加同協ニュース №32     04/3/19
3月5日 勉強会報告
3月5日、加茂名小学校多目的ホールにおいて加同協第18回勉強会が行われました。約90人が参加。「同和教育から人権教育へ~部落史研究の過去・現在・未来~」 と題して吉田栄治郎先生 (奈良県同和問題関係史料センター) に講演していただきました。
講演要旨
先ほど前回の資料 (3年前) を見せてもらった。しかし今回は、去年の12月1日に10周年の記念事業をした時に話をした資料があるので、今日はそれを使いたいと思う。部落史研究から見た同和問題の現状をお話しさせてもらいたいと思う。
これから申し上げることは、ここに集まっている多くの方には否定的に受け取られる可能性が高い。従来型の同和問題を一生懸命にされてこられた方は否定されるかもしれない。しかし、従来のやり方ではもはや通用しない時代がきている。
部落問題解決のためには何が必要なのか、現在までの同和教育の成果をふまえ、今後どうしていくべきなのか、何をするべきかを考えていきたい。
Ⅰ 部落史研究の過去について
①戦後、部落は貧しいということを前提として、どうしてそのような状況が生まれたかという研究があった。部落の起源の研究である。徳島でも多く研究されてきたと思うが、部落の起源がわかるというのはある種の錯覚である。
②被差別と貧困・低位、劣悪一色に塗りつぶされた部落の歴史と住民の生活史が語られ、その解決が部落問題の解決課題と考えられ、被差別→貧困→不就学→非識字→不安定就労→搾取→被差別という負のスパイラルが語られた。
③部落外の人々に対して、貧困・差別と闘う部落民の姿に同調せよという教育がなされてきた。また部落民宣言などが通常行われ、部落民は常に正義の人のような取り扱われ方がされ、悪い人はすべて部落外にいるような図式ができあがった。
④部落の人は闘わなければならないという図式があった。闘おうとしていない部落民は寝ていると言われ、部落解放運動に立ち上がった人のみが正義という考え方が盛んになった。しかし、全ての人はさまざまな可能性をもっているわけであり、芸術に才能を発揮する人もいれば、学術に才能を発揮する人もいる。
解放運動に直接参加していない人々に問題があると考えるのはおかしい。画一的な価値観の押しつけが行われ、それ以外のものは認めないというようになった可能性が高い。(ステレオタイプの部落認識)
⑤就職・進学・学力保障がうまくいけば差別はなくなると考えている人がいた。差別は必ずしも貧困を生むとは限らないし、学力が低くなるとも限らない。また、常に闘っているというものでもない。
⑥特定の政治課題と結びついたため、本来の差別の問題に入れず、天皇制、帝国主義や資本主義に差別の原因をもとめることになり、本来の差別の問題がどこかに飛んでいってしまった。同和教育の名のもとに全ての価値が一元化され、多用な価値を認めず、たとえば西暦を書くことを強要する場面すら現れた。住民の了解がえられないような同和教育も行われた。
⑦では、部落差別とはいったい何なのか。部落差別は 「吾々とは違う」 という部落外住民の意識の中にある問題だと考える。君が代・日の丸反対、元号使用反対など特定の政治的立場に同調した政治課題が部落問題の本質にすり替えられ、本来の部落差別の問題からはずれたことに焦点が当てられてきたのではないか。
⑧このように言うと部落差別は無かったというふうとられるかも知れないが、そうではない。私が言いたいのは、差別は貧困や学力が低いということではなく、「説明できないけれど何かが違う」 という意識が問題だということである。それは説明不能の、不可思議な意識である。
⑨昭和60年代に入ると部落住民に対して行われる施策が社会的な矛盾を生む場面も現れるようになり、それに抗してか施策に対して 「差別の代償論」 まで起こるようになった。「なぜ部落にだけ」 というような意識が深く静かに起こり、同和教育の孤立化、同和教育をやっても意味がないと考える人が増えてきて,現実的に抜き差しならない状態になっていた。
⑩平成の初頭、手垢のついた聞き飽きた言葉、相変わらず古いパターンの教育がまだ残り、同和教育は自らの力で自らを変革できなくなっていた。そうした同和教育によって未来を展望できないことが明らかになるなか、平成7年から始まる 「人権教育のための国連10年」 によって人権へのシフトが起こった。
Ⅱ 部落史研究の現在
①奈良では江戸時代から部落は強い経済力をもった。田畑をたくさんもち、文化レベルも高く、医者も薬屋もいた。明治に入ると京都帝大教授も陸軍少将も出ている。誤解されたのはここであり、そんなはずはないというふうに言われた。しかし当時も今も能力さえあれば出世する可能性はあった。公の場で立身出世の観点から排除されたということはない。あるのは私的な場での差別である。
貧乏なことを解決するとか、学力が低いことを解決するということが、差別解消の最終課題ではない。部落問題の解決課題はそんなことではない。帝大教授も陸軍少将でも受けたであろう差別が本質なのである。
