夜の女

 厳が藤乃や愛にメッセージを送った時、愛の指定した時間まで十五分ほどの猶予があった。
 バイト先から例の風俗店まではスクーターで行けばものの数分と掛からない。
 小腹が空いてるし、何か軽く食べていきたいところ……ではあるが、何とも中途半端な残り時間。風俗店前のコンビニで何か摘まむくらいなら出来ようが――
「えぇ〜?」
 厳の背後に憑いてる人が露骨に嫌な顔をする。
 まあ、昨日、妹たちが居たことを考えると余り近づきたくはないのだろう。
 それは理解出来る。
 かと言って、他の店を探すとなれば、残り十五分で買い物を終わらせ、食べ終えて、帰ってくる……は難しい。
 仕方ないから、諦めて空きっ腹を抱えて厳は例の店へとスクーターを飛ばした。
 夜の街を満たす空気は冷たくはあるが、奇妙な熱気のような物を感じる。
 そんな空気をスクーターで切り裂き、目的地に着いたのは指定時間の十分少々前。
 こう言うところは呼び込みがうるさいのかと思っていたのだが、最近は取り締まりの方がうるさいらしい。店の前を通っても呼び込みのお兄さんがチラシを手渡す程度にしか声はかけられなかった。
 その呼び込みのお兄さんに、厳の方から声をかけた。
「あっ、予約、してるみたいなんだけど……」
 この時、青年はごちゃごちゃ言われたらさっさと帰ってやろうと思っていた。
 そのアイパーに真っ黒いスーツ……どう言うお仕事をしているのか一発で解るお兄さんがじろっと厳の方へと視線を向けた。
「ああ? 予約?」
「あっ、いや……山田愛って女が取ってくれてるはずなんだけど……」
 厳がそう言ったのは、愛から「入り口にいる黒服に私の名前を言え」と言われてたからだ。その言われたとおりに彼女の名前を出したその瞬間だった。
「あっ! 山田の姐さん! 承っております。どうぞ、こちらへ」
 途端に黒服の態度が変わった。
 それまでの面倒くさそうな態度から一転、直立不動へ。まるで将軍閣下を出迎えた下っ端新兵のよう。
 しかも、その黒服が厳を通したのは通常の待合室ではなく、奥の事務所の方だった。
 余り広くない部屋に事務机が二つ。それから、衝立で区切られた空間にはソファーセットが置かれていた。
 そのソファーセットの方に厳を案内すると、彼は言った。
「山田の姐さんがこちらで待つように……と」
 そう言って男はその場を辞した。
 部屋の中に居るのは厳と厳の頭の上でフヨフヨ浮いてる史絵、それから電話番のおばさん。
 ソファーセットのテーブルにはその電話番のおばさんが用意したホットコーヒーが大ぶりなマグカップを満たしていた。空きっ腹には堪えるのになぁ〜なんて思いつつ、それを味見。
(インスタントだな……)
 なんて、解りきった感想が頭をよぎる。
「さっきのお兄さん……丁寧って言うか、若干、怖がってなかった? 不動沢君の事」
 頭の上で史絵がそう言うと、改めて、厳はあの黒服の様子を思い起こした。
 確かに、たんに『丁重』と言うには度が過ぎていたような気がする。
 腫れ物か爆破物、厳の一挙手一投足にいちいち怯えるというか……
 例えば、この部屋に通されたとき。
「すぐにビールか、何かを……」
 ――と、言いだしたのは良いのだが、厳がそれを「スクーターだから」と言って断ると、もう、その場で土下座でもし始めそうなほどに怯えきって、ぺこぺこと米搗きばったの様相。
 見ているこちらが恐縮してしまいそうなほど。
「あの女、何やってんだ?」
「何処かの大物の情婦とか?」
 どこまで冗談か解らない口調で史絵がそう言うと、厳は軽く肩をすくめて答えてる。
「……まるっきり否定できないのが怖いよな、あの女の場合」
「誰が、何処かの大物ヤクザの美人情婦だ?」
 噂をすれば影……とばかりに衝立の向こう側からひょっこりと愛が顔を出した。
「おねーさん! まーちゃんのラーメン、おでんの豆腐と餃子も付けて!」
 そして、彼女は事務机で電話番をしている女性に声を掛けると、ストンと厳の正面、二人掛けの大きなソファーにどっかと偉そうに腰を下ろした。
 その偉そうな愛の姿に軽く嘆息して、厳は呟く。
「……誰も美人とは言ってない」
「言え、情夫」
