2006年 狭山現地調査
以下は、2006年5月27日、徳島現調団の現地調査による。
写真右の隅の手は・・・
   実際コース                              06/6/5
2006年5月27日午後1時、徳島・狭山現調団は狭山現地事務所に到着。
まずは、鴨居から見ることにした・・・が、これは後述。
断続的に細かい雨が降る中、解放同盟中央本部の安田さんに案内してもらって現調に出発。まずは、狭山市駅西口 (事件当時、入間川駅) から、事件当日の石川さんの実際の行動のコースをたどった。
↑ 狭山市駅西口
↑ 実際の行動・・・地図は1988年現在
2005年5月28日
1963年5月1日午後2時半ごろ、石川さんはここにおりたった。家に帰ると仕事をさぼったのがバレるので、ぶらぶらと駅正面のこの道に入っていった。
今年はなぜか交通量が多く、雨も降り、傘をさしての撮影でこのあたりの写真がうまくとれなかった・・・なので、昨年の写真で間に合わせた・・・大きくは変わっていないと思う。
以下、<ネット・狭山現調・・・入間川駅> 参照・・・
この道沿いにある八百三という八百屋の前を通り左折。パチンコ屋オリオンの前を南下、八幡神社のそばの荒井たばこ店で 「しんせい」 1箱とマッチ2個を買い、50円を出しておつりの4円はいらないと言って受け取らなかった。
1970年5月 1983年6月
1983年6月 1988年3月
オリオンの跡地と思われる場所
しかし、2006年現在、八百屋もパチンコ店の痕もなかった。オリオンがあったと思われる場所は更地になっていた。八幡神社近くのたばこ店もない。
ところで、<ネット・狭山現調/入間川駅> のたばこ店のあった場所という写真は訂正しなければならないようだ。
八幡神社の入り口からとった写真だが、過去の現調では写真の × 印 の所と説明されたこともあったらしい。しかし、実際はそこより10mほど南で、写真の道路から5mほど入った所だという。
看板が 「水晶米の店」 の奥の路地、その向こう側に小さな駐車スペースがあるのが分るだろうか。そこが、くだんのたばこ店のあった所だそうだ。
 (たばこ店のあったところ・・・1988年3月) にポインターをあててみてください。
こちらが ↓ 正しいそうだ。  にポインターをあててみてください。
この後、石川さんは八幡神社の横の坂道を登り、慈眼寺の石積地蔵の前で左折。入間川小学校に出た。
入間川小学校は移転しており、ここは空き地になっている。昨年10月の狭山現地集会の会場になったところだ。
入間川小学校跡地
ここの運動場にあった一段と高くなっている 「月見」 と呼ばれる場所で休んでいると雨が降ってきた。
近くにある航空自衛隊入間基地の 「周辺気象状況」 報告には、<5月1日・・8時~14時・本曇り、14時11分~16時20分・弱雨降ったり止んだり、16時30分~24時・本降りとなる> とある。
・・・5月27日、この日も事件当日を再現するかのように断続的に雨がふっていた。狭山事件では、雨と時間・時刻の関係がキーポイントになる・・・前から思ってはいたことだが、そんなことを改めて考えた。
雨が降ってきたので、石川さんは小沢毛糸店の横を通り駅前に帰り、荷小屋で雨宿りすることになった。3時半~4時ごろのことである。
以上のような石川さんの行動には、時間的にもなんら不自然な点は見受けられない。実際のコースは真実なのだ。
しかし・・・安田さんによると、駅西口再開発ということでもうすぐ大規模な工事がはじまるらしい。この真実のコースをたどれる時間もあとわずかなのではないかということだ。
ところで、余談になるが、「小沢毛糸店」 といえば思い出さないだろうか・・・そう、YNさんが立ち寄ったとされる毛糸店である。次のページで紹介する。