次の一歩(2)

「……とりあえず入って」
 ひとまず良夜は美月とアルトを部屋の中へと案内する。
「おじゃましま〜す」
 美月が室内に足を踏み入れると、その頭の上で陣取っていた妖精さんが部屋の様子を見て一言言う。
「あら……いいところにお邪魔したわね」
 軽くため息を吐きつつ、良夜は自身が先ほどまで座っていたところに腰を下ろした。
 それを真似るように良夜の対面、ガラステーブルを挟んだ向こう側に美月は座った。
 そして、ガラステーブルの片隅に飛び降りたアルトが早速口を開いた。
「今週店に来なかったでしょ?」
「暇ねーからな」
「その間、清華が美月に、やり方が二十年前と同じだとか、もっとパソコンやタブレットを使え、他の店に偵察に行くなら味だけじゃなくてシステムも見てこい等々、色々言われた挙げ句、部屋が汚い、明日は掃除しろって言われてプッツンして飛び出してきたのよ」
「……──とアルトが言ってるけど、そうなの?」
 良夜が尋ねると美月はプイッと右にそっぽを向いた。
 そして、数秒の沈黙を守った後にぼそぼそと聞こえるか聞こえないか、微妙な音量で答えた。
「……概ね、だいたい、ほぼ全部、その通りです」
「はぁ……」
 軽くため息を吐いたら、良夜は飲みかけの缶酎ハイに口を付けた。
 甘い液体が喉へと流れ落ち、炭酸とアルコールが心地よく刺激する。
 半分ほどに減った缶をテーブルへと戻し、良夜は美月の横を向いた顔に声をかける。
「美月さんさ、伶奈ちゃんに小銭握らせて部屋の掃除させてるでしょ?」
「ひっ!?」
 びくんっ! と美月の肩が揺れた。
「やらせてるわよ、最近は月一で千円。アルトの時給より高いって伶奈は喜んでるけど」
「──とアルトからのご注進」
「……言わなくていいのに」
 膨れっぱなしのほっぺたがさらに膨らむ。
 それをかわいく思いながら良夜はさらに言葉を並べた。
「……妹分に小銭握らせて部屋の掃除させるって大人としてどうかと思うよ……いくら相手が喜んでても」
「うぐっ……」
 美月が俯き、その頭の上でふんぞり返ったアルトが言う。
「ほぼ同じ事を清華にも言われたわよ」
「……──だってアルトが」
「だから、言わなくていいのに……」
 横を向いたままのほっぺがさらに膨らんだ。
 少し可愛い。
 壁に掛けられた時計がチクタクと時を刻むの音だけが部屋の中にひびいた。
 その秒針が半分ほど回った辺りで、美月がドバタンッ! と両手をガラステーブルに突き、腰を浮かせた。
「だって、掃除、嫌いなんです!」
「駐車場の草抜きとか、窓拭きとか……こまめにやってんのに、なんで自分の部屋の掃除はしないの?」
「草抜きや窓拭きは仕事ですからね。お客さんも見るんですよ? 寝室と違って」
「はぁ……そりゃ寝室に入る客がいたら恐いよ、不審者だよ、それ」
 真顔で言い放つ美月に良夜は思わずため息をこぼした。
 アルトがその顔をテーブルの上から見上げつつ言う。
「自分の部屋を寝る場所とぬいぐるみを愛でるためだけの部屋だと思ってるのよね、この子」
「……──とアルトが言ってる」
「……ホント、今日のアルトは余計なことばっかり……」
「余計なことじゃないからね、それと……ぬいぐるみにダニが湧くよ」
「……それもお母さんに言われました」
「誰も思うことは同じだよね」
「…………」
 良夜の言葉に美月が口を閉じた。
 そして、またも秒針がゆっくりと回る。
(……結婚したら俺が掃除するのかなぁ……?)
 ──なんて思っていたら、美月がグイッとテーブルの上に身を乗り出した。
「結婚したら掃除はしてくださいねっ!」
「……言うと思った」
 逃げ腰になった良夜がため息をこぼす。
「で、清華にもそう言ったら──」

