次の一歩(2)

 良夜に肩を借り、和明はカウンター内側にある丸椅子に腰を下ろした。
「すみません……ご迷惑をかけます」
 痛みに顔をしかめては居るが、コレでもさっきよりかはマシになった方だ。
(さっきまで冷や汗かいて凍り付いてたもんな……)
 そんなことを思いつつ、良夜は彼を椅子に座らせた。
「気にしないでいいです。でもちょっと無理しすぎですよ、若くないんだから」
 良夜が苦笑い気味の笑顔でそう言うと、和明も苦笑い気味の笑みを浮かべて応える。
「若くないからですよ……休むとボケますし、寝込むと寝たきりになりますからね」
「聞き飽きましたよ、そのセリフ」
 肩をすくめて良夜はカウンターの外側へと回った。
 そして、その流れのまま、ごくごく自然にストゥールに腰を下ろす。
(やっと座れる……か)
 安堵の吐息を漏らして、自分のすぐ隣へと視線を向けた。
「ほら見ろ。いい年ぶっこいていつまでも店先に出てるからだ。身内ならまだしも、従業員にまで迷惑をかけてやることか?」
「誰も迷惑だなんて言ってません。信じられないなら翼さんや凪歩さんに聞いてみたらいいじゃないですか!」
「面と向かって迷惑だなんて言えるはずないだろう? だいたい、お前がいないときに親父がぎっくり腰になったらどうする!?」
「そんな運の悪い事なんてありませんよ!」
 そこではぎっくり腰で座り込んでる老人をほったらかしにして、息子と孫娘はカウンター傍で大げんかの真っ最中だ。
 椅子にも座らずツバを飛ばして言い合いを続けている。
 良夜はその父娘おやこの醜い言い争いから視線を逸らし、宙へと巡らせる……。
(……あったよな、運の悪いこと……寺谷さんと伶奈ちゃん、キレ散らかしてたっけ……連絡が取れなくて)
 ってことを言えば、やっぱり美月は怒るだろうからひとまず棚に上げる。
「こんな感じの岳父つき娘でよければ、貰ってやってくれるかしら?」
 いつの間にか良夜の隣、ストゥールに腰を押し下ろしていた清華が言った。
 その清華がアイスティのグラスを口元へと運ぶのを眺めながら、良夜は尋ねた。
「……あの、ほっといていいんですか?」
「いいのよ、もう。私がこっちに残るから」
「「えっ!?」」
 大きな声で言い合っていた父娘が言葉を止めた。
「私がこっちに残れば、美月か私、どっちかが店内に残っていられるでしょう? もう、それでいいじゃない」
 すました顔でアイスティを飲みながら、清華が言った。
「私はそれでいいですよ〜」
 満面の笑みで応える美月に対して、その父拓也は苦虫をかみつぶしていた。
「いや、しかしだな……」
「あなた、家事一切、何にもできませんからね」
 清華の漏らした言葉に良夜はほとんど反射的に尋ねていた。
「えっ? 前に一人暮らしだったんじゃ……」
「お父さん、伶奈ちゃんのお母さんの実家に下宿してたんです、大学生のころ」
「うっ……」
 娘の言葉に父は苦虫をさらに強くかみしめた。
 配偶者がその表情を横目で見やり、口を開く。
「卒業後はこっちの支所に勤務させて貰って結婚。実家住まいで掃除も洗濯も私がやって、食事に至ってはフロアで文字通り『お客様』、お金は支払ってないけど」
「小遣い二万でやりくりしてたんだ」
「文句は言ってないわよ。酒、タバコ、携帯料金に飲み会等の臨時出費、全部家計から出した上でのお小遣い二万円だけど」
「……入り用なんだよ、いろいろと」
 ふてくされ気味の拓也を一瞥、グラスにもう一度口をつけて清華は言葉を続ける。
「従業員に介護させるわけにもいかないし、でも、お父様から仕事を取り上げるのも心苦しいのよ」
 清華がそう言うとそれまで口角泡飛ばして喧嘩をしていた拓也もため息を吐いて、父和明の方へと顔を向けた。
「……親父はどうなんだ?」
「こうなったらまな板の上の鯉ですよ……」
 穏やかに目を伏せた横顔と紡ぐ言葉には、どこか諦観の色がある……良夜はそう感じた。
(年を取ったって実感があるのかね……?)