 軽い調子で言いながら、彼女は羽織っていた濃紺のジャケットを脱いだ。
 ノースリーブの二の腕は白く細くて扇情的だし、組んだ足もどこか色っぽい。
「誰が誰の情夫だ?」
 軽く視線を逸らしながら、答えるとそちらにはフヨフヨ浮かんでる史絵の顔。
「どこ見てんだか」
 ニマッと笑ってる顔がなんか、むかつく。
「まっ、厳が私の足を見てた事は置いておいて、だよ」
 視野の端っこ、偉そうに足を組んでる愛が言ってるのを横目で見ながら、青年は吐き捨てるように応える。
「……うるせえ、若いんだよ」
 厳のセリフにクスッと愛が頬を緩めるのが、やっぱり、視野の端っこに見えた。
 そして、彼女は改めて言った。
「その若さはあゆちゃん相手にたっぷりと発散しておいで」
「あゆ? 佐和子じゃなかったのか?」
 愛が言った言葉に原が視線を戻すと、彼女は少し格好を崩して見せた。
 ソファーの背もたれにゆったりと体重を預けて、彼女は頬を緩める。
「源氏名って奴。売り上げランキングはそこそこって所なんだけど、これはテスト前や難しいレポートが入ると勤務時間を短めにしちゃうからで、伸ばせば十分上位をうかがえる逸材らしいよ? 身長は百五十九センチ、体重は五十二キロ、スリーサイズは上から八十八、五十八、八十二……で、Fカップって、何を喰ったら、こんなに乳が大きくなるんだか……? 性感帯はうなじで、得意技は即尺とパイズリ」
 一息に『あゆ』こと赤木佐和子のプロフィールを暗唱してみせた愛がどや顔を決めてソファーにふんぞり返った。
 その愛の顔を厳も史絵もぽかーん……とした顔で見つめる。
 間抜けな沈黙から最初に復帰したのは史絵の方。
「そくしゃくって何?」
「洗ったり拭いたりしてないチンポをそのまましゃぶるって意味だよ」
 浮かぶ史絵に愛が応えると、史絵は途端にその野暮ったい太い眉をひそめて言った。
「……うへっ、気持ち悪」
 吐き気がする……とでも言わんばかりに胸元を押さえて、ペロッと舌を出してる史絵に対して、愛もちょっぴり苦笑い。軽く肩をすくめて、彼女は言った。
「私も自分のじゃないと無理だなぁ……」
 そして、また、史絵が尋ねる。
「生えてるの?」
「……自分の! 男の!」
 真っ赤な顔で愛が言い返せば、史絵はしれっとした顔で明後日の方向を見ながらに言った。
「まあ、そうだと思った」
「じゃあ、聞かないでよ……」
 ソファーの上とテーブルの上、二つに分かれて下世話な話をしている女二人に、厳は海よりも深いため息一つ。
「はあ……そういうのはどうでも良いんだけどさ……」
「ありありコースだから即尺も入ってるよ?」
 しれっとした顔で余計な情報を教えてくれた愛に対して、顔をカッと赤くして、厳は叫んだ。
「激しくどーでも良いわ! てか、わざわざ、調べたのか? そー言うの!?」
「まぁね〜と言っても、ここのオーナーとは知り合いだから、ちょっと教えて貰った」
 なぜか、愛は胸を張った。
 Aカップの。
 そんなことを考えてる厳に愛がじろりと冷たい視線と冷たく響く言葉を贈った。
「今、悪い事、考えたでしょ?」
 そんな愛の顔から視線を逸らして、厳は嘯く。
「気のせいじゃねーか?」
 そして、ほっぺたに刺さる愛の冷たい視線に耐えながら数秒の沈黙……
 その後に彼は沈黙に耐えきれず、声を上げた。
「しかし、わざわざ、調べるか? 普通」
「まあ、一応ね? 気になるじゃない?」
 パチン……と右目を閉じてウィンクを愛は厳に返した。
 その整いながらも、底意の見えない顔を見やり、厳は呟く。
「……お前、何考えてるんだ?」
「店の中でお相手して貰う分には大丈夫だよ。でも……厳?」
「なんだ?」
 厳の問いかけに愛はずいっとテーブルの上へと体を乗りだした。
 組んでいた足がほどかれ、その両膝に愛が手を突き、顔を厳の方へと突き出す。
 真っ正面から向けられる瞳が、深紅に光って細くなる。
 そして、彼女はひときわ低く、真面目な声で言った。
「…………もし、店の外に誘われたら、絶対に断りなよ?」
「……なんで?」
 真顔で厳が問い返せば、彼女はフッと目元から力を抜き、緩い笑顔を浮かべた。
 そして、再び、ソファーの背もたれに体重を預けたら、軽い口調で応えるのだった。