「そのうち、愛想尽かされるわよ……」

「──って言われたのもプッツンの理由の一つよ」
「……──とアルトは言ってるわけだけど?」
 良夜がアルトの言葉を通訳すると美月はチラッと視線を床の方へと向けた。
 チクタクと時が静かに流れる。
 そして、ジャスト一分が過ぎた。
「もう無理なんです! おはようからおはようまで一日二十四時間、一緒なのはもう無理なんです! せめて寝るときだけでもお母さんから離れたいんです! せめておはようからおやすみまでにして欲しいんです! ライオンさん並みに抑えて欲しいんです!」
 身を乗り出す勢いの美月に良夜は少し身を引きつつ口を開く。
「……それで俺の部屋に泊まりに来たんだ?」
「……いいえ、同棲しに来たんです」
「おいおい……」
「だって……お母さんがいなくなるのはお祖父さんがどうにかなったときで、お祖父さんにはどうにかなって欲しくない以上、お母さんはずっとこのままで、それならもう私が家を出る以外にお母さんと離れられないじゃないですか……」
「どういう理屈だよ……アルト、お前は?」
「そうね……子供作ったら七割殺しは覚悟しなさいってところね」
「……そういう問題じゃねえ」
「その程度の問題よ」
「お前な……」
 つんとすましたアルトの顔に呆れつつも、良夜はアルトが美月に甘いことを再認識した。
「……まあ、いいや、それでお前はどうするんだ?」
「どうするって?」
「だから……美月さんと一緒に居座る気か?」
「まさか。ずーーーーーっと以前にも言ったと思うけど、私んはあそこだけよ」
「……言ったっけ? 覚えてねーや……」
「言ったわよ、多分」
「いいけど……ともかく、美月さ……ん?」
 ──と良夜が顔を上げるとそこには……。
「んぐんぐんぐっ……ぷっはぁ〜」
 美月が飲みかけの缶酎ハイを一気していた。
「ひとまず、これでもう今夜は帰れません!」
「……やりやがった……」
「……諦めなさい」
 妖精の進言通り諦めることにする……も、大事な話がもう一つある。
「泊めるのはいいけど、布団の予備なんてないぞ……」
「えっ? お姉さんのお布団、常備してませんでした?」
「それ、伶奈ちゃんの友達が泊まるからって、美月さんチに持っていってそのまんま」
「じゃあ、どうするんですか!?」
「……それ、こっちのセリフ。ベッドは美月さんが使って……俺は冬布団で床か……」
「いいんですか? 私はふたりで使っても……」
「冬ならともかく、今は暑いよ……あと、アルトが喜んでる」
「えっ?」
 美月が視線をテーブルに向ける……も、当然、彼女にアルトの姿は見えない。
「ふふ、見守っててあげるわよ」
 底意地悪い笑顔に、
「バカなこと言うな、バカ」
 とだけ返して、良夜は立ちあがった。
「どちらに?」
「冷蔵庫。美月さんが飲んじゃったから」
「じゃあ、私にも何かください」
「へいへい……アルトは?」
「当然よ」
 ──結局、この日、良夜は久しぶりにアルト、美月の三人と酒を酌み交わすことになった。

 さて、翌日……土曜日。
「正直、私も美月と四六時中顔を合わせてるのはしんどいのよ……」
 世の中まだまだまどろみの最中、朝七時ちょっと過ぎ。
 客もまばらなフロアで美月と良夜を迎えた清華は開口一番そう言った。
「しんどかったのは──」
「あの……私の部屋明けてもいいけど……」
 キレかかった美月の言葉を幼い声が制した。
 アルトの制服を着込んだ伶奈だ。
 バイトの時間には少し早いが、美月が家出したと聞いて早めに起きてきたらしい。
 その伶奈の顔を見ながら、清華が言った。
「気にしないでいいのよ。いまさらあの部屋を明け渡すのも大変でしょ」
「そうですよ。もう私は住むところ見つけてきましたし」
 清華の言葉に美月が頷き──
(居座る気満々だ……)
 戦慄する良夜を尻目にそれでも伶奈は小さな声で言葉を続けた。
「でも……同棲だなんて……だめだよ」
 その言葉に良夜は──
(ん?)
 小首をかしげた。
(美月さんが家を出ることよりも、同棲を嫌ってるのか?)
「潔癖症なところがあるのよね」
 良夜の心情を察したのか、アルトが頭の上でつぶやいた。
「別に潔癖症じゃないもん。結婚もしてないのに一緒に住むのが変なんだよ!」
「あなたの大好きな“吉田さん”も直樹と同棲してたわよ、それも十八のころから」
「ぐっ……よっ、吉田さんは関係ないじゃんか……」
「関係あるわよ。同棲の先輩だもの」
「吉田さんはしっかりしてるもん、美月お姉ちゃんみたいに頼りなくないもん」
「あら……どの辺が?」
「お掃除だってちゃんと吉田さんがしてるっていってたし、洗濯だってなんだって全部やってるんでしょう? 美月お姉ちゃんなんて、掃除だって外注じゃん」
「……言うわね」
「いっ、言ったよ……」
 低めの声でアルトが応えると、伶奈は少々怖じ気づいた雰囲気で言葉を返した。
 そして、アルトが小さく言う。
「あれ」
 その言葉に伶奈が視線を動かす。
 それに釣られて良夜も視線を動かす。
 その先では……。
「ううっ……どうせ……どうせ……」
 美月が突っ伏して泣いていた。
「わー! わー! 吉田さんに比べたらって意味だよ!」
(フォローになってないよ……)
 良夜はそう思った。
「頼りなくても一生懸命生きてるんですよ……私だって」
 実際美月の涙は増す一方だった。

