最高裁                              04/8/16
 7通の鑑定書
1974年10月31日、石川さんと弁護団は寺尾判決に対して、直ちに最高裁に上告した。そして、1976年1月28日、石川さんが心血を注いで書いた趣意書を含む上告趣意書を最高裁に提出した。
また、弁護団は7通の鑑定書を提出した。
筆跡 (宮川鑑定) 宮川・和光大教授
美術史、書道史の専門家として、脅迫状と石川さんの筆跡は違うと鑑定。
筆跡 (磨野鑑定) 磨野・京都市立楽只小学校校長
読み書き能力からして、石川さんは脅迫状を書けなかったと鑑定。
筆跡 (大塩鑑定) 大塩・京大理学部研修員
既述したように近代統計学により異筆を証明。
足跡 (井野鑑定) 井野・東大助教授
佐野屋の近くの畑で発見された足跡は、「10文ないし10文半の職人タビ」 であった。石川さん宅から押収されたのは9文7分の兄の地下タビ。井野鑑定は、現場足跡は10文3分の地下タビのものと結論づけた。
スコップ付着土壌 (生越鑑定) 生越・和光大教授
スコップの土は現場の土と一致しないと鑑定。
死亡時間 (上田鑑定) 上田京大教授
死体の胃の内容物からして死後2時間である。寺尾判決の認定する死亡時刻は誤っている。
筆圧痕 (荻野鑑定) 荻野・京大助手
筆圧痕の問題は2審で争点になった。しかし、警察側は写しをとるために、石川さんの書いた地図を後からなぞったと主張、寺尾判決はそれを認めた。しかし、実は、あらかじめつけられた薄い筆圧痕が存在した。
これこそ、石川さんがなぞらされた筆圧痕であった。警察は、この薄い筆圧痕をごまかすために、写しをとるといってもう1本、濃い筆圧痕をつけていたのである。荻野鑑定はこれを明らかにした。
一方、この上告趣意書提出にあわせ、大阪・奈良で約1万人の小・中学生の狭山同盟休校が行われ、さらに、5月22日には19都府県1500校10万人が同盟休校。また、10月27日には最高裁前をはじめ全国で2000人が狭山ハンストを行った。
弁護団も、76年9月17日から77年7月5日までに7回にわたって補充書・意見書・鑑定書などを提出し、口頭弁論・事実審理を要求していた。しかし、最高裁はこれらの一切を無視したのであった。
もともと、最高裁に対する上告は、刑事訴訟法405条で 「憲法違反、憲法解釈の誤り、最高裁の判例違反 (または高裁判例違反) 」 しか上告理由を認めていない。つまり、「事実誤認や量刑不当」 は 「正当な」 上告理由とはみなされていないのだ。
しかも、寺尾判決によって 「無期」 となっており、書類審査のみで決定を行うことは十分予想されていた。それだけに、弁護団も手を尽くし、次々と補充書や鑑定書などを提出し、事実審理を迫っていたのであった。
 上告棄却決定
しかし、1977年8月9日、最高裁・第2小法廷 (吉田裁判長) は上告を棄却した。7月5日には、弁護団は10月に最終の書類を提出すると申し入れており、最高裁の調査官もそれを受け入れていたのである。あまりにも突然の棄却であった。
 差別決定である。
1審内田判決は、本人の差別的心情を告白した差別判決であった。高裁・寺尾は、「差別だ」 と指摘されているのに無視するという開き直りをみせた。だが、最高裁はその上をいった。「差別かどうかは自分たちが決めるのだ」 と言うのである。
この部分を全文引用しよう。
「1 部落民に対する差別・偏見を理由とする憲法14条、37条1項違反の主張について
所論は、被告人が部落出身者であるの故をもつて、捜査官の予断と偏見に基づいて行われた差別的捜査は、憲法14条に違反するものであるから、右差別的捜査によつて得られた証拠は、禁止、排除されるべきであるのに、かかる証拠により事実を認定した原判決は、憲法14条に違反し、
また、原判決は、捜査官の差別的捜査、第1審の差別的審理、判決を追認、擁護したのみならず、事実認定において、被告人が部落差別をうけていたが故に、不在証明等被告人に有利な事実を明らかにすることが困難であることに思いを致すことなく、
更には、被告人の自白の維持と部落問題との関係についての審理、判断を回避し、捜査官の約束を信じて行つた嘘の自白を合法化するため、殊更被告人に対し予断と偏見に基づく不当な非難を浴びせるなど、
真実発見のために当然行うべき事件の大局的観察を意図的に避けることによつて、事件の真相を歪曲し、被告人を有罪としたものであるから、積極的な差別言動と同様に部落差別に該当し、憲法14条、37条1項に違反する、というのである。
しかし、記録を調査しても、捜査官が、所論のいう理由により、被告人に対し予断と偏見をもつて差別的な捜査を行つたことを窺わせる証跡はなく、また、原判決が所論のいう差別的捜査や第一審の差別的審理、判決を追認、擁護するものでなく、
原審の審理及び判決が積極的にも消極的にも部落差別を是認した予断と偏見による差別的なものでないことは、原審の審理の経過及び判決自体に照らし明らかである。それ故、所論違憲の主張は、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。」
差別的な心情を持つ者は・・・差別を目撃してもなんとも思わないだろう。いやむしろ、我が意を得たりとさえ思うかもしれない。
また、差別のなんたるかを知ろうともしない (少なくとも被差別者の心情に想いをはせることのない) 者が、何を差別と感じることができるだろうか?
