死体発見現場                            05/6/11
2005年5月、下の写真のような林や畑は姿を消し、住宅地・駐車場・テニスコートなどになっていた。もはや、当時をふり返るには写真しかないようだ。
 順 番
1963年5月4日、農道に埋められていたYNさんの死体が発見された。
それにしても、なぜ犯人は人の通る農道を選んだのだろう。普通、発見されにくい山の中とか考えそうなものだ。早く発見されることを望んだのだろうか。
<ONさんの畑><死体発見現場> にポインターをあててみてください。
「自白」 では、殺害後、なんと、ONさんのいる方に近づいて30分ほど桧の下で思案した。それから死体を抱えて、200m離れた芋穴のそばに運ぶ。
「自白」 では、「40~50m」 の距離 (実際は200m) となっており、途中で休んだりしたことにはなっていない。つまり、一気に簡単に運んだようになっている。
だが、YNさんは1m58cm、54kg。当時としては大きな体である。両腕で抱えたまま、しかも本降りの雨の中、200m運ぶことができるだろうか?・・・実験では不可能という結果になった。
さらに 「自白」 では、死体をそこに横たえたまま放置し、雑木林にもどり脅迫状を訂正する。それから、荒縄を盗んできて死体を芋穴につるす。
・・・順番がおかしくはないか?・・・普通なら、死体を芋穴の所に放置したまま雑木林にもどり脅迫状を訂正したり、縄を盗みに行ったりしないだろう。
縄を盗みに行くのが先で、死体を芋穴まで運んだらすぐ隠す方が自然だ。そのあと脅迫状の訂正をすればいい。
もっといえば、雨が降っているとはいえ5月のこの時間帯 (午後5時ころ)、雑木林から死体を抱えてわざわざ人家のある方に出て行くほうが不自然だ。雑木林に隠しておく方が、はるかに安全 (?) なはずだ。
つまり、石川さんの 「自白」 には全然真実味がない。文字通り、誘導され作り上げられたものだということがはっきりとわかる。
「自白」 では、この後、YNさんの自転車で脅迫状を届け、ID養豚場でスコップを盗み、9時頃、農道に穴を掘り、芋穴から死体を引き上げ、うつ伏せにして穴に入れ埋めたということになっている。
 芋 穴  (<狭山事件の真実・荒縄> 参照)
芋穴への死体の逆さ吊りについて補足しておく。これが考えられたのは、死体の上にあった荒縄の意味が分からなかったからだと考えられる。
しかし、こんなことをすれば、当然、死体の足首にその後が残る。また、荒縄がこすれて、縄のくずが芋穴に残るはずだ。内壁にもその痕跡が残るかもしれない。さらに、血痕も残るだろう。
しかし、これらの全てが存在しなかった・・・ということは、芋穴への逆さ吊りはなかったということになる。
だが、寺尾判決は言う。
「足首の痕跡については、被害者がソックスを履いていたこと、足首に力が加わるのは死体を芋穴へ出し入れするときだけの短時間であること、しかも芋穴の口が狭いこともあって死体の出し入れの作業を静かにしなければならないこと (現に被告人自身そのように供述している。) などを考え合わせると、死体の足首に索溝などの痕跡が残らないことも十分納得できるのであって、格別異とするには足りない。」
「勝手に納得してろ」って感じだ。実験では、確実に跡が残っているのだ。
また、血痕がなかったことについては、ルミノール検査をしなかった捜査の不備をならす。しかし、どうせ少量だから、「芋穴の底に血痕があった公算は乏しい。」 と逃げをうつ。
同様に、荒縄のくずがなかったことについても、
「血液反応検査など精密な現場検証が行われなかったことからすると、果たして捜査官が芋穴の原状保存について慎重に配慮したかどうかは疑わしい。したがってまた、たとえ芋穴の側壁 (芋穴の口がコンクリートで固められていたことは先にみたとおりである。) などに犯行時の痕跡があってもこれに気付かなかったと思われる。」
要するに、捜査がちゃんとやられてなかったから、芋穴に死体を吊るした痕跡が分からなくなったのだというのだ。こんなこといったら、無実の証拠は全て捜査の不備のせいにされてしまう・・・実際、寺尾判決ではそうなっている。
なお、芋穴のルミノール検査は実際には行われていた。1988年に開示されたが、血痕はなかったという結果になっていた。
しかし、第1次再審で請求を棄却した高木決定は、<血液が固まっていたから反応はなくて当然> と言い放った。
 工作?
<スコップ発見現場><死体発見現場> にポインターを・・・
5月11日にスコップが発見された場所は、死体発見現場から北西に124mしか離れていない所であり、既に何度も山狩りがされている場所だった。
石川さんは、 「自白」 で 「スコップを放り投げてすてた」 と言わされている。が、発見された状態は、放り投げたとすれば当然ある麦の傷などがなく、うねにそってそっと置かれたような状態であった。
何度も山狩りをしたところからスコップが発見されるというのはもちろん、「自白」 と実際の状況が食違っているのもおかしな話だ。・・・ということは、「自白」 は真実を反映していない。つまり、作り上げられたものだ、ということだ。
また、普通なら犯人は、アシがつかないようにできるだけ遠くに死体を埋めたり、スコップを捨てたりするはずだ。しかし、石川さんの 「自白」 では、わざわざ自分の家に近い方に運んでいる・・・こんなことはありえない。
死体発見現場と石川さんの住む被差別部落は数百mしか離れていない。そして、スコップ発見場所は、さらに部落に近づいている。これは、一体どういうことであろうか?
もしかすると真犯人は、捜査の目が、部落に向けられるように仕組んだのであろうか。部落から数百mの人の通る農道を選んで、死体を埋める・・・早く発見されるように・・・。
スコップは、山狩りの後に何者かによって置かれた可能性が高い。もちろん、死体埋没に使ったものかどうかは分からない・・・生越鑑定によると、別物である。
3つの可能性がある。まず、事件に全く関係ない第3者がたまたまそこに置いた。だけど、これは、あまり考えられそうもない。残るは真犯人と、犯人逮捕をあせる警察関係者だ。
真犯人ならば、捜査の目を部落に向けさせるための工作の可能性が高い。既に、ID養豚場からスコップがなくなったことになっていて、養豚場関係者=部落への見込み捜査が始まっていたからである。
・・・この場合、重要参考人とされたGOは既に死亡しているので除外されるが、複数犯の場合は、依然として疑惑の対象である。
最後に、差別・見込み捜査に拍車をかけるための警察関係者の工作の可能性も高い。実際、スコップが発見されるや、ID養豚場をはじめ、市内の部落への捜査が集中した。
以上、<雑木林での殺害から芋穴~農道への死体埋没> に至るまでの石川さんの 「自白」 は、全くリアルさに欠け、警察の誘導によって作り上げられたものだということが、一目瞭然である。