「ふふ、悔しいからに決まってんじゃん? 女の価値はおっぱいじゃねーぞ?! ってね」

 愛や史絵とのくだらない会話で十五分ほどの時間を潰すと、厳をこの部屋に案内してきた黒服が戻って来た。
「ごっ、ご予約のお時間になりましたので! こっ、こここ、こちらにどうぞ!!」
 血の気がひいて真っ青になりながらも愛想笑いを浮かべ放しの顔には冷や汗が滲む。それから、ひっくり返った裏声に、うわずった言葉遣い。
 直立不動なれど膝が笑ってるのを止められない男性に対して、どう対応した物やら……と内心悩みながらに青年が立ち上がる。
 それと同時に愛が言った。
「厳、たっぷり楽しむのは許してあげるけど、話、全然聞いてこなかったら、さすがにムッとするよ?」
「……へいへい」
 軽く言葉を交わして部屋を後にする。
 史絵は愛もいるからって事でこっちに残るそうだ。
 まあ、彼女の事だから気が向いたら覗きに来るかもしれない……って事は頭の片隅に置いておいた方が良いだろう。
 無言ではあるがどこか緊張感を身に纏った男に案内されて、青年は一つのドアの前へと通された。
 ピンク色の派手なドアに磨りガラスの小さなのぞき窓、こんこんと男が軽くノックすると、中から甲高い女の声が聞こえた。
「はーい」
 男がその場を辞すると同時にドアが開く。
「いらっしゃい、どうぞ」
 ドアの中から一人の女性が顔を出した。
 愛が言ってたとおり、身長が百六十弱程度、大きな胸が特徴的な奇麗な女性だ。
 多分、今までに裸を見た女性の中で一番胸が大きい……と思う。その大きな胸に引き締まったウェスト、むっちりとした肉感的な手足。百点満点中二百点を付けても良いような身体を黒く透けたキャミソール――ベビードールというのだろうか? 扇情的な装いに包んだ女性が、厳の顔を見て微笑んでいた。
「あっ、どっ、ども……よろしくです」
 妙にうわずった声でそう返して、青年はぺこりと頭を下げた。
「あゆです、緊張しないで。どうぞ。入って」
 そう言って微笑むと、あゆと名乗った女は踵を返す。
 目の前で腰まで伸ばした茶髪が揺れる。
「あれ?」
 思わず、声が出た。
「どうしたの?」
 女が振り向き、二重の大きな瞳がこちらを見やる。
「ううん……なんでも……」
 そう答えながらも頭の片隅にあったのは――
(何処かで見た事があるかも……?)
 ――だった。
 と、考えてる間に部屋へと厳は通された。
 通された部屋は六畳ほどの広さだろうか? 大きめのベッドと衝立で区切られたシャワースペースがあるため、体感的には非常に狭く感じる。
 その狭い部屋の中、中程にまで入ると、女がするりと青年の胸元へとすり寄った。
「失礼します」
 そう言って女が厳の着ている服のボタンを外してく。
「あっ……はい」
 彼女が身体を動かす度にふんわりと香水の香りが厳の鼻腔をくすぐった。
 その女の香りに頭の芯、雄としての根源的な部分がとろけていくよう……だったのも、女の指が青年のワイシャツのボタンを全て外して、その袖から腕を引き抜こうと厳の体にその大きな乳房を押し付ける瞬間まで。
 ムニュッと柔らかい乳房とこりっとした堅い乳首、その幸せなコントラストを胸板に感じた、次の瞬間――
(えっ?)
 ――厳の鼻腔を突き刺したのは微かな血の香り。
 それも先日、餓鬼やあのサイコ野郎がまき散らしていた“血の腐った”ような匂いとは違う。今まさにあふれ出したような濃厚で、鮮烈で、みずみずしい、血の香り。
 たった今、誰かの首をかっきり、そこからあふれ出る血を頭から浴びたように、生々しい香りが、女の肌から匂い立っていた。
 もちろん、そんな匂いを現実に嗅いだことはない。それなのに、頭の奥、彼の根源的なところがそう言ってる。雄の部分よりも更に根源的なところがそう言ってる。
 ケダモノの部分がそう言っている。
 一度、その血の匂いを意識してしまうと、次第にその血の香りが強くなっていく。それは、それまで感じていた香水の香りを押しのけて厳の意識を支配し始めるほど。
 その血の匂いが強くなっていくのに合わせて、厳の心にも一つの思いが強くわき上がってくる。
(この女、ヤバい!)