②貧困は明治時代の中期ごろからいろいろな理由によって起こったもの。
③現実にある差別とは一体何かという問題になるが、それは以下のことだと考えている。
【1】日常的交流、私的な交流の場における排除
    ※部落出身であるが故に情報やネットワークから排除される。
【2】まだ残る部落はこわいという意識
【3】貧困者に対する蔑視
【4】「何かは、あるいはどこかはわからないが (つまり根拠なく)、何かが異なる」 という意識
この内大きな問題は【1】と【4】であり、この2つは連動し、根底には部落は違う という意識がある。
※滋賀県竜王町苗村神社では33年に1回行われる祭りがある。その時に、氏子の中の部落のものが兜鎧に身を固めて行列に参加する。この部落は農業を中心とした集落で、豊かな集落である。苗村神社ができた時の創建の由緒があるから、つまりその部落が神様を連れてきたという由緒である。それでも彼らは差別を受けた。つまり結婚がないと思われる。私的な交流の場からたたれている。それが差別である。
部落史研究はそこまで到達した。苗村神社の行列が続いてきたのは、だれもが創建の由緒を動かしがたい事実として知っていたし、事実として認めていた。ここに部落差別の本質を見いだすことができるのではないかと考えている。
神官の問題だが、祝 (しゅく) と屠 (と) という概念は、部落差別で極めて複雑で重要な問題だと考えている。
④多くで識字学級が行われているが、それは基本的人権の問題であり、住居・学力・生活などの保障を求めるのは当然のことであって、本質的には特に部落だけにという問題ではない。本来それは日本国憲法によって規定された基本的人権の問題であろう。
Ⅲ 部落史研究の未来
①教育に関わるパラダイム転換が必要である。過去の同和教育はおそらく立ち枯れ状態にあった。過去の同和教育のコンセプトはいかに部落を変えるかであったため、やればやるほど、差別は部落に原因があるのだということになった。
②部落差別に 「謂われはない」 と言われてきたが、「謂われはある」。ただそれは部落の中にあるのではなく、外にあった。いまだに同和教育の研究大会などでは部落の問題を取り上げなければヤジが飛ぶくらいだが、しかし問題は差別をする側にあるのであり、差別をする側に差別をする謂われがある。
そのことを正しく受け止めれば、部落にかかることによって差別がなくなると考えることは錯覚だということが明らかになる。問題は部落の児童生徒といかに関わるかではなく、部落内外の児童生徒を含め、いかに 「謂われ」 を解消させるかである。
③低学力の生徒は部落内外に存在する。奈良教育委員会では部落の児童生徒だから関わるという考え方をとらない。21世紀の教育の中味からすると、貧困によってか学力を奪われている児童生徒はだれであってもそれを保障しようというものである。ア・プリオリ (先天的/最初から) に部落だからとは考えない。
④また、これまでは部落の子だけが受給できる奨学金制度があったが、部落の外にもはるかに低位な人達がいっぱいいたし、その人達には奨学金制度といえば日本育英会しかなく不公平やアンバランスが生じていた。これは部落差別とをなくすための戦略としては得策ではなかった。新しい奨学金制度は全県民に等しくと考える点が画期的な意味を持つ。
⑤社会教育においては、家柄や家意識の改革が求められるだろう。部落外の人たちは部落の人たちを 「違う」 という意識を持って接しているが、同時に部落の人たちも部落外の人たちは違うという意識がある。また、部落の人たちは差別をしない聖人君子のように思われるが、そうではなく、夙 (しゅく) や隠亡 (おんぼう)、傷害者や在日外国人に対して強烈な差別意識を持っているのではないか。
⑥学校の先生方には本音と建て前を使い分けるのをやめてほしいと御願いしたい。そうでないと生徒たちが教育を信用しなくなる。つまり同和教育の形骸化が起こる。
⑦課題を共有する全ての子どもたちが問題なのである。無前提に部落だからやるのだという考え方をやめる必要がある。「課題・条件を共有するものすべて」 を対象とした人権教育こそが同和教育が本来めざした 「部落差別をなくす」 ことを実現させうる教育活動ではないのか。
部落史研究の未来は被差別という 「課題・条件を共有するものの全て」 に関わってくる。部落の子だからやるという同和教育なんかやっているうちは、本来同和教育の課題は解決することはできない。
⑧これまで部落の起源を明らかにし、部落がいかに支配者から不合理な扱われをされてきたかという研究が横行してきた。今後はそうではなく、部落内外の人たちが、いかによりよい明日を作るために協調したのか、いかに調和したのか、協力したのかがこれからの研究課題であり、人権教育の教材になる。
⑨そのようなことを子どもたちに学ばせることこそ本当の意味での同和教育でなかったか。人権教育とよばれるものだろうが、私はこれこそが本当の意味での同和教育なのではないかと思う。
最後になるが、今日お集まりの皆さんは、この問題にそれなりに関心を持っておられるわけで、今おられる先生方は、「なんとかせないかん」 という思いがあると思うが、それはおそらく少数派ではないか。