当時の最高裁の調査官や裁判官がどんな心情をもっていたかは分からない。しかし、これほど明らかな差別捜査・裁判を 「被告人に対し予断と偏見をもつて差別的な捜査を行ったことを窺わせる証跡はなく」 と言える心情であったことは分かる。
もちろん、寺尾と同じように今更、差別捜査・裁判を認めることはできないという心理は働いていたのであろう。それなら、そこにとどめて置けばいいものを、「原審の審理及び判決が積極的にも消極的にも部落差別を是認した予断と偏見による差別的なものでない」 と言い切ったのである。
つまり、「差別かどうかは権力が決めるのだ」 というに等しい。では、何を差別とみなし、何をみなさないのか・・・具体的には、これには一言も触れていない。いや、触れられなかったのだ。ただただ、差別捜査・裁判を否定するために強弁したのだ。
しかし、最高裁決定という形で、このような決定が行われたことは重大である。これ以降、どんなに差別捜査や裁判が行われようと、「調査したが差別ではない」 と言いうる前例を作ってしまったのである。これを差別決定と言わずして何と言おう!
 職権調査
最高裁は、すべて 「いずれも適法な上告理由にあたらない」 と上告理由を退けた。しかし、世論の高まりの中で、さすがにそれだけで 「門前払い」 はまずいと感じたのか、「職権調査」 をもちだしている。曰く・・・
「上告審は、上告趣意が適法な上告理由にあたらない場合であつても、自ら原判決の当否を調査することができ、その調査の過程において、原判決の事実認定に重大な瑕疵を発見し、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合には、最終審の責務として、刑訴法411条により職権を行使してその瑕疵を是正する処置をとるべきものであることはいうまでもない。
そこで、当裁判所は、弁護人及び被告人本人の所論にかんがみ、職権により訴訟記録並びに第1審及び原審裁判所が取調べた証拠 (以下 「記録」 という。) に基づいて、原判決の事実認定の当否を調査したのであるが、その結果、原判決の事実認定に重大な瑕疵は発見されず、原判決の事実認定及び判断は、正当として是認することができるとの結論に達した。」
つまり、「上告の理由はないが、一応、職権で調べてやったぞ」 というのである。しかし、「第1審及び原審裁判所が取調べた証拠 (・・・) に基づいて、原判決の事実認定の当否を調査した」 というのであるから、上告以降に提出した鑑定書などには見向きもしなかったということである。
出てくる結論は、当然、寺尾判決の追認でしかない。「職権調査」 などとはカタハライタイ。
 解明されない事実
一方、上告棄却決定は、「解明されない事実」 があることも認めた。曰く・・・
「一部に証拠上なお細部にわたつては解明されない事実が存在することも否定することができない。この解明されない部分について合理的に可能な反対事実が存在するかどうかを吟味し、これを排除することにより、はじめて有罪の確信に到達することができるのである。
そしてまた、合理的に可能な反対事実が存在する限り、犯罪の証明が不充分として、疑わしきは被告人に有利に解決すべきである。
当裁判所は、原判決の事実認定にこのような疑点が合理的に存在するかどうかを吟味するため、あらゆる角度から慎重に検討をした。
たしかに、原審でも一部に証拠上なお細部にわたつては解明されない事実があり、この解明されない部分について、それぞれ、反対事実の成立を含めいく通りかの事実の成立の可能性が考えられるが、このような場合には、全関係証拠の総合判断により最も合理性のある確度の高いものがあれば、それをとることとなるのである。
このような見地から、右の解明されない事実を検討した結果、被告人が犯人であることに合理的な疑念をさしはさむ事実の成立は認められず、また、それらの解明されない事実を総合しても、右の合理的な疑念を抱かせるに足りるものがあるとは認められない。」
しかし、ありすぎて困るからだろうが、何が解明されない事実なのかということについては明らかにしていない。また、「疑わしきは被告人に有利に解決すべきである」 と一見良心的なポーズを見せる。
その上で、「あらゆる角度から慎重に検討」 「全関係証拠の総合判断」 してと、まったくもって何をどう検討・判断したのか暗黒の霧の中においたまま、石川さんを犯人とした寺尾判決は正当であると決定しているのである。
「解明されない事実」 をこそ、「職権調査」 すべきであった。それが事実調べ・口頭弁論のはずだったのだ。上告棄却決定は、「解明されない事実」 を闇に葬り、あきらかな差別捜査・裁判を 「差別ではない」 と強弁し、石川さんを犯人に仕立て上げてしまったのである。
8月11日、石川さん・弁護団は最高裁へ異議申し立てを行う。8月16日、最高裁は異議申し立てを却下(15日付)、寺尾判決の無期懲役が確定した。これをうけ、8月30日、石川さん・弁護団は東京高裁へ再審請求を行った。9月8日、石川さんは千葉刑務所に移監された。
こうして、闘いは、再審請求という段階になってしまった。