YNさんのあしどり                          06/6/6
<2005年現地調査・X型十字路> 参照・・・
石川さんの実際コースをたどる中で、事件当日のYNさんの足取りについても駅西口方面でたどることができる・・・が、絶対確実というわけではない。
地図は1988年現在
小雨の中、学校を出たのをクラスメートが見ている。午後3時23分だった。
川越高校入間川分校は、1967年に狭山市立衛生学院となり、さらに1993年からは狭山市医師会立の狭山准看護学校となっている。
奥の3階建ての建物
この後、オリンピックの記念切手の領収書を取りに郵便局に立ち寄ったと考えられる。これはほぼ確実である。
この郵便局は、知らなければ見過ごしそうな小さな駐車場になっていた。
それから、小沢毛糸店に寄り針さしを買ったと考えられている。これは、YNさんの左ポケットから針さし1個が発見されたことによる。
小沢毛糸店は現在も当地で営業されている。奇しくも、石川さんはこの店の横の路地 (傘をさした人がいる所から奥へ) を通って駅前に帰っている。
YNさんに関してはこの後、西武新宿線の第1ガードと呼ばれる場所での目撃情報がある。他にも2件の目撃情報があったが無視されてしまった。
1963年5月1日、16才の誕生日というこの日、YNさんの身に何が起こったというのだろうか・・・。