寺尾判決                             04/7/29
 寺尾判決は、極めて政治的な判決であったと思う。
そもそも、YNさん殺害事件は、単なる (といえば、語弊があるかもしれないが) 殺人事件であった。ところが、犯人を取り逃がしたばかりに、政治問題化してしまった。
これを鎮静化するために、「生きた犯人逮捕」 を要求されていた当時の埼玉県警は部落差別を利用 (煽動) した。そして、1審内田裁判長は、個人的な差別感情もあったのだろうが、要求されていた役割を演じきった。差別裁判の強行と死刑判決である。
しかし、2審は違った様相を見せた。公判において、「自白」 が作り上げられていく過程が暴露され、差別捜査・差別裁判が白日の下にさらされたのである。裁かれるべきは権力であった。
一方、部落解放運動のたかまりに押され、1965年 「同和対策審議会」 答申がうちだされ、1969年には 「同和対策事業特別措置法」 が施行された。つまり、国家的な規模において、まがりなりにも差別を解消しようという取り組みに踏み出していた。
したがって、「その早急な解決こそ国の責務であり」 (同対審答申) という時代に、差別捜査・差別裁判を強行していたとは、どうあっても認められない状況の下に寺尾裁判長はいた。
また、戦後の出発の仕方はどうあれ、部落解放運動は多くの場合、反体制的であった。転んでもタダでは起きぬ自民党政府は、一方では同和会という同和対策事業の受け皿組織を作り、もう一方では解放運動そのものを体制内にとりこもうとしていた。
それは、同対審答申の基本的な姿勢に既に現れている。「時あたかも政府は社会開発の基本方針をうち出し、高度経済成長に伴なう社会経済の大きな変動がみられようとしている。これと同時に人間尊重の精神が強調されて、政治、行政の面で新らしく施策が推進されようとする状態にある。まさに同和問題を解決すべき絶好の機会というべきである」。
ところが、狭山事件は権力が引き起こした差別事件 (差別捜査・裁判) であった。狭山を闘うということは、権力と闘うということであり、とりもなおさず解放運動が反体制的でありつづけるということであった。
350万の署名や11万人の集会に示される狭山闘争の盛り上がり、これを鎮静化することが東京高裁寺尾の双肩にかかっていた。かくして、極めて政治的な判決が出されることになるのである。
 寺尾判決は、極めて差別的な判決であったと思う。
1審では部落差別の問題は争点とならなかった。内田判決は、内田裁判長の差別的心情を反映し、<部落に生まれ育ったから、こんなひどい犯罪を犯した> という内容になっている。
しかし、2審は違った。弁護団は正面からこれをとりあげ、石川さん自身も証言した。差別裁判糾弾! の声は響き渡った。
無視できなくなった寺尾は、部落問題に関心を示しているかのような態度をとった。1973年3月22日第74回公判で10数冊の部落問題関係と狭山事件関係の本をあげ、読んでいるといった。そして、部落問題関係の証人は必要なしとして却下していた。
だが、寺尾判決には1行も部落問題に触れたところはなかった。全く無視したのである。これは、内田判決よりも、意図的な開き直り (差別だと指摘されているのに、無視する) という意味において悪質である。
 寺尾判決が確定判決
1977年8月9日、上告が棄却され、寺尾判決が確定判決となった。今も 「見えない手錠」 で石川さんを縛るものは、この寺尾判決である。
なぜ、「無期」 であったのか。
まず、上記のような政治的背景があった。そして、狭山闘争・部落解放運動の盛り上がりがあった。
もし、再度 「死刑」 判決でも出そうものならどんな事態になるか、予想もできなかっただろう。しかし、無罪を出せば、差別捜査・差別裁判を認めることになり、これもできない。だから、以下のようにいって、「無期」 としたのだ。
「死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それだけに死刑を適用するには、持に慎重でなければならないと考える。
当裁判所としては、本件の犯行には右に述べた偶然的な要素の重なりもあって、被告人にとって事が予期しない事態にまで発展してしまった節があると認められること、それまで前科前歴もないこと、
その他一件記録に現れた被告人に有利な諸般の情状を考量すると、原判決が臨むに死刑をもってしたのは、刑の量定重きに過ぎて妥当でないと判断されるので、刑訴法397条1項、381条により原判決を破棄し、同法400条但書を適用して当裁判所において更に次のとおり判決をする」。
しかも、「無期」 ならば、最高裁で、事実調べをすることなく書類審査だけで上告を棄却できるという計算が働いていたに違いない。2審では、公判のたびに集会が開かれ、そこに参加するという形で、闘いが拡大していった。上告審では、そうならないようにしたかったのだ。
 寺尾判決の特徴
