「殺害現場」 (自白)                         05/6/10
 雑木林
手前のローラースケート場がONさんが作業をしていた桑畑の跡
・・・ONさんが車を止めたところ   ・・・薬剤散布を終えたところ
×・・・「殺害」 現場の杉の木         ・・・YNさんを縛った松の木
・・・「殺害」 後30分ほど思案していた桧の木 (右端)
なお、× は石川さんの 「自白」 によるもの。
殺害現場とされた雑木林である。
石川さんの 「自白」 では、ここにYNさんを連れ込み、一度、松の木 (○) に縛り、それからほどいて杉の木 (×) のところまで移動し、そこで殺害したことになっている。
<大声を出したので、「右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押さえつけたが」、なお大声で騒ぐので死ぬかもしれないと思いつつ、右手に一層力をこめながら強姦し、殺害した> (内田判決)。
しかし、1981年、第1次再審・特別抗告審でON証言が明らかにされた。
殺害時間とされた午後4時20分ころ (寺尾判決)、この雑木林のすぐ近くで農作業をしていたONさんがおり、「悲鳴も聞いていない、人影も見なかった」 と証言した。詳しくは、<狭山事件の真実・ON証言> を参照。
1963年7月
ここが殺害現場とされたのは、X型十字路と死体発見現場の間にあるからと思われる。だが実際には、かなりの雨がふっていたにもかかわらず死体がぬれていないなど、むしろ室内での犯行を伺わせる状態であった。
なお、YNさんの後頭部には、長さ1.3cm、幅4mmの骨に達するような傷があった。石川さんが犯人だと言い張るなら、この雑木林のルミノール反応検査の結果を明らかにすべきである。かなりの出血があったはずなのだ。
しかし、検察側は、ここのルミノール検査の報告書を開示しない。おそらく、血液が検出されなかったからで、ここが、実際の現場ではないと分かるからだ。
ちなみに、死体を隠したとされる芋穴のルミノール検査の報告書は、1988年9月にやっと開示され、案の定、血液は検出されなかったことが判明した。また、石川さんの服からも血液反応はでていない。関係ないのだ。
雑木林入口
1983年 現地調査
杉の切り株 (左・矢印の人のところにONさんの車があった)
80年代、90年代は以上のような状況だった。しかし、2005年現在では・・・もはや雑木林の痕跡をとどめる物は目に付かなかった。殺害現場とされた杉の切り株もなかった。
真中あたりの × にポインターをあててみて・・・
「殺害現場」 は駐車場になっていて、杉の木の切り株のあった所は、アパートのうらの入り口 (?) になっていた。
ONさんの桑畑も家が立ち並んでいた。ただ、ONさんが車をとめた小道が路地として残っていた。上の写真、矢印のところの自転車が分るだろうか。
ONさんが車をとめたあたりだ。杉の木 (×) のあたりからはこれくらいの距離である。石川さんの 「自白」 通りならば、ONさんと互いの存在を認識しないはずがない。
「自白」 にONさんが出てこないということは、即ち、「自白」 は事実ではないということである。また、ONさんも 「悲鳴も聞いていない、人影も見てない」 と証言している。
つまり、雑木林のこの 「現場」 は、実際の 「現場」 ではないのである。