 刀を抜いたサイコ野郎よりも、闇夜に光る餓鬼の赤い目よりも、この女の方が万倍怖い。
 恐怖に固まる厳の肌を女の細く滑らかな指先がゆっくりと這い、彼の服を脱がしていく。
 するする……とワイシャツを脱がしたら、次はタンクトップ。
 女はわざわざ、青年の身体に抱きつき、背中から腕を回して、そのタックトップを脱がしていく。
 大きな胸がよりいっそう厳の体に密着する。
 匂い立つ雌の香りとそれをかき消すように伝わってくる血の香り。
 混じり合わない二つの香りが厳の体を包み込み、彼の身体をこわばらせる。
 そんな厳をほったらかしに、女は手慣れた仕草で青年の服を脱がせ、その肌に自身の柔肌を押し付ける。
 そして、ズボンのベルトを外して一気に下ろしたら、残っているのはトランクスだけ。
 そのトランクスの中では主の意向をガン無視した息子様が、びんびんのフル勃起。
 それはトランクスの上からでもはっきりと解るほどだし、それを見たあゆが
「大きい……」
 と、感嘆の声を上げるほど。
 まあ、こう言う場だから話半分かそれ以下で聞いておくべきなのだろうけど。
 そして、そのトランクスが下ろされれば、お腹にまで張り付くほどに勃起したペニスが露わになった。
 そのペニスを、迷う事なくあゆはパクリっと口に含んだ。
 まずは軽く口に含む程度の奉仕。
 その奉仕を続けながら、女は身に纏っていた薄衣をするすると脱いでいく。
 大きな乳房、プルンと揺れて柔らかそう。乳首の色は薄くて控えめで目立たない色。同色の乳輪は乳房の大きさに合わせて少し大きめか?
 その乳房とうっすらと陰毛の生えた股間を露わにしたら、いよいよ、彼女は奉仕に力を入れる。
 生暖かい口腔がペニスを包み、ナメクジのように巧みにうごめく舌が竿や亀頭に絡みついてくる。
 舌が裏筋を舐めあげ、鈴口を啄み、竿を唇が扱く。
 その舌と唇の動きは巧みで、まるで厳の弱い部分を熟知しているかのよう。
 ゾクゾクとした快感が腰の辺りから脳天へと電気のように駆け上がっていく。
 それと同時に彼女の口腔へとペニスを差し込む事に対して、何とも言えない不安感、恐怖心が頭をよぎる。
 なんて言うのか……大きな壁にぽっかりと空いてる薄暗い穴、覗き込んでも真っ暗で何も見えない穴の中に手を突っ込んでいるような、言いしれぬ不安感……とでも言えば良いだろうか? そういう物を感じる。
 もっとも、突っ込んでるのは手じゃなくて、チンコ。百パーセント変質者な絵面をふと想像したら、ちょっとは緊張感が薄れた。
 ――ような気がする。
 それと時を同じくして、口からペニスが引き抜かれる。
 今にもはち切れんばかりに膨張したペニスがテラテラと唾液で淫靡な色で光っていた。
 その大きく張ったカリからとろり……と濃厚な唾液が女の大きな乳房へと滴り落ち、そして、深い谷間へと流れていった。
 ぺろり……と赤い唇を塗らす唾液を舐めあげ、女は尋ねた。
「どうしたの?」
「なっ、なんでも……すっ、すっげー気持ちいいから……あた、頭がぼーっとしてた……」
 半分だけ事実の言葉をつっかえながら言えば、女はニコッと……と媚びるように頬を緩めた。
「ありがと。お兄さんのおちんちんも凄いね、熱くて、大きくて……口の中に入りきらないよ?」
 そう言ってあゆはもう一度、ペニスをぺろりとひと舐め。
 口腔での奉仕で感度が高まっていたのだろうか? たったひと舐めだというのに、厳はその快感に身体をぶるっと震わせた。
 とろりと濃厚な我慢汁が鈴口からあふれたのを、厳は感じた。
 それをあゆがジュルリと音を立てて舐めあげ、コクンと彼女自身の唾液と共に飲み干す。
「ベッド、行こうか?」
 コクン……と厳は小さく頷く。
 誘われるままにベッドの上へと横たわると、あゆは厳の顔をまたがり腰を下ろした。
 そして、彼女自身は青年の股間に顔を埋める。
 いわゆる、シックスナインという奴だ。
「触って良いよ」
 媚びるような目つきで背後を見やり、ひと言言った。
 そして、女がパクリと再びペニスをくわえ込む。
 先ほどよりも強い快感が彼の股間を襲う。
 それと同時に、女の肌から滲み出る血の香りはますます強くなって行く。
 その血の匂いに固まる厳の目の前では、広がり気味のラビアがくぱぁと広がって、媚肉がヒクヒクと脈打っていた。
 そこからあふれ出る透明で粘度の高い液体。
「んっ……お兄さんのおチンポ……大きくて、熱くて……しゃぶってるだけで濡れる……」
 女がしゃぶりながらそう言った。
 もちろん、それを素直に信じられるほど、厳は純粋じゃない。
 ローションか何かを使っているのだろう……と思った。
 しかし、その股間からあふれる粘液は男の本能を射貫くような甘い香りがしていた。
 雌の香り……とでも言えば良いのだろうか?
