ON証言                             04/8/23
1980年2月5日再審棄却決定に対して、2月12日東京高裁へ異議申し立てをおこなった。しかし、1981年3月25日、東京高裁第5刑事部・新関裁判長は、四ツ谷決定を引き継ぎ、異議申し立て棄却決定を行った。
3月30日、最高裁に対して特別抗告を行い、舞台は最高裁に移った。こうした中で、弁護団の証拠開示の要求に対して、検察側がしぶしぶ開示したわずかばかりの証拠の中から、10月13日、石川さんの無実を証明する決定的な証拠が明らかにされた。ON証言である。
そして、弁護団は10月30日、「殺害現場」 (「自白」) で行った音声の伝わり方に関する鑑定書など、「新証拠」 を補強する特別抗告申し立て補充書を最高裁に提出した。
 ON証言
開示された証拠の中にONさんに関する捜査報告書があったのだ。それによると、犯行現場とされた雑木林の横の桑畑で、まさに犯行時間とされた時間帯に農作業 (除草剤散布) をしていた人・ONさんがいたのである。
捜査報告書とONさん自身の証言によると次のとおりである。
ONさんは、5月1日、午後2時前に軽三輪自動車で桑畑につき、畑の東側の道に車を止めた。
普通はこの畑に除草剤を散布するのには3時間かかるが、雨が降っていたので急ぎ、東西方向の畝にそって北から作業をはじめ、南端の3畝を残して、4時半くらいに終えた。
途中、10回くらい薬剤を補給するために車まで行ったが、あたりに人影はなかった。作業の間、近くで悲鳴など聞いていない。もし、犯人が雑木林の中にいたのなら、ONさんが作業している音をきいているはずである。
車・・・ONさんが車を止めたところ   終・・・薬剤散布を終えたところ
×・・・「殺害」 現場の杉の木         ○・・・YNさんを縛った松の木
△・・・「殺害」 後30分ほど思案していた桧の木 (右端)
なお、×・○・△ は石川さんの 「自白」 によるもの。
手前のローラースケート場が当時、ONさんの桑畑。雑木林の中からみると、下のように×から車は33mで見通すことができる。
「自白」 によれば、午後3時50分ごろYNさんと出会い、4時ごろに雑木林に連れ込み、4時半ころまでに 「殺害」 したことになっている。まさに、ONさんの作業と同一時間帯なのである。
しかも、除草剤がなくなった位置と 「殺害」 現場は20m。ONさんから、石川さんたちが見えないはずはない。また、YNさんは悲鳴をあげて騒いだことになっているから聞こえないはずはない。
しかも、「殺害」 後、思案したことになっている桧の木 (下の図のG) は、なんとONさんの方に近づいているのである。もし本当に 「殺害」 したとしたら、のこのこと人に見えやすい方に出て行くはずがないではないか。
また、桑畑といっても、当時のONさんの桑畑の状態は下のようなものであった。1mほどの桑株から新芽が10cmほど伸びた程度であった。畑から周りも見えるし、周りから畑の中にいる人も見えるのである。
もし、石川さんが犯人で 「殺害現場」 が雑木林なら、これほど近くに作業をした人がいたことを 「自白」 の中で触れないはずはない。「自白」 の中に、ONさんのことが一言もでてきていないということは、すなわち、石川さんはONさんの存在を知らなかったということである。
それは、とりもなおさず、「自白」 が完全に警察によって誘導されたウソの自白だったということを明らかにしているのだ。
このON証言は、日付訂正問題に続き、誰にでも分かる事実として衝撃的なものであった。