逮 捕                                 04/5/4
 図 式
5月11日、スコップが、小麦畑で農作業をしていた人によって発見された。死体発見現場から西北に124mしか離れていない所であり、既に何度も山狩りがされている場所だった。
しかも、後に石川さんは、「スコップを放り投げてすてた」 と言わされているが、発見された状態は、放り投げたとすれば当然ある麦の傷などがなく、うねにそってそっと置かれたような状態であった。
発見された状態 左と同種のスコップ
しかし、捜査本部は、当時、狭山市内で948戸の農家が豚を飼っていたにもかかわらず、このスコップをすぐさま ID養豚場のものだと断定した。
そしてYNさんの死体を埋めるのに使ったものらしいという情報をマスコミに流した。こうして、<スコップ → ID養豚場 → 犯人は部落民> という図式が作られていった
埼玉県警は、狭山市内の40戸と70戸ほどの二つの被差別部落に襲いかかった。時には200人ほどの捜査員が部落周辺をとりまいたり、捜査員が部落の中ではちあわせするような状態になった。実際、筆跡採取をされたのは全部で120人ほどになるが、そのほとんどが部落民であった。
だが、紛失届を出した ID養豚場のKI に確認を求めたのは、10日もたった5月21日だった。作意があったと思わざるをえない。もはや、自分のところのスコップではないと否定しようのない状況が作られていたのだ。
こうした中で、ID養豚場で働いていたことのある石川一雄さんの名前もあがってきた。そして、現場から7~800メートル離れた山の中で石川さんとその友人ATの二人を5月1日に見たという植木屋も現れた。後に、この証言はウソであることが分かる。
後日 (6月4日)、 このATと ID養豚場のKI とその弟は別件で逮捕され、YNさん殺害の件で取り調べられている。
 別 件
こうして5月23日早朝、石川一雄さん(当時24歳)が逮捕された。
容疑は、接触事故をおこした相手を殴った (暴行)・・・これは相手が手を出してきたもので、警官が入り示談になっていた、友人の作業着を盗んだ (窃盗)・・・これは、雨がふってきたから着て帰ったもので、友人からは 「洗って返せ」 と言われていた、といったものであった。
確かに、5月1日に脅迫状をYNさん宅へもっていき、20万円を脅し取ろうとしたが未遂に終わった (恐喝未遂) も容疑としては入っていた。しかし、この時点では石川さんと犯人を結びつける確たる証拠は何一つなかった。まさしく別件逮捕である。
捜査本部は、逮捕後、脅迫状と石川さんの筆跡が似ていることを強調した。しかし、脅迫状と手に入れた石川さんの自筆の文書 (アリバイの上申書、以前の勤め先の早退届) を科学警察研究所に送り筆跡鑑定を求めたのは22日である。まだ鑑定結果も出ていないうちに 「筆跡が似ている」 として逮捕にふみきり、マスコミに発表したのだ。
素人が判断してよいなら、脅迫状と石川さんの筆跡は全く別のものである。しかし、専門家が出す判断だからといって正しいとは限らない。後に出される警察側の鑑定は、「石川さんが犯人」 という結論に基づいて行われたもので、全くでたらめなものであった。
しかし、警察発表をうけたマスコミは 「筆跡鑑定はクロ」 「現場足跡とほぼ一致」 と書きたてた。中には 「環境のゆがみが生んだ犯罪―用意された悪の温床」 「特殊地区」 「乱暴者の土工」 「常識外の異常性格」 などと石川さんと被差別部落に対する差別意識をあおる記事まであらわれた。
無実の部落青年を31年と7ヶ月にわたって獄に閉じ込めた責任、さらに、今なお見えない手錠で石川さんを縛りつけている責任を、上のような記事を書き掲載し発行した当時のマスコミ関係者も負わねばならない。
中には、様々な点に疑問を投げかけている記事もあったが、大勢の前にかき消されてしまった。差別キャンペーンと言わずして何と言おう。
こうして、警察は、1ヶ月にわたり警察の留置場 (代用監獄) で取り調べ、甘言・脅迫・暴行をくりかえし、ついにウソの 「自白」 をさせて、石川さんを犯人にでっち上げていったのである。