 否、むしろ、そうとしか言えない香り。
 同時に彼の鼻腔をさいなむのは、むせかえるような血の香り。
 血の匂いと雌の香り。
「はぁ……はぁ……んっ……チュッ……ジュル……」
 そして、女の甘い声と股間から駆け上がる震えるほどの強い快感。
 青年はぴーんと奇麗に貼られたシーツを握りしめ、まるで、初体験の処女のように身体をこわばらせた。
「おにーさん……見てぇ……?」
 動けないで居る理由を取り違えたのだろう、女は自身の股間へと手を押し当てた。
 彼女の細く長い指先が彼女の濡れたヴァギナの上をまさぐる。
「あんっ! ひゃっ! あっあっ……気持ちいいよぉ……んっ……ジュル……クチャ……」
 指の動きが強くなれば女は甘い声を上げ、その動きに合わせて青年のペニスを舐めあげる。
「あっあっ……くぅ……ああ……」
 思わず、青年が息を漏らす。
 血の匂いを放つ女への恐怖、彼女が与える快感、血の匂いと雌の香りが混じった得も言われぬ匂いに包まれて、自分がなんのためにここにいるかも忘れてしまいそうなほど。
 淫らに蠢く指先とそれを美味しそうにくわえ込み、濃厚な雌汁を滴らせるヴァギナが厳の鼻先から離れる。
「あっ……」
 その喪失感に声が上がった。
 しかし、すぐに彼女の行為の意味を理解する事が出来た。
 柔らかな物が厳のいきり立ち、そして、絶頂へのカウントダウンの始まった物を包み込む。
 それが彼女の大きな乳房である事はすぐに解った。
 柔らかい乳房が淫らに形を変え、青年のペニスに密着する。
 その密着している隙間に流れ込む暖かな粘液。
 女の唾液か? それともローションか? 何らの確証は持っていないが、なぜか、唾液だという確信が持てた。
 ネチャネチャと粘液の音を立てて竿を乳房が包み込み、亀頭は女の柔らかな唇が攻め立て、その舌先が尿道を啄む。
 もはや、我慢の限界であった。
「出るっ……」
 ほとんど、無意識のうちにそう宣言すると、間髪入れず、女の唇が亀頭を包み込んだ。
 その口腔へと放たれる大量の精液。
 どくん……どくん……
「うっ……んっ……」
 女が小さなうめき声を上げて、青年の精液を飲み干した。
 そして、最後に舌がペニスの上を這い回る。
 快感の余韻が潮の引くように抜けていけば、途端に女への恐怖が首をもたげる。
「はぁ……はぁ……おっ、終わり? かな?」
 さっさと服を着てこの場から逃げ出したい……その思いが言葉となってこぼれ落ちた。
 しかし、あゆは厳の股間から顔を上げると、顔をこちらへと向け、軽く小首をかしげた。
「二時間コースで、まだ、三十分位しか経ってないけど?」
 あのクソ女……と愛への恨み言が頭をよぎる。
「あはっ、出しちゃったら、途端に疲れちゃうタイプ?」
 今度は沈黙を別の意味に取り違えて、女は少し笑った。
 そして、彼女はこちらへと身体を向き直ると、その整った顔を愛らしく緩める。
 細い顎、二重の大きな瞳、ふっくらとした唇、細い眉毛……どこを取っても美人としか言いようのない女性が、全裸で笑っているだけの事。それなのに、彼女に対して強い恐怖を感じる。頭がどうにかなったのではないのか? と自分で思ってしまうほど。
「いや……まあ、そう言う奴……かな?」
「時間あるし、ちょっと休憩しようか? 急いで帰られると、私がお店の人に怒られちゃうんだよね。特にお兄さん、VIPだって聞いたし……何者? 大学生くらいに見えるけど……」
「あっ……ああ……別に俺自身は普通の大学生だよ。ちょっとツテで、ただ券を貰ったんだけど……」
 答えながら厳は身体を起こし、ベッドの縁に腰を下ろした。
 その隣、密着するように女が座る。
 肩と肩が触れあう。
 そして、血の香りが厳の鼻腔をくすぐる。
 ゴクリ……と、青年は生唾を飲んだ。
 逃げ出したい……が、逃げ出せる理由も見つからないし、逃げ出したら愛に何を言われるかも解らない。
 固まる青年の顔を斜め下から覗き込み、女が言葉を続ける。
「そうなの? オプションありありフルコースのただ券なんて初めて見たし、オーナまで『絶対に失礼な事はするな』って言ってたし、何者かと思ってたら、普通に格好いいお兄さんで、びっくりしちゃった」
 そう言って彼女は整った顔を破顔させて見せた。