「……わかった。その代わり、ぎっくり腰以外の病気が出たらこっちに来て貰うからな。ここが限度だ。ホームに入るにしてもその他のサービスを使うにしても、俺も傍に居る方がいろいろと動きやすい。美月も……それでいいな?」
 父の言葉に美月が目を細め沈思する。
「うーん……」
 清華のグラスが空っぽになる程度の時間を費やし、美月は目を開いた。
「わかりました。フロアの人手も足りてませんでしたし……」
 その言葉に父がうなずき、視線を祖父へと向けた。
「親父もそれで良いな」
「……はい」
 諦観の笑みを浮かべ、老人は息子の言葉にうなずいた。
(収まるところに収まったか……)
 それが良夜の感想だった。
 嫁の立場で進んで介護に手を上げるのは、学生時代からアルトでバイトをしてたという事情があるからだろうか? 旦那が長期出張になったら、のこのこ旦那実家に『里帰り』するような人だから、何か事情があるのかも知れない。
(家庭の事情に立ち入るのもな……それよりもそろそろ、本題か……)
 気が重くなりつつも来た理由を思い出す。
 そして、良夜は立ちあがると、居住まいを正した。
「えっと……いまさらですけど……その……美月さんと結婚を考えてるんです……」
 こわばった顔の良夜を一瞥し、拓也が応え──
「お父さんになにか言われる筋合いはありませんけどね」
 ──る前に美月が言った。
「……そう言うと思ったよ」
 そう言って拓也はため息を吐き、良夜が座っていた席の隣に腰を下ろした。
 そして、立ちあがったままの良夜を見上げ、口を開く。
「美月にはこの店がある。どんな噂が流れても、この店を担いでは逃げられない。それだけは考えて行動してくれ。美月もだ。この店、大事なんだろう?」
「はい」
 端的に良夜が応えた。
「わかってますよ」
 美月の方は少々ぶっきらぼうだ。
 拓也は目元を緩めて言葉を続けた。
「フロアでの大喧嘩を経て付き合い始め、四年目。別れましたと言われてもいろいろと困るからな」
「……なんでその話知ってるんですか?」
 美月が尋ねる。
 その美月の向こう側を指さして、拓也は答えた。
「俺もこっちには知り合いが多いんだよ。伶奈ちゃんじゃないけど、あそこには俺の家庭教師もいる」
 その指先が向く方へと視線を向け、美月は頬を膨らませた。
「……余計なことを……」
 ふてくされる美月に和明も含め、周辺の人達が頬を緩める。
「ところで、結婚式はいつにするの?」
 一番聞かれたくない質問をしたのは清華だった。
 少々の逡巡をした後に良夜は言葉を選んで応えた。
「いちおう二年後をめど──」
「一年八ヶ月後をめどに、ですよね」
 言葉をかき消した美月に良夜が視線を向ければ、彼女はこぼれんばかりの笑みを浮かべていた。
「一年八ヶ月後。再来年のゴールデンウィーク」
「…………努力目標ね、それ」
「かなえましょうっ!」
「……先立つものの問題もあるの」
「なければ、ないなり、それなりに」
 ニコニコ笑顔を浮かべてる美月に、良夜、そして美月の両親がため息一つずつこぼした。
 そんなふたりから視線を外し拓也は、カウンターの向こう側。食器棚の方へと視線を向けた。
「多分、美月は勝手に幸せになる娘……だと思うよ。それでも、美月の思い描く幸せな世界に君がいるのなら……傍に居てやって欲しい」
「褒めてないですね」
 憮然としている美月を軽くスルーし、良夜が口を開いた。
「俺はひとりだと……多分、働いて飯食って寝て働くだけの真っ平らな生活しかできない人間だと思うから……」
 良夜がそう言うと拓也が顔を上げ、良夜へと視線を向けた。
 その視線を正面に見据えて、良夜が言う。
「楽しく生きていくには美月さんが必要だと思います……」
 耳の奥に心臓があるのかと思うくらいにドクドクと鼓動の音がうるさく、熱を出しているのかと思うほどに顔が熱い。