同和教育地区懇談会、今は人権教育地区懇談会と呼んでいるのだろうが、奈良でも行われている。そこでは全所帯数だけ集まる地域と20%集まる地域に分かれる。しかし、自由意志に任させば、だいたい衆議院選挙は60%ぐらいの投票率だから、そのあたりが健全なのではないか。
全員が出席するのも20%しか集まらないのも異常な気がする。地域住民の多くは同和から人権に名前が変わっただけで、一皮むけば同じではないかと思っているのではないか。今までやってきたものが一斉に姿を消すぐらいの教育の変革が必要になってきている。私も消えなければならないかも知れないが、あと少し待ってほしい。
人権教育こそが同和教育の本来の理念であると改めて言いたい。同和から人権に首のすげ替えではない。名前だけ変えても意味がない。「共通して課題・条件を共有するものの全て」 という考えに基づく必要がある。部落の外にも特別な対応をしなければいけない人達がたくさんいる。新しい部落史研究の未来からこのようなことを提示していきたい。
ご意見・質問・ご批判をいただければと思う。(終)
<質問> 祝 (しゅく) と屠 (と) についてもっと教えて頂きたい。
<吉田先生>
祝と屠について
  祝という行為は、神官が行う行為        →はふる
  屠という行為は、動物を殺してまつる行為 →はふる
徳島県出身の喜田貞吉が述べた考え。二つの言葉は同じ 「はふる」 というのである。そこで二つの言葉は神主と関係しているのではないかと考えた。そして、「没落した神官論」 を展開した。彼は二つは神主の行為ではないかと考えた。
大昔、屠という行為に対する尊崇の念があった。かつての吾々の祖先は血が滴る動物の肉を神に供えていた。喜田貞吉はそれが屠だと考えた。部落民の祖先は実はこの神官の子孫ではない かと考えたのである。これによって現実がどう変わるというわけではないが、少なくとも部落のイメージが変わると思う。今までのステレオタイプの考え方を捨てることには役立つのではないか。
これまでの同和教育のイメージを捨てるというのは、ある意味で踏み絵に似ている。それを踏みつけるぐらいのことをしなければならない。それぐらいやった上で、先ほど言った同和教育に取り組んで頂きたい。
私はけっして同和教育の成果を否定しているのではない。本当は途中からやりすぎてしまったと考えている。部落のAくんによりそう、彼と向かい合うというような同和教育、これを絶対的にやめない限り周りの人と意識を共有できないだろう。
目の前にいるすべての子どもたちに焦点を当てて、貧困という問題に光をあてていけばよい。最初から部落と部落外を分けること自身が問題だろう。初めから部落ありきという手法を捨てて、最終的に部落にたどり着いたというのであれば、それがいいのではないか。
先生がたには受け持つ子どもたちの課題を見つけてほしい。家庭訪問の前に、4月入ったら校区内の様子をとりあえず頭にたたき込んで頂きたい。人々と同じ目線で見られる。課題はそこから見えてくるのであって、ぜひこれを人権教育のスタートにしてほしい。
吉田先生には、2001年2月に続き、2度目の講演をお願いしました。しかし、大半の参加者にとっては、この日が初めての講演になったのではないでしょうか。寄せられた感想には、もう一度、吉田先生を呼んで欲しいというのもありました。また、ぜひお越しいただける機会を作りたいと思います。感想の一部を紹介します。
◇非常に明快な論理、切り口でよくわかりました。徳島県内にこの吉田先生の考え方 (奈良方式) は受け入れられるのでしょうか?受け入れられては?とにかく今までの同和教育のこと、これからの人権教育のことがスッキリとなりとても良かったです。ありがとうございました。
◇「部落史研究」 という研究をすることにより、今までの同和教育がこのように整理・評価できることを知り、頭と心がすっきりしました。重苦しいステレオタイプの同和教育から距離をおくことができると実感しました。しかし、課題を明確に見極めないとますます何をしようとしているのかわからない人権教育に陥ってしまいそうですね。
◇今の問題として 「部落の人だから…」 など私的な交流の断絶や 「部落は違う」 「我々と違う…」 という根拠のなくいう心の差別が強く残っているということがとても心に残っています。部落の人だからでなく、部落内外関係なく、共に考えていかなければけないということはとても勉強になりました。ありがとうございました。
ご意見をお寄せください。
なお、昨年10月17日の勉強会での議論を踏まえ、事務局会では12月10日の事務局会で 「1月の代表者会に、『加茂名地区人権・同和教育連絡協議会』 と名称を変更し、略称は 『加同協』 にするということを提案する」 と決定しました。そして、本年1月27日の代表者会において提案・承認され、来年度の総会に提案するはこびになりました。このことに対する、会員の皆さんのご意見をお寄せください。
04/3/23