5月1日 04/7/2 |
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石川さんは1審では 「自白」 を維持していた。従って、1審・内田判決からその内容を知ることができる。ただ、2審では、この 「自白」 の矛盾が明らかになり、寺尾判決では勝手に変更されたところもある。 |
以下、内田判決を参考に 「自白」 をみていく。 |
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動 機 |
石川さんは、1962年9月頃、バイクを買った借金13万を父に肩代わりしてもらった。家に居づらくなり、10月末から ID養豚場に住み込みで雇われたが、4ヶ月でやめ家に帰った。兄から生活態度をなじられ、出て行けと言われ、いっそ東京に働きに行こうと思った。 |
吉展ちゃん事件をみて、幼児を誘拐し、20万を奪い、13万を父に渡し、残りの金をもって東京に逃げようと考えた。 |
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脅迫状 |
4月28日頃、大学ノートを破った紙にボールペンで脅迫状を書き、封筒に入れ、ズボンの後ろポケットに入れて持ち歩いていた。 |
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出会い・・・5月1日午後3時50分頃 |
5月1日午後3時50分ごろ、仕事をさぼり、ぶらぶらと歩いていた石川さんは、加佐志街道・X型十字路で自転車に乗ったYNさんとであった。 |
石川さんは、駅のほうから歩いてきて、X型十字路を通り過ぎ、少し行った山学校と言われる所から駅の方へ引き返していた。YNさんは、駅の方からやってきた。とっさに、彼女を人質にしようと思った。 |
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すれちがった時、ふり向きざまに自転車の荷台を押さえて下車させ、「ちょっと来い、用があるんだ」 と言って、雑木林
(通称 「四本杉」 ) に連れ込んだ。 |
その途中、逃げられないように自転車を取り上げて、自分 (石川さん) で押して歩き、YNさんの名前、父親の名前・住所を聞いた。 |
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・・・・・ 後でまとめて検討しようと思っていたのだが、もうだめだ。内田裁判長というのは、よほど想像力が働かない人とみえる。いや、働きすぎるのか? |
幼児を誘拐しようと考えていたというのである。それを、とっさに (?) 高校生に変更するなんてことがあるだろうか? |
さらに、走ってきた自転車なのである。荷台を押さえたところで簡単に止まるはずがない。しかも、駅の方からこの十字路は緩やかな下り坂になっている。自転車は、結構スピードがでるのだ。 |
仮に、うまく捕まえられたとしても、はずみで自転車ごと二人とも倒れるのがオチだ。その時点で、大騒ぎになることはまちがいない。 |
しかし、「自白」 では、YNさんはおとなしく従ったことになっている。 |
彼女は1m58㎝、54kg。当時としては大柄な方だ。しかも勝気な性格という。見ず知らずの、自分より小柄な石川さんの言うことに、おとなしく従うとは考えにくい。 |
しかも、逃げられないよう (?) に自転車を取り上げて自分でおしていったら、「逃げろ」 と言っているようなものではないか? |
さらに、決定的なことに、この時間帯に、X型十字路から雑木林に向かう道の両側で畑仕事をしていた人たちがおり、「そんな二人づれは見なかった」 と証言している。 |
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また、時間帯の問題で言えば、重大な時間差が存在する。 |
駅から十字路まで、普通に歩いて15分、どんなにゆっくりでも20分もあれば来てしまう。仮に、一度通り過ぎ引き返したとして、10分かかったとしよう。 |
石川さんが駅を出たのが2時半ごろだから、3時には再び十字路に立つことになる。3時50分にどうして出会うことになるのか? |
このあまりの時間差を埋めるため、内田判決では、石川さんが駅を出たのを3時ごろとした。しかし、それでも20分の差は埋められない。20分もあれば、石川さんは再び駅に帰ってしまうのだ。 |
この出会いは、警察によって作り上げられたストーリー、低級なフィクションである。内田判決は、それを追認した。 |
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殺 害 |
