牙をむいた差別                           04/5/1
 威 信
この年の3月31日、東京で 「吉展ちゃん事件」 が発生、当時4歳の幼児が誘拐され、警察は身代金を奪われたまま犯人を取り逃がしていた。その直後だけに、埼玉県警は狭山署に捜査員を派遣し陣頭指揮をとった。
が、これが完全に裏目となった。「佐野屋」 周辺の現場地理もよく分ってない県警が、狭山署が立案していた張り込みの計画を変更させた。少なからぬ混乱が起きたという。結果は見るも無残な大失敗。
相次ぐ大失態に警察への非難の声が巻き起こった。
左・毎日新聞(63年5月7日) 右・朝日新聞(63年5月4日)
YNさんが死体で発見された5月4日、柏村警察庁長官は篠田国家公安委員長に辞表を提出した。その日の午後、篠田委員長は記者会見で次のように語った。
「女高生誘拐事件は殺人事件であり、殺人の後営利誘拐をよそおって20万円の身代金を要求したのは悪質である。警察の捜査方法に手落ちがあったといえる。・・・6日に緊急国家公安委員会を開き、そのあと早急に県警本部長会議を招集、刑事問題に対する警察のあり方を検討したい」。
6日、YNさんの家に住み込みで働いていたことのあるGO (31歳) が、農薬を飲み新築中の自宅の裏の井戸に飛び込み 「自殺」 した。翌日が結婚式の予定だった。これを聞いた篠田委員長は 「こんな悪質な犯人は生きたままふんづかまえてやらねば」 と歯軋りしたという。
国会答弁する篠田国家公安委員長
これ以降、「生きた犯人」 の逮捕をめざして捜査が進められることになった。
60年安保闘争という日本史上に残る大闘争をなんとか乗り切った自民党政府は、1965年の日韓条約締結を期に、アジアへ向けた本格的な進出を考えていた。予想される反対運動への対応や治安対策のために警察力の強化を図っていたのが、1963年という時期であった。
相次ぐ警察の失態は、こうした方向を頓挫させかねない事態へと発展してしまった。失墜した威信の回復・・・そのためには、なんとしても 「生きた犯人」 を捕まえること・・・これが至上命題になった。
その犠牲を一身に受けてしまうことになったのが、当時24歳であった無実の部落青年・石川一雄さんであった。
 捜 査
狭山事件では、事件の状況からしてはじめは顔見知りの複数の犯行という見方で捜査が行われていた。なぜなら、YNさんはスポーツ万能で 「気が強く知らない男には見向きもしない性格」 「勝気な子」 (家族の話) で、しかも高校生であったからだ。
しかし、身近なところから犯人が出てしまうことを恐れた被害者近辺の住民たちは口をつぐみ、狭山署への不信をあらわにした。6日夜には、地区の防犯協会が狭山署に抗議する決議まで行った。
だが、おかしなことに 「よそもの」 と呼ばれる被差別部落にたいする情報だけは集まっていた。「あんなことをするのは部落民にちがいない」 という差別意識に満ちたものだった。
GOの 「自殺」 もあり、捜査に行き詰まった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中する。
伏線はあった。5日の篠田委員長の会見で、「知能程度が低く、土地の事情に詳しい者」 という犯人像があげられており、「20万円を大金だと考える程度の生活をしている者」 という発言があった。
これは、脅迫状に対する評価をもとにしていると考えられる。後で、詳しく見るが、脅迫状は当て字だらけのものだった。ここから犯人は 「教育程度が低い」 と見られたようだが、実は横書きで、しかも流れるような字体、句読点も正しく打たれている文章で、故意に当て字を使って、正体をごまかしたと考えられるものであった。
・・・なお、当時の20万がどれほどの価値があるかは考えておかなければならない。この40年で消費者物価はたぶん6倍ほどになっているし・・・正確には分からないが、当時の20万は現在ならば200万前後であろうか?・・・
あせる埼玉県警・狭山署は篠田発言の方向で、部落に対するこのような差別的なまなざし・予断と偏見をもって捜査を進めることになる。そして、ID養豚場にねらいを定めた。
「よそもの」 と呼ばれたのは、直接的にはここを指していた。経営するKI は部落出身で、YNさんの住んでいた地区に移り住み養豚業を営んでいた。出入りする人も部落民が多かったからである。
もっとも、捜査本部の側では、既に3日の段階で ID養豚場に目をつけていたふしもある。
実は、佐野屋での犯人逃走の朝、近くの畑で犯人の足跡らしきものが見つかり、警察犬に追わせると不老川という小さな川の近くまでいって分からなくなっていた。その川の向こう側に ID養豚場はあったのである。
余談にはなるが、犯人として逮捕された石川さんの 「自白」 では、佐野屋から東に向かい途中から南方向へ逃走したことになっている。しかし、警察犬は、佐野屋から東に向かい、「自白」 とはほぼ反対の北東に向かっている。
ID養豚場
6日に、捜査本部は ID養豚場からスコップ1挺の紛失届を手に入れた。これが、その後の捜査に決定的ともいえる影響をもつことになった。そして、8日から22日ごろまでに、ID養豚場に出入りしていた20数人の筆跡・血液型・アリバイなどの捜査が行われた。
すると住民たちは手のひらを返すように警察に積極的に協力するようになった。10日には地区の婦人会が捜査本部に 「事件の発生した1日午後の住民の動勢や人の出入りについて調べる」 という協力を申し入れている。
 ついに差別が牙をむいたのである。