鴨 居
 万年筆
高さ175.9cm、奥行8.5cmの鴨居
中央部、黄色いキャップと黒の本体 (?) のサインペンが見えるだろうか。3回目の家宅捜索で万年筆が見つかったところである。
実際の万年筆だと、キャップのところが光を反射し、さらに見えやすいという。だんだん、万年筆がなくなってきたというので、サインペンで間に合わせているらしい。
石川さんの 「自白」 では、<カバンを捨てたときに筆箱だけ取り、家にもって帰った。そして、万年筆だけ鴨居の上におき、筆箱は風呂場のたき口で燃やした> ということになっている。
・・・・・以下、万年筆を巡っては、<狭山事件の真実・万年筆> を参照。
狭山再審闘争勝利現地事務所・・・この中に・・・
復元された勝手口
勝手場の中から鴨居を・・・
石川さん宅は、万年筆でっちあげの 「現場」 として保存されていたが、1995年12月に火事で消失してしまった。そこで、「狭山再審闘争勝利現地事務所」 の中に、事件当時の石川さん宅の勝手場を忠実に復元、1998年11月12日に完成した。
事務所の中に入ると、ちょっと薄暗かった。復元された勝手場に入ると、さらに暗かった。まぁ、家の中に家があるようなものだから仕方ない。
事件当時の石川さんの家の勝手場は、明り取りもあり、復元された状態よりもずっと明るかったという。
さて、問題の鴨居と万年筆である。実を言うと、ボクは平均よりもかなり小柄である。石川さんも小柄だが、負けず劣らず小柄である。当時、捜索にあたった警官たちは、おそらくボクよりみんな大きいはずだ。
だけど、3メートルほど離れると見えるのだ。1番上の写真は、ボクの目線。4枚目の写真は、カメラの性能がイマイチなのか、写したボクが悪いのか、うまく処理できなくて真っ暗になり、残念ながらはっきりペンが見えない。
しかし、実際は見えていたのである。ズームさせた写真にはちゃんと、ボクの目線で写っていた。何よりの証拠だ。・・・でも・・・なんでこうなったの?
 誰が・・・いつ・・・
5月23日 1回目の家宅捜索・・・× 勝手口・この内側に鴨居
石川さん宅の見取り図
鴨居から万年筆が発見されたのは6月26日の3回目の家宅捜索であった。5月23日、6月18日、延べ26人が延べ4時間半にわたって家宅捜索したにもかかわらず見つからなかったものだが、わずか3人が14分で発見した。
それもそのはず、石川さんが 「そこにあると言っている」 と言って石川さんの兄に素手で取らせているのだ。
裁判官たちは、「見えにくいところ」 と言ったり、「見落とす可能性」 を言ったり、挙句の果てには 「捜査官が知らなかったからだ」 と言ったり、いろんなことを言って、3回目での発見に何の疑いもないふりをし続けてきた。
さらに、そこを 「ちゃんと捜した」 という元刑事たちの証言に対しても、時間がたっているので記憶が定かでないと勝手にほざいて、これらの証言を退けてきた。
だが、3回目の捜索で鴨居の上で・・・ということ自体もありえないことだが・・・それにもまして、石川さんの兄に <素手> で取らせているという1点で、この万年筆がでっちあげられたニセモノだということが分かる。
6月26日・・・素手で?
捜査が拙劣だという以前の問題で、こんなことはありえないのだ。ありえないことが起こったということは・・・最初から石川さんの指紋もYNさんの指紋も出ないということを知っており、兄が触ったことで検出されなくなったという理屈をこねるためだったのだ。
では、いつ誰がニセモノ万年筆を置いたのか。
怪しいのは関巡査部長である。いつもは玄関口で応答し、決して家の中に入らなかった関が、6月24日 (推定) に限って勝手口から家に入り、あがりこんでいたのである。
だから、ボクは、「6月24日に関巡査部長が」 だとずっと思ってきた。しかし、6月26日の家宅捜査の時に、石川さんの兄が玄関先で対応していたが、勝手口で物音がするのを聞いているという。
すると、この時に、玄関に家人の注意をひきつけておいて、別の警官が置いたのであろうか。確かに、その可能性もある。
だが、この直前というのには難点もある。万一、勝手口に誰か来たりすると置けないことになり、家宅捜査そのものが成り立たなくなる。
そこ (鴨居) に、既に万年筆が確実に存在していてはじめて捜索は成立するのだ。だが、24日では、2日間、家族の目に触れることになる。・・・確かに、鴨居の上は見えるのだから。
しかし、普通、家族の誰かが何かを鴨居の上に置いて、見えていたとしても、気にとめるだろうか。ボクの家なら、まず、誰かがそれを見つけて騒ぎ出すなんてことはない。見えていたとしても、気にとめるということにはならない。
6月18日、2回目の家宅捜索・・・頭の上に鴨居
だが、家宅捜索は別である。受けた経験がなければ分からないかもしれないが、鴨居を見過ごすなんてことはありえないのだ。特に、2回目の時には、捜索対象として万年筆もはいっていたのであり、意識的に捜しているのだ。
見つからなかったとしたら・・・隠し部屋とかいうなら話は別だが、単に普通の鴨居の上なのだ・・・結局、万年筆はなかったのだ。この2回目から3回目の間に何者かが置いたのだ。ボクは、やはり関が怪しいと思っている。