 さて、その日の夜……結局、美月は大きな荷物を持って良夜の家へとやって──
「ただいまで〜す」
 ──訂正、帰ってきた。
「いいけどさ……」
 半ば諦めの境地で良夜は布団の入った圧縮袋をキッチンの片隅に置いた。
「その辺に置いててくれば適当に敷いて寝ますよ」
 ほぼ飲み物しか入っていない冷蔵庫に食料を放り込みながら、美月が言った。
「俺が寝るからいいよ」
「私の方が居候ですから」
「そうは言ってもなぁ……」
 様々な食材が冷蔵庫の中に納められるのを見ながら、良夜はポリポリと頭をかいた。
(言い出したら聞かない人なんだよな……とは言っても、女の子を床でってのもなぁ……)
 良夜が悩んでる間に持ってこられた食材は美月の手により、冷蔵庫の中に全て片付けられる。
 その様子を見ながら良夜は呟く。
「アルトがいればな……」
「どうしたんです? アルトに御用でも?」
 振り向く美月に良夜は首を振る。
「ああ……別にそう言うわけでも……」
 意外と意見の合わない良夜と美月の間に入って、一方的に裁決してしまうのがアルトという存在だ。
(──と言うか、『アルトがそう言ってる』でお互いある程度納得するんだよな……)
 それを考えると「間を取り持った」とアルトの自称は正しいのかも知れない……。
 良夜がそんなことをぼんやりと考えていると、美月が大きめの声を上げた。
「じゃあ、こうしましょう!」
「なに?」
「布団を敷いた人がベッドで寝る。ベッドで寝た人が布団をたたむ」
 美月は誇らしそうに胸を張った。
「……それもアリかな……?」
「それじゃ、良夜さん、敷いてくださいね」
「俺が?」
「はい、お願いします。ベッドのメイクも良夜さんですよ」
 満面の笑みの美月をじーっと見つめ、良夜は呟くように言った。
「徹底的に家のことはやりたくないんだね……」
「えへへ……」
「笑ってごまかす……まあ、いいか……炊事と自分の洗濯はやってもらうからね……」
「ご飯はともかく、洗濯もですか?」
「……女の子の下着の洗い方なんて知らないよ。俺の服と一緒にコインランドリーでいいの?」
「ああ……それは若干困ります」
 美月が苦笑いでこちらを見る頃には、飲み物と瞬間接着剤しか入ってなかった冷蔵庫が食材でいっぱいになっていた。

「で……あっという間の一週間だけど、どうなの?」
 金曜夜の喫茶アルト。久しぶりの定時上がりだった良夜は、営業中のアルトに顔を出していた。
 窓際隅っこいつもの席、美月はまだ仕事中で目の前に座っているのは黒ゴス姿のアルトひとり。
「飯の質は三段階くらいグレードアップした」
 コーヒーグラスを背もたれにしてのんびりくつろぐ妖精に答える。
「元の程度が低いのよ、コンビニ弁当のくせに……他は?」
「楽しくやってるよ。驚くくらい楽しい。お互い忙しいから一緒にいる時間は一日二時間くらいと寝てるときだけだけど、すごく楽しい。しあわせだよ」
「あら……のろけるわね」
「でも、たかが一週間だからな、お互いにまだよそ行きなんだよ……そのうち、地が出るし、地が出れば揉め事も顔を出すさ」
「冷静に見てるのね。意外だわ」
「──と吉田さんに言われた」
「なるほどね」
 フワッとアルトがまるで風に吹かれた羽毛のように体重を感じさせない所作で宙へと舞い上がった。
 そして、グラスの縁にふんわりと腰を下ろしたら、ストローでまだ残っていたアイスコーヒーを飲み始めた。
 その仕草をぼんやりと見つめること数秒……。
 一口飲んだら妖精はストローから口を離して、顔を上げた。
「それで、貴美は?」
「えっ? ああ……揉め事が出たときか? あそこは上意下達じょういかたつだよ。吉田さんが決めてこうしろ! ってさ」
「例のアレ?」

