのことですが、私はそれは言わなかったと思います。むこうが書いたのだと思います。また女の悲鳴のようだとも言っておりません。 |
| 1週問程前の10月10日夕刻に私が右の桑畑へ先生方をご案内し停止位置などを指示しておりますが、犯行現場とされている場所は右の桑畑の南側と接する雑木林内で、しかも境界の近傍ということですが、私は事件当時から本当にそこで犯行があったであろうかと疑問に思ってきました。 |
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| もしそこで被害者が悲鳴を上げたのならば私はきいた筈ですがそのような悲鳴はきいておりません。また犯人の方でも私が農作業をしている音をきいていると思います。」 |
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| 6月27日の河本という検察官への調書。「5月1日狭山市入間川の桑畑で変な声を聞いた状況については警察で話した通りです。・・・変な声を聞いた時間だが大体午後3時半頃から4時頃までの間だと思います。 |
| ・・・どちらの方向からだかはっきりしないが、約100m位離れていると思われる辺りで悲鳴とも呼び声ともつかない声が聞こえたのです。 |
| 何を言ったのか、男女いずれの声か、声が長かったのか短かかったのか、というような点は仕事に夢中になっていたので、はっきりしないのです。ただ全体の感じとして或いは女の悲鳴のように聞えたのかも知れません。」 |
| ・・・これが実は、くせものである。この検事は、6月11日の石川さんへの取調で、別件をすべて認めた上で石川さんが口走った 「もう1つ、3人で悪いことをしている」 という米軍基地からの鉄屑窃盗のことを、YNさん殺害にねじまげて調書をとろうとしていたことがあった。 |
| 6月27日といえば、石川さんが 「単独自白」 を始めさせられており、河本検事はONさんから目撃証言がとれないので、せめて 「悲鳴を聞いた」 という証言をとろうとしたのである。 |
| しかし、期待した供述はとれなかった。そこで、河本検事は勝手に付け加えたのである。功をあせったのであろうか。ONさんは、きっぱりと 「100mなんて言っていない。検事が書いたのだ。女の悲鳴のようだとも言っていない」 と証言している。 |
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| 要するに・・・ONさんは2時頃から4時30分頃までの間、作業をしていた。「誰かが呼ぶような声」 が聞こえたのは、3時半から4時頃である。しかも、「思わず見た方向」 は殺害現場とされた雑木林とは反対の方向である。そして、周囲では 「誰の人影もなかった」 ということなのである。 |
| 寺尾判決では、「いかにも一件記録によれば、殺害時刻は午後4時20分ころ、・・・とみて差支えない」 となっており、YNさんが悲鳴をあげたとされる時間帯と 「声」 が聞こえた時間帯は、明らかに違うのである。 だから、棄却決定では時間帯に触れられなかったのだ。 |
| しかし、棄却決定は、5月30日の捜査報告書と弁護士への調書を並べ、「いずれにせよONが叫び声に類する声を聞いたことは否定しがたい」 とし、「右ON供述はむしろ自白を補強する一面があるものとさえ認められる」 と言うのである。 |
| 5月30日報告書と弁護士調書に書かれてあることは、ずいぶん雰囲気が違う。おそらく、「誰かに襲われた」 という一言が入っているからだろうが、過去にその近くでそういうことがあったからということであって、ONさん自身には緊迫感がない。 |
| 仮に、「親戚に立寄っている妻がお茶を持って来ながら、誰かに襲われたような感じがした」 というのが現実味を帯びていたなら、ONさんは 「親戚の方向を見たが誰の姿もないので・・・仕事を続行」 なんてしないだろう。 |
| おそらくこれは警察官の主観がかなりはいった報告書だと言える。それを並べて、「叫び声に類する声を聞いた」 「自白を補強する」 とは、何をかいわんやである。第一、時間帯が違うのだ。 |
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| 実は、ON証言の一部は1審段階で、「現場付近で悲鳴らしき声を聞いた状況」 として検察側証拠として申請され、ONさん自身も検察側証人として申請されていた。しかし、判決を急ぐ内田裁判長は、石川さんが 「自白」 を維持しているので必要ないと却下していた。 |
| つまり、ON証言は、警察・検察側にとっては、石川さんの 「自白」 を補強する状況証拠としての役割が期待されていたのである。 |
| 推測にはなるが、他の怪しげな目撃証人 (いずれ後述の予定) の登場を考え合わせると、警察はONさんにもそれを期待したに違いない。連日の事情聴取、目撃情報についての聴取がそれを物語っている。 |
| しかし、ONさんは警察や検察の意に添うような話をせず、事実を述べただけだった。そのため、実際には、警察や検察が期待した 「自白」 を補強するものとはならず、まさに 「自白」 を否定する内容になっていたのである。 |
| 1審段階では、検察側は、石川さんが 「自白」 を維持しているから、まさか逆の結論が導かれる証言などとは思いもしなかったに違いない。しかし、この特別抗告審では、ONさん自身の18年目の勇気ある証言を含め、ついに事実が明らかになった。 |
| にもかかわらず大橋裁判長は、時間帯の問題にはほうかむりし、警察や検察側の意をくみ、こともあろうに弁護側のON証言をも 「自白」 を補強するものと強弁し、棄却を決定した。こんなことが許されていいのだろうか。 |
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