「俺も……そうかもな。清華がいたから山と谷、振り向けば綺麗な景色のいい人生になった」
「来週あたり死んじゃう人が言うセリフよ、それは」
「余計なことを言うな」
 清華が肩をすくめ、拓也が眉をひそめる。
「──と、これでご挨拶も終わりで、お父さんの用事も終わりですね。さっさと帰ってください」
「……お前、ホント、俺に当たりがきついよな……」
 晴れ晴れとした笑顔の美月とにがり顔の拓也とを見比べる。
 さすがに『さっさと帰る』はないだろうが、三島夫妻にしても美月にしても『これで終わり』の空気を醸し出しはじめていた。
「あの……職場とか、そう言うの聞かなくても……」
「知ってる。ネットワークの設計施工会社だろう? 大きくはないし、給料もずば抜けていいわけでもないが、堅実にやってる会社だと聞いた」
「……なんで?」
「だから言ったろう? あそこには高校時代の家庭教師がいるんだよ」
 また大学の方へと指を向ける拓也に、痛む腰を抱えた老人が苦笑い気味に言う。
「後輩になるものだと思ってたら、『俺、偏差値七十あるんで』って関東への進学を決めて、殴られてましたけどね」
出藍しゅつらんの誉れと言って欲しいよな」
 破顔する拓也に良夜も少しだけ頬を緩め、コーヒーのグラスに口をつける。
 少しぬるくなってはいるが芳ばしい褐色の液体が、喉へと流れ落ちた。
(これで終わりか……案ずるより産むが安しってやつだな……)
 あとは良夜の両親との対面だがこちらは姉の結婚式もあるし、それが終わっても年末でバタバタするだろう。
 だから、年が明けて落ち着いたころに……という話になった。
 それ以外に学資ローンの残高がどうとか、式は本当に二年後に出来るのか? もろもろ話の中心は概ね金だったりするのが世知辛い現実だ。
 会話の内容はほぼ良夜の想定の範囲内だったが──
「お父さんには関係ないです!」
 いちいち、美月が噛みつくもんだから話が前に進まない。
 それを良夜と拓也、ふたりでなだめたりすかしたりしてるうちになんとなく変な連帯感が生まれたのは想定外の話。
(なんにしても金がいるよな……指輪もどうにかしなきゃだし……頭イテぇ……)
 どうしたものか、やはり社会人一年目で婚約は早かったか? しかし、いまさらなかったことになんてできないし……と、いろいろ悩みながらもこの日の顔合わせは終了。
(なるようになっちゃえ〜〜〜〜〜)
 良夜はこの精神で事態の進行を他人事のように見守ることにした。

 その日からあっという間に一週間が過ぎ、金曜日、週末がやってきた。
「ふぅ……」
 良夜は忙しい一週間が終わり、まともに休める土日がやってきたことに安堵の吐息を漏らす。
 そして、駅前のスーパーで買ってきた料理をガラステーブルの上に並べる。
 オーブンで焼いたら食べられるレトルト唐揚げにオーブンで焼いたフランクフルト、気休めのカット野菜にドレッシングはたっぷり。
 飲み物は当然のように安い缶酎ハイ……
 〆にはカップラーメン、完璧な晩酌は金曜日の恒例行事だ。
「さてと……」
 素晴らしい週末を予感しながら、良夜は缶酎ハイのふたを開ける。
 だがしかし!
 ガチャガチャ……ノックもされずにドアが開き、入ってきたのは──
「来ちゃいました」
 巨大なボストンバッグを抱えた美月だった。
 その頭の上にはあくびを噛み殺しくつろぐアルトの姿……。
 ニコニコ笑っている美月とくつろいでいるアルトの顔、ふたつを見比べ、良夜は言った。
「……OK、説明しろ、アルト」
「……あの……なんでそっちなんですか?」
 河豚のようにプーッと膨れたほっぺたは当然のようにスルーした。

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