 愛嬌と、色気のある表情に、厳はハッとした。
 しかし、その一方で、彼女の肌から醸し出される血の匂いは、消えないどころか、強くなっているのかと思うほど。
 コクン……と小さく生唾を飲んで青年は答えた。
「いや、本当……ただの大学生で、ちょっとツテがあっただけだよ」
「ほんと? 実はこう見えて大物ヤクザさんとか?」
「いっ、いや……本当、ただの大学生で、毎日、授業とレポートに終われる日々で……」
「……ッ」
 一瞬、女が言葉につまる。
 寂しそうな……そして、何かを悔いるような暗い表情へと変わるも、すぐに女は表情を改めると、明るい口調で言った。
「ああ……大学生の本分だものね?」
 そう言って女はまた頬を緩めた。
「バイトと遊びが本分だったら良かったのにね?」
「あはは……そうだね」
「そっ、そう言えばさ、あゆちゃん、しばらく、バイト、休んでたよね?」
「あれ、知ってるの?」
「うんっ、ツレ……――いや、先輩がこの店にあゆちゃんって言う超奇麗なじょうが居るからって紹介して貰って、前にも来たんだけど、ずっと無断欠勤だって言われて……」
「あはは……参ったなぁ……」
 苦笑いとも自嘲とも言えない笑みを浮かべて、呟くと、あゆは一端言葉を切った。
 そして、十秒をちょっと超えた沈黙の後、やおら、彼女は答えた。
「あっ、うん、友達とね、女友達とちょっと旅行に行ってて、急に行っちゃったから、お店の方には言ってなかったんだ。ごめんね、せっかく、来てくれたのに」
 早口で一息にまくし立てる。
 大きく見開いた目がちらちらと右や左、あらぬ方向へと流れ、その細い指先が膝の上でもじもじとせわしなく動く。
 先ほどまでの悠々とした態度が嘘のよう。
(嘘、吐いてるよ……な? 多分)
 そして、厳が黙っていると彼女は慌てた様子で言葉を続けた。
「ひっ、ひと月も待たせちゃったわけだし! 今日はたっぷりとサービスしちゃおうかな!? ねっ、お詫びに!」
 また、まくし立てると、ずいっと大きな胸を厳の腕に押し付けるような仕草をした。
(誰もひと月なんて言ってないのに……でも、ごまかすってことは、今すぐ、俺をどうこうする気があるわけじゃないって事だよな……?)
 それと同時に彼女に抱いていた漠然とした恐怖心が、わずかにではあるが和らぐのを感じた。
 もっとも、彼女が纏う鮮烈な血の香りにはいくらやっても慣れないし、今、彼の心は様々な感情によって満たされているが、その中で最大派閥が『恐怖』である事に疑いの余地もない。
 ただ、その次の派閥が『好奇心』であることも、否定できない。
 その『好奇心』が一つの言葉を吐かせた。
「大変だったね」
「あはは、まあ、本当、大変だった――えっ? なっ、なんで?」
 あゆの笑みが凍り付き、すぐに消えた。
 きっと唇は真一文字、切れ長の瞳がジッと厳の目をまっすぐに射貫く。
 そして、彼女は抑揚のない声で言った。
「旅行……だよ? 何が、大変?」
 その声には怒気にも似たものが含まれているように青年は感じた。
 どくんっ……と鼓動が高まる。
 小さくなっていた恐怖心が再び大きくなる。それは元よりも大きいほど。
 背中に冷たい汗が流れ、肌が粟立つほど。
 張り付く喉に無理矢理仕事をさせて、厳は言葉を紡ぐ。
「かっ、彼氏に急に連れて行かれたんだろう? バイト先に休みの連絡も居られないくらい。大変だなぁ〜って思ってさ」
「えっ? あっ、ああ……あはは……うん、そうだね、うん、そうそう、もうね、朝起きて、旅行だ! 旅行に行くぞ!! って、いきなりだよ!? 頭、バカかってーの!!」
 また、一息に早口でまくし立てる。
 その手はばたばたと変な形にろくろを回す。
 表情も引きつった顔を強引に笑顔に変えてるような、無理矢理な表情。
 そして、女は垂れ掛かりながらに、耳元で囁く。
「休憩、終わりにしよう? 大丈夫、私、疲れてるおちんちん、たせるの得意なんだよ……」
 そう言って耳たぶに軽く口づけ……一人で寝るには広いが二人で寝るには狭いベッドの上、縦ではなく、横に押し倒されていく。
 そして、女の血の香りが厳の体を包み込み、女の心地よい体重が彼の上へと覆い被さる。
 彼女が、何かをごまかしている、ごまかしたいと思っているって事くらいは厳にも解る。