「私が『やれ』ゆーたら、返事は『はい』以外ないんよ?」

吉田さんのあんなマネなんて出来ないけどね」
 良夜が軽く肩をすくめて見せる。
 それにあわせてアルトも肩をすくめる。
 そして、頬杖を突いた良夜は視線を美しい月へと向けた。
「でも、もう、美月さんの居ない生活はちょっと考えられないな……」
「……本人に言えば? 喜ぶわよ」
 その言葉に良夜は返事はしない。
 見上げる月は寸分もかけることなくまん丸。眩しいほどに美しい。
(……明日の灼熱地獄確定かと思うとうんざりするけど……)
「お待たせしました」
 視野の外からかけられた声に視線を向けると、そこにはもう一つの美しい月がトレイに料理を並べて微笑んでいた。
「なんの話をしてたんです?」
「言ってあげたら? いいタイミングじゃない」
 グラスの縁に腰を下ろした妖精が底意地悪い笑みを浮かべる。
 口角を少し上げ、目を細めた笑み……愛らしく上品だが、油断出来ない笑みだ。
 それを一瞥し、すでに料理を並べ終えた美月へと視線を戻す。
「この一週間の感想を聞かれてた」
「あはは、楽しかったですよ。お母さんとも離れられましたし。良夜さんは?」
「うん……そうだな……」
 そう言って良夜は今度はテーブルに並べられた料理に向ける。
 今日のメニューはチキンと夏野菜のトマトソース煮……の残りにパスタをぶち込んだトマトソースパスタ、それからサラダとフォカッチャ、コーヒー。
 デザートがないのが残念だけど贅沢は言えない。
 それに手を付けず、じーっと見つめていると、美月が尋ねた。
「ご飯、どうかしました?」
「……食事の質が三段階は上がってるなってのと──」
 良夜が一旦言葉を切ると、美月が苦笑いを浮かべて見せた。
「元がコンビニお惣菜となんだかよくわからない炒め物ですからね」
「うん。でも……米が食いたい」
「えっ?」
 良夜の言葉に、美月はきょとんとした表情を一瞬見せたかと思うと、ぽんっと胸の前で手を叩いた。
「ずっとパスタかパンでしたね、今週」
「うん。用意して貰って言うのも悪いかと思ってたんだけどさ」
「いいんですよ〜うちだとどうしてもパンが多くなっちゃって……でも、基本残り物ですから、ご希望に添えないことも多いですよ」
「それはいいよ。これからいろいろ入り用だし。安上がりに納めて。贅沢は言わないから」
「はーい。それじゃ、明日はそうしますね。あと、食べたい物があったら言ってください、三日後くらいには作りますから」
「三日後?」
「材料の用意とか色々ありますからねぇ〜」
「なるほど……うん、わかったよ。それじゃ、いただきます」
「はい、ごゆっくり。私はまだ仕事がありますから……」
 軽く手を振り美月はその場を後にした。
「……チキン」
 グラスの上でアルトが呆れ顔を良夜に見せる。
 その顔を見ながら良夜は答えた。
「なんとでも言え」
 そして、トマトソースでじっくりと煮られたチキンをパクリと口に放り込んだ。
「私から教えておくわ」
「通訳は伶奈ちゃんに頼めよ」
「あら、いいの?」
「ダメだって言ったらやめるのか?」
「もちろん、やめないわ」
「だと思った……」
 ため息を吐きながらパスタを食べる良夜に、妖精はグラスの縁に腰掛けたまま微笑む。
「ふふ……その代わり、最高のタイミングで教えることにするわ」

「楽しいですよ、最高に。何があっても守りたいって思っちゃうくらいに」
 美月がそう言ってることもを知った上で、アルトは言う。

「そう……最高のタイミングで、教えてあげるわね」
 と……。

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