X型十字路                              05/6/8
 出会い
午後3時50分ごろ・・・1審内田判決が認定した石川さんとYNの出会った時間である。なお、寺尾判決では 「午後3時40分ないし50分ころ」 とされた。
場所は、加佐志街道・X型十字路。・・・しかし、この加佐志街道と呼ばれる荒神様からX型十字路を経由する道は、彼女の通学路ではなかった。
では、なぜこのX型十字路で、午後3時50分ころに出会ったとされたのか?
 YNさんの足取りをたどると・・・
授業終了後、しばらく教室で本を読んでいたが、「誕生日だから早く帰る」 といって、小雨の中、学校を出たのをクラスメートが見ている。午後3時23分であった。しかし、家ではお祝いをする予定はなかった。
この後、オリンピックの記念切手の領収書を取りに郵便局に立ち寄ったと考えられる。これはほぼ確実である。
それから小沢毛糸店に寄り針さしを買ったと考えられている。これは、YNさんの左ポケットから針さし1個が発見されたことによる。
さらに、後に発見されたカバンの中にあった刺しゅう用の糸2巻・編棒1本に関するYNさんの姉の証言、店のHOさんの証言から店に寄った可能性があるという。
ただし、これはカバンが本当にYNさんのものであったとしたら、の話だ。
地図は1988年現在
当日のYNさんについては3人の目撃情報がある。場所は、西部新宿線の第1ガード、そこから北東に少しいった第2ガード、さらに北東に少しいった自転車屋の近くである。
自転車屋のところはYNさんの後輩の中学生で午後3時半ころ、第2ガードは中学時代の担任で午後2時45分ころ、第1ガードは農作業から帰る INさんで午後3時20分ころだったという。
元担任と INさんの証言は、いずれも 「YNさんが誰かと待ち合わせをしているようだった」 という内容である。
第1ガード (1983年)
これらの証言は、クラスメートの下校時間の証言とくいちがう。しかし、元担任は、当日の野球の試合の時間との関係で時間的には正確のようである。また、 INさんは荒神様の祭りが話の中に出てくるから日付は正確のようだ。
とすると・・・当日、授業が終わったのは2時半ころ。YNさんは一度学校を出て、第2ガードで元担任に目撃された可能性もある。元担任は、「自転車はなかったような気がする」 と言っているが、歩いても10分ほどの距離なのだ。
再び、学校に帰り、3時半に下校。そして郵便局に寄り、第1ガードに行く。INさんが目撃した時間は、実際にはもう少し後だったのかもしれない・・・だが、公判でとりあげられたのはこの IN証言だけだった。
いずれにせよ、5月1日、YNさんは通学路とは違う加佐志街道方面にいたと考えられる。
 石川さんはというと・・・
X型十字路から少し北東に行った所に通称 「山学校」 と呼ばれるところがある。事件当日、この付近で石川さんとその友人ATの二人を見たという植木屋SOがいた。死体発見現場から7~800メートル離れた山の中だ。
5月27日には警官に、6月5日には検事にそのように供述している。しかし、石川さんが 「単独自白」 を始めた後の6月30日には、<石川さんとATだったかどうかははっきりしない> と供述を変えている。
だが、6月4日にはATも別件で逮捕され、YNさん殺害の件で取り調べられている。寺尾判決でも、「捜査当局は6月4日の段階ではまだO情報をかなり重視していたのではないかと思われる」 と認めている。
しかし、続けて、「しかしながら、捜査当局としては、遅くとも第2次逮捕の6月17日ころにはもはや 『本件』 につきATには共犯の容疑がないとみていたものと思われる」 とする。
確かに、石川さんが 「単独自白」 をするようになってこのSO情報は価値がなくなった。そればかりか、むしろ邪魔にさえなったであろう。こうしてSO情報は変更されていく。
しかし、この一連の過程で、捜査本部には、5月1日当日、石川さんがこのあたりにいたかもしれないという印象が深く刻印されていったにちがいない。
X型十字路・山学校の方向 (2005年5月)
 位置関係である・・・
第1ガード、山学校、それに死体発見現場、教科書発見現場を道なりに結ぶと、加佐志街道にあるこのX型十字路が自然に浮かんでくる。そして、殺害現場とされる雑木林への道に続くのである。
ここで、石川さんとYNさんは 「運命的」 な出会いをさせられてしまうことになった。脚本は警察・検察が合同で書き、マスコミがはやしたて、絶賛したのは内田・寺尾以下これに連なる裁判官たちであった。
 時間差
石川さんとYNさんは、X型十字路で午後3時50分ごろ出会ったとされた。しかし、これには重大な時間差が存在する。
仮に、YNさんが午後3時23分に下校し、郵便局により、荒神様を経由してこの十字路に至ったとしよう。なるほど時間的にはぴったりである・・・というか、この計算のもとで、1審内田判決は、出会いの時間を決定したのだ。
しかし、石川さんはというと・・・駅からここまで普通に歩いて15分程度なのだ。ゆっくり歩いても20分もあればここに来てしまう。
午後2時半に入間川駅に帰ってきたとしたら、15分~20分のところを1時間20分もかけて歩くことになる。どうすればそんな芸当ができるのか?
1時間の時間差は、普通の生活では完全にすれちがいである。さすがにこれはまずいと思ったのか、内田判決は石川さんが駅に帰ってきたのを午後3時とした。しかし、依然として30分の埋められない時間差が存在する。
寺尾判決はこれを意識したのか、出会いの時間を午後3時40分~50分と前倒しに余裕をもたせた。しかし、このような小細工を弄そうと、埋められるのはせいぜい10分。20分もあれば再び駅に戻ってしまう。
実際、「自白」 では十字路から先に進み、山学校のところから意味もなく引き返したことになっているのである。