 それが何かは、もちろん、解らない。
 いや、何かを思いつきそうになっていた……ような気がする。
 気はするのだが――
「チュッ……」
 あゆの唇が青年の小さくも堅く膨れた乳首に触れたのと――
「うわぁ……思ってたよりエロい顔してる……」
 天井から顔だけを出して覗いてる史絵と目があったのとで、もう、なんか、どーでも良くなった。
 が、やっぱり、最後まで女の肌から匂い立つ血の匂いにだけは慣れる事が出来なかったし、その血の匂いが与える恐怖心からも逃れる事は出来なかった。

「なのに、全身リップでお尻の穴まで舐められて、最後はゴム付き本番であゆちゃんの中に出しちゃった挙げ句、お掃除フェラをして貰ってたら、また、勃ってきて、更にお口でもう一発って……何が怖いって、厳のその節操なしな性欲が一番怖い」
「いやぁ〜四つん這いでお尻を舐められてるザマはヒクよね……四つん這いでアナニーの次くらいに」
 ここは先ほどまで厳があゆと一緒に居た部屋のお隣。部屋のレイアウトはあゆの部屋同様に大きめのベッドが一つとパーティションで区切られたシャワースペースといった感じ。違うところと言えば、あゆの部屋が薄いピンク色のクロスだったのに対して、こちらは薄い青、秋の高く澄んだ空のような色の壁紙が貼られていた。
 その部屋の中、ベッドの隅っこ、壁に向かって厳は膝を抱えて、女性陣二人――愛と史絵の罵倒に耐えていた。
「厳って基本的に誘われると断れないタイプだよね?」
「男ってみんなそうだって、花穂が前に言ってたよ」
 そんな感じの話題をさっきから楽しんでる女二人に、ついに厳の我慢も限界。
「うるさいよ!! てか、愛、お前だろう!? 行けって言ったの!! しかも、二時間のコースなんてするから、ややこしい話になったんだよ!!! 俺は最初の三十分が終わった時点で帰りたかったの!! それをお前が、どう言うコネだか知らんが、ここの黒服を脅したりしてたから、帰れなかったの!! 全部、お前のせい!!!」
 一息に言い切ったら、ちょっと酸欠気味。ゼエゼエと肩で息をしつつ、ベッドの端っこ、厳の対角線上に座ってる愛と部屋の中央、宙に浮かんでる史絵とを睨み付ける。
 されど、二人はしれっとした顔。
「匂いって言えば、自分の匂いって解んないよね、不動沢君もあんなに男臭い部屋で平気な顔でいたし」
 そう言って自身の腕を鼻先に持っていって、スンスンにおってるのが史絵。
 幽霊に体臭なんてあるのか? とか言う突っ込みはもはや疲れたのでやんない。
 愛に至っては、四つん這いになって厳の方へと近づき、満面の笑みでこのセリフを吐いてくる始末。
「ねえねえ、私、どんな匂い?」
 満面の笑み、先ほど、怒鳴りつけられたばかりの相手に悪びれもしないで尋ねてくるのは、ある意味感動すら覚える。
「絶対に良い匂いだと思うんだけどなぁ〜」
 とか、嘯いていた。
 しかし、史絵が言ったとおり、愛も『自分の匂い』って奴には気づいてないのだろう。
 じとっとした表情で見つめて、厳は応えた。
「……ラーメンとおでんの匂いだよ……あと、餃子、ニンニク臭がきつい」
 それまでの笑みが一気にかき消され、愛の赤い夕日のような瞳がすっと細くなった。
 そして、彼女は吐き捨てるように言った。
「……死ね、厳」
「お前、自分の言動、棚に上げて俺を罵倒するのはやめろ」
「だって、まーちゃんのラーメン、美味しいんだって! まだ、開いてるから、厳も行ってみな? 絶対に美味いから」
「……だからって、お前の身に染みついた餃子臭は消えないけどな」
「うるさい、黙れ。もう、良い、厳は放っとく」
 そう言って愛はクルンと回れ右。厳に背を向けたら、その向こう、宙に浮かんでクスクス笑ってる史絵へと視線を向けた。
 目の前で揺れる赤毛からは女らしい甘い香りがしていた……って事は悔しいので言ってやらない。
 そして、愛は宙に浮かんでる史絵に向かって尋ねた。
「デリカシーのない厳は捨てておくとして、だよ、史絵、どうだった? あゆちゃんこと赤木佐和子さんについて、何か、感じる事はなかった?」
「デリカシーのない不動沢君は捨て置くとして、だよ。見知らぬ男のアレどころかお尻の穴まで舐めるなんて、あり得ない、と思いました」