寺尾は弁護団が提出した鑑定をすべてしりぞけ、差別有罪判決=無期判決をうちだした。これが確定判決だけに詳細に検討したいところだが、詳細な検討はいずれ行うことにして、いくつか特徴的な点 (既に、何点かは述べてあるが) に絞って批判する。
まず、「自白」 と実際の状況との矛盾を突き、「自白」 が警察によって誘導されたものであり、石川さんの無実を証明することになっていると、弁護団は主張してきた。
ところが寺尾は、「本事件の捜査は極めて拙劣なものではあるが」 と捜査の不備を認めながら、それは石川さんがウソを言ってるからだという。曰く・・・
「ところで、実務の経験が教えるところによると、捜査の段階にせよ、公判の段階にせよ、被疑者若しくは被告人は常に必ずしも完全な自白をするとは限らないということで、このことはむしろ永遠の真理といっても過言ではない。
・・・人は真実を語るがごとくみえる場合にも、意識的にせよ無意識的にせよ、自分に有利に事実を潤色したり、意識的に虚偽を混ぜ合わせたり、自分に不都合なことは知らないといって供述を回避したりして、まあまあの供述 (自白) をするものであることを、常に念頭において供述を評価しなければならない・・・
・・・大罪を犯した犯人が反省悔悟しひたすら被害者の冥福を祈る心境にある場合にすら、他面において死刑だけは免れたい一心から自分に不利益と思われる部分は伏せ、不都合な点は潤色して供述することも人情の自然であり、ある程度やむを得ないところである・・・
・・・かように考えてくると、捜査官は、被告人がその場その場の調子で真偽を取り混ぜて供述するところをほとんど吟味しないでそのまま録取していったのではないかとすら推測されるのである。
しかしながら、それだけに、その供述に所論のような強制・誘導・約束による影響等が加わった形跡は認められず、その供述の任意性に疑いをさしはさむ余地はむしろかえって存在しないと見ることができる」。
こうして、有罪判決に都合のいいところは採用し、都合の悪いところは石川さんがウソを言っていると断定。しかも、取り調べにあたった警官はウソをつかないと何の根拠もなく主張する。こんなご都合主義の判決が確定判決なのである。特徴的な点といっても実はこれにつきる。
さらに、都合の悪いところは、内田判決をも変更した。例えば、万年筆。
1審内田判決では、「捜査に手抜かりがあった」、「人目に触れるところであり、・・・もし手を伸ばして捜せば簡単に発見し得るところではあるけれども、そのため却って捜査の盲点となり看過されたのではないかと考えられる」 となっていた。
が、2審では証拠のねつ造が暴露された。それで寺尾は、現場検証もやらずに、「背の低い人には見えにくく、人目につき易いところであるとは認められない」 と変更した。
また、脅迫状の訂正問題。訂正が 「自白」 のようにボールペンではなく万年筆によるものであったことが分かった。そこで、寺尾は内田判決の認定を変更し、また石川さんの 「自白」 も勝手に変え、つじつまを合わせようとした。
「自白」 では、万年筆は脅迫状を届けに行く途中、教科書などを隠した時に奪ったとなっていた。しかし、脅迫状の訂正が万年筆で行われている以上、どこかから万年筆をひねりださなければいけない。
だから、YNさんの万年筆を殺害現場で奪い、そこで訂正したと変更し、あとのつじつまが合わないことは石川さんがウソをついているからだとした。
「いかにも、筆入れに関する被告人の自白内容には不自然なところがある。ところで、先にみたように、万年筆は被告人が 『四本杉』 で脅迫状のあて名などを訂正するため、被害者の鞄の中を探って筆入れの中から取り出して使用したと認めざるを得ないのであるから、
教科書を捨てる際に万年筆在中の筆入れを奪取したという供述は、奪取の時期と場所に関して意識的に虚偽を述べたと認めざるを得ない」。
最後に、指紋について。曰く・・・
「なお、科学的捜査の現段階においては、一般的にいって犯人と犯行とを結びつける最も有力な証拠の第一は、何といっても指紋であり、次いで掌絞、足紋、筆跡、血液型、足跡、音声 (声紋)、容貌、体格、服装の特徴等が考えられるが、指紋以外は未だ決定打とはいえないであろう。
ところが、当審における事実の取調べの結果によると、捜査官は、本事件においても脅迫状、封筒、身分証明書、万年筆、腕時計、教科書、自転車等について指紋の検出に努めたのであるが、ついに成功するに至らなかったことが認められる。
しかし、指紋は常に検出が可能であるとはいえないから、指紋が検出されないからといって被告人は犯人でないと一概にはいえないのである」。
「自白」 では、素手で犯行を行ったことになっており、指紋はこれらにべたべたついているはずなのだ。ついてないということは、犯人は手袋をしていたということになる。「自白」 は間違っているのだ。
最後の文章は、寺尾的表現を借りるなら正しい日本語では、「指紋が検出されないから、被告人は犯人とは一概にいえないのである」 である。
74年10月31日、石川さんと弁護団はこの寺尾判決に対し即日上告した。