「四本杉」 のところにYNさんを連れて行き、彼女を縛りつけておいて、脅迫状を家にもっていこうと考え、「騒ぐと殺すぞ」 と脅し、松の立ち木に手拭で後ろ手に縛り、タオルで目隠しした。 |
そして、腕時計と 「身分証明書挿入の手帳1冊 (被告人はこれを三つ折財布という)」 を奪った時に、「にわかに劣情を催し」、手拭をほどいて松の木からはずし、再び手拭いで後ろ手に縛りなおし、数m歩かせ、いきなり足払いをかけ転倒させた。 |
「ズロースを引き下げて同女の上に乗りかかり姦淫しようとしたところ、同女が救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押さえつけたが」、なお大声で騒ぐので死ぬかもしれないと思いつつ、右手に一層力をこめながら強姦し、殺害した。 |
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・・・・・ 手帳を三つ折財布とは言わないだろう。実際を知らないからそういってると思われるが、内田裁判長は、これを強引に結びつけた。 |
「自白」 では右手で絞め殺したということになっている。しかし、死体の状況はそうではなかった。指の痕、爪の痕がないのだ。 |
2審ではこのことを巡って弁護団から上田京大教授の鑑定が提出された。上田鑑定は、「おそらく幅の広い索状物による絞頸と前膊部や上膊部などの比較的幅の広い鈍体による圧頸とを併せ用いた複雑な方法の殺害が行われたもの」 と結論づけた。 |
しかし、寺尾裁判長は、「被害者の死因が扼頸による窒息であることは前記のとおり疑いがないから、死体の状況と被告人の自白との間に重要なそごがあるとは認められない」 という訳の分からぬ理由でこれを退けた。 |
つまり、窒息死には違いがないから、手でやろうがなんでやろうが、関係ないというわけだ。 |
しかし1981年、第1次再審・異議審においてON証言が明かにされた。 |
詳しくは後述するが、以上の時間帯に、すぐそばで農作業をしていたONさんがいたのだ。そして、「悲鳴も聞いていない、人影もなかった」 と証言した。 |
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日付訂正 |
このころから雨は本降りとなる。どうしようかと30分ほど考え、死体を近くの芋穴に隠すことにした。200mほど離れた芋穴のそばに死体を運ぶ。そのままにして雑木林にもどり、脅迫状を訂正する。 |
「4月28日」 を 「五月2日」、「前の門」 を 「さのやの門」 に 「それぞれ所携のボールペンで書き直し」 た。 |
そして、近くの新築現場にあった荒縄、木綿細引き紐を盗み、死体の足首を細引き紐で縛り、その端を荒縄に結び、死体を芋穴に逆さ吊りにして、荒縄の端を近くの桑の木に結びつけた。 |
それから、YNさんの自転車に乗って脅迫状を届けに出発した。その途中、教科書、カバンとゴム紐をすてた。この時、万年筆を奪った。 |
脅迫状を届け、自転車をおき、歩いて芋穴に向かう。途中で ID養豚場でスコップを盗む。9時頃、農道に穴を掘り、芋穴から死体を引き上げ、うつ伏せにして穴に入れ埋めた。 |
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・・・・・ そもそもがおかしいのである。普通、死体を隠そうとすれば人目につかない、雑木林のもっと奥とか考えそうなものだ。しかし、雨が降っているとはいえ、5月の夕方、雑木林から死体を抱えてわざわざ人家のあるほうへ行こうと思うだろうか。 |
日付訂正については、第1次再審で、実は 「28日」 ではなく 「29日」 であったことが分った。詳しくは後述。また、ボールペンで訂正されたのでなかったことも2審段階で明らかになった (後述)。 |
死体の足首をくくって逆さ吊りにすると、紐の痕が残ったり皮がむけたりする。死体にはそのような痕はなかった。しかも、1988年に開示された 「芋穴のルミノール反応検査報告書」 によると、芋穴には血痕がなかった。つまり、逆さ吊りはなかったのだ。 |
そもそも、 「猟奇的」 とも言える死体の逆さ吊りは、死体の上に置かれた荒縄の説明がつかないため、警察が考え出したストーリーなのである。 |
教科書、カバン、ゴム紐に関する疑惑については後述。万年筆、脅迫状についても後述。スコップについては、発見された状況のおかしさは既に述べた。スコップ付着土壌等の問題については後述する。 |
その他にまだふれていないことも多々ある・・・たとえば、「自殺」 とされた数人の死、とりわけGOやYNの姉・・・が、このサイトは真犯人を推理することが目的ではないので、今の段階ではこれ以上はふれないつもりである。というか、そういう力はもちあわせていないという方が正直かな。 |
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