「それはプロだからね。他には?」
「ああ、あの人、不動沢君と一緒に行ったホームセンターでドアノブを弄ってたよね?」
「こいつら……――えっ?」
 愛と史絵の会話に差し込まれる枕詞に向かっ腹を立てていた厳ではあるが、不意に呼びかけられると若干の驚きを持って、顔を上げた。
 そして、目を閉じ、腕組みをして考え込む……
「そうだった……かな? 良く覚えてないよ」
 言われてみれば服の上からでも解るスタイルの良さや奇麗な栗色の髪は、あの時の女性に似ている……ような気もする。しかし、それに対して、何かの確信が持てるわけでもない。
 そもそも、そんなに良く覚えてない。
「本人だと言われれば本人のような気もするし、他人の空似と言われればそんな気もする……」
 って言うところが精一杯。
 しかし、史絵は何かの確信を持ってるらしい。
「間違いないと思うなぁ〜だって、同じ香水付けたもん」
「香水……? そう言えば……――あの時、ホームセンターでも血の匂いを感じた……ような気がする」
 うめき声……のように厳が呟く。
 しかし、愛の唇からこぼれたのは思いも寄らぬ所だった。
「……ドアノブ……ね……」
「どうした?」
 考え込む愛に厳が尋ねると、彼女は顔を上げて言った。
「なんでも〜それじゃ、今夜はお開きにしよ? さすがの厳の無節操な性欲も今夜は打ち止めだろうしさ。私の分は明日で良いよ」
「……明日かよ……」
「不動沢君は回復力も高いんだね〜」
「うるさいよ、堀田さん」
 壁に向いて座っていた厳が立ち上がると、史絵は彼の首根っこ、定位置にぶら下がる。
 そして、愛は立ち上がると言った。
「それじゃ、私、ちょっとここの忘八ぼうはちに礼を言っておくから、先に帰ってて」
「ぼうはち?」
「女郎屋の主人、ここ、女郎屋みたいなもんでしょ?」
 パチン……と愛はウィンク一発。悪戯っぽく、彼女は笑って見せた。
 例の黒服だろうか? と厳がぼんやり考えていると、愛が言葉を続けた。
「心配しないでもすぐに帰るよ……っと、忘れてた。あゆちゃんに外に誘われなかった?」
 一足先に出ていこうとした厳に愛が声をかけた。
 その言葉に厳は振り向き、軽く首を縦に振った。
「誘われたよ。でも、明日は祝日で学校は休みだけど、朝からバイトだからって断った……そしたら暇なときに連絡くれって、ケータイの番号」
 そう言って、厳はポケットの中から小さく折りたたんだ紙切れを取りだした。黄色い正方形の付箋紙だ。それにはあゆが走り書きした携帯電話の番号が記されている。
 その紙切れを一瞥、じろりと赤い目を細しくしたら、愛は言った。
「ふぅん……かけたら、怒るよ?」
「……りょーかい。じゃあ、な」
「お休み、厳」
 軽く手を不利でて行く厳に愛も軽く手を振って応える。
 そして、最後に史絵が厳の首の後ろで振り向き、言うのだった。
「私が監視しておくから〜」

 そして、数分後……店から少し離れた公園近くの路地裏。
 目立たないコート姿のあゆこと赤木佐和子に、一人の赤毛の女が――山田愛が声をかける。
「はぁい、そこ行く、おねーさん。今夜のおにくに振られた顔してるね? 私を食べていかない?」
 愛の声が深夜の道に静かに響く。
 愛と佐和子の間は五メートルほど……街頭もあれば民家も見えるこの辺りならば、深夜ど真ん中と言っても良いこの時間でも、互いの顔はよく見えた。
 その外灯の明かりの下、振り向いた佐和子はにまぁ……と薄い唇を三日月のように開いて、頬を緩めた。
 薄い唇が……先ほどまで青年のたくましい身体をなめ回していた唇がゆっくりと開き、血の香りと共に言葉を紡ぐ。
「私、グルメだから良いおにくしか食べないよ?」
 そう答えた女のおでこには二本のねじれた大きな角……それをチラリと見やり、愛は絞り出すようにうめく。
「ちっ……鬼か……久しぶりに面倒くさいのが……」
 その愛に佐和子は微笑んで言う。
「女の肉は美味しそうに思えないんだよね……特に貧・乳のは」
 勝ち誇る女の顔を見やり、もう一人の女は呟く。
「……良し、あいつ、殺そう」
 Aカップは